第16話 胡蝶花は誰が為に咲く

アルフィン内政状況

人口:202人(5+197)

帝国歴1293年

6月 領主代行リリアーナ一行が赴任する(+5人)

   黒きエルフ族が移住(+197人)


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 ロンディア候アラーリック・フォン・アインホルン。

 神聖レムリア帝国最北端の要衝ローダニスを守る彼を心無いものはこう呼ぶ。

 北の餓狼王と。


 アラーリックはリヒャルト第一皇子の弟だが皇位継承権を持たない。

 なぜなら、彼は拾われた子だったから。それでも彼は自らの境遇と運命を呪ったことは一度たりともなかった。

 アイゼンヴァルト家の人々が血の繋がらない幼子を家族として受け入れてくれたからである。

 だが、その関係は十年前、唐突に終わりを告げた。義兄リヒャルト一家の任地であるアルフィンが一夜にして、陥落したのだ。

 その報せを聞いた当時、まだ貴族学院生だったアラーリックは学院を退学すると同時に爵位ロンディア侯を与えられ、任地へと赴くことになった。

 その地の名がローダニス。北部地域の少数民族とのいざこざ、深い森林地帯に生息する強暴な魔物のせいで希望する者などいない辺境の地である。

 体のいい厄介払い。だが、当のアラーリック本人はこれを絶好の機会と捉えた。家族と迎えてくれた人々の仇を取る。それだけが彼の生きる望みとなっていたのである。


「あの娘がアルフィンに行ったか…これも神の悪戯というやつか?いや、それにしても随分と悪趣味な悪戯だが」


 アラーリックがロンディア候として、ローダニスに赴任してから、十年近くの歳月が流れていた。赴任当時はまだ、少年であった彼の力量に疑問を感じるものも多く、領地運営に苦戦していたものだが、貴族学院時代に俊才と謳われたアラーリックは実務においても非凡な才を持っていたようで数年もしないうちに民心を掴むことに成功していた。

 それまで放置されていた内政問題に取り掛かり、不毛の地とされたローダニスを肥沃な穀倉地帯へと変えた手腕といい、燻る異民族との折衝においても彼らとの協調を第一とし、対等な関係を築くことで比較的、平和であった。

 都からは異民族などに譲歩する必要なしとのお達しが来ていたが当然のように黙殺していた。それというのもアラーリックはミクトラント北部の少数民族の出身―それも現在は存在しない失われし氏族最後の族長の子なのだ。

 都から遠く離れた地で力をつける異民族の血を引く地方領主。中央が危険視しないはずがなかった。


「フリューゲル殿があの娘のもとにいるのも何かの運命だろうな。さて、俺も覚悟を決めるか。テオ、いるか?すぐに長蛇号を南へ回せ」

「はっ、長蛇号ヨルムンガルドを…ですか?」


 側に控えていた長身の男テオバルト―濃紺の髪に意志の強さが現れ出てる黄金色の瞳をした偉丈夫は主の命に疑問を感じつつ、答えた。

 この地で最新鋭かつ最強の軍船として、竣工した長蛇号ヨルムンガルドはロンディアの希望の星でもある。

 その船を危険が伴う遠方、それも遥か南の地へ向かわせろとは主がおかしくなったのかと思ったからだ。


「目的地はバノジェだ。俺の可愛い甥っ子と姪っ子が帰ってきたんだ。迎えを送らねば、なるまいよ」

「は、はぁ」


 アラーリックはかつて轡を並べ、外敵と戦った友の前途に幸あらんと静かに祈りを捧げると稲光で騒々しい空を見つめるのだった。





 ごきげんよう、皆様。

 バノジェから無事に城へと戻ってきたリリアーナです。

 ただ、二人で向かったのに帰りは四人に増えていますけれど。

 戻った頃には既に夜も更けていましたから、怪我人と衰弱の激しい病人の世話はルフレクシ様が紹介してくださった専門の方に任せ、休むことにしたのです。


「おはようございます、お嬢様」

「…おはよう、アン」

「この二日間でかなーり、お仕事が溜まってますよ」

「そうですの?住民登録はわたくしの仕事ではないのではなくって?他の仕事…かしら?」

「はい。お嬢さまがいらっしゃらない間、アルフィンへの住民の流入が止まらないのですが…あのですね、お嬢さま。迎え入れてもいいのか、あたしたちでは判断出来ない人たちもいたんです」


