閑話 兄について

私には一つ上の兄がいる…


兄は取り柄がないと言うが、凄く優しいのを私は知っている。頭だって良い、容姿だって悪くない。兄の事が大好きだった。いつまでも私の兄である事を信じて疑わなかった。原因不明な症状に悩まされているのだって周りは妄想だとか適当に言うけれど私はそう思わなかった。だって、兄はその症状以外で弱音を吐かない事を知っているから。



そんなある日、兄の行方がわからなくなった。



日曜日に一緒に出掛け、家に帰ってから階段で会った時が私が見た最後の姿だった。何であの時声を掛けなかったんだろう、何で兄の気持ちに気付かなかったんだろう、優しい兄の事だ、私の趣味が周りに良いイメージを与えないと判断したからこそ先に帰ったのはわかる。でも…私の趣味がどうであれ兄と一緒に…笑いながら…買い物をしたかった…ただそれだけなのに、ただそれだけの事が言えなかった…


あの日、夕飯の時に兄の姿が見えない事を私も両親もそこまで深く考えなかった。


17歳ともなれば何かしら言えないことあるかも知れない。真面目な兄が連絡もせず遊んでいるとは考え難かったが、それでも帰って来ない事を不思議に思った両親が警察に捜索願いを出したと聞いたのは22時を回った頃だ。


電話をしてもコール音が鳴るだけで出る事はなく、その日は一睡も出来なかった。


次の日もその次の日もそのまた次の日も、学校を休んで兄を探した。警察も大々的に捜索を続けてくれているが手掛かりすら無い状況らしい。学校中でも話題になっていると友人から心配のメールが来たが返事を出せないでいる。失踪しっそうの原因が家庭にあるかもしれないと兄の部屋も捜索されたが、痕跡こんせきが無かった。学校ではイジメ等は無いと言っていたが信じられない。


そう言えば失踪の直前母が携帯食料の事を聞かれたと言っていたっけ…


長期的に何処かへ行く予定を立てていた?そんな様子も見られなかった。あの症状の所為?でも歩くのすら辛くなるのに…今日も何の成果も見られず家に帰ると23時を過ぎた頃だった。



「楓…今日もありがとう…少し休みなさい。お風呂入って少しは寝てね?くま…すごいわよ?」



母が気遣ってくれているが、母だって同じような状態だったが私は母を気遣うこともできず無言でうなずくとお風呂へ入り、体を洗っていると兄の姿が目に浮かぶ。お風呂入っているかな?お腹空いてないかな?怪我して無いかと考えれば考えるほど頭に中が混乱し、涙があふれて来た。


「お兄ちゃん…会いたいよ…」


少しもスッキリした気分になれずリビングに行くと、母は兄の分の夕食の前で祈っており、父はその横で母をなぐさめていた。家族仲だって悪く無かった…と思う。兄が姿を消す理由が本当に見当たらない。自傷行為じしょうこういだとわかってはいたが冷蔵庫から兄のお気に入りの炭酸水を出しコップに注ぎ人数分をテーブルに出す


「お…お兄はいつも…ウッ…こうやって美味しくない、グスッ…炭酸水飲んでたよね…何が悪かったのかな……お…お兄ちゃん……う…うわあああああん」


私はせきを切ったように声を上げて泣いた。


「楓…」


母も私を抱きしめ泣いた。


「大丈夫だ、きっと、アイツが帰ってきたら目一杯怒ってやろう!それで許してやって、またみんなで仲良く暮らそう…な?」


父は私と母を抱きしめ涙声で言った。



お兄ちゃん…みんな泣いているよ?



お母さんはいつ帰って来ても良いように毎日お兄ちゃんの分の夕飯作ってるよ?お兄ちゃんに会いたくて泣いてるよ?


お父さんは慣れないSNSに手を出して四苦八苦しくはっくしてるよ、アイツの為だって一生懸命だよ?一緒に釣りに行く約束したって、毎日道具のお手入れしてるよ?男だからって言ってるけど本当は一人で泣いているんだよ?


