第5話 落とし物は危険物でした

「本当にこの大陸を離れる気なの?」


 個性豊かな面々ばかりのせいで仲違いとまではいかないまでも連携が思うように取れない。

 だからという訳ではないのだろうけど、裏切者すら出てしまった。

 裏切りの代償はあまりに大きくて、わたしは大切な人と友をなくした。


「あぁ、明日には海の上だ」

「そう……残念だわ。あのマリオンも一緒に?」

「あぁ、俺はマリオンと生きる。だから、ここ大陸を出ることにした」

「そう……」


 愛の為……か。

 わたしも愛を選んだはずなのに……。

 わたしの隣に愛したあの人はいない。

 目の前のバルバトスはあまりに真っ直ぐでわたしには眩しく感じられる。

 わたしが選ぶのは復讐なのだから。


「あなたはやはり、奴らが憎いのか?」

「ええ、許せない……絶対に。八つ裂きにして、完全にこの世界から消し去りたいくらい」

「そうか……」


 暫くの間、無言の時が過ぎた。

 わたしも何と声を掛けたら、いいのか分からなかった。


「さらばだ、アスタルテよ」


 その声だけを残し、彼はこの大陸を去っていった。

 彼は人間の女性と幸せに暮らせたのかしら?




 ごきげんよう、皆様。

 お祖父さまの残した迷宮(?)探索中のリリアーナです。

 わたくしたちは謎の迷宮の奥底で伝説の幻獣ミルメコレオと遭遇し、対峙しています。

 対峙しているだけでまだ、対立している訳ではありません。

 行動一つが運命を変えると言ってもおかしくないのです。


「まっ、戦うしかないよな?」

「やつは貪欲の権化とされる獣じゃ。わしらが美味しそうなご飯に見えるんじゃろ」

「そうかしら? わたくしにはあの子の目に敵意があるようには見えませんけども」


 どうして、そう好戦的なのかしら?

 ミルメコレオは不思議なことに穏やかな目をしているように見えるのに。

 見た目は獰猛な獅子なのにとても穏やかで慈しみに満ちた目がわたくしを見ている気がするの。

 気のせい、ではないと思いますの。


「お嬢さまの勘は意外と鋭いんですよっ! はいはい。邪魔な男たちは下がってましょうねっ」


 わたくしの意志を汲み取ってくれたアンが爺やとハルトを後ろに押し止めてくれるようです。


「ありがとう、アン」


 心配そうに見つめる六つの視線に見守れながら、神殿の像のように微動だにしないミルメコレオへと近づくことにしました。 


「お会いしとうございました、


 数歩で届いてしまう距離にまでさらに近づき、カーテシーを決めます。

 無駄に淑女教育を受けていないのです。

 淑女教育は護身術や座学など比較にならないほど、疲れるのです。

 肉体的というよりも心の方にくるんですもの。

 少しくらいは淑女らしさが身に着いていないと無駄ですものね。


 それに予想が正しければ、この幻獣はの正体は恐らく、お祖父さまの残留思念なのです。

 ミルメコレオを見つめていると不意にその巨体が動き始めました。

 わたくしが歩いて、数歩ということはミルメコレオにとっては一瞬で詰められる距離。


「……っ」


 さすがに冷やっとしました。

 わたくしの目の前に丸太のように太い腕が延ばされ、鋭利な刃物のように研ぎ澄まされた爪があるんですもの。

 護身術を学んでいるとはいえ、わたくしの身体能力は特別に高いという訳ではありません。

 あの爪で引き裂かれたら、大怪我では済まないでしょうね。


「やはり、ばれていたか。お前は……アスタルテか?」

「いいえ?」


 可愛い孫娘の顔に傷つけそうな勢いでばれたか、ではないと思いますの。


「ならば……エレシュキガルか?」

「いいえ? わたくしはリリアーナですわ、お祖父さま」


 嘘は言っておりませんでしょう?

