1-2.

 ケイグランは、自分がどこに移動されているのか、まったく把握できなかった。


 ただでさえ沈静剤を投与されて頭が朦朧としている。それに加えて、移動に使われた乗り物は、ことごとく窓が閉鎖されていた。外の様子も、暗いのか明るいのか、北に向かっているのか南に向かっているのかすら分からない。外を移動する時は目隠しをされて、ただ空気の匂いだけで、地上であることと、建物の中は空調が効いていることがわかるくらいだった。


 ただ途中、妙に傾いた座席に座らされた後、急激な加速を感じ、直後に浮遊感があったことから、おそらく飛行機に乗せられたのであろうことを把握した。


 だが、それは誤りであることをすぐに知る。


 飛行機特有の加速と浮遊感ののち、身体が軽くなるのを感じた。両手両足と胴体をベルトで座席に固定されているから、浮き上がることはなかったものの、これはもしかしたら無重力というやつなのではないかと、ケイグランをは考えた。


 訓練所は地上にはない。宇宙のどこかだと聞いている。だから一度訓練所に放り込まれると、二度と地上には戻れないのだ、とも。


「でも、あの女、訓練生だって言ってたな」


「静かにしろ」


 つぶやき程度のつもりだったけれど、近くから保護官らしき男の声がした。


 あやまったらまた静かにしろと言われそうだったので、黙ることにする。


 考えてみたら、拘束されてから初めて声を出したかもしれない。久しぶりに使った声帯は硬直しているかのように乾燥した音を出した。喋らないと人間が人間でなくなるような気分になる。


 あるいは言葉を発しないでいたら、本当に人間とは呼べない生き物になってしまうのかもしれない。


 ガンッという音とともに、軽い衝撃がケイグランを襲い、束縛された上半身が前に飛び出そうになった。宇宙船——おそらくこれは、飛行機ではなく宇宙船なのだ——が停止したようだ。


 両手両足のベルトが外れ、保護官から立つように促される。


 ケイグランは素直に従った。


 もしここが宇宙であるのなら、自分は逃げる方法なんかないのだと観念したためだった。




 身体検査、ヘルスチェック、当然のような囚人服的な服装への着替え、などの諸々を朦朧とした頭で終えたケイグランは、個室に放り込まれた。そして閉じ込められた。部屋の内側に鍵穴はなく、外からのみ施錠できる仕組みのドアだ。


 部屋は灰色であった。


 ケイグランは最初、目隠しされた時間が長すぎて、視覚がおかしくなっているのかと思った。しかし、部屋の壁も天井も、灰色に塗られていて、これはもしかしたら白一色だと精神におかしな影響があるから配慮した結果なのではないかと思い始めた。


 薄暗いのにはなれている。アンダーグラウンドは、常に暗かった。太陽があたらない世界なので、人工的な照明がすべてであった。


 しかしアンダーグラウンドには色があった。暗さを打ち消そうとするかのように、住人はさまざまな装飾を壁や通路につけていて、それらは彩りだけでなく、ともすると迷路になりかねない地下の通路の目印にもなっていた。


 個室の床に置かれたマットレスに、ケイグランは寝転んだ。床で寝ろと言われないだけましだとは思ったが、それほど優遇されているわけではないことも理解していた。


 清潔ではあった。ここの匂いは地上ともアンダーグラウンドとも違う。清潔な空気ではあるが、生活の匂いがしなかった。


「帰りたいな」


 喉から出た声は、やっぱりかすれていた。清潔で無味乾燥なここの空気は、実際湿度が低くて乾燥しているように思えた。


 それから数日。


 いや、数日なのかと言われると、明確に二四時間区切りでの数日が過ぎたのかどうかは分からない。食事が供され、医師やらカウンセラーやらが代わる代わる診察に来て、また食事が与えられ、消灯して、仕方がないのでマットレスで眠る。


 それを数回繰り替えした。


 おそらく数日に相当する時間が経過していたのだろうとは思うが、ケイグランはもはや時間の感覚を失っていた。加えて、正常な思考力すら失いかけていた。


 頭痛がすると思ったのは、嘘ではない。身体が精一杯の拒否反応をしていたのかもしれない。


「頭が痛い。軽い眩暈と、吐き気もする」


 と訴えたら、何人かのスタッフが入れ替わったのちに、部屋から出るように言われた。


 今度はアイマスクなしだった。


 ケイグランは、久しぶりに閉鎖空間以外の景色を見た。といっても、おそらく宇宙に浮かぶ施設と思われるこの場所は、通路も狭く、天井も低い。地上と比べると——いや、アンダーグラウンドと比べてすら——閉塞感を感じる場所だった。


