第21話 令嬢は意外に忙しいものです、忙しすぎですけど

 その男は中肉中背のどこにでもいそうな普通のおじさんに見えた。ともすれば埋没しそうな特にこれといった個性のない顔立ちが普通のおじさんらしさに拍車を掛けている。

 ただ、その目をよく観察すれば、狼のように鋭く、油断のならないものだということも気づいただろう。この男が周囲に分からないくらい慎重に偽っているだけということにも。


 男の名はリヒテッヒ・ウンテルズェダー。

 魔導学院を首席で卒業し、その名を知られた切れ者。卒業後は魔法省に入省。その将来を嘱望された逸材であった。

 しかし、正義感の強さと反骨心ゆえに上層部から煙たがられ、閑職に追いやられた。ただ、当の本人は周囲の期待とは裏腹に全く、出世に興味がなかった。むしろ、閑職にある方が生き生きとしていると陰口を叩かれていた程である。


 リヒテッヒが興味を示すのは知的好奇心のみという中々に面倒かつ厄介な男なのである。


「いやいや、これは由々しき事態ですよ。実に興味深い」


 そう口に出しながらも私は今回、発生したイレギュラーな案件を楽しんでいる。

 私は運が無いとこれまでの人生を鑑みて、そう感じていたのだがここ最近、そうでもないんじゃないかと思い始めているのだ。

 正確には私に幸運を授けてくれる女神と出会ったとでも言おうか?少し、気障な言い方になってしまったか。

 燃える太陽のような赤い髪の少女とバディを組むようになってから、私のモノクロな人生はフルカラーになったのだ。やはり、少々気障な言い方になるな、なぜですかね?


「そんな言葉を口にしたら、あの娘はグーで殴ってきますね」


 下らない感傷に浸っている間に目的の場所である長官の執務室前に着いていた。


「一等魔導特務官ウンテルズェダー、只今、参りました」

「ご苦労、入りたまえ」


 執務室に入ると私を迎える蛇のような冷たい瞳をこちらに向ける男が魔法省長官。簡単に言えば、私の上司だ。

 ゴットヘルフ・フォン・アインシュヴァルト。

 この男を前にするとさすがに緊張せざるを得ない。油断をすれば、首が飛ぶ。冗談では済まないところがこの蛇とあだ名される長官殿だ。


「緊急の報告との事だが…何事が起きたのかね?」

「はっ。宰相閣下が勇者を召喚し、命を下したとの報告にございます」


 一瞬、長官の黄金色の瞳が怪しく輝いたように見えたが気のせいだろうか。


「ふむ。あの狐がか。また、何か企んでいるのだろうよ。それで君のことだ。その命の仔細も掴んでいるのだろう?」


 いやいや、さすがに蛇長官殿は鋭くて、困りますな。


「アルフィンにて不穏な動きあり。これを抑えよとの命のようです」

「ほぉ…面白いことを言うな、あの狐め。任地に赴いたばかりの娘を捕らえようとはな」


 長官の眉間の皺が深くなったか。蛇長官殿でも娘は可愛いのだろうか?リリアーナ嬢だったか。確か、あの娘の同級生だったな。一時期、ゴシップ記事でその名を見た気もするが気のせいだろうか。


「君はどう思うかね?」

「興味深くはありますが一介の捜査官ですので」


 宰相閣下は昔から、黒い噂の絶えないお方だ。きな臭いどころの騒ぎではなく、十年前の皇帝即位にも大きく、関与したのは間違いないだろう。

 今回の勇者などという得体の知れない者を遣うところを見ると何か、よからぬことを企んでいるに違いない。だが、私は単なる捜査官に過ぎない。残念ながら。


「君に…いや、君達、特務班に秘密任務を与えるとしよう」

「秘密…ですか?」


 いやぁ、実に楽しくなってきました。これもあの娘のお陰ですかね。久しぶりにやる気が出てきましたよ。




 ごきげんよう、皆様。

 まだ、一ヶ月くらいしか離れていないのに都に懐かしさを感じているリリアーナです。わたくしは今、帝都ノヴァ・グランツトロンにいます。

 思い返せば、アルフィンへの往路は一ヶ月以上かけた馬車の旅で中々に大変なものでしたけど、復路は記憶が戻った今となっては転移の魔法で一瞬で終わってしまいます。情緒も何もあったものではありませんわね。便利ですけども。

 そして、今わたくしの前にそびえる立派な屋敷はアインシュヴァルト家公邸。ええ、わたくしの家でもありますね。帝都への転移先で思いついたのがここだったからというのもありますけど、目的を為すのもここだから一石二鳥というものですわ。


「姫、例の者どもへの渡は付いております」

「ご苦労様。アンディはまだ、病み上がりでしょう?無理をしないでいいのよ」


 転移にもしっかりと付いてくるアンディは本当に何者なのかしら。本人は忍びの者と言っているけれど…それって、まさか日本の忍者?でも、そういう風でもないのよね。日本の忍者はもっとこう諜報活動が得意な戦闘もこなせる諜報員のようなクラスでしょう?

