第7話 予言とか救い主とか面倒なのですけど

 燃え盛る青白い炎に包まれた城をただ、見ているだけの夢。

 あぁ、これは夢ではない。

 アルフィンが滅びの日を迎えた時の記憶。

 動いているのはわたくし一人だけ。

 周りには首のない物言わぬ死体が折り重なるように倒れ伏していて、立ち込める瘴気がわたくしに纏わりつく。

 背後で何かが這いずり回るような耳障りな音がして、振り向くとそこにいたのは世にも悍ましい姿をした巨大な蛇の化け物だった。

 消えて! わたくしの前から消えて、なくなれ!


 これも夢?

 ううん、違いますわね。

 これも恐らく、わたくしが以前、体験した記憶。

 見たことが無い建築様式で建てられた四角く、巨大な建物がそびえ立つ街並み。

 少なくともレムリアの建造物にこのような物はないはず。

 こんなに高い建物があるのかと驚いていたのは最初だけでいつしか、定期的に遭遇する不可思議な光景を見慣れてしまった。

 夜なのに明るく、照らされていつも昼のようなことにも鋼鉄製の動く箱に乗る人々にも…慣れとは恐ろしいものね。

 この世界でわたくしは普通の少女として、生きていた。

 普通ではないかもしれないわね。

 ほとんど外に出ることが出来ないほどに病弱でしたから。

 そんなわたくしの話し相手、友達は黒い髪がきれいな子であれ?

 あなたは……




「お嬢様、大丈夫ですか?酷くうなされてましたよ」


 薄っすらと瞼を開けると心配そうにわたくしの顔を覗き込むアンの姿があった。

 ここはどこ?

 オートクレールはどうしましたの?

 地に刺さったオートクレールを抜こうと柄に触って、そこからの記憶があやふやなのですわ。


「わたくしは倒れましたのね?」


 無言で頷くアン。

 わたくしが倒れること自体はそう珍しいことでもないのです。

 ただ、あれはないですわ。

 オートクレールという呪われた剣のせいですもの。

 元々、身体が弱いわたくしですけど、前触れもなく、倒れることは滅多にないのです。


「それでわたくしはどれくらい、眠っていたのかしら?」

「聞いたら、吃驚されますよ。なんと……」

「なんと……?」

「一週間ですよ」

「……そ、そう」


 さすがに長いですわね。

 一週間も意識不明なのは経験したことがありません。

 着替えなど、一切の身の回りの世話はアンがしてくれたのでしょう。

 身ぎれいに整えられていますものね。

 でも、さすがに栄養は摂取出来ていないからか、それでなくても細かった手がさらに骨張った気がします。


「ハルトと爺やは無事ですの?それにあの剣は…」

「脳筋とくそじじいはお嬢様の代わりに来訪者の応対してますよっ。剣はくそじじいが収納ストレージで保管しましたよっ。便利ですよねぇ、あの魔法」

「そう、よかったですわ。あの剣、本当に危ないんですもの。それで……どなたか訪ねて来られましたの?」


 アンは公の場ではちゃんと執事兼メイドとしての礼儀正しい振る舞いと気品を披露してくれるのだけど、二人きりになると気が緩むのでしょう。

 言葉遣いが乱れるのです。

 それだけ、わたくしに心を開いてくれているのだと思うと嬉しいけど、ハルトと爺やにいい印象を持っていないように見えるわ。

 そういえば、アンは男性自体が苦手なのかも……。

 あまり深く聞きだしたら、心の傷を抉る可能性があるかしら?


「それでどちらから、お客様がいらっしゃいましたの?」

「南の森のエルフですよぉ。お嬢様に是非、会いたいって毎日のように」

「南の森? 黒き森シュヴァルツヴァルトですわね」


 アルフィンの南部には深い森林地帯が広がっています。

 鬱蒼と生い茂った針葉樹林の深い森として、有名なのです。

 しかし、それ以上にこの森を有名にしているのは神話の時代から、その地を守ってきたと伝えられるエルフのとある部族と大いなる竜王エキドナ。


 炎のような赤い鱗に覆われたその華麗な姿はあまりに美しく、そして気高い。

 ちょっと褒めすぎたかしら?