 ただひたすら、明るくはあったけれど。


 連れていかれたのは、医務室だった。なにやら診察を受け、血を数滴とられ、透明な液体を注射された。そして、しばらくここで寝ていろという。


 何の検査をしたのか、何の注射をしたのか、まったく説明がない。もしかしたらこの注射は洗脳のようなことをするための薬で、頭が痛いとかわがままを言う人間を服従させて「頭痛なんかありません! 大丈夫です! 頑張ります!」言わせるためのものかもしれない。だけどそれすら分からない。


 意識はもとから明瞭ではない。ここに来てからずっと、何が起こっているのか、何をされているのか、分からないまま、だけど考える気力すら起こらなかった。


 ふっと、目を開いた。寝ていた? ——多分。だとすると、何分くらいだろう? いや何時間? 何日? 身体は痛くないから、そんなに長い時間ではないはずだ。


 目が覚めた、という感覚がした。久しぶりに頭が晴れているような気がした。


 そして気づく。今、この部屋には誰もいない。監視カメラは壁の内側に隠されているかもしれないが、人間の姿はない。


 ドアの先はどうだろう。ドアの外で誰か監視しているだろうか。


 仮にそうだとしても、「小便をしたかった」とかなんとか言い訳はできるのではないだろうか。


 ケイグランは起き上がった。ベッドから冷たい床に降りて、ドアに向かう。ドアをそっと触ると、シュウという音を立ててドアはスライドした。


 通路には誰もいなかった。


 ケイグランは通路に出て、なるべく人の気配の少ない方向を選びながら移動していった。地上と比較すると、はるかに小さな重力ではあったが、数日の監禁生活で身体の動かし方はすっかり慣れてしまっていた。


 少しずつ、奥へ奥へと進んでいく。目的なぞなかった。ただ、奥の方へ、深部のほうを目指していた。もしかしたらアンダーグラウンドの住人の本能的なものだったのかもしれないが、ケイグラン自身もそこまで理解してはいなかった。


 とうとう、行き止まりの扉に突き当たった。


 ——貨物カーゴ連絡通路。


 素直に信じれば、輸送用の貨物入れモジュールへとつながる通路である。貨物カーゴに乗って隠れてしまえば、どこか他の場所——少なくとも自分を監禁しない場所——に行けるのではないかと考えた。ドアを開けない理由はない。万が一輸送船のようなものに接続されていなかったとしても、いきなり真空の宇宙に放り出されることはないだろう。いくらなんでも安全装置くらいは機能しているはずだ。


 ドアに手をかざすと、医務室のドアとは比較にならない重い音をたてながら、ドアは開いた。その奥には狭いチューブのような通路が伸びている。


 ケイグランは歩みを進めた。背後で再び重い音を立てながら、ドアが閉まった。


 チューブの先には更にドアがあり、これもまた同じように重い音をたてて開いた。


 中は暗い空間だった。一歩踏み込んだところで、背後でドアが閉まった。本当の暗闇になる。


 ケイグランは目を閉じた。アンダーグラウンドのことを思い出せ。暗闇に閉じ込められたら何をすればいい? まず目の残像が残っているうちに、見えた景色を記憶しろ。地面はあるか? 障害物はあるか? 部屋の大きさは? 天井の高さは?


 ゆっくりと周囲に手を伸ばし、設置された棚のようなものに力を加える。大丈夫、固定されている。そろりと進む。固定されたものに掴まれるだけでも、だいぶ安心感が違うものだ。


 特に重力が低い、今のような環境では。


 しばらく呼吸を整えていると、ふいに金属音が響いた。足元のかなり深いところからの音のように感じた。オレンジのランプが点灯し、前方への加速を感じる。


「移動する……のか」


 オレンジのランプが点灯したことと、目が慣れてきたことで、ぼんやりながらも貨物室らしき場所の様子が把握できるようになった。


 確かにそこは、貨物室であった。手前の棚が並んでいるエリアの奥には、長方形の箱が積まれ固定されている。ケイグランがいる場所は、入口付近らしく多少たりとも足元にスペースがあった。荷物の配置からすると、搬出口は側面のようだ。


 ケイグランは棚の柱に身体を固定して、横になった。移動であればしばらくはこの状態が続くだろうし、そういう時は身体を休めておきたい。


「ふぅ」


 思わずため息をついた。ちょっとシティの近くまで言って、甘いドリンクでも飲もうとしたという、それだけのことだったのだ。


 それなのに特殊警察に見つかり、ジャスティーヌとかいう訓練生に引っかかり、結局捕まって訓練施設に送られた。—--いや、あれは訓練施設だったのか? 単なる収容所なんじゃないのか? 自分みたいなのは、訓練する価値もなくて、薬を打たれてそのまま眠るように死んでいく運命だったんじゃないのか?


 だとしたら、逃げ出したのは正解だ。今の自分は生きている。


 この輸送船らしき箱がどこに向かっているのか、まったく想像できなかったが、生きるためならあがくだけあがこうと思った。それがアンダーグラウンドの生き方だからだ。


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