 アンディがいい仕事をしたということよね。

 住民が増えるのはいいことですわ。

 税収が増える訳ですし、何をするにしても人口は重要ですもの。問題が起こるとしたら、急激な増加に伴い、治安悪化の可能性ですわね。


「一体、どういう方々がいらっしゃったの?」

「それが…いわゆる魔物さんなんですよ」


 アン自身も獣人の血を引いているから、言いにくいのかしら。

 魔物と呼んでいいのか、それとも亜人と呼ばれている人なのか、どちらに入れたらいいのか、迷っているのでしょう。

 アンは優しい子ですもの。


「魔物…ですの?」

「ええ、コボルト族はご存知ですか?」


 コボルトは確か、ゴブリンよりも下に扱われることが多い、人間の子供くらいの背丈しかない小柄な亜人種よね。

 人懐こい愛玩犬のような愛らしい外見をしているけど人と対立することが多いゴブリンやオークに従っていることが多いから、帝国では敵性種扱いされていたわね。

 あれは従っているのではなく、手先が器用で細工物を製作したり、鉱山を開発するのが得意なせいで従えられているせいだと思いますけども。


「必ずしも敵性種ではないと考えますわ。わたくし個人の考えだけども…救いを求めているのなら、手を差し伸べない理由はないわ」

「お嬢さまなら、そう仰ると思ってました」


 アンの花がほころぶような笑顔にわたくしはとても幸せを感じていました。

 あら?これではまるでアンが喜んでくれるから、


「それじゃ、髪のお手入れを…ってあれ?お嬢さま…髪が……うーん、気のせい?」

「どうしましたの?」

「二日でこんなに伸びるもんかなぁって、思うんです。それにしてもお嬢様の髪はきれいで梳き甲斐があります」


 アンがわたくしの髪をブラシで梳きながら、ほらほらと見せてくれます。確かに長くなっているような。

 元々、腰に届くくらいの長さはあったけれど今は腰どころか、膝にまで届きそうなくらいに伸びています。

 確かに不思議ですわね。髪が早く伸びるのは何とやら?…何か、そのような迷信があったような気がしますわ。

 何とやらが何であったのか、思い出せないのが悔しいですけどいい内容ではなかった記憶があるのよね。

 気にしないことにしましょう…。


 自問自答している間にアンが髪のセットを終えていました。

 今日は両サイドを三つ編みに編んでくれたようでアンが言うには「赤毛のなんたら風なんです」とよく分からないことを言ってましたから、日本で流行していた髪型なのかしら。




 朝の身支度も終わり、サラダを詰めただけの簡略なサンドイッチで軽い朝食を済ませました。

 さて…まず手始めにやらなければならないのはアルフィンで平穏無事に過ごしていると伝えねばならないことでしょう。

 下手に連絡しないと中央から監督官が派遣されるなんて、余計に面倒なことになりそうですもの。


 連絡手段としてはいくつか、あるのですけどもっとも早く、確実なのは微小な魔力を練って、形成した使い魔での伝達でしょう。

 魔力を大して必要としない初歩的な魔法ですし、いわゆる使い捨ての使い魔なのでIレベル魔法しか扱えない人にでも簡単に扱えるのが利点です。

 さらに特殊な魔法で阻害されない限りは安全というのも強みよね。


 わたくしが召喚した使い魔は純白の体に紅色の瞳をしたアルビノのカラス。

 人によってはフクロウだったり、ハヤブサだったりしますけど魔力を行使する本人の影響が大きくて、使い魔の姿に人間性が出るそうですわ。

 カラスは悪い意味ではなければ、いいのですけどね。

 

 一通目は実家への生存確認ということで遠く離れた東のロマール領へ。

 送っておかないとお母様が心配しますし、それ以上に過保護なお祖母さまが押しかけくるかもしれませんわ。それは得策ではありませんもの。

 二通目は帝都で夢に向かって頑張っている親友アリーゼへ。

 魔法省で官僚になるという夢の第一歩を踏み出した太陽みたいなあの子はわたくしが屋敷で本を読んで閉じこもっている(自分から進んで閉じこもっていただけです)のを心配して、顔を見に遊びに来てくれていたの。

