第4話 失った力を求めて闇に囚われる

 彼方で響き渡る雷鳴の音に手放していた意識を取り戻す。

 私は囚われている。

 いや違うか……。

 私は自らをこの地に縛り付けているだけに過ぎないのだ。

 それでも光が溢れる世界であるだけ、闇に囚われたままの彼女より遥かに恵まれているだろう。


 彼女は私のことを恨んでいるだろうか?

 それも違うな。

 人を怨むよりも己を責める性格だったか、彼女は。

 それにしても会いにくらい来てくれてもいいだろうに。

 あなたと私の仲はそんなに浅いものではなかったはずだ。

 だから、私はあなたの……。

 思い出すと胸が痛みとともに爽やかな太陽を思わせる笑顔を私と彼女に向けてくれる一人の青年の姿が脳裏に浮かんだ。


 スレイマン、君は今、どこにいるのかな?

 君といい、君の母上といい、私の心をこうも乱すのはあなたたちくらいだよ。

 そして、私は再び、闇に意識を閉ざすことにした。




 皆様、ごきげんよう……リリアーナです。

 今、わたくしは自分が自分であるのか、混乱していて……わたくしがわたくしであって、わたくしではない?

 頭の中がごちゃごちゃとしていて、とても混乱しているのです。

 それというのも昨晩、アンが帰ってきてからの話になります。

 彼女が我が家の紋章が描かれた不思議な扉を見つけたという話に爺やの顔色がさっと変わりました。


 その晩遅く、皆が寝静まった頃のことでした。

 爺やがわたくしの寝室を訪ねてきたのです。

 未婚の令嬢の寝室を訪ねるなんて、あってはならないことなのに爺やが敢えて、訪ねてきたのには理由がありました。


「リリーや、すまぬのう、こんな時間に。じゃが、今でなくては間に合わぬかもしれんでのう」


 幸いなことにまだ、寝るつもりがなかったわたくしは薄手で肌の露出が多い夜着に着替えていませんでしたから、そのまま応対が出来ました。


「いいえ、かまいませんわ。どうぞ、お入りくださいませ」


 爺やがわたくしの教育係になったのは五歳の時ですから、かれこれ十三年近い付き合いなのに部屋を訪ねてきたのは初めてのことです。

 それも灯りも灯っていない暗い部屋に無言で二人、腰掛けているなんて……不思議ですわね。


「アンの話じゃがのう……あれは恐らくイシドールの手によるものじゃ」

「お祖父さまの……」


 イシドールはお祖父さまの名。

 わたくしが五歳になる前に儚くなられたので八歳までの記憶がなくなっているわたくしには残念ながら、思い出らしい思い出というのがありません。

 未来を読み取る星詠みのわざを持ち、史上最高の魔導師と呼ばれる方であったことは知っているのですけれど、それ以上のことはあまり、知りませんでした。


「イシドールが封印を施したものが見つかったのも何かの運命じゃろう。この地はリリー……お主の記憶と力が失われた地じゃからのう」

「運命ですの? ですが、わたくしには魔力もありませんし、特にこれといった力などありませんわ」


 悲しいことですけれど、事実です。

 公爵令嬢という肩書すらなくなれば、わたくしに残るものはあるのでしょうか。


「お主には選ぶ権利があるのじゃ。このまま、何も知らず平穏に生きる道が一つ。もう一つの道は茨の道ぞ。平穏な日々は終わるじゃろうな」

「茨……もし、わたくしが茨の道を選べば、誰かを救うことが出来るのでしょうか?」


 その言葉を聞いた爺やの表情がやや曇った気がします。


「救えるかもしれぬし、救えぬかもしれぬのう。じゃがのう、お主には待ち受けるのが間違いなく、苦難であるのは避けようがないじゃろう。最悪、命を失うやも……」


 迷うことなどなかったのです。

 わたくしの命で救える人がいるのなら、それでいいのです。


「ならば、わたくしは茨の道を選びます」

「本当にいいのじゃな? 後悔は先に立たぬものじゃぞ」

「ええ、何を聞いても何があっても……受け入れますわ」


 覚悟を決めたわたくしの一言を聞いた爺やが諦めたように 


「お主にはな…制約ギアスが施されておるのじゃよ」


 普通の反応でしたら、驚くところなのでしょうけどそれよりもその魔法の名の方に興味が湧いてきました。


制約ギアス…古代の魔法ですわね」


 神々の時代に近い古代には存在していたとされる幻の魔法、それが制約ギアス

 書物で名を見かけることはあっても本当に存在していたとは思いませんでした。

 おまけに自分が被験者ですものね。


「お主、八歳までの記憶がなかろう? それはのう……わしがお主に制約ギアスを掛けたからじゃ。お主の記憶と魔力を封じておく為じゃ」

「え? ど、どうして……記憶をですの?」


 その先の言葉を紡ごうとしてもあまりの衝撃に口が動きませんでした。


と言っても今のお主は覚えておらんじゃろうが、お主の心が魔力の暴走に耐えられんかったのじゃ。じゃから……記憶と魔力を封印したのじゃ。制約ギアスはのう、あ奴が……イシドールがお主の未来を視て、独自に編み出したんじゃよ。あ奴はのう、自分の命がその時にないことも知っておったんじゃろうな。わしに全てを託したのじゃ」

