第11話 帰ってくるのが早いですわ
魔法使い然とした老人が難しい顔をして見つめるその先にあるのはうさぎのぬいぐるみ。
真っ黒な毛に覆われ、垂れた耳がかわいらしさをアピールしているが目は真っ赤でまるで燃えるように輝いており、かわいさの欠片もない。
「お主さあ、相変わらず、あれじゃな?かっこつけるの好きじゃな。自分好き過ぎのその性格直さんと嫌われるぞい」
老人ベルンハルトは古い友人を揶揄うようにうさぎのぬいぐるみに話しかけている。
「ほぉ?このわしに文句言えるとは随分と偉くなったものだな、ベルのくせに」
黒いうさぎのぬいぐるみはその見た目に不釣り合いな威厳のある壮年男性の声で喋った。
「お主より、わしの方がリリーと長くおるんじゃぞ」
「なんだとっ!ベルのくせに生意気だっ」
一人と一羽がまさに一触即発の状態に陥ったその時だった。
「爺や、何を騒いでらっしゃるの?」
部屋の温度が文字通り、氷点下に下がるのは数秒後のことであった。
ごきげんよう、皆様。
エキドナの悩みを無事に解決(?)しましたし、ハルトと合流したわたくしは森の外れに待たせていたアーテルたちを回収しました。
向かう先は
目的はアルフィン城への転移を可能とする転移ポータルを設置する為、そして、バノジェに蔓延る根源への対処法を探る為ですわ。
「ではわたくしは一足先に城へと戻りますわ。あちらのポータルを設置しませんと出口が開かれませんもの」
「我らが為にご尽力いただき、感謝の念に堪えませぬ」
ポータルの設置場所も決まり、簡易的ではあるけど転移ポータルを設置し終え、城へと帰らなければならないわたくしとハルトを前にひたすら、頭を下げたままで涙を零してらっしゃるのは長のヴァロル様。
カーテシーを決めたわたくしはハルトたちと城へ転移するのでした。
城に戻ったわたくしはアンに手伝ってもらい軽く動けるパンツルックの騎士服へと着替え、城の中庭に黒き森からの転移ポータルを設置しました。
勿論、一人ではありません。
爺やの手を借りた訳ですけど、その時、爺やの部屋を訪ねたわたくしの前に信じられない光景が広がっていたのです。
魔法使いとうさぎのぬいぐるみが取っ組み合いの喧嘩に入る一歩手前の睨み合いをしているんですもの。
おまけにそのうさぎのぬいぐるみの声が…ね。
「えっと…お祖父さま……随分、早いお帰りですのね?」
間違えるはずがございません。
それは一週間前に「また会おう」と感動的に天へ昇っていったお爺様の声です。
思わず、凍気が溢れ出てしまい、お二人が固まりかけましたけど仕方ありませんでしょう?
