第2話 白鳥城なのに白くないですって

 暗い……暗いわ。

 暗いのも当たり前かしら?

 ここは冥府……冥界……光が存在しない地下世界だもの。

 これは罰? ううん……違うわね。

 彼女はそんなことを望む人じゃない。

 これはわたし自身が望んだことだ。


 罪を犯したわたしにふさわしい場所なのよ、ここは……。

 静寂と暗闇に支配されたこの地で明るく、温かく感じられるものは人の魂。

 なんて、皮肉かしら?

 一面の闇、永久とこしえの闇に包まれながら、どれくらいの時が過ぎたのかすら、分からなくなる。

 ここはそんな心が音を立てて、壊れるような錯覚に陥る地なのだ。


 気が付いたら、光を浴びていた時は太陽のように輝いていた蜂蜜色の髪も色褪せていたみたい……。

 白金色になってて、元々、白かった肌が病的な白さになっちゃったわ。

 地下世界だから、仕方がないのだけど。

 愛の女神と呼ばれていた頃の面影は残っているのかしら?

 こんな姿であの人に会え……ないよ。


 あまりに退屈過ぎる日々に魔法の研究が思いがけず、捗ってしまう。

 仕方のないことだと自己完結せざるを得ないのも空しい。

 そうでもしないとやってられない単調な日々が続くのだ。


 冥府は人の魂を囚える為なのか、生命ある者の心まで凍えてしまいそうな低温の世界。

 そのお陰と言うべきかしら?

 元々、氷の魔法を得意としていたわたしの技術は究極と呼べるレベルにまで極まった。

 問題は極めたところでそれを試す場も機会もないことだろう。


 五百年くらいで氷魔法が極まり、再び、退屈な日々を迎えることになった。

 そこで新しい魔法の研究に手を出した。

 どうせ静寂と死に支配された地なのだ。

 ならば、死を司る死霊魔法を究めればいいのだ、と居直ることにした。

 さすがに零からの開始しただけあって、死霊魔法を極めるのにゆうに千年は過ぎていた。


 これだけでは冥府を支配する者として、わたしが責務を果たしてないように見えるって?

 失礼ですわ。

 わたしは与えられた責務は果たしてますのよ?

 光が差さないこの地に縛られた死者達は反抗することなんて、ないのだから。


 書類仕事などの実務は執政官として仕えてくれるナムタルがこなしてくれるから、冥府の女王なんてお飾りみたいなものなのよ。

 それでもこの地は女王がいないと成り立たない。

 わたしは離れる訳にはいかないのだけど。


 本当に珍しくて、数百年に一人現れるくらいの確率だけど、反骨心の高い者が冥府を抜け出そうと大暴れすることがある。

 そういった勇者様のほとんどが番犬の教育的指導の前に牙を抜かれ、大人しくなる。

 仮に運良く、番犬から逃れられたとしよう。

 しかし、その前にわたしが構築した不抜の門が立ち塞がるのだから。

 無理に抜け出そうとしなければいいのよ。


 そう、与えられた責務を黙々とこなすだけの日々。

 わたしは光ある場では望む者だった。

 そんなわたしが、いつしか望むことも望まれることもなくなっていた。

 望んだりしたから、囚われてしまったのだ。

 だったら、最初から望んだりしなければよかった。

 諦めと悟りに似た虚無感を抱いたまま、ただひたすら責務をこなす。

 そんな日々が続いた。


 弱い生き物である人間。

 死を恐れ、闇を怖がり、裏切り、殺し合う。

 愚かな生き物。

 救いようがない、そう思っていた。

 でも、永く彼らを見ているうちにわたしの考えには迷いが生じていた。

 この闇に包まれた冥府に貴賤や力の差は存在しない。

 どのような地位にあった者であろうとも全てが平等な世界なのだ。

 彼らは弱い。

 弱いけれど、お互いを尊重して、助け合って、生きていた。

 弱いのに弱いものを守ろうと必死に生きている。

 人間は美しい生き物、とベルも言っていた気がするわ。

 少なくとも治めるこの地にいる人間達を好きになり始めたのは冥府の女王として、三千年くらいが過ぎた頃だった。

 