 アンディの場合、戦闘はこなせるどころか、よく分からない魔法ではないのに魔法のような術を使いますし、身体能力は壁をそのまま登っていく化け物じみたものですし、考えれば考えるほど謎ですわ。


「それでは彼らが来るまでここで待つとしましょう」


 変に思われるでしょうね。この家の娘であるわたくしが玄関前にいるのに屋敷に入りもしないで日傘をさして、黒尽くめの男と立っているんですもの。幸いなことに今のところ、使用人に見つかっていないので面倒なことになってないことかしら。


「来たようね」

「麗しき我らが姫よ、遅くなりまして申し訳ございません。ネビロス以下、四名…只今、ここに」


 わたくしの背後に膝をつき、控えているのは四人の異形の者たち。アンディが”渡をつけた”のは彼ら。アインシュヴァルト家の拾い子であり、アルフィンの留守を任せるのに必要とされる才を有した優秀な人材でもあるのです。

 この子たち―わたくしがまだ、子供の頃に出会い、一緒に育ってきた命は助けたなんて、そんな大袈裟なものではなくって…。

 たまたま、目に見えた命を拾い上げただけのもの。それは人に誇れることではないでしょう?それ以外の命は失われたのかもしれないんですもの。


「ネス、あなたの策は効果的過ぎるようですわね。噂がどんどん独り歩きしているもの」

「お褒めに預かりまして、恐悦至極に存じます」


 褒めてはいないのですけど?いささか、とんちんかんで会話が成り立たっていない金髪碧眼の女性と見紛うような美丈夫がリーダー格のネビロス。四人の中では最年長で魔導師としてもカウントの位階を有している付与魔法エンチャントのエキスパート。

 しかし、ネスには半分エルフの血が流れていて。ハーフエルフであるというただ、それだけで冷遇されたのよね。それで宮仕えを辞して、公爵家の家政を任されているのだけど注目すべきは謀略と内政に卓越した能力を持っていることかしら。

 ただ、幼い女の子のみに執着する変な性質はどうにかすべきでしょうね。


「ヴァルは無理はしていないかしら?あなたはすぐに無理するから…心配ですわ」

「自分、不器用ですから」


 う、うん?この子の返答も何かがおかしいわ。ヴァプラは背に全身を覆えるくらい大きな黒き翼を持つ有翼人フェザーマンなの。一般的に知られる有翼人フェザーマンは山脈地帯など人里離れた場所で暮らしていて、他民族との交流もない閉鎖的な種族なのよね。彼らの美しい翼は純白であることでよく知られているのですけどヴァルは黒い翼に黒い髪、黒曜石のような瞳。

 正反対なのです。黒尽くめですもの。それで異端扱いされていたのでしょうね。出会った頃のヴァルはかなり荒れていたから、性格も捻くれてしまったらしくて、仲間ともよく衝突していたわ。

 現在は素直になったのを通り越して、あまりに従順過ぎるところが逆に心配なのだけど。


「キャシー、さらに料理の腕を上げたらしいわね」

「ええ、姫様。色々と料理長より教わりましたので姫様にも喜んでいただけるかと」


 四人の中で一番、まともな子ね。カシモラルはちょっと筋肉が逞しい感じに見えてしまうけど、ウルフカットにした栗色の髪と怪しく輝く黄金の瞳が愛らしい人狼ルガルーの女の子なの。

 でも、彼女が得意とするのは戦闘関連の荒事ではなくて、家事全般と畑仕事ですから、傭兵稼業が主流の人狼ルガルーの一族の中では浮いていたのよね。でも生来、優しくて真面目な性格のキャシーは学問を修めるのに努力を惜しまないから、農政までも身に着けてしまったの。


「イポスは変わりないようね?」

「変わってたら、変っしょ」


 本当に変わりなさすぎて、逆に安心したわ。アイポラスは四人の中で帝都でもっとも生きづらい子なのですから。

 人に似た姿ではなく、獣に近い姿の獣人。そのせいで魔物と同じ扱いをされることが多い種族だから、森の奥深くで生活している者が多い…町にいるとそれだけ、危険が伴うのよね。

 彼の姿を簡単に説明すると小柄な女性くらいの背丈がある二足歩行をするうさぎさんかしら?とても愛くるしい姿だと思うのですけどそう受け取ってもらえないのが帝国ですもの。

 ちなみにイポスはうさぎさんの見た目で近接戦に特化したプロフェッショナルなのです。見た目に騙されてはいけないということですわ。


「アルフィンに行くの嫌ではなくて?何もないところだけど」

「我らの場所は姫がおられる場所にございます」

「それでは帰りましょう。わたくしたちの家に…」


 転移魔法を展開して、空間に開いた次元の門をくぐれば、そこはもうアルフィンのわたくしの部屋。

 本当に便利ですわ。これ、もっと高速で展開したら、敵の真後ろに転移して即殺せるのではなくって。研究する価値がありそうね、この案件。

 はっ!?そうでしたわ。そのようなことを考えている暇、わたくしにはないのでした。スケジュールが押しているのよね。


「ネス、あとはあなたに全てを任せるわ。わたくしはアンと洋品店に行かなければならないの」

「仰せのままに…姫って、もういない」


 ネスの返事を聞く前にわたくしはもう早足で部屋を出るのでした。長いドレスを着ているから、早く動けないと思いましたでしょう?

 残念…不正解ですわ。令嬢歴も長くなりますとドレスでも意外と早く動けるものなのです。

 さて、アンを連れて仮縫いを済ませたら、次が問題よね。殺しちゃうのはいけないもの…それに本題が控えているわね。

 あぁ、本当に今日は忙しすぎるわ…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る