過去と目覚めと
あれから、三ヶ月が経った。
私は今までと変わらず、モニカさんの食堂で働いている。変わったことと言えば、店にルークがいる事くらいだろう。
私が働いている間、彼が休憩室で過ごすことをモニカさんが許可してくれたのだ。その間の食事まで全て用意してくれて、本当に頭が上がらない。
ルークは一緒に暮らすうちに、だんだんと心を開いてくれていた。今では私のことをサラと呼び、会話も沢山してくれるようになった。自分で言うのもなんだけれど、かなり懐いてくれている。家の中ではベッタリだ。世界一可愛い。
私が働いている間、ルークはいつも本を読んだり、勉強をしたりしていた。それも自発的にだ。私が子供の頃なんて、親に怒られてから、ようやく鉛筆を手に取ったというのに。なんて真面目でいい子なのだろう。
出会った時はあんなボロボロだったけれど、読み書きも出来るし、一つ一つの動作にも品がある。いい家の子だったのかもしれないと、モニカさんがこっそり教えてくれた。
……ルークの過去については気になっていたけれど、尋ねるつもりはなかった。嫌なことや辛いことを、無理に思い出す必要なんてないのだから。
「今日は何の本を読んでるの?」
「魔法に関する本です」
「そうなんだ! ルークも魔法を使いたいの?」
「はい、サラみたいになりたいんです」
魔法というのは大体、10歳前後で使えるようになるらしい。火や風、水など色々な種類がある。ちなみに私が使える治癒魔法は光属性と呼ばれ、数万人に一人しか発現しないんだとか。めちゃくちゃレアだ。
周りからはそれだけで食べていける、お金持ちにだってなれると言われたけれど、モニカさんの所で働きたい私は、気にしていなかった。たまにこの街で怪我した人を、お小遣い程度のお金を貰って治療したりはしていたけれど、本来なら治癒魔法というのは、高額な対価を求めるものらしい。
それにしても、私みたいになりたいだなんて可愛いがすぎる。将来ルークも魔法が使えるようになりますように、と祈らずにはいられなかった。
◇◇◇
とある日の仕事終わり。食堂を出て、ルークとアパートへと戻ろうとしていた時だった。
突然、暗闇から私達の前に立ち塞がるようにして、見知らぬ男が現れたのだ。見るからに怪しい。とりあえず悲鳴をあげて逃げようかと思った、けれど。
ルークの口から、信じられない言葉が漏れた。
「………にい、さま」
「えっ」
このめちゃくちゃ怪しい人が、ルークのお兄様だというのだろうか。暗闇の中じっと目を凝らして見てみても、美少年のルークとは似ても似つかない。
「おい、随分探したぞ。こんな所にいやがったとはなあ。小綺麗なまま生きててくれて助かったよ」
「…………っ」
「ほら、帰るぞ」
そんな男を前にして、ルークはひどく震えていた。
もしかすると、この兄らしき男がルークを傷つけたのかもしれない。そう思うと、燃えたぎるような怒りが込み上げてきた。怯えるルークを背中に隠し、男の前に立つ。
「やめてください、怯えているじゃないですか」
「おいおい。ルーク、早速女に取り入ってんのか? その調子でカイラ様のことも頼むよ」
「何を言って、」
「時間がねえんだ、どいてくれ」
そう言って男は、私を思い切り地面に突き飛ばした。
いきなり手を出されるとは思わず、私が痛みで動けずにいる間に、男はルークの腕を掴んでいた。
「っ離し、て……!」
「あ? 邪魔だな、こいつ」
必死に足に縋りついたけれど、今度は髪の毛を掴まれ無理やり立ち上がらされる。ブチブチと、髪の毛が抜ける音と激痛が走った。いきなり女性にこんなことをするなんて、どう考えてもまともではない。
間違いなく、話が通じる相手ではなかった。
「っ兄様、やめてください……! 俺が、ちゃんと行きますから、サラだけは、」
「お、よく見るとこいつ綺麗な顔してるなあ。この女も
────売る?