 そんな時だった。

 わたしの前に彼女が現れたのは。

 彼女の母親は名も無き力の弱い女神。

 その女神が人間の男を愛してしまったのだ。

 結果として、それは許されざる罪だと断ぜられた。

 生命あるままに冥府へと落とされた女神のお腹には既に新しい命が宿っていた。

 それが彼女だったのだ。

 冥府にありながら、生命ある者から死の世界へと生れた彼女の身体は半身が生者の肌、半身が死者の肌だった。

 母親である女神は自らの生命全てを賭け、彼女を生んだのだ。

 人と神、生と死の二面性を持ちながら、愛を受けて生まれた彼女を守れる者。

 わたし以外いなかった。

 置いてきた我が子への罪の意識に囚われながら、わたしはその女児をブリュンヒルデと名付け、育てることにした。

 未だに囚われているじゃないという後悔の念とともに。




 御者は無表情というより表向き、感情表現が表れにくいリリアーナの姿に慣れているだけなのだろう。

 馬を止めると主が降りやすいよう慣れた手つきでエスコートをした。

 その姿は洗練された貴族のような優雅な雰囲気すら、感じられるものだ。


「お嬢、大丈夫ですかい?」

「ええ、どうしてかしら? ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ予想から外れていたから。それだけですわ」


 御者の言葉遣いと見た目はレムリアの一般的な貴族とは程遠い。

 かなり使い込まれたと思しき傷だらけの金属鎧に身を包み、背には逆三角形の形をした大きな盾を背負っている。

 そして、これも使い込まれて、長く経っているであろう質素な意匠が施された長剣を腰に佩いていた。


 御者の名はハルトマン・フリューゲル。

 西部戦線で名をはせた名将軍ヘクトール子爵の四男であり、本人も武功により男爵位を授与された貴族である。

 収まりが悪そうな癖がある鳶色の髪に瑠璃色の瞳は黙っていれば、貴公子のように見える青年。

 街を歩けば、若い女性の半数近くが見とれているほどの美丈夫である。

 その視線に気付きながらも気付かない振りをして、飄々と生きてきた。

 それは主として仕えるリリアーナとどこか似ているのかもしれない。

 生家の置かれた立場が影響し、おおよそ貴族らしからぬ物言いと態度に至ったのには訳があるのだが、それはまた、別のお話である。


「これが白鳥城ですの? 白亜のお城? 白くないですわ。むしろ灰色ですわね。確かにきれいな湖に映えるデザインではあるけど……何か、色々と欠けているのではなくって? 戦火に遭ったのだから、焦げて黒くくすんでいるのは仕方ないとしましょう。ですが、尖塔の類すらないなんて……それに屋根は? 屋根もないですわ。どこからどうやって直していけば、よろしいのかしら?」


 リリアーナの声は最後の方になると聞き取れるのか、微妙な音量でか細くなっていた。

 月の光を映しこんだような腰までたなびく白金色のきれいな髪と抜けるように白く整った美しい肌。

 紅玉の色をした潤んだ瞳に長い睫毛とともすれば、人間離れした美しささえ感じられる。

 そう、黙っていれば、見た目も相まって、近寄りがたい雰囲気がある美少女。


 しかし、表情が無いせいか、感情の起伏がほとんど無いように見える。

 年齢よりも幼く見えることも相まって、命を持たない人形のように見えなくもない。

 この見た目の印象は大きく、彼女にとって損にしかならない。

 気位が高く、扱いにくいお嬢様と認知されてしまうのだ。

 『見た目だけなら、お嬢さまはホント、完璧な令嬢そのものなんですけどねっ。中身が……うん、違うとおもうんですよっ』とはリリアーナに長く使えるメイドの言葉だ。


 リリアーナは自分が興味を持つもの以外にまるで無頓着になる性質をしていた。

 そのせいで周りから、どう思われようと無関心なのだ。

 図書室に籠って、半日も微動だにせず、読書をし続ける令嬢などそうそう、いるものではない。

 そのせいか、彼女に積極的にかかわろうと近付くのは親族と数限られた友人だけであった。


 ハルトマンはそんな主の様子をいつもの見慣れたものとして、動揺することなく対処する。


「アレがアルフィンですぜ。間違いなく……ね」




 なるほど・・…。

 十年放置されたのが問題というより、十年前に起きたこと自体が問題と考えるべきですわね。

 人が住むのにまるで適していないように見える荒城があの白鳥城だなんて、信じられません。

 ですが、目の前に映るこれが事実ですものね。


 あの壊れ方は尋常なものではないですわ。

 憎しみを込め、破壊しつくそうとするような一種の狂気を感じますもの。

 あれで本当に城下町……なのかしら?

 ほぼ廃墟ではなくって?


 ううん、違うかしら?

 ほぼではなく、完全なる廃墟ですわ。

 瓦礫の山。

 半壊状態の廃屋。

 空虚なる町。

 ここまでする必要があるとは思えないのですけど。


 あら? あれは……何かしら?

