決意
その後、彼を背負った時に移ってしまった臭いが気になった私も、風呂に入り着替えることにした。
ルークのことが気がかりで慌てて上がったけれど、彼は私が風呂に入る前と同じ体勢のまま、ソファに大人しくちょこんと座っていた。可愛い。
髪を乾かし、マシュマロを入れた温かいココアを作ると、ルークに手渡してその隣に座った。
「……おいしい、です」
「良かった」
こくりと一口飲んだ彼は、ほっとしたようにそう言った。
それから私は、ルークに自分のことを話した。家族は遠いところにいること、モニカさんの食堂で働いていること。ルークは大きな瞳で私をじっと見つめながら、黙って話を聞いてくれていた。
「そういえば、ルークは何歳なの?7歳くらい?」
思い出したくないこともあるだろうから、あまり彼に質問はしないようにと思っていたけれど。年齢くらいは聞いておかなければと思ったのだ。
そう尋ねると、彼は少しだけムッとした表情を浮かべた。
「……10歳」
「えっ、あ、そうなの、ごめんね!よくわからなくて」
子供の発育については詳しくないけれど、ルークは間違いなく小さい方だ。親戚のその年くらいの子供達は皆、もっと大きかった記憶がある。ガリガリの体型のせいもあって、彼は年齢よりもひどく幼く見えていた。
「……サラは?」
「私? 私は20歳だよ。ルークの倍だね」
私に少しでも興味を持って、質問してくれたのがとても嬉しくて。何でも聞いてね、と言ったけれどその日彼が質問したのはそれだけだった。
他愛ない話をしているうちに、窓の外はもう暗くなっていた。ルークくらいの子供ならもうそろそろ寝る時間だろう。
「疲れたでしょう、もう寝ようか」
私は汚れたベッドシーツを替えると、ベッドをぽんぽんと叩き、「どうぞ」と声をかける。けれど、ルークはこちらを見つめるばかりで、その場から動こうとしない。
やがて、もしかしてと思ったことを私は尋ねてみた。
「一緒に、寝る?」
するとルークの金色の瞳が見開かれ、彼は小さく頷いた。その姿は目眩がするほどに可愛くて、リアル天使だった。
先にベッドに入り「おいで」と声をかけると、彼はおずおずとベッドの中に入ってくる。
ベッドは一人用のもので小さく、自然とくっつくような形になる。小さなルークの身体は温かくて、なんだかほっとした。誰かの体温をこうして感じるのは、いつぶりだろうか。
「おやすみ、ルーク。いい夢が見れますように」
そう、声をかけた時だった。
「……………っ、う、」
ルークの口から、小さな声が漏れ出したのだ。そしていつの間にか、彼は声を上げて泣いていた。
そっと、その身体を抱きしめる。あまりにも弱々しくて、すぐに折れてしまいそうで。私まで泣きたくなった。この小さな身体に、彼はどれほどの悲しみを抱えているんだろう。
そうして小一時間ほど経った頃、泣き声は寝息へと変わっていた。ルークを起こさないようにベッドから抜け出て、ソファに腰掛ける。私はまだ寝付けそうになかった。
時計を見れば営業は終わっているけれど、まだ食堂にモニカさんがいる時間だ。ギルバートさんに言付けを頼んだきりで、きっと心配しているに違いない。
私はルークがすやすやと寝ているのを確認すると、隣の食堂へと走った。10分くらいで戻ってくれば大丈夫だろうという、安易な考えで。
着くなりモニカさんに今日の出来事を話せば、彼女は柔らかく微笑み、頭を撫でてくれた。
「なるほどね。サラちゃんはよくやったよ」
自分がした事は間違っていなかったのだと言われたような気がして、心の底からほっとする。
「それで、その子をどうするつもりなんだい」
「……わからないんです」
それは、ルークの寝顔を見ながら考えていたことだった。
まだ本人に尋ねてはいなかったけれど、間違いなく彼に帰る場所はないだろう。
ルークが倒れている姿を見た時、心の底から助けたいと思った。今も変わらずそう思っている。だからこそ、孤児院に預けずに彼を引きとることも考えた。
けれど子供を一人育てる自信なんて、今の私にあるはずがなかった。犬や猫を飼うのとは違う上に、ここはまだ右も左までわからない異世界なのだ。それに20歳になったばかりの私は、つい最近まで自分が子供だったようなものだった。
「まあ、今すぐに答えを出す必要は無いさ。ゆっくり考えればいい。明日、起きたらうちに連れておいで。朝食を作っておくから」
「本当に、ありがとうございます」
「いいんだよ。偉かったね」
再び優しく、頭を撫でられる。じわりと、視界が滲んだ。それを誤魔化すように笑うと、私は改めてモニカさんにお礼を言って、店を出た。
そしてすぐに、隣のアパートへと戻ろうとした時だった。
「……ルーク?」
暗闇の中、アパートの前に一人ぽつんとルークが立っていたのだ。部屋にいたままの姿で、裸足で。
「どうしたの!?」
何かあったのかと慌てて駆け寄ると、彼は泣き出しそうな、消えそうな声で呟いた。
「……おきたら、サラが、いなかったから、」
「………っ」
その瞬間、私は自分がとった行動をひどく後悔していた。たった10分だとしても、この子を一人にするべきではなかったのだ。
本当に、私はルークのことを何も分かっていなかった。今の彼の世界にはきっと、私しかいないというのに。
「っごめんね……! もうどこにも行かないから、」
ルークをぎゅっと抱きしめる。控えめに背中に回された手に、自然と涙が出る。ごめんね、と何度も繰り返して泣く私を、彼は不思議そうな顔をして見つめていた。
……この世界に来て、1ヶ月。いつ、元の世界に戻るのかはわからない。それは明日かもしれないし、一生戻れずに終わるかもしれない。先のことなんて全くわからなかった。
そんな私でも、もしこの子が望んでくれるのならば。時間が許す限り一緒にいたいと思った。
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