一度目の出会い
先程まで自分の部屋でテレビを見ていたというのに、気が付けば見知らぬ森の中にいたなんて、信じられる筈がない。
それが例え、自分の身に起きたことだとしてもだ。
「サラちゃん、森から少し木苺をとってきてくれないか。デザート用の切らしちまったんだ」
「はい、わかりました」
それでも1ヶ月も経てば、自身が異世界に来てしまったのだと理解し、普通にそこで働いて暮らして居るのだから、人間の適応能力というものはすごいと思う。
モニカさんに言われた通り、私は小さなカゴを持つと店を出て、近くの森へと向かった。
……1ヶ月前、突然自分の部屋から森の中に飛ばされていた私は、パニックになりながらも歩き続け、近くの街へと辿り着いた。ちなみに当時の服装は家の中にいたせいで、モコモコのルームウェアに裸足だった。
街に着いた頃には、足の裏は血まみれだし訳は分からないしで、私は大声を出して泣いていた。
街を行き交う人々も、異様な服装をして泣いている変な女である私を、誰もが好奇の目で見ていて。それがまた辛くて、余計に涙が止まらなかった。
自分が宇宙人にでもなってしまったような感覚に襲われ、怖くて、寂しくて堪らなかった。
そんな時、声をかけてくれたのがモニカさんだった。
頭のおかしな子だと無視をしてもいいはずなのに、彼女は泣きすぎて何を言っているかわからないであろう、私の話を最後まで聞き、怪我の手当をしてくれ、行くところがないならここに住み込みで働けばいいと言ってくれたのだ。
そのお陰で、私は今日もこうして生きている。少しでも恩返しが出来ればと、それからは毎日のように一生懸命モニカさんが経営する食堂で働いていた。
ちなみにここが異世界だと気づいたきっかけは、魔法の存在だった。当初は周りの服装や景色から、タイムスリップか何かかと思っていたのだけれど。
この世界では、人口の三分の一程度の人間が魔法を使えるんだとか。そしてまさかの私も、魔法を使えてしまったから驚いた。それも珍しいらしい、治癒魔法だった。
それにさっさと気づいていれば、数日間足の裏の痛みに泣くことも無かったというのに。
「………えっ?」
そんなことを思い出しながら木苺のある辺りまで歩いてくると、子供が倒れているのが見えた。服とは呼べないような布を纏い、全身傷だらけで、普通の皮膚の色の方が少ないくらいボロボロだった。多分、男の子だろう。
慌てて駆け寄るとその身体は震えていて、まだ息はある。私は羽織っていた布をその子にかけると、すぐに治癒魔法をかけた。いまいち自分の能力や魔法については理解していないけれど、手をかざして治れと念じるだけで、大抵の怪我は治ることは実証済みだった。
とは言ってもここまで酷い怪我は初めてで、不安になる。それでも治療を続けた結果、目に見える傷は全て綺麗に治ったようだった。ただ、その身体は酷く汚れていて、見えていない部分もあるかもしれない。
「よいしょ、っと」
とにかく家に連れて行かなければと、私はその子を背中におぶうと、街へと戻った。
完全に仕事中だったけれど、モニカさんなら仕事を放り出すよりも、死にかけている子供を見捨てる方が怒るだろうという確信があった。
背中に乗せたその子の体は信じられないくらいに軽く、思いの外すぐに家までたどり着くことが出来た。ただ、生ゴミのような酷い匂いがしていて、私自身まで酷い匂いになってしまったのだけれど。
自宅は食堂のすぐ隣のアパートの一室で、私はちょうどアパートの前にいた隣の部屋のギルバートさんに、「死にかけている子供を拾ったから、1時間だけ時間が欲しい」とモニカさんに伝えるよう頼んだ。
自室へと入り、その子をそっとベッドに寝かせる。シーツに泥がべっとりと付いたけれど、それはまた洗えばいい。
「………っう、う」
まずタオルで酷い汚れだけでも落とそうと思っていると、不意にうめき声に似た声が漏れ、身体がぴくりと動いた。やがて煤けた顔が歪み、ゆっくりとその目が開く。
そして現れたのは信じられないくらいに美しい、ふたつの黄金の瞳だった。
「あの、大丈夫?」
そう声をかけると、彼は大きく身体を震わせた。ひどく怯えていて、余程辛い目に遭ったのが見て取れる。
「君が森の中で倒れているのを見つけたから、治癒魔法をかけて私の家に連れてきたの。君が嫌がることは何もしないから、大丈夫だよ」
優しい声色をイメージしながらゆっくり伝えれば、少しだけ彼が纏う空気が和らいだ気がした。