「そう……だったのですね。お祖父さまが……わたくしの為に」


 記憶とともに感情すら、希薄になっていたわたくしですけど涙がいつしか、零れ落ちていました。


「幼き頃のお主では受け入れられなかったじゃろうな。じゃが、今のお主になら、超えられるはずじゃ。我が名ベルンハルトの名において命ずる。汝に罪なし……汝の縛めを解かん」


 その瞬間、頭の中に膨大な量のイメージが流れてきました。

 自分がかつて如何なる者であって、何を為したのか…爺やが言うに何が起こったのか。

 全てではないけれど分かった気がします。

 それと同時に鼓動が早まり、全身の血液が沸騰するような全身に走る激痛を感じ、わたくしは意識を手放しました。




 翌朝、起きてからの全身の痛みは今まで経験したことがないものでした。

 あまり、することがないお掃除をこなし、結界室を探す為に場内を歩き回ったのですから、肉体的に疲労しているのは仕方がないかもしれません。


 それよりも辛いのは送られてきたイメージがあまりに多すぎ、脳の処理能力が追い付かないことによる頭痛です。

 でも、よかったこともありました。

 魔力が感じられるようになったのですから。

 制約が解けたので魔動心臓アルケインハートが機能するようになって、魔力が生成されるようになったからです。

 ただ、解けたのが昨晩のことなのでまだまだ、魔力量は少ないのが残念ですわ。

 今の魔力量だとレベルI魔法なら余裕でもレベルII魔法は少々、無理が必要かしら?

 完全と言わないまでも力を取り戻すのに三日くらいはかかりそうですわね。


 どちらにしても今のわたくしでは、完全に魔力を取り戻せないのですわ。

 取り戻すにはもう一つの魔動心臓アルケインハートを動かさなくてはいけませんもの。

 それにはあの子が帰ってこないと無理よね。

 でも……ふふっ……力を取り戻せさえすれば、きっと……。



 とりあえず、軽く食べられるようなもの――ハルトが釣ってきたお魚を焼いたものとやや乾燥しすぎてしまったパンを摂ってから、本日予定されていた探索活動についての話し合いです。

 内容はアンの報せてくれた鉄扉の探索。

 お祖父さまの手による扉である以上、わたくしに関わるものであることは確実なのでしょう。

 そうでなければ、爺やが制約ギアスを解く理由もないでしょうから。


「四人では行けませんわね。留守を狙われる可能性がありますでしょう?」

「居残りが必要だな。問題は誰が残るかだが……」


 アンの報告によると扉に描かれていたのは六対の翼を有する赤い蛇の王。

 アインシュヴァルト家の家紋で間違いありません。

 このアルフィンを治めていたのはアイゼンヴァルト家でわたくしの家から叔母さまが、当主リヒャルトさまに嫁いでいることもあり、結びつきの強い家でした。

 帝国の中でも武門の誉れ高く、リヒャルトさまは本来なら、皇帝となっておられた方。

 それななのにアルフィンは一夜にして、荒城と化したのです。


 わたくしが読んだ史書には簡潔にアルフィンは蛮族の侵攻を防ぎきれず、滅んだと一文が載せられているだけ。

 当時、八歳だったわたくしに大人たちもはぐらかすかのように話題を逸らすだけで何も教えてはくれません。

 それも仕方のないことですわね。

 、ここにいたわたくしはそれを見て、知っていたのだから。

 あんなものが出現したんですもの。

 知っていても言えないでしょうし、恐らくは誰も知らなかったのでしょう。

 ただ、気になるのは城が青白い炎に包まれたイメージがあるのですけど、それはわたくしの仕業でもアレの仕業でもないと思うのです。


「アイゼンヴァルトの地でお祖父さまは何をされようとしていたのかしらね」

「それを確かめに行くのじゃろう? 恐らくじゃが入り口の封印はリリーでなければ、開かんじゃろう。あ奴のこさえたもんじゃから、魔導師であるわしも行かぬ訳にはいかんのう」

「じゃあ、俺か、アン。どっちが残るかだな?」


 困りましたわね。

 ハルトは護衛騎士である以上、離れる訳にはいかないと考えるでしょうし、アンはわたくしの側を離れること自体恐れていますから……どうしましょう。


「しょうがないなぁ。なら、あたしが残りますよぉ」

「いやいや、俺が残るさ」

「いいや、あたしがっ!」

「いや、俺だ!」

「ヤるっての? おー、ヤってやんよぉ」

「面白い! 返り討ちにしてやるぜ」


 今にも剣を抜いて、斬りあいになりそうなくらいハルトとアンが無駄な意地の張り合いを始めたのですけれども。

 ここはどうするべきなのかしら?


