第39話 浮上する悪意

 帝都ノヴァ・グランツトロンの皇宮にある大会議場で宰相メテオール・レンバッハを中心に進められた新たな法案が可決された。

 法案の名は純血種保護法案。その名だけを聞けば、純粋に神の血を引く古い血族を保護する法律のように聞こえるだろう。だが、この法案の主旨は違う。

 古い血族を守る為に異種族を排除するという意図が明確に示されている危険な法案なのだった。


「皆さんの良き心掛けのお陰で帝国はさらなる繁栄の時を迎えるでしょう」


 メテオールは涼やかなる容姿に良く通る心地良い声と人心を掴むのにこれだけ、向いた者はいない。

 侯爵という地位にあり、帝国宰相を務める今を時めく、この男が元はしがないベリアーナという子爵家の養子に過ぎなかったという事実を知る者は意外と少ない。ペリアーナ家は召喚魔法を代々、研究する魔導の家であり、魔法の大家として尊敬を集めはしていたが出世欲にも乏しい、権力抗争とは無縁の家だったからである。


「レンバッハ閣下、あの噂はお耳に入れておられますか?」

「何の噂でしょう」


 法案が可決され、閉会となった議場を退室しようと動いたメテオールに話しかけてきたのは軍務尚書エッカルト・ペンブルクだった。ペンブルク伯爵家の当主であり、帝国の軍事を担う重職にあったがその立場上からか、今回の法案には中立を表明していた。


「陛下が新しい女子にご執心という話です」

「ああ、いつものことではないですか」

「それが…今度は一晩限りではないのですよ」

「ほお、それは珍しいですね。陛下もついに后を迎える決心でもされたかな」

「そうだと好ましいことですが。では私はこれにて、失礼致します」

「お疲れ様でした、ペンブルク卿」


 二人ともにこやかな笑顔で会話を続けているがその笑顔が張り付けたようなもので心からのものではないのが傍目にもすぐ分かるほどだ。


『あの木偶の坊がご執心だと?おかしなこともあるものだ。少し、泳がせ過ぎたか』


 議場を出るメテオールの表情にどことなく邪なものが浮かんだのに気づく者は誰もいない。





「あなたはわたくしが憎いでしょう?あの惨劇もあの悲劇もわたくしのせいなのだから。だから…わたくしを殺して。あなたにはその権利があるもの」

「僕がリーナを殺す?理由がないよ。もし、理由があったとしても僕は絶対に殺さない」


 わたくしの顔を真っ直ぐ見つめてくるレオの紅の瞳には迷いも嘘もない。いつだって、彼はそうだった。

 わたくしが彼を手に掛けてしまった時も決して、わたくしを責めたりはしなかった。それどころか、最後まで心配して、どこまでも愛してくれていたのに。

 だから、今世でようやく出会えたあなたが年下になっていて、今度はわたくしが守ってあげると誓ったのに。それなのにリヒャルト様やリリア叔母さまを守れなかったばかりか、あなたとアイリスを異世界に飛ばしてしまった。

 力になるどころか、迷惑を掛けただけじゃない…。


「でも、わたくしは自分が許せないの」

「だから、冥界に堕ちたんでしょ?そんなことしなくてもいいのにね」

「許せなかったから、わたくしだけが生きているなんて。あなたがいない世界に生きている意味なんて、ないから…ずっと待っていたの。何度も何度も挫けそうになりながら、また会えるって信じていたから」

「やっと会えたね。待たせて、ごめん。泣かないで」


 そう言って、レオは跪いているわたくしを優しく、抱き締めてくれる。年上になって、今度はわたくしがお姉さんだから甘やかしてあげると心に決めていたのに結局、甘えているなんて。


「たかだか、五千年程度だもの。また、こうして抱き締めてもらえるのなら、そんなの辛くも何ともないわ」


 そう強がっているだけでわたくしの頬を涙が濡らしていくけど、今は泣いてもいいと思える自分がいる。


「やっぱり、来たんだね」

「そうみたいですわね。無粋ですわ。恋い慕う者の逢瀬を邪魔しようなんて、人のすることではございませんもの」


 レオに手で支えてもらって、立ち上がると無粋な男の姿を確認する。予想通りの人のようで驚きもしないわ。


「フリッツさん、あなた一体、何者なんですか?」

「レオ、この男…フリスト法主国の教皇サルゴンですわ」

「そ、そうなの?あぁ、そっか。でも、あなたには感謝してるんだ。僕とアイリスさんをこの世界に呼び戻してくれたんだからね」

「ふん、最大の失敗だったよ。お前がまさか、レオンハルトだったとはな」


 憎々し気な表情を隠さず、抜身の剣を手にわたくしたちを睨んでくる男はサルゴン教皇と呼ばれる者。ディープワンを使って、バノジェを支配し、エキドナの力を削ごうと暗躍し、そして、アルフィンを狙った。


「あなたがアルフィンの見習い騎士だったというのも嘘なんですか?」

「それは本当の話さ。私は確かに見習い騎士だった。そして、アルフィンの悲劇を目にして、誓ったのだ。この世はやはり力ある者が統べるべき、とな」

「やはり、狂ってますわね。力だけでどうにか、出来ると思っていること自体が。思い上がりも甚だしいわ」


 力だけでどうにか出来るというのなら、この世界は既に滅んでいてもおかしくないのだから。

 わたくしを含めて、あと二人。一人は隣にいるのだけど…この世界が気に入らなくなったら、壊せる力を持っているということ。

 でも、二人はそのようなこと、決してしないでしょう。世界を壊しかねない一番、危険な存在はわたくし。

 わたくしの権能が怠惰でなかったら、世界はどうなっていたのか、興味深いところではありますけども。


「お前たちのような呪われた子がいたせいで私の理想としたアルフィンが消えたのだ。お前たちは許されない存在なのだ。さあ、我が手にかかり、消えるがいい」

「フリッツさん…いや、サルゴンさん。それ、本気ですか?あなたの力で僕たちには勝てないですよね」


 サルゴンは右手で構えた長剣を振りかざし、レオに斬りかかった。おかしいですわ。どう考えてもこんな勝ち目がない戦いを挑むのはありえないもの。


「レオ、何か、おかしいわ」


 わたくしがそう注意を促した時には既に遅かった。攻撃されるのに反射的に体が動いたのでしょう。サルゴンの右腕は剣ごと斬り落とされ、返す刀でその体までも上段から袈裟懸けに斬られるとそのまま、力無く大地に仰向けに倒れました。


「こ、これでいい…これで貴様らは終わりだ…ふはははは」


 やはり、何か企んでいたのね。だから、わざと無防備に斬られた!?命の光が消えたサルゴンの身体から、凄まじい量の魔力が放出され、湖へと飛んでいきます。

 魔力の放出が終わるとサルゴンの身体は黒い瘴気となって、消えました。もはや人ではなくなっていたのですね…。


「嫌な予感がするね。まるであの日と同じ」

「あの日と…もしかして、湖なの?」


 レオがそう呟いた瞬間、大地を轟かせる激しい揺れが襲ってきました。同じ…あの日と同じ。

 鏡面のような湖面に赤い星を映し、静かな微笑みを浮かべるかのように夜の闇に溶け込んでいたアルフィン湖。その湖水がまるで激しく沸騰する湯のように吹き上がり始める。


 そして、アレが再び、わたくしたちの前に姿を現した。

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