第69話 涙


 幸四郎の後から、俺も中へ入った。

 上座に座っていた慧様を守るように、ユウヤが結界を張っているが、幸四郎の体から出ている禍々しい黒い空気が、それを壊そうと何度もバチバチとぶつかる音がする。



「そうやって、お前はいつも隠れているだけだ。お前が本当に神の子だというのなら、なぜこうなる事が予見できなかった?」


「幸四郎……お前も知っているだろう。余は神の子だが、神ではない。全てを知っているわけではない。だが、これだけは知っている」


 慧様は、幸四郎の変わり果てた形相に恐るわけでもなく、いつものように座っている。

 藤色の瞳で、まっすぐに幸四郎を見上げる。


「余を殺しても、お前は神にはなれない」



 幸四郎は、淡々とそう言い放った慧様に一体どんな表情をしていたのか、後ろから見ていた俺にはわからなかった。


 少しの沈黙の後、幸四郎は肩を揺らして笑う。


「お前はいつもそうだ。なんでも知っているような口調で、本当は何も知らない。こんな地下に潜って、外の世界を————時代が変わったことも知らない。わかっていない……何もわかっていない…………だからこそ、私が————私こそが、新しい神となるべきなのだ」



 幸四郎の放つ、黒い空気が形を成して行く。

 集まり、塊となったのは、神と呼ぶにはふさわしくない、真っ黒い大蛇へ————


 大蛇は結界を突き破って、慧様に向かって伸びていった。


(危ない!!)


 とにかく、止めなければと、術を出そうとした俺より先に、慧様の後ろにあった屏風から、春日様が現れる。

 龍の模様が入った剣で大蛇を真っ二つに引き裂きながら、幸四郎の前へ出ると、春日様はその剣先で幸四郎の腹を刺した。


「幸四郎……いい加減にしなさい。こんなことをしても、お前は神にはなれないさね」


「かす……が…………」



 まるで浄化するかのように、剣から金色の光が放たれて、幸四郎の纏っていた禍々しい空気が消えてゆく。


 幸四郎の表情は、こちらからは見えなかった。

 崩れ落ちるように、前へ倒れかかる幸四郎を、春日様は抱き止めると何かを耳元で囁いた。


 二人を見つめる慧様の藤色の瞳からは、涙が一筋流れ落ちる。




 どういう事かわからなくて、俺はユウヤを見たが、ユウヤは首を横に振って、自分もわからないとアピールしてくる。

 きっと、俺たちにはわからない何かが、春日様たちの間で起きていたのだろう。



 そこで、ふと気がついたように、ユウヤはじっと俺の顔を見て、このなんとも言えないしんみりとした空気をぶち壊すような大声で言った。



「颯真、その右目————玉藻、倒せたの!?」



「え……? あぁ、そうだけど……?」


 春日様は、ユウヤの声に気がついて、息を引き取った幸四郎の体をそっと横たわらせると、俺の右目を目を細めてじっと見つめる。

 右側だけ長い俺の前髪を搔きわけて、右の頬に手を添えた。



「消えている……玉藻の呪いが」


「え……!?」



 自分では気がついていなかったが、俺の右目の瞳にかけられた呪いは、呪掛者である玉藻を滅したことで、消えていたのだった。




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