事故ですもの、事故。
怖いですわね、事故って。
ともかく、爺やとうさぎなお祖父さまにもお力添えいただき、無事にポータルが設置出来た訳ですわ。
それから、想定外のことが起きてますの。
誰にも見返られることなく荒れ果てていたアルフィンの城下町が十年振りに活気に満ちているのですから。
ポータルが開通すると同時にルフレクシ様の率いる黒きエルフ族の民およそ200名が転移してきたのです。
それもアルフィンに移住してくれるというのです。
元々、彼らは北の地で生きてきた誇り高きエルフ族でしたのにこの地に逃げざるをえなかった理由は迫害を受けたからでした。
その際、一族を率い、南の聖地
彼は悪しきドラゴンが住む森へと一人で赴くと悪しきドラゴンを前に臆することなく、こう言ったそうです。「わたしの命を差し上げるから、どうか我が民をお助け下さい」と。
しかし、悪しきドラゴンは彼を制して、穏やかな調子でこう返したそうです。
「それには及ばぬのじゃ。ぬし一人を食べてもわらわの腹は満たされぬでな」
その言葉にさすがに焦りを隠せぬ様子のヴァロル様にドラゴンは続けて、こう言いました。「冗談じゃ。そうじゃな、ぬしらはこの森を守れば、よかろう。わらわはそちらを見守ろうぞ」
こうして、彼らは黒き森のエルフと呼ばれるようになり、長ヴァロルは長き腕の二つ名で呼ばれる弓聖となったのです。
エキドナのことを悪しきドラゴンとか、修正したい箇所が多いのはそれが歴史の勝者によって、書かれたものに過ぎないからなのですけどね。
ルフレクシ様たちを迎え入れ、アルフィンの方針及びバノジェへの対応を決める重要な会議を開くこととなりました。
本来であれば、領主代行の身分にあるわたくしの一存で決めるのが慣習なのですけど、わたくしだけで決めていいものではないのは明らかです。
ただ、身体の疲労がまだ、抜け切れていないようで衰弱しているハルトには休んでもらっています。
休むように言っても言うことを聞かない性格なのは分かっています。
アンに強制的に休ませておくようにと言伝ておいたので恐らく、平気でしょう。
アンの仕事が増えてしまうのが気掛かりではあるのですけど、この場にいると面倒なことになりかねないのでお祖父さまの世話もまで任せてしまったのよね。
「姫、我らが民を受け入れていただいたこと、感謝申し上げます。我が民はこの恩に報いるべく、姫の為に弓を取りましょう」
「ありがとうございます、ルフレクシ様。そして、どうか今後ともよしなに」
彼によると総勢197名のエルフ族がこのアルフィンに移り住むことを決めたそうです。
かつての逃避行や帝国との戦で戦慣れした男たちがほとんど死んでしまい、村に残っているのは女性や子供が大多数だとか。
それでも彼らは恩義を重んじる一族だそうでして、腕に覚えのある女性が危険も顧みず多く志願してくれたそうです。
「問題はその光の槍とリリーが言っていた攻撃魔法じゃな。わしの見立てでは発動に時間を要するんじゃろうが次にいつ撃ってくるのかということじゃな」
「そうですわね…黒き森を射程距離に入れているのですから、かなり広範囲を捉えられる……魔法?いえ、物理的攻撃と魔法攻撃の複合型なのだと思いますの。もし、あれが距離を伸ばすことが可能になったら、アルフィンに撃ってくる可能性もありますわ」
森を灼いた光の槍は何もない空間から転送される類のものでないのは分かっていいます。
どちらかと言えば、放たれた矢のように放射線を描きながら飛来してくる印象を受けましたから。
バノジェから飛来しているのはエキドナの話で間違いないのでしょうから、場所を特定出来さえすれば、対処出来るはずなのです。
「撃たれる前に撃たせない。それが出来れば、いいのですけど」
「最善はそれじゃがのう。果たして可能かということじゃな」
「それについてなのですが…我が一族は諜報活動に通じております。あの魔法の槍を射出する兵器ですが凡その性能及びその所在についても粗方の調べがついております」
ルフレクシ様はその言葉とともにバノジェの町の地図らしき物を懐から取り出し、机の上に広げました。
「この場所に件の兵器が秘匿されているようです」
地図の一点―バノジェの町のやや北西に位置する場所にかなりの広大な敷地を占めた特殊な形の建造物のようです。
「天文台…ですのね?」
「はい、かつて星詠みの魔導師がかの町を本拠地としていた頃に建てられた当時、最新鋭の建築様式の建築物です。ただ…」
そこでルフレクシ様の眉間に皺が寄り、表情に陰りが見られます。
「厳重に警備されていまして。それ以上の調査が出来ておりません。破壊しようにも正面からとなりますとどれほどの損害が出るのか、分からない状況でして…」
困りましたわ。
早急に打開しなければ、
「困ったのう。力に物を言わせ、正面突破はいかんぞい」
「そう…ですわね。何か、手があるといいのですけども」
わたくしの魔力は完全とは言えないけれど、それでも正面切って圧倒出来るだけの火力は出せるでしょう。
問題は虚弱なこの身体ですわね。
魔力を使い過ぎれば、身体の方が負担に耐え切れません。
運が良ければ、意識を失って倒れるくらいで済むのでしょうけど、運が悪ければ、最悪命を落としかねません。
本当に困りましたわ。
「そこで私に妙案がございまして。ライモンドという鍛冶師はご存知でしょうか?」
ライモンド…どこかの文献で目にした気がするのですけど……どこだったのでしょう?