 人が住んでいるようですけれど……。

 本当に人なのかしら?

 人じゃないとしたら、あまり、想像をしない方がいい気がしてきましたわ。

 人の気配が全く、しないところに住み着く邪悪な生き物。

 考えるだけで気持ち悪くなってきそうですもの。

 あそこに住み、この地をどうにかしなくてはいけない。

 考え始めると頭が痛くなってきたのは気のせいではないでしょう。


 わたくしに出来るのかしら?

 違いますわね。

 出来る! ではなく、やらなければいけないのですわ。

 少なくとも一年間はいなくてはなりませんし……。

 何か、手があるはずですわ。

 何か、大事な物を見落としているのかもしれませんもの




 ハルトマンは長い思考の航海に旅立ったリリアーナを時に気に留めることもなく、いつの間にか、側に立っている老人と若い女性に視線を投げかけた。

 主が感情が希薄で長考する割に案外、直情型の傾向があることを知っているからだ。


「ほっほっほっ。ここまでボロじゃとむしろ、潔いのお」


 老人ベルンハルト・シュタインベルガーは大きなつばに尖った頭頂部の構造を持つ黒いエナンをかぶり、黒いローブをまとっている。

 長い白髭も『そうです。わしが魔法使いです』と主張したいとしか思えないくらい、どこからどう見ても魔法使いの姿である。

 元宮廷魔導師にして、当代もっとも優れた魔法使いと称賛された少々、面倒な男である。


「他人事じゃないんですよ。あそこに住むんですよ、あたしたちは!」


 漆黒の闇を思わせる黒髪を動きやすいボブカットにした女性アンヌマリー・エラントは猫を連想させるような釣目と勝気なところが表情からも見て取れる。

 喪服のような漆黒のドレスに身を包んだ主に合わせたかのような黒のメイド服に身を固め、腰には細身のレイピアを二振り佩いていた。


「囲まれているわねっ、残念なことに。あんな奴らに近付かれるなんてねっ!」


 女性の声に若干の殺意が混じっていたように感じられるのは気のせいではないだろう。


「まぁ、どうにかなるだろ? 俺たちが仕えるあの方なら出来る。だから、俺たちはここにいる」

「ハルトはなんでそんなに楽観的なのよっ。全くもうっ」

「アンは右な。俺は左だ。じっちゃんはお嬢を頼む」

「はいはい、分かってるわ」

「相手が人なら、手加減するんじゃぞ」

「「人ならな(ね)」」


 語尾に若干の殺意が混じっているもののその表情は冷静そのもの、本当に怒っているという訳ではないようだ。

 アンは慣れた手つきで得物のレイピアを抜くと音もなく、風のように駆け出して行くのだった。


「ねえ、爺や。ゴーレムに建築の手伝いをさせたりは出来ませんの?」

「ふむふむ。試したことはないのう。じゃが、出来ぬことはないぞ。わしに出来ぬことはないからのう」

「そう……そうでしたわね」 


 残されたリリアーナは相変わらず、無表情のまま、微動だにしない。

 年老いた魔法使いはそれを見守るように見つめるだけ。

 弟子であり、主でもある少女が何かを考え始めると梃子でも動かない性格ということを知っているから。

 彼女に危害が加わらないように見守るのがこの老人の役目らしい。


「わたくしにも何か……」

「今は特にやることはないぞい」

「そう……それは残念だわ」


 リリアーナは残念と言いながらも特に表情を変えることもなく、遠方に見える荒れ果てた城を紅の瞳で見つめていた。




 やがて、微かな剣戟の音が聞こえたかと思うと左右に分かれていったハルトとアンが帰ってきた。

 鎧にどす黒い返り血を浴びたハルトと対照的にアンはどこも汚れていない。

 出ていった時と同じきれいな姿のままである。

 ただ、彼女は無表情なのに薄っすらと気味の悪い笑みを浮かべているのでいささか、不気味ではあった。

 どちらもある意味、凄惨な姿で主の元へと戻ってきたのだが、当の主は全く、気にしていない。


「軽くお掃除終わりましたぜ」

「相手が相手だけに今日は肉食べたくないけどねっ」

「ご苦労様ですわ。わたしにも何か出来たらいいのだけど」


 リリアーナは相変わらず、表情を動かさないまま、しかし、何かを決意したかのように瞳をルビー色に輝かせながら言うのだった。


「為せば成る為さねば成らぬ……誰の言葉だったかしら?」

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