 アルフィンに赴くと話した際も意外そうな顔をしていたけど心配しているようだったから、近況を知らせておくべきよね。

 三通目は学院を卒業し、故郷の森に戻ったであろうかわいい後輩へ。

 アリーゼとわたくしが卒業したので一年下だった彼女は一人取り残されたようになっていたでしょう。心細かったでしょうに明るく気丈な彼女はわたくしのことを心配していたような子ですもの。

 何も心配いらないということを伝えておくべきですわね。

 四通目は遠い北の地におられる叔父様へ。

 何かとわたくしのことを気にかけてくれる叔父様だから、「南は平和です。探し人も見つかりました」とだけ。叔父様にはこれで通じることでしょう。

 何者か分からない得体の知れない力が蠢いているのを感じる以上、悟られないように気を配らなくてはいけませんわ。


 次に向かったの養生中の三人へのお見舞いでした。まずはハルトのところに向かいます。ただ、彼のは怪我というより極度の疲労によるものですから、そこまで心配するものではありませんでした。

 「えー、お嬢冷たいな。もう行っちゃうんですかい?」と口を尖らせているハルトを軽く、無視しつつアンディのところへ行くことにします。

 敵の只中から妹を助け出してきたアンディは怪我をしていないと強硬に主張していましたけど、城に戻った頃に容体が急変しました。右の肩口を斬られ、負った傷は確かに軽い物でしたけれど問題はその刃に毒もしくは呪いの類が込められていたことです。

 幸いなのかしら?わたくしがまだ、七十二柱であった頃は毒と呪いに長けていたましたので対処法が分かりました。暫くの間、身体をゆっくり休めれば、治るでしょう。

 彼は影として目立たぬようにこなしていましたけど、働きすぎなのでしょう。少しくらい、全てを忘れ休めばいいのですわ。

 まだ、夢の世界にいる彼の元を去り、帰ってきた妹の元に向かいます。


「アイリス…」


 妹―アイリスの顔色は青白く生気がなく、ふと目を離したら消えてしまうような儚さを感じられます。彼女は元々、肉体が無く、この世に生れなかった存在です。恐らく、この肉体は魔力で仮初に作り出したものでしょう。


「ふむ、これはまずいな。魔力が消えかかっとる」

「あら?お祖父さま。いつの間にいらっしゃったのです?」


 黒いうさぎのぬいぐるみ、お祖父さまがいつの間にやら、わたくしの頭の上からアイリスを見下ろしながら、ドキッとすることを言いだします。


「このままだと消えるのは時間の問題だ」

「そんな…せっかく、帰ってきたのに消えるなんて。そんなのって…あんまりですわ」


 十年前のあの日、わたくしから切り離されてしまった大事な半身。欠けてはならない存在でしたのに。


「だが手が無い訳ではないぞ?わしのように形代を用意すればよいのだ」

「なるほど、ですが適した形代などすぐに見つかりますの?」

「くっくっくっ、奴がいるではないか。ベルンハルトは魔法生物のスペシャリストぞ。ホムンクルスで形代を造るなぞ、造作もないことだろうよ。ただな、問題が…」

「ええ?問題ありますの?」

「そこまでこの娘の身体が持つかどうかだ」


 助けられる道が見つかったのに時間がないなんて。それではアイリスは助けられないのかしら。


「リリー、お主の身体に一時、戻せばよいのだ。簡単なことだ。迷っている時間などないぞ」

「はい…お祖父さま」


 お祖父さまの言葉に従い、アイリスの額に右手をかざし、闇魔法の中でも扱いを危惧され禁呪とされていたものを発動させました。魂さえ吸収するとされた魔法ですもの、禁呪とされるのは仕方ないですわね。

 それに頼らざるを得ないわたくしもわたくしですけど。

 紫色の光が部屋を一瞬、満たし、静寂と闇が戻るとベッドに寝ていたアイリスの姿は消えていました。わたくしの元に戻ったのです。


「おかえりなさい、アイリス」


 わたくしのもう一つの魔動心臓アルケインハートが動き出すのを感じました。そして、感じます。もう一つの失われた力が戻ってきたのを

 これなら、光の魔法も使えることでしょう。やらなくてはならないことが一つ増えたことに少々、気分が落ち込みますけど半身である妹が戻ってきた幸せが全てを吹き飛ばしてくれますもの。