「どこか、痛いところはない?」
そう尋ねれば、彼はほんの少しだけ首を横に振る。どうやら怪我はほとんど治せたらしく、ひどく安堵した。
「お腹は空いてない?すぐにお粥でも作るよ」
戸惑ったように瞳が揺れた。間違いなく、お腹は空いているはずだ。きっと、遠慮しているのだろう。
「急いで作るから待っててね。もし動けそうなら、その間にお風呂でも入ろうか」
そう声をかければ、彼は自身が寝ていたベッドを見て、申し訳なさそうな顔をした。思い切り汚れてしまったのを気にしたのだろう。「元気になったら、一緒に川に洗濯しに行こう」と言うと、その瞳は驚いたように見開かれた。
おいでと言えば大人しくついて来てくれて、そのまま風呂へと連れていった。お風呂の使い方はわかるかどうか尋ねれば、彼はこくりと頷いて。石鹸もお湯も好きなだけ使うよう伝えると、わたしはその場から離れた。
風呂場の前にタオルと、私が持っている中で一番小さなシャツとズボンを置き、急いでお粥を作り始める。
お粥を作っている間にギルバートさんがやって来た。「一時間どころか、一日二日は働かなくてもいい」とモニカさんは言っていたらしく、二人に心の底から感謝した。
「…………えっ」
やがて風呂場のドアが開いた音がして、視線を向ける。
そして恐る恐る出てきたのは、信じられないくらいに綺麗な顔をした少年、いや天使だった。あまりに驚きすぎて、私の口からは間の抜けた声が漏れる。
先程まで泥塗れで真っ黒だった髪は、深い青色で。煤けて汚れていた肌は、透き通りそうなくらいに真っ白だった。
一番目を引くのが、長いまつ毛に縁取られた金色の瞳で。それらが整いすぎた顔を、さらに引きたてていた。
あまりにも眩しいその姿に、思わず固まってしまう。ガリガリでやつれた姿でこのレベルなのだ、健康的になったなら間違いなく世界を獲れるだろうと、本気で思った。
ついつい見とれてしまったけれど、私は軽く自分の頬を叩くと気を取り直し、彼をソファに座らせた。しっかり髪も体も拭いてあるのを確認すると、テーブルの上の彼の前に卵粥を置く。ごくりと喉が鳴ったのがわかった。
「どうぞ。良かったら食べてね」
そう言ってから数秒、彼は戸惑ったような様子を見せていたけれど、やがてスプーンを持つとかきこむようにして食べ始めた。その勢いに、どれだけお腹が空いていたのだろうかと、また心が痛んだ。
あっという間に皿の中は空になった。まだおかわりする分はあったけれど、しばらく何も食べていなかったようだし、いきなり大量に食べては戻してしまう可能性もある。彼が望むのなら、少し時間が経ってから食べさせることにした。
「……美味しかった、です」
「本当?良かった」
照れたように呟かれたその言葉に、私は一瞬で胸を射抜かれた。なんて可愛いんだろうか。本物の天使がいる。
それと同時に、こんなにも可愛い子がどうしてこんな目に遭わなければならないのかと、怒りを覚えた。
「そういえば名乗るのを忘れてた、ごめんね。今更だけど、私は咲良っていうの」
「……サ、ラ」
「うん。よろしくね」
自分の名前を呼んでくれたのが何だか嬉しくて、思わず笑顔になってしまう。そんな私を、目の前の彼は不思議そうな目で見つめていた。
「どうして、助けてくれたんですか」
……ああ、そうだ。モニカさんに助けて貰ったあの日、私も同じことを彼女に尋ねた。
「私も、助けてもらったことがあるから」
そしてその時に返ってきたのが、この言葉だった。
元々、私は世話焼きな方ではない。むしろ面倒くさがりで無気力だった。正義感が強いわけでもない。
それでもこの世界に来た時に、私はひとりぼっちの怖さも寂しさも知ったのだ。そして、人の温かさも。
モニカさんが助けてくれなければ、私はこの子のようにボロボロの姿で、お腹を空かせていたかもしれない。どこかへ売り飛ばされていた可能性だってある。
だからこそ助けてもらったこの体で、誰かを助けることが出来るのなら。手を差し伸べたいと思った。
「君の名前はなんて言うの?」
「……ルーク」
「ルークね。すごく綺麗な名前! 君にぴったり」
そう言って微笑むと、ルークは照れたように俯いて。あまりの可愛さに心臓が痛いくらいに締め付けられる。
これが、私とルークの一度目の出会いだった。
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