 わたくし、というよりアスタルテとエキドナはとても親しい間柄だったから。

 エキドナにはサーベラスという名の優秀で将来を嘱望された息子がいたのですけど……不死の身体を持つ母親と違って、彼は定命の者で生まれてしまったのです。

 それでも彼女は強い母親だったから、泣きはしなかった。

 旅立つ息子を笑顔で見送って……。


 そんなエキドナは南の大地を守る竜王なのです。

 自然を愛し、自然を守る、大地の守り手。

 だから、森林を伐採して、文化を築き上げてきた人とは相容れないものだったのね。

 黒き森シュヴァルツヴァルトを守ろうと戦ったせいか、エキドナには死竜、冥竜、生命を喰らうものなんて、不名誉な名でレムリアの歴史書に書かれているのよね。


「それなら重要な話なのでしょう? わたくしも行かないと……」


 起き上がろうとするものの上体を起こすだけでもこんなに辛いなんて、思いませんでした。

 慣れない所作をして筋肉痛になったのを数十倍にしたような痛みです。

 それが全身を駆け巡っている。

 これは……死なないけど死ぬ、痛いんですもの。


「無理しちゃダメですよっ。エルフも最初は公女だから、我らを馬鹿にして、会わないのかって、怒ってたんですよぉ。だから、お嬢様の姿を遠目に見てもらったんです。そしたら、すぐに納得してくれましたよ。今はくそじじいに任せておけば、大丈夫ですって」

「そう……皆に迷惑かけてばかりね、わたくし。そう言えば……アンと何か、約束していたわね」

「あっ……全てをお話しくださるってことですか?」


 あまりに色々なことと入ってくる膨大なイメージのせいで頭がぼんやりとしていたけれど、帰ったら彼女に話すと約束したのよね。


「でも、お嬢さま、その体で今、無理されなくても」

「動けないのなら、時間は有意義に使うべきではなくって? 喋るだけなら、そんなに辛くはないもの。それでどこから、知りたいかしら?」


 アンの顔が緊張から、強張るのがすぐに分かりました。


「あなたは……あたしのお嬢さまですか? それとも……」

「わたくしはリリアーナですわ。あなたとずっと生きてきたリリアーナ。ねえ、アン。あなたはこことは違う世界で命を失って、ここで転生したのでしょう?」

「はい、そうですけど……もしかして、お嬢さま?」

「わたくしが数え切れないくらい転生を繰り返していて…それで元々は女神と呼ばれる存在だったと言ったら、信じてくれるかしら?」

「あたしは信じますからっ。お嬢さまが悪魔であろうと神であろうと何だって、いいんですっ。ただ、生きていらっしゃるだけで……あたしは」


 わたくしの手を握り締めながら、涙を流してくれるアンの姿を見ていると人として、生きているのだと感じられて、幸せと思えるのが不思議ですわね。


「アンは言っていたわね。この世界があなたのいた世界で作られた虚構の世界とよく似ているって。もしかしたら、その考えが間違いだったのかもしれないわ。だって、この世界……いいえ、この神聖レムリア帝国の皇室の祖先は知っているかしら?」

「確か、慈雨と嵐の男神と愛の女神ということになってますよね。童話の黒騎士と氷姫と同じ存在だとか。本当か、分からないですけど」

「全部、本当のことですわ」

「え?!」

「その愛の女神はわたくしですもの。アスタルテと呼ばれていた頃のわたくしですの。どれくらい昔だったのかは忘れてしまうくらい昔だけども」

「は、はいー?」


 黄金色の瞳を丸くして、アンが固まってしまいました。

 さすがに色々とはしょりすぎたかしら?


「だから、現在の皇室はわたくしの子孫ですわね。わたくしと言ってもわたくしであって、わたくしではないのがややこしいですわ」

「あ、え、えっとだ、大丈夫ですっ」


 本当に大丈夫なのかしら。


「そう? それでアルフィンであの剣……オートクレールで心臓を刺して、アルフィン湖になった大穴を作ってしまったのもわたくし」

「えぇ? 話がダイナミックすぎて、頭が混乱しますぅ」

「続けても大丈夫……ではないかしら?」

「だ、大丈夫ですぅ、多分」


 アンの頭から白煙が上がっているような錯覚がするのですけど、気のせいですわね。


「オートクレールは神を殺す剣なの。だから、神としての肉体を失ったわたくしは冥府に下って、死者の管理をすることになったわ。冥界の女王エレシュキガルとしてね」

「あっ……それで。愛の女神と死の女神が同じ存在なんて、聞いたことあったんですけどそのせいだったんですね」

「恐らく、そうなのでしょう。エレシュキガルとして三千年くらい、ひたすら職務をこなしていたのは覚えていますわ」

「さ、三千年……って、神聖うんたらはまだ、二千年も歴史ありませんよぉ」

「それはですわね、アン。レムリア・イース王国時代を経て、レムリアース王国時代を経て、レムリア帝国時代があったからですわ。何を勘違いしたのかしらね、神聖レムリア帝国なんて仰々しい名乗りを上げるなんて」