 午前中に内々のことである定期連絡(?)と面会を済ませましたから、午後は会議に視察と対外対応をこなすことにしました。

 意外とではなく、領主とはかくも忙しいものなのですね。

 辺境なのでのんびりどころか、都にいた頃よりも命のやり取りまでしなくてはいけない今の方が殺伐としている気がしますもの。

 家臣に任せれば、楽が出来るのでしょうけど、人に任せる余裕がないのが現状なのです。

 

 そういう訳で議場として場を整えた一室にて重臣を招集し、防衛に関する戦略会議を行うことになりました。

 重臣と言ってもハルトはまだ復帰していませんし、爺やはどこかへ赴いているらしく不在、アンとルフレクシ様しかいないのですけど。


「アルフィンの北はここ。アルフィン湖と広大な湖沼地帯、抜けたところにも天険のオンブル山脈ありますわ。だから、北は守るの適した地形ですわね」

「なるほど、確かに。しかし、姫。南はどうでしょう?黒き森シュヴァルツヴァルトの脅威は去ったとはいえ、バノジェに蔓延る者が一掃された訳ではありません」


 そうなのです。先日、森を攻撃していた兵器ブリューナクを破壊したので脅威は取り除かれたのでした。

 午前中のうちに展開していた七つの門セブンスゲートは解除しておいたので元の平穏な森に戻るのはそう遠くないことでしょう。


「そうですわね。天然の要害に守られている北方面と違って、南は守りにくいとは思いますわ。ですが、それは守りに徹した場合の話なのです」

「どういうことです、お嬢様さま。守りじゃないってことはまさか、打って出るんですか?」


 アンはどちらかといえば、考えるよりも先に行動するタイプ。しかし、意外と鋭いところがあって、勘が鋭い子なのよね。


「ここに防衛陣を布きます。敵が脇目も振らずに来るような甘美な餌を撒いて、ここに誘き寄せるのです。悟られないようにゆっくりと」

「ではそこに我が弓兵隊を伏せるのですね」

「ええ、黒きエルフの弓兵隊が最後の切り札なのです。敵を徹底的に包囲して、蹂躙して、殲滅する…その切り札ですわ」


 ええ?なぜか皆様が若干引いたような気がするのですけど気のせいかしら。


「ただ、わたくしとしてはこの戦術を披露せずに済むのが最善であると思いますわ」

「情勢がそれを許してくれるかどうか、ですか」


 場が重苦しくなるのも仕方ないことでしょう。バノジェからの直接的な遠距離攻撃がなくなったとはいえ、肝心な敵が消えたのではないから。

 アインシュヴァルト家がアルフィンを得たことをよく思わない貴族もいるのでそちらも情勢を判断する上で検討しなくてはなりません。

 敵は敵だけでなく、獅子身中の虫というものが厄介なのですわ。


「それから、わたくしが魔法を使えるようになったことは秘密にしておこうと思いますの」

「やはり、姫の存在は危険に思われているのですか?」


 いいえ、違うのです。単純にわたくしが魔法を使えると知られると面倒なだけですの。


「それは…えっと、お嬢さまの立場が帝国内では微妙なところにありまして…」

「ええ、帝国で高位魔法を使える魔導師は貴重な存在なのです。それゆえ、国が管理下に置くことになっておりますの。魔法省に目を付けられると非常に厄介なのですわ。監察官が派遣されてくる可能性が上がってしまいますものわ」


 魔法省つまりお父さまが絡んでくると面倒事に拍車がかかりますものね。お祖父さまもいらっしゃいますし、アイリスもいるのです。

 それにレオのこともありますから、どういう言い訳をするのか考えておく方が建設的ですわね。


「表向きはあくまでアインシュヴァルト家の領主代行リリアーナとして。出来るだけ、目立たないように活動しますわ。ですがあくまで表向きにですわ」

「表向き?あぁ、なるほど。表向きですか」


 ルフレクシ様は”何か”を察したのでしょう。中々に悪い顔をなさっておられますね。


「戦場や魔法を使わざるを得ない状況の場合、わたくしはリリアーナではない”誰か”を演じようと思いますわ。どこまで騙しきれるかは分かりませんけども。では会議は以上で解散と致します」