はっきり思い出せない自分がもどかしいですわ。
「ほぉ、ラウムか、流離いの鍛冶師ライモンドのことかのう?」
「さようですな。神の手を持ちし者などとも呼ばれた男です。実はライモンドはわたくしの兄なのです。本来は兄が長となるはずだったのですが…ある日、『俺はこの腕がどこまで通じるのか、試したいんだ』と村を出ていったきり、戻らなかったのです」
「ほほぉ、よくある話…でもないのう。ふぉっふぉっふぉっ」
どこで目にしたのか、思い出しました。
皇室に献上されたティルフィングを作製した名工の名がライモンドでは?
まさか、ルフレクシ様の血縁者とは思いませんでしたけど。
「その兄が今、バノジェに滞在しているのです。彼の手を借りることが出来れば、恐らくは。問題は姫の手を煩わせる可能性が高いということでして」
「ええ?どういうことですの?」
「兄の鍛冶師としての腕は疑いようのないものです。得た名声は伊達ではありません。ですが…兄には一つ問題がありまして……ええ、その……」
ルフレクシ様の顔に影が差したかのように暗くなり、急に言い淀み始めました。
「あの…兄は変わり者でして……ええ…ただ、頼んで依頼を受けてくれるような御仁ではないのですが、はい」
「ふむ、そういえば、ライモンド殿は都におったのに人付き合いが嫌になり、放浪の旅に出たんじゃったな。地位も名声も全て、投げ捨てていきおったからのう」
なるほど…つまり、こだわりが強い匠な方なので一見さんお断りということなのかしら?
「ではどうすればよいのでしょう?わたくしが直接、お会いしても駄目…ですわね」
「いえ、それが…ええ……姫でしたら、恐らく平気ですとも。姫のその容姿でしたら、重度のロリコ…あっ、いえ、兄はその……ええ、とても変わった御仁ですが大丈夫ですとも。姫なら、大丈夫です。間違いなく大丈夫ですとも、ええ」
急に早口でまくし立てるルフレクシ様のご様子に微妙な怪しさを感じるのですけれど、気のせいよね。
「なら、話は早いのう、リリーよ。お主、ちょぃとバノジェに行ってくるといいのじゃ」
爺やは頼りになる方なのですけど時にすごく投げ槍と言いますの?
それともいい加減なのかしら?
本当にもう、この感じで「お主なら出来るはずじゃ」と遠くにお花畑が見えてくるような無茶な修行をさせられたものです。
それも記憶が無くなる前の話ですのでどれだけ、無茶なのでしょうね。
しかし、慣れというのは恐ろしいものですわ。
今回の無茶ぶりも涼やかに聞いていられますもの。
「分かりましたわ。ただ、バノジェまでは馬でも数日かかる距離にあったと思うのですけれど…わたくしの転移ではバノジェは無理ですのよ?」
「では我が配下をお使いください。フェルロットと申す者で風の魔法の使い手です。バノジェへの旅だけでなく、必ずや姫のお役に立ちましょう」
ルフレクシ様の言葉に従い、濡れ羽色の髪を耳の辺りで短く切り揃えた美貌のエルフがわたくしの前に現れました。
「フェルロットでございます。私の命に代えても姫はお守り致しますよ」
長身のすらっとした手足をパンツルックに収めた美貌のエルフは爽やかな青年にしか見えない見た目と正反対の鈴の鳴るような声をしていました。
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