【完結】元冥府の女王様は現世で幸せになりたい
黒幸
第1話 怪物姫はラスボスになりたくない
腰まであろうかという蜂蜜色の髪を風になびかせ、緋色のドレスを纏った女性が一人、荒野に佇んでいた。
女性というにはまだ、幼さが残る容貌は少女と呼ぶ方がふさわしい年齢なのかもしれない。
彼女の纏ったドレスはよく見ると血のような赤い色ではない。
血そのもので染まっていることが分かる。
右手に握られた優美な細剣の刀身もまた、血で染められたように赤かった。
もう三日くらいは経ったのかしら?
相手を殺して……
壊し尽くしていいのなら……
わたしがここまで疲弊することはないだろう。
ドレスが真っ赤に染まるくらい血が流れてもわたしは死なない……。
いいえ、死ねないの。
致命的な傷を負わない限り、死ぬことすら許されない
その王族最後の生き残りがわたし。
そう、殺していいのなら、簡単なのよね。
殺せないのは本当に辛い……
殺したいのに殺せないのがこんなにも辛いなんて。
でも、人を殺すのも壊すのもしないと決めたの。
それが唯一愛したあの人との最期の約束。
絶対に違えられない大事な約束だから。
だけどあの人を殺した者たちを許すなど出来やしない。
どうやって復讐すればばいい?
考え抜いた末に出た結論は自らの命を捧げること。
簡単……そう簡単なことじゃない。
あの人のいないこの世界に何の未練があるの?
わたしの命であの人を殺した者たちを消し去れるなら、十分でしょう?
だから、わたしの首を獲ろうと敵がここに押し寄せてくるように仕向けた。
準備は万端。
準備じゃなくて、大いなる罠とも言うけど。
「ベル……また、あなたに会いたいな」
あの人の仇をその目に捉えた時、わたしは迷うことなく、自らの心臓に愛剣を突き立てた。
その日、ミクトラント大陸南部で強烈な閃光と巨大な光の柱と大地を揺るがす大爆発が発生し、巨大なクレーターが誕生した。
光と混沌の争いに終止符が打たれ、神々の時代は終わりを告げたのである。
皆様、ごきげんよう。
わたくし、リリアーナ・フォン・アインシュヴァルトと申します。
神聖レムリア帝国の筆頭公爵であるアインシュヴァルト家の公女であり、皇位継承権第一位を有する皇女でもあります。
とても、複雑な立場にあるわたくしなのですけど……現在、複雑な状況に陥っておりますの。
それというのも大して整備もされておらず、街道と呼ぶのも怪しい道を僅かな供回りだけで馬車の旅をしているのですから。
目的地は帝国南部の辺境アルフィン。
その地の領主代行になるべく帝都ノヴァ・グランツトロンを発ちました。
かれこれ、一ヶ月くらいかしら?
このように面倒なことになるのでしたら、領主代行なんて、受けるべきではなかったですわ。
思い描いていたのは領地に籠って、悠々自適な生活なのですけど。
所詮、夢は夢ですわ。
どんどん遠のいていきますわね……。
出来れば、のんびりと怠惰な日々を過ごしたかったですわ。
アインシュヴァルト家は筆頭公爵家。
それに加えて、魔導の家とも呼ばれる魔法と強く結びついた家です。
生まれながらに魔力が高く、魔法の才を持つ者が生まれる家。
むしろ、そうでなければ許されない家とも言えるでしょう。
お祖父様は百年に一度の天才と謳われた大魔導師イシドール。
お祖母様は帝国の真珠とその美貌を謳われた唯一の皇女エリザベッタ。
生まれた運命の双子(の姉の方)がお母様です。
お祖母様もお母様も女神に愛される者、聖女と呼ばれていました。
帝都であるノヴァ・グランツトロンに防御結界を施した先々代の聖女がお祖母様でしたし、先代の聖女はお母様だったのです。
当然のようにその血統であるわたくしが次の聖女という期待がかけられたのですけど……。
その期待を大きく裏切ってしまったのがわたくしということになりますわ。
わたくしには元々、高い魔力があったのですけど、八歳の時に患った病で魔力がなくなってしまったのです。
魔力持ち。
いわゆる魔導師や魔法使いと呼ばれる方々は心臓が魔力で構成された組織で覆われた
そうです。
ところがわたくしの
だから、魔力がないのですわ。
おまけに八歳までの記憶さえ、あやふやなので何が起きたのかすら、はっきりと覚えていません。
生まれつき虚弱体質に近い病弱な身体に魔力無しまで加わって、ついでに記憶障害まであるなんて……。
ええ、それだけではありませんでした。
わたくし、婚約者がいたのです。
それも八歳の頃の話ですから、過去の話なのですけど。
相手は二歳年下で従弟であるレオンハルト・ユリウス・フォン・アイゼンヴァルト。
当時、皇位継承権二位の皇子であるレオンハルト殿下と婚約していたことに自分でも驚いているのですけど、 殿下とわたくしは初対面からものすごく気が合ったことだけはよく覚えています。
なぜ、そのことだけを覚えているのか、とても不思議なのですけどね。
それだけでしたら、高位貴族にはよくある政略結婚の為の婚約ですから、子供のような年齢とはいえ、不思議な話ではありません。
ただ、殿下のことをもっと前から知っているような不思議で懐かしい感覚を感じたのです。
もしかしたら、それは恋と呼ばれるものだったのかもしれません。
結局、その恋――初恋は実りませんでした。
婚約は白紙となり、わたくしは何もないまま、出戻りの令嬢となってしまったのです。
なぜですって?