 わたくしはアスタルテであって、エレシュキガルであったのはあくまで忘れ去られるほどに遠い遠い過去のこと。

 犯した罪は受け入れるし、心がずっと闇に囚われているのも否定したりはしない。

 でも、今はリリアーナですわ。

 人の身にかつて、神であった魂を宿しただけの人間ですもの。


「くっくっくっ、そうか。リリアーナか。そうかそうか」


 顔を歪めて笑う獅子の姿がとても希少……いえ、獅子が笑うことはないですわね。

 おまけに『くっくっくっ』と笑う方だったのですね、お祖父さま。


 あぁ、思い出しました。

 お祖父さまは昔、同じ問い掛けをしていたのです。

 あまりに幼い頃だったのと制約ギアスの影響で忘れていましたけど、確か三歳の頃でしたか。

 お前はアスタルテか、エレシュキガルかと同じように聞かれたのです。

 まだ、幼くて自制心が効かないわたくしはが止めるのも聞かずに癇癪を起したのです。


「その割にはお前……わしが魔法を唱えたら、逆算して無効化した挙句、無詠唱で魔法を撃つ気だったろう?」


 どことなく拗ねているかのように見える獅子もまた、希少ですわね。

 しかもこっそりと魔法を撃とうとしていたことがバレているようですわ。


「おっほほほ。わたくしがそのようなことをお祖父さまにするとでも?」


 お祖父さまの仰っていることは半分、当りで半分、外れ。

 もし魔法を唱えてきたら、当然、それを逆算して使えないようにするつもりではありましたけれど、本気で魔法を撃つ気はありませんでした。

 牽制程度に撃つ気はありましたけども。


「ふむ、まあ、よかろう。お前も十七歳。成長したのだな。一部を除いて」


 やはり、わたくしを見つめる瞳はどこまでも優しいと思うのです。

 えぇ? 一部?

 んっ……確かにわたくし、あまり発育がよろしくなくて……下を見ても余裕で爪先が見えるのですけれど、それが何か、悪いのでしょうか?

 悪くないですわ、これは罪ではないですわ。

 怒っては駄目よ、怒っては駄目、絶対。


「ええ、自分でもそう思いますわ。感情を隠せる程度には大人になったつもりですわ」


 切れてませんのよ?

 決して、切れたりはしてませんわ。

 隠して、抑えているつもりなのに自分の身体から凍気が漏れ出していたようです。


「その割に室温が下がった気がするのだが? まあ、よい。わしにもそう時が残されておらぬからな」

「はい、お祖父さま」

「わしはな、お前がここに来ることも見えておったのだ。この先にあるのだ。お前の落とし物だ。さて……」

「……落とし物ですの?」

「時間が来たようだ。名残惜しいがさらば、とは言わん。また、会おう。かわいい、リリアーナ」

「ええ、お祖父さま。さようならではなく、ごきげんよう」


 お祖父さまの姿は光の粒子に包まれ一際、輝いたかと思うと次の瞬間には消えてしまいました。

 ありがとう、お祖父さま。

 不出来な孫娘の為に色々と手を尽くしてくださって。




 お祖父さまことミルメコレオが光とともに消え去ったのを合図にしたかのように部屋の中央の床から、隠された階段が現れました。

 恐らく、この先に落とし物とやらがあるのでしょう。

 わたくしたちは再び、歩みを進めることにしました。


「隠し階段が出現するとは予想外でしたねっ」

「そうですわね。でも、あのお祖父さまのなさることだから、何でもありなのですわ」

「じゃろうな。あ奴は基本的に斜め上の奴じゃからな」


 地下深くへと続く螺旋階段を降り切った先に待っていたのは洞窟ですわね。

 なぜ、洞窟ですの?