 会議も終わり、視察のついでに朝方にアンから聞いたコボルトのリーダーから話を聞こうと町に出てみることにしました。

 いつもの黒基調のゴシックドレスではさすがに目立ちますから、地味な紺系統の無地のワンピースに着替えています。髪も目立ってしまう色合いなので隠す為につばの広い帽子を目深に被ることにします。

 これは別の意味で怪しいかしら?逆に目立った気がしないでもありませんけど、気のせいですわ。


 城の外観と街並みは荒れ果てていた到着時より、大分ましになりましたわね。これは移住してきた人々の尽力によるものも大きいのでしょう。

 城の周囲や街中では爺やの建築ゴーレムが昼夜を問わず、作業を続けています。城もほぼ元通りの外観を取り戻し、かつての威容を取り戻しつつあります。

 ただ、白鳥城と呼ばれていた頃と比べると黒鳥城に名前を変えた方がいいような灰色じみたお城になってますわね。元冥府の女王がいるのですから、こちらの方がいいのかしら。


「ねぇ、アン。予想していたことだけど予想よりも女性とお年寄りが多いのね」

黒き森シュヴァルツヴァルトから移住してきた人たちはそうみたいですよ」

「それ以外の方もいらしているの?」

「ええ、帝国の民として認められてない小さな集落から、ちらほらと」


 アンと小声で喋りながら、通りを歩いている間、何度も「あら、姫様。お散歩ですか」と尋ねられたということはバレているのかしら。変装の意味がなかったのね。

 子供たちにも「お姉ちゃん、遊ぼ~」で捕まってしまいますし、お年寄りの長話に付き合わされてしまいますし。

 お忍びで視察して、町の様子をそれとなく知りたかったのですけどね。

 これでいいのかしら?


「こっそりと市井の様子を探るとはいかないのね。難しいものね」

「まぁ、お嬢さまって、ほら。あんまり自覚ないですよね?すごく目立ちまくりなんですよ」

「そうですの?どこにでもいる容姿でしょうに。珍しいのは髪と瞳の色ではなくって?」

「だーからぁ、お嬢様は自覚がねぇって、言ってるんです。そこが天使なんだけどさ」


 アンはたまに訳が分からないことを言うのね。彼女が元日本人という異世界から来たせいではないと思いますの。彼女はわたくしを高く評価しすぎなのよ。


 そして、わたくしたちは町中を外れた城壁に近い人気の少ない場所を歩いています。瓦礫がところどころに残っており、修復が十分に済んでいないその街角はまだ、町へと入ることを許されていない者たちが滞在しているのです。


「姫しゃま、このような場までお越しいただきましてありがとうございましゅ」


 わたくしたちを出迎えに現れたコボルト族のリーダーは愛玩犬のようなと評されるコボルトにしては精悍な尖ったマズルの持ち主でした。ただ、その瞳に敵意や怯えのようなものは見られません。むしろ、愛くるしいですわ。


「いいえ、あなたがたがこのような場所に押し止めていることをお詫びしたいと思いますわ」

「ありがとうございましゅ。勿体ないお言葉でしゅ」


 コボルト・リーダー―パトラと名乗った彼の話によると黒き森シュヴァルツヴァルトで目立たないように争いに巻き込まれず、平和に暮らしていた彼らの一族も見たことのない魚顔や鼠顔の獣人に追い立てられるように森から追い出され、途方に暮れていたところ、アルフィンの噂を聞き、やってきたそうです。


「それではパトラ様の一族は移民をご希望なのかしら?」

「そうでしゅ。ですが…おで達、こんな見た目だから町住めないでしゅ。どこの町でも断られたでしゅ」


 しゅんと項垂れ、耳も尾も垂れ下がったパトラ様の様子はとても痛ましいものでした。


「この町も駄目でしゅよね」

「町中での争いごとは禁じていますわ。ですがそれさえ、守っていただけるのであれば、種族や見た目など関係も意味もないのです。誰であろうとこの町で暮らしていいのですから」