 わたくし……アスタルテと夫であるバールの子――歴史書では最初の統一王と記されているスレイマンは親らしいことが出来なかったわたくしたちを忘れることがないようにとわたくしの国レムリアとバールの国イースを合わせた名の王国、レムリアースを建国したらしい。

 伝聞系なのは冥府に下ってきた死者がそう教えてくれたから。

 それなのにその子孫がそれを忘れて、イースの名を外してしまうなんて。

 ありえませんわ。


「それでね、アン……わたくしには不思議に思うことがありますの」

「あたしにはお嬢さまのお話が壮大すぎて、不思議ですけど!?」

「そ、それはごめんなさい?」

「あっ、別にお嬢さまを責めているんじゃなくって、ですね。あたしの頭の処理能力が追い付いてないだけでして」

「それでは続きを言いますわ」


 アンが既に涙目になっているようですけど、その姿もまた、かわいいのです。

 クールな美少女が涙目で堪えている姿はとてもかわいくって……これだとわたくしが嗜虐性志向のおかしい人みたいですわね。

 

「そ、それで……わたくしのこの容姿が皇祖の女神の生き写しらしいの」


 妙なことを考えていたせいでしょうね。

 動揺しているのがばれてなければ、いいのですけど。


「あたしもそう聞いてます。美しい女神様の再来、と。お嬢さまがそう噂されていて、あたしも鼻が高かったですっ」

「それがですわね。おかしいのですわ」

「え? どうしてです? どこがなんです?お嬢さまは美しいですよっ」


 そんなに眩しい笑顔で見つめられても手を握り締められてもわたくしは美しくはないと思うのですけれど。

 アルビノだから、珍しい色の髪と瞳なだけですもの。

 それを割り引いたら、特にこれといって取り上げる場所がない平凡な容姿ではないのかしら。

 

「美しいのか、醜いのかが問題ではないの。アスタルテは黄金色の髪に蒼玉色の瞳。エレシュキガルは白金色の髪に紅玉色の瞳。それでわたくしの髪と瞳は?」

「紅玉色の瞳に白金色の髪ですねっ。って、あれ?」

「ね? おかしいでしょう? 皇祖女神として伝えられているのなら、アスタルテの容姿に似ていないとおかしいのですわ」

「そうですよね。確かに変です」

「エレシュキガルの容姿を知っている人間の存在すること。それがありえないのですわ」


 そもそもエレシュキガルの容姿が現世に伝わるのは論理的に考えてもおかしいのです。

 わたくしが女王として、冥府から一度も出たことがありません。

 冥府から現世へと逃れられた者も一人もいないのです。

 それなのにわたくしの容姿が女神の生き写しだなんて、どこから、出た話なのかしら?

 誰かが裏でほくそ笑んでそうで気味が悪いですわ。


 二人でいくら考えても答えは出ることもなくって……でも、そんな意味のない作業が何だか、嬉しくって。

 気付いたら、また気を失っていました。




 結局、また丸一日を死んだように眠っていました。

 お陰で身体はまだ、ところどころ痛みが残っていますけど魔力はなんとか、体感で半ばくらいまでは回復したはずです。

 半ばくらいでレベルIII魔法は余裕で可能でしょうけど、レベルIVともなると少し、厳しいかもしれません。

 さて、それでは無理は出来ませんけれど、神話に出てくる一族が訪ねてきているのですから、寝ている場合ではありません。


 彼らは森から出ること自体が珍しいとされている一族。

 その理由は白い肌と黄金色や白金色の髪で知られる多くのエルフ族と異なり、やや浅黒い肌と黒や紺色などの寒色系の髪のせいと言われています。

 真偽のほどは分かりませんけども、神の血が入った為にそう変化したという説もあるのだったかしら?