「洞窟ですよねぇ。それもこれ、天然の洞窟ですよねぇ」


 アンの言う通り、人の手が加えられた形跡があるのは階段まででこの地下に存在する洞窟には一切、そういう形跡がありません。


「お嬢、落とし物ってなんなのか、心当たりはあるんですかい?」

「え? わたくしにはないのだけど。わたくしではない、わたくしに心当たりがあるような……ないような?」


 忘れ物をする自信はあるのですけど、落とし物はしてないと思うのです。

 それとも今世の話ではないのかしら。

 おかしいですわね、命は落としても物は落としていないのですよ。


「落し物はほれ、あれじゃろ?」


 爺やが指さす先にあったのはこの洞窟の最奥。

 そこには刀身のほとんどが地に突き刺さっている剣がありました。

 透き通るような美しい水晶の刀身と美しい拵えが施された柄、その柄に収められているのは空のように青い宝石。


「オートクレール!?」


 忘れもしないあの剣、わたくしの心臓を貫いた剣ではありませんの?

 あれから、どれだけの時が過ぎたと思って……あっ、失言をした気がします。

 うっかり、声に出してしまいました。


「オートクレールじゃと?」

「なんです、それ?」


 神々は力を合わせ、三振りの剣を作ったのです。

 それが天・地・人の剣。

 天の剣オートクレールは支配する剣。

 地の剣デュランダルは抗う剣。

 人の剣ジョワユーズは従わせる剣。


 わたくしがアスタルテとして最期の時を迎えた時に持っていたのはオートクレール。

 支配する――つまりは神を殺せる剣なのです。

 殺せるのですけど、実際に神を殺したことは一度もないのですけどね。

 八つ裂きにしたかった者が神であることを捨てるなんて、思っていませんでしたもの。


「ええ、天の剣ですわね」

「それが何でこんなところに刺さってるんですかい?」


 わたくし、いえ……アスタルテ終焉の地がここアルフィンですから、剣自体があったとしてもおかしくない。

 やはり、おかしいですわ、どう考えても。


「あっー。よくある勇者伝説みたいにあれを抜いたら、勇者とかぁ?」


 違いますわ、アン。

 それは普通の人が触ってはいけないものですのよ。

 ハルトもアンも触ってみたいというより、抜いてみたい衝動に駆られているようですけど。


「二人とも触ってはならんぞ。あれは危険な物じゃ」

「そ、そうなんですかっ!?」

「触ると立派な干物になれるのですわ」

「「え、ミイラ!?」」


 勇者云々と言ったアンの話はあながち、間違っていません。

 ただ、勇者云々は抜けたら勇者と認められ、試みたものは抜けたなかっただけで済むのでしょうけど、オートクレールの場合、抜ける以前に触っただけで生命力を吸われてしまい命を落とすという点で大きく異なるのです。


「リリーよ。お主の信じる通りにやればよいのじゃ」


 わたくしにはあの剣が扱えるはず。

 扱えるはずなのですけど自信というものが欠片も生まれてこないのです。

 むしろ、感じるのは少しばかりの恐怖。


「お嬢様。なんだか、よく分からないですけど……お嬢さまなら出来ますから、信じてますからねっ」


 アンがわたくしの手を握ると軽く抱き締めてくれました。

 本当は彼女の方が一つ年下なのですけど、なぜか姉のような安心感を与えてくれるのです。


「ありがとう、アン。帰ったら、全て話しますわ」


 覚悟を決め、オートクレールに向かいます。

 わたくしに使いこなすことが出来なくても存在を知られたら、悪用される可能性がありますもの。




 その柄に手を掛けた瞬間、全身の血が抜かれるような強烈な激痛に意識を持っていかれそうになります。

 生命力じゃない……魔力を吸っているのかしら?

 透き通った水晶の刀身が血を吸ったように赤く染まっていました。

 でも、負ける訳にはいかないわ。

 信じてくれる人を裏切りたくないもの。


「あなたの主が誰か、思い出しなさい」


 わたくしの言葉がオートクレールに届いたとは思えないのですけれど、あの抜かれる感覚が急に止まったのです。

 意識が混濁しかけていましたけど、最後の力を振り絞って、オートクレールを大地の呪縛から解き放ちました。


 無事にやり遂げたことで安心して気が抜けたせいなのでしょうか。

 わたくしの意識は闇の奥底へと誘われるように途絶えました。

 その目に最後に写ったのは泣きそうな顔でわたくしの元に駆け寄って来ようとするアンの姿でした。

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