物理的に婚約者がこの世に存在しなくなったのですから、仕方ありませんでしょう?
殿下の居城アルフィンが蛮族に襲撃され、アルフィンという町が地図から消え去った――住人が皆殺しになったと知ったのは私が貴族学院に入学してからのことでした。
殿下の死体だけが発見されなかったそうですけども。
状況から言って、生きている可能性はないに等しいそうです。
ただ、わたくしもその時、アルフィンにいたと聞かされたのですけど、思い出そうとすると頭が痛くなってきて、思い出すこと自体を諦めました。
思い出したら、いけないのかしら?
魔力なしにして、幼少期に婚約者を失った永遠に伴侶を持てない不運の令嬢、それがわたくしなのです。
「ねぇ、アン。もしかしなくても……アルフィンに向かうのは悪手だったかしら?」
座席でわたくしの隣に座っている専属メイドのアンに話しかけました。
前の座席にはこれこそ、魔法使いという姿そのままの老人が舟を漕いでますわ。
もしかしたら、寝たふりをして巻き込まれないようにしているだけかもしれませんけど。
魔法使いの老人――爺やはわたくしと同じで面倒なことが嫌いな人なんですもの。
この旅に同行してくれたのが不思議に思えますわね。
また、話が逸れましたわね。
アンはわたくし自慢のメイドです。
黒のエプロンドレスに身を包み、濡羽色の髪を肩までのボブカットにまとめ、しみ一つない美しい肌を持つ人形のように美しい子なのです。
人形ではない証拠に金色のやや、つり目がちで猫のような瞳には好奇心旺盛な心が隠し切れないらしく、そこがまた、彼女のかわいらしいところですわ。
ただ、彼女の頭には普通の人間には見られない獣毛に覆われた狼の耳が二つあります。
そう、アンは狼系獣人・
アンだけではなく、わたくしに近い使用人のほとんどが獣人や妖精族など亜人と呼ばれる方々。
そのせいでしょうか、人づてに聞いた噂では『怪物姫』などとも呼ばれているのです。
そもそもわたくしは姫ではありませんのにね。
「おかしいですよね。お嬢様の死亡フラグは消えたはずですし! 今更、ラスボスへのフラグって、うーん。北じゃなくて、南だから平気だと思うんですよ」
アンはたまにこの世界の常識とは食い違う妙なことを口走ることがあります。
それは彼女が異世界からの転生者だから……かしら?
気付いた時にはこの世界でアンヌマリーとして生きていて、わたくしと出会った。
その彼女が言うにはこの世界は乙女ゲームと呼ばれる虚構? 架空?
作られた世界と同じらしく、わたくしは悪役令嬢という難儀な役柄らしいのです。
主人公の少女をいじめ、その前に立ち塞がる……これだけでしたら、単なるライバル? 宿敵とでも言うものでしょうに。
問題はわたくしが最終的にこの世界そのものを滅ぼそうとする”らすぼす”になってしまうことだとか……なんだか、大変ですわね。
そうならないようにと色々と世話を焼いてくれるのがアンなのです。
単なる妄想や虚言の類ではないと思いますし、そういう残念なところもかわいいところ……よね?
あばたもえくぼ。アンが何をしてもかわいい、のではないと思うのです。
「問題はアルフィンが皇族にとってもわたくしにとっても因縁の地ということね」
アルフィンは白鳥城とも呼ばれる美しい城郭で知られるアルフィン城を擁する帝国南部の辺境の要衝にして、帝室の先祖とされる女神が終焉を迎えた地。
わたくしもその女神の血を継ぐ者の一人ですけれど、治めていたアイゼンヴァルト家が十年前に途絶えて以来、棄てられた街となってしまい、現状がどうなっているのか定かではありません。
殿下が消えた地でもあり、わたくしが記憶と魔力を失った地。
これは本当に行ってはいけないところへ向かっているのではなくって?