 そんな彼らが自ら、わたくしを訪ねてきているなんて、余程差し迫った事情があるのでしょう。

 いずれ、こちらから交渉に赴かなくてはと思っていたのですから。


「お初にお目にかかります。アルフィン領主代行を務めるリリアーナ・フォン・アインシュヴァルトでございます。以後、お見知りおきを」


 わたくしが寝ている間、ハルトが整えてくれたきれいな青空が見えてしまう天井が抜けた広間――謁見の間にて、わたくしは件のエルフと対面しました。

 その表情が一瞬、驚いたように見えたのですけどそれは葬いの黒いドレスを着ているせいなのか、それとも紅い瞳のせいなのでしょうか?


「お目にかかれて光栄です、アインシュヴァルト嬢。わたくしは黒き森シュヴァルツヴァルトのエルフ、長き腕のヴァロルが子ルフレクシと申します」


 族長代行とアンから聞いていたけれど、思った以上に若いように見えるのは彼らが長命の種、永遠の美しさを保つと言われるエルフだから、実際の年齢は爺やよりも遥かに上なのかもしれないわね。

 経験豊富な方がわたくしの姿を見て、驚いたのは一体、何になのかしら?


「お身体の方はもうよろしいのですか?」

「ええ、何とか……カイム様をお待たせするのは失礼ですもの」


 本当は嘘ですけども。

 立っているのも少々、辛いのです。


「なるほど、そのお姿といい、予言の通りでございますな。アインシュヴァルト嬢! あなたこそ、予言にて約束されし、我らが救い主。我らはあなたの力をお借りしたいのです。我らが神を……竜王様を助けてはくれませぬか」


 予言……救い主……面倒そうなワードが出てきたのですけど。

 本当は面倒事に巻き込まれるのは嫌なのです。

 わたくしは平穏に怠惰に生きていきたいのですわ。

 というのが本音なのですけれど、どう見ても困っていて、助けを求めてきた方に手を差し伸ばさないなんて、自分が自分で許せなくなりそうで苦しかったから。


「わたくしが救い主かどうかは分かりません。黒き森シュヴァルツヴァルトへと軍を進め、森の木々を伐採したのはレムリアです。わたくしはそのレムリアに属する者ですわ。あなたがたからはわたくしも敵かもしれませんのに……そんなわたくしでもよろしいのでしょうか?」


 黒き森シュヴァルツヴァルトのエルフとして、彼らは長い時を比較的、平和に生きてきたはず。

 エキドナが彼らを守っていたから。

 森に眠る資源を狙う側だったレムリアから見たら、遠征軍を撃退され続けた相手を歴史書で悪し様に描くのは当然のことだったのでしょうね。

 黒き森シュヴァルツヴァルトのエルフは闇に生きる邪悪な闇のエルフダークエルフとして。

 竜王エキドナは魂を喰らい、大地を焦土と化す邪悪なドラゴンとして。

 皇族だけでなく、貴族にも名高い魔導師が生まれるレムリアは大陸屈指の軍事力を誇る国ですもの。

 その軍事力で近隣諸国を滅ぼしてきた大国が森一つを保有出来ないというのはプライドが許さなかったのでしょう。

 あのエキドナが困っているというのは正直、信じられないのですけども。


「アインシュヴァルト嬢……いえ、姫よ。あなたが我らの予言に記された通りだから、だけではありません。この目で見て、あなたの力をお借りしたい。そう思ったのです」

「わたくしの力でよろしければ、いくらでもお貸し致しますわ」


 予言といい、エキドナが苦境に陥っているだとか、腑に落ちないことが多々、あるのですけどね。

 古き友に会いに行くついでに人助けをするのだと思えば、いいのですわ。


「おぉ、そう言っていただけると信じておりましたよ」


 ルフレクシ様は晴れやかな表情ですごくキラキラとした目をしながら、わたくしの手を取りブンブンと振っている。

 病み上がりというより、未だ病んでいるわたくしには少々、辛いのですけど喜んでいるようですから、諦めましょう。

 こんなに感情豊かで明るい方がいる黒き森シュヴァルツヴァルトのエルフのことが我が国の歴史書では”日も差さぬ黒き死の森に住まう闇に染まりしエルフは性冷血にして残忍な悪鬼である”と書かれているのですから、皮肉なものですわね。

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