信じられない単語が飛び出して、私は痛みに耐えながら目の前の男の顔を見た。思っていたことが顔に出ていたのだろう、男はニヤニヤとしながら口を開いた。
「知らなかったか? こいつ、金持ちのババアに売り飛ばそうとしたら逃げたんだよ。前金貰ってたから困ったわ」
「っなんてことを……!」
実の兄弟に、そんなことをするなど信じられない。
それと同時に、あの日のボロボロの姿のルークを思い出す。どれだけ怖い思いをし、必死に逃げてきたのだろうか。
そんなルークのことを思うと、涙が止まらなかった。
「ほら、ルーク。お前もついてこい」
そうして男がルークに声をかけ、私の髪を掴んだまま歩き出した時だった。
私の目の前を、何かが物凄いスピードで通り抜けた。それと同時に、ぐらりと男の体が地面へと倒れ込む。
「……ルーク?」
何が起きたのかわからず、自由になった身体でルークの方を見れば、彼の手のひらは男へと向けられていて。その先に倒れる男の身体には、無数の氷の塊が突き刺さっている。
彼が発動した魔法だと、すぐに気づいた。
「……よくも、サラを……!」
尚も氷の塊は、銃弾のように男の体に打ち込まれていく。あまりのその勢いに、私は慌てて声をあげた。
「ルーク、もうやめて! 死んじゃう!」
それでも、私の声は彼に届かない。
……正直、この男は死んでもいいと思うくらいには許せない。けれどルークが人殺しになるなんて、絶対に駄目だ。この子には、未来がある。
何度呼びかけても反応はなくて。こうなったら、無理にでも止めるしか方法は無さそうだった。
正直、銃弾のように飛んでいくそれは、物凄く怖い。こういうのはアニメのヒロインとかがやるものであって、私のようなその辺にいる普通のOLには無理がある。
それでも、ルークのためにやらなくては。自分にも治癒魔法を使えるのが不幸中の幸いだった。
私は小さく深呼吸をすると、男とルークの間に入り、力いっぱい彼を抱きしめた。
「…………サ、ラ?」
「っもう、大丈夫だからね……」
やがて彼は我に返ったらしく、その視線はしっかりと私に向けられていて、ほっとする。彼の発動した魔法も、いつの間にか消えていた。
けれどそれまでの過程で、私の身体には無数の氷の塊が突き刺さってしまっていた。安心するのと同時に、信じられない程の痛みが一気に押し寄せる。
思わずうめき声のようなものが漏れたわたしを、ルークはぽろぽろと涙を零しながら見つめていた。
「っサラ、血が……!」
「だ、大丈夫、こんなのすぐ、治しちゃうんだから、」
とは言ったものの、めちゃくちゃ痛かった。
ルークを不安にさせまいと必死に笑顔を浮かべたけれど、かなり血も出ている。普通に死ぬかと思った。あと数個刺さっていたら意識が飛んでいたレベルで、間違いなく人生で一番の大怪我だった。
唯一怪我を免れた左手を自分にかざし、震える手で治癒魔法をかける。一分ほどそうしているうちに、痛みは完全に引き、ボロボロの服を着ているだけの状態になっていた。
「サラ……っごめんなさい……ごめんなさい……!」
「大丈夫だよ。ルーク、助けてくれてありがとう」
ルークは私に抱きつくと、声を上げて泣き出した。
そんな彼を抱きしめながら、いつの間にかひどく安堵した私も、声を出して泣いていたのだった。
重傷だった男も病院に運ばれ、やがて逮捕された。
あとから話を聞くと、ルークは没落寸前の男爵家の末っ子だったそうだ。金遣いの荒い一家は借金まみれで、そんな中美少年のルークに目をつけた貴族の女性が、彼を高値で買い取ると言い出したらしい。
そして売られる直前、命からがら逃げ出して1ヶ月ほど経った頃に、私が彼を見つけたのだという。どうしてもお腹がすいて、食べ物を盗んだ時にあの怪我をしたと言っていた。
……あまりにも、ルークが可哀想だった。どうしてルークが、こんなにも酷い目に遭わなければいけないのだろうか。売られそうになる前も、家の中でいい扱いを受けていなかったことは明らかだった。
それなのに、彼はこんなにも真っ直ぐで良い子なのだ。
今まで誰よりも辛い思いをしてきた分、これからは彼が幸せな人生を歩めるよう、私に出来ることは何でもしてあげたい。そう、心の底から思った。
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