「お嬢さま、なんで領主代行なんて受けたんですか? 受けなくても領地に戻れたじゃないですか」
「ん……最後の奉公というものかしら? どうせ引き籠るのなら、その前に何か恩を返しておきたいと思いましたの。一年間の約束ですわ。終わったら、領地に戻れますのよ?」
「一年って長いんですよ、お嬢さま」
貴族の子女は十二歳から、十六歳まで貴族学院に通うよう義務付けられているのです。
この学院時代に知識を高めたり、才能を磨いたりすることは当然として、卒業後を考えた人脈作りも重要とされています。
それなのにわたくしが親しくお付き合いしていた令嬢は二人だけ。
『お嬢様のコミュ障は筋金入りだからねぇ』とアンが頭を撫でてくれたのですけど、恐らくその『こみゅしょう』とやらのせいなのでしょう。
正直、この時点で家への貢献は全く、期待出来ない状態でした。
そもそも、学院で図書室の蔵書を読み漁り、魔法書の研究に没頭していたわたくしに家に貢献する意思なんて、微塵も感じられなかったのですけどね。
話が逸れてしまいましたけど、この貴族学院には『水鏡の儀』という重要な儀式が卒業前にあります。
これは聖なる泉に姿を晒すとその者を守る存在が泉に映し出されるというもの。
魔力があろうと無かろうとその者を守ろうとする存在なので精霊だったり、祖神だったりするのですけれど正直、占いに近いものがあるのでより確実な星詠みなどと比べると眉唾ものなのです。
ところが、ところがなのです。
水鏡の儀で泉がわたくしに示したのは全くの無。
何も映し出されないというのは学院創設以来というより、帝国の歴史上でも珍しいことだそうです。
つまり、あれなのです。
わたくしを守る存在はない、という異常事態が発生したのです。
皇位継承権を持つ高位貴族の令嬢に守護者がいないなんて。
神は死んだと説いて、罰せられた方がおられたようですけど、この世に神様なんて、おられないのかもしれません。
それはともかく、わたくしは学院を卒業はしました。
無事に卒業かどうかは怪しいですけど。
とりあえずの義務は果たしたと言えるでしょう。
それからは帝国図書館の全蔵書を読破して、ひたすらに読書の日々。
さらに各地の稀覯書を取り寄せては自室にこもって、読み耽けること一年と少々。
もはや読む本がなくなったのでそろそろ、領地に引き籠ろうかと思い始めた頃でした。
わたくしにあまり、興味を示さない……違いましたわ。
全く、興味を示さないお父様がアルフィン領主代行として、任地に赴くようにと命じてきたのは。
この十年の間、帝国の辺境領は不穏な空気に包まれていました。
東はアインシュヴァルト家の治めるロマール領があるのですけれどそこに不穏な気配はありません。
恐らく、お祖母様とお母様がおられるからなのでしょう。
ですがそれはあくまで例外。
北は独立心の旺盛な少数部族が割拠しており、砦が襲撃されるなどの被害も出ているようです。
西は元々、比較的規模が小さな独立国家が乱立していたのですけれども、国家間の争いに拍車がかかり、北以上に危険地帯だと言われています。
南は辺境の中の辺境と呼ばれるような僻地で文化的にも未開の地とされているような土地柄です。
よく言えば、放任ですけどその実、特に旨味もないので放置していただけの領地。
それが領都アルフィンの存在するカルディアでした。
魔法書を読み漁り、知識だけはある貴族の娘をそのような場に送り込むということは……厄介払いかしら?
「アルフィンに図書館は……ないわね」
「お嬢様、図書館以前に……って、やつかもしれませんよ?」
「そう……それは残念ですわ」
十年も放置されていて、快適な生活を送れるような住居が無いかもしれない。
そう聞いてもわたくしはそこまで大きな衝撃を受けません。
光も差さない永久の暗闇に囚われるのより、不幸なことがこの世にあるかしら?
あら? 今のはわたくしの記憶?
まだ、十七年ほどしか生きていないはずなのにおかしいわね。
疲れているのかしら?
慣れない馬車での長旅ですもの。
夢でも見ていたのかしらね。
「お嬢、アルフィンが見えてきやしたぜ」
御者を務めるハルトの声で急に現実に戻されました。
大陸を統一した英雄が亡き両親を偲び、愛した地に建てた白亜の城。
それがアルフィンです。
彼はそこで人生の大半を過ごしたと伝説で語られていますし、威容を損なわないようにと常に整備されていたとも聞いております。
伝説の白亜の城……それはそれは美しいお城があるのでしょうね。
少しだけ、楽しみになってきましたわ。
「あらあら……」
見た瞬間に固まってしまうというのは本当にありましたのね?
想像していたのとは全く、異なる風景が待ち受けていたのですから。
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