「ふむ。ならば、わしのゴーレムに留守番させればよのじゃ、ふぉっふぉっふぉっ」




 城を見下ろす丘に静かな主張をするように鉄扉が佇んでいました。


「これは確かにアインシュヴァルト家の紋章で間違いないのう」


 六対の翼を広げた紅き蛇の王が描かれた紋章、そのモデルになっているのは確か、東の竜王サマエルよね。

 本来、サマエルは蒼き竜でしたのに……。

 鱗が紅く染まったのはそれだけ、数の敵を屠ったせいで返り血と犯した罪のせいですわ。

 ただ、サマエルが蒼かったことなんて、人が知ることはないのでしょうけど。


「しかし、この扉、どうやって開けるんだ? 鍵穴もないし、そういう細工もなさそうだが」


 ハルクの言う通り、紋章が描かれた鉄扉に通常の扉にあるべきものがありませんでした。

 まるで入る者全てを拒んでいるようね。


「そりゃ、そうじゃろう。これは魔法の扉じゃからな」

「魔法の扉? 爺やなら、開けられますの?」

「儂にも無理じゃ。この扉を開けられるのはお主だけじゃと言ったろう」


 爺やは言ってたわね。

 お祖父さまがわたくしの為に作ったのだろう、って。


「手を紋章にかざすのじゃ。ただ、それだけじゃ。血の誓約でも実際に血を滴らせる必要はないのじゃよ」

「分かりましたわ。こう……ですの?」


 手をかざすだけで開く扉を作れたお祖父さまって、本当に凄い人だったのね。

 古代魔法を作り出した時代の人々ですら、出来なかった業でしょうに……。

 なんて、不謹慎な考えを抱きながら爺やの言った通り、左の掌を紅色の蛇の紋章に合わせました。

 その瞬間、ゴゴゴゴという重厚な音と共に分厚い鉄の扉が左右に開いていくのです。


「凄いですわ……この魔法理論、気になりますわね」

「気になるのがそことはのう。血は争えんということかのう」




 入口侵入から、既に三十分は歩き続けているのかしら?

 未だ、部屋の一つすら見つからないなんて、想像もしていませんでした。

 これをお祖父さまが一人で作っ………ええ、違いますわね。

 爺やと同じようにゴーレムを使役して、作った可能性が高いのでしょう。

 それでもこのように立派な迷宮じみた地下施設を作ったお祖父さまは才能豊かな方だったのでしょうね。

 あら? 気温が下がってきたのかしら?

 アンは肌寒く感じているのかしら?

 身を縮ませているようですし。

 わたくしには丁度、いいのですけどね。


 もしかして、徐々に地下深くへと潜っているのかもしれません。

 人の気配を感知して、自動的に開く扉に松明が無くても進む先を照らしてくれる魔力灯。

 都でも一般人は立ち入ることすら許されない皇帝廟にしか、見られない珍しい仕掛けが施されているのだから、才能の無駄遣いもいいところね。

 お祖父さまはここに何を隠そうとしたのかしらね。


「出口……ではなさそうだな」

「ある意味、出口じゃろう」


 通路の先がようやく開けてきたようですわ。

 最初の部屋に到達って、ところでしょうね。

 最初の部屋に着くまで三十分以上かかる家には住みたくないわね。


「ありゃ、なんです?」

「あれはミルメコレオ。実在していたのね。興味深い生き物ですわ」


 ハルトが不思議がるのも無理ありません。

 上半身が屈強なライオンなのに下半身は蟻の姿をした獣を見れば、誰でもそんな反応になってしまうでしょう?

 悪夢の中の生き物というほど、醜悪ではないにしても想像が及ばない姿……。

 ちぐはぐな身体をした生物ですものね。


 本の中、それも神話に出てくる伝説の幻獣。

 それがミルメコレオなのです。

 この目で見られるなんて、こんなに興味深いことはないですわ。

 上半身が肉食の生物なのに下半身は草食の生物という矛盾した組み合わせは、グリフォンの上半身と馬の下半身を有する幻獣ヒッポグリフのようにロマンを感じさせる生物として、密かに人気があるんですもの。

 実在するという話は聞いたことがありませんけど。

 

 ただ、あちらさまに友好的な意思があれば、いいのですけど……怪しいですわね。




 リリアーナ一行がアルフィンの謎の遺構でミルメコレオとの出会っていたのとほぼ、時を同じくしてアルフィンから早馬で三日ほど南下した位置にあるフリスト法主国でも異変が起きていた。

 凄まじい光の奔流が神殿へと降り注いだのである。

 床に描かれた奇怪な文様の中に倒れ伏す亜麻色の髪の少女と黒い髪の少年を前に白を基調とし、衿や袖を金糸で豪奢に彩った神官服を着込んだ男が静かに宣言する。


「我らの地に予言されし、聖女が降臨された! 邪なる者どもを滅する時は来たれり」

「偉大なる神の御名において」


 白い神官服の男の背後に控えていた灰色のローブの男たちがそれに続くように神の名を唱え始める。

 彼らはフードを目深にかぶっており、その表情すらも窺い知れない。

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