「ほ、ほんとでしゅか。おで達、争いしましぇん。平和しゅきでしゅ」


 彼の耳と尾がみるみる元気を取り戻していきますわ。後日、リーダーであるパトラ様には役に付いていただくことをお願いし、わたくしたちは城へと戻ることにしました。

 いつの間にか、夕日が沈む時間さえ過ぎていたようでそれで疲れもきていたのだと今更、気付きます。


「はぁ…疲れましたわ……」


 ベッドに身体を投げ出し、ぐったりしてしまいます。体力の無さには自信がありますもの。ええ、誰も得しない自信ですわね。


「お嬢さま、お疲れのとこ申し訳ないんですけどぉ」


 枕に顔を埋めて、うつ伏せのまま動かないでいると少しは楽なのです。

 このまま、寝てしまうのはまずいのです。

 まずいのですけど羊さん?一匹…二匹……


「もう動けませんわ」

「ま、まだ寝ちゃいけませんってば。バノジェの商業ギルドと冒険者ギルドから、密書というか、陳情書ってのがきてるんです」

「ん…内容は何ですの?」


 天文台の床に結構な大穴を開けてしまいましたもの。もしかしたら、高額な請求書という可能性もあるのかしら。

 ギルドの方に何らかの連絡が入った可能性は否定出来ませんわね。ギルドを敵に回すのはよろしくない事態かしらね。ギルドは時に国すら動かす厄介な存在になるのですから。


「えっと、それがどちらのギルドからも現状、表立って支援出来ないがフリスト教徒を追い出してくれれば、バノジェは町を挙げて、お嬢さまに従うとのことですよ」

「敵の敵は味方ということかしら?それともフリスト教が相当な圧制を強いているのかしら。」


 こればかりは情報が不足してますわね。フリスト教自体が新興の宗教で謎が多いのに加え、秘密主義ですもの。表立っての活動が認知されていないのが大きいわ。確か、指導者の名前はサリバン?サルダン?

 そうそう、思い出しましたわ。サルゴン教皇だったかしらね。

 一神教なのは確かなのですけどね。お魚が絡んでいる以上、まともな相手でないのは分かっています。アレは許されざる者ですもの。


「下手に動くのは危険ですわね。ハルトとアンディが離脱してるでしょう?それにわたくしもまだ、完調ではないもの。あとは戦場で動きやすいドレスも欲しいわ」

「あぁ、例の表向きじゃない方のドレスですね。えーと、仕立て屋はあたしに任せてください。口が堅くて、腕のいい仕立て屋を知ってるんです」

「でも、アン…無理はしちゃ駄目ですからね……」

「分かってますって。お嬢様はお疲れでしょうから、お休みくださいな」


 アンの優しい声が止めとなったかのようにわたくしの意識は静かに闇の中へと落ちていくのでした。




 武具店の扉を開けるとそこには憔悴しきった顔をしたライモンドさんがいた。


「おぉ、坊主。いいタイミングだ」

「だ、大丈夫ですか?」


 徹夜で仕上げるって、言ってたけどクマが酷いな。

 本当に疲れ切った顔をしてて、死んじゃいそうな顔色してるけど大丈夫かな。


「さぁ、受け取るがいい。お前の為に拵えお前だけの剣だ」

「これが…僕の剣」


 借りた大剣よりちょっと小さい。柄には例の青い魔水晶がはめ込まれていて、全体に施されてる装飾から只者じゃない感がすごい。勇者持ってるなー、こんな剣っていうくらいすごい。

 刀身も両刃じゃなくて、片刃になってるのが変わってるなぁ。刀身だけ見ると受ける印象は日本刀ぽい感じだ。


「炎剣レーヴァティンだ」

「レーヴァティン…なんか、かっこいいですね」

「かっこいいだけじゃねぇぜ。こいつはおめえの魔力と意思の強さに応じて、変化するんだぜ」

「まじっすか」

「んじゃ、俺様は寝る、頑張れよ、坊主…ぐぅぐぅ」


 ラウムさんは僕に完成した大剣レーヴァティンを渡すと秒で寝てしまった。


「これが僕の剣か」


 レーヴァティンを手に取ってみる。

 持っただけで分かるって、このことかな?

 リリーさんの教えてくれた魔力を強く感じる、っていうのはこのことだったんだ。

 このレーヴァティンすごいよ!


「ありがとう、ライモンドさん!どこまでやれるか、分からない。だけど、頑張ってみるよ!!」


 僕は旅に出る時が近づいてきたと決意を新たにするのだった。

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