だから…帰って来てよ…


一頻ひとしきり泣いた後、無言の空気を父の携帯が鳴り響き空気が一気に変わった。


「はい。ええ…え!?それで?…そうですか…はい、少々お待ちください」


父は黙って首を振った。兄が見つかった様子では無かった。

「アイツの自転車とスマホが見つかったみたいだ。場所は市内の総合公園でスマホは噴水の所に落ちていたらしい、直ぐにでも確認出来るようだが、行くか?」


私も母も同時に頷いた。


警察署まで行くと、担当の人が会議室みたいな場所に通してくれた。そこで待っていると直ぐに別の人が来て兄のスマホを見せてくれた。指紋がつくからとビニール袋越しだったが待ち受けなどを見て兄の物である事が確認できた。



「では、息子さんの物で間違いないですね?では電話帳を見て貰えますか?」



そう言われて電話帳を見ると、家族といくつかの人の名前の下に記号が並んだ文字が見つかった。詳細を見ても全てが記号で埋め尽くされていた。


「発信履歴にも同様のものがあります」


確かに発信履歴にも同様に記号の羅列られつが表示されていた。時刻は…あの日曜日…午後6時頃。警察が言うには、自ら家を出た可能性が高まったという事、更に詳しく調べるので有れば携帯会社に通話記録の開示を請求出来るという事で開示請求の依頼をし家に帰った。



少しでも兄が見つかる可能性があると思ったのか、その日は久しぶりに夢を見た。



「楓、中学受験するって本当か?」

「うん!良い学校出てお金持ちになるんだ!」


これは私が中学受験を決意した日だ。




「お兄ちゃん…難しいよ…」

「どれ?僕も頭良くないからな…塾も行ってないから期待するなよ…」


そう言えば私の勉強の先生は塾の講師じゃなくて兄だったな…兄の説明はわかりやすくてとても助かったな。


「お兄!見て!少し成績上がったの!」

「本当だ、凄いじゃないか。第一志望も夢じゃないな」

「お兄のおかげだよ」

「僕は何もしてないよ。楓が頑張ったからだよ。自信を持て」


兄はいつも自分は何もしてないって言うけど、私は凄く助かっていた。それが重荷おもにになったのかな…皆は私をめてくれるけど本当は兄のお陰だ。勉強のやり方、スケジュールの立て方、兄の言う通りにやっていれば成績は上がったし、余裕だってあった。だから今の私が進学校で持て囃もてはやされているのだって、元を辿たどれば兄がいたからだ。




「お兄…あのね?クラスの子に告白されたんだけど…」

「恋愛相談なら友達にしろよ…僕がそういうのはわからないって知っているだろ…付き合った事もないし、でも…お前が好きになったのなら僕はいいと思うけど?」


本当は止めろって言って欲しかった…




中学に進学してから私の事は名前で呼ばなくなった。もうお子様じゃないからって言って、それがどれだけ寂しかったか…知ってた?私の初恋ってお兄ちゃんなんだよ?でもね兄妹きょうだいだから、きっとお兄ちゃんにも迷惑だなって思ってずっと隠して来た…そしていつからか自分をいつわってきた。




誰かが得意げに言ってたっけ『本当に大事なモノは無くして初めてその価値に気づく』って。

今になって私がどれだけ兄に依存いぞんしていたかが身に染みてわかった。


夢の中では兄が困ったような顔で笑ってる、その横に顔が黒く塗りつぶされ判別できないけど髪が長いから女の人らしい人が兄をグイグイ引っ張って遠くへ連れて行ってしまう。どれだけ声を上げても兄は気付かない…その代わりにその黒い顔した女の人がこちら向き、口角を異様に上げ笑っているのが見えた…



「お兄ちゃん!…夢…か…」



ノソノソと起き上がり洗面所で顔を洗う。


「ひどい顔…」


自分でもわかる、目の下のくまは色濃く出ているし、髪だってボサボサでつやがない。行くつもりもなかったが両親から「履歴の開示があるまでは一旦学校へ行け」と言われ久しぶりに学校に行ってみれば、友人にも言われるくらいの表情だった。担任からも「気を落とさずに…」なんて言われたが気を落とさない訳がない。表面上は心配しているのだろうが上辺うわべだけというのが目に見えてわかる。




授業だって頭に入ってこない。ふと外を見れば、どこかで兄が困っているんじゃないか、助けを待っているんじゃないかと考えてしまい、言われて初めて涙を流していることに気付いた。昼休み…食欲もなく席でボーっとしていると、友人だった…倉石美代くらいしみよ鳥橋由紀とりはしゆきが話しかけてきた。


「楓…あのさ…お兄さんの事…あの時は変な言い方してごめんね」

「私たちてっきりお兄さんに付き合わされているのかと思って…」


兄は凄いな、噂だとしても色々な人から白い目で見られてもくじけなかった…そんな素振そぶりすら見せなかったのに、原因の一旦と考えてこの二人とは距離を置くことしか考えられない。憎くさえ思っている。否定しきれなかった自分の事は棚に上げて…



「ごめん、今は話したくない…」


それだけ言うと席を立ち目的もなく教室を出る。そういえば兄と購買で会話をしたことを思い出しそちらへ向かう。一週間以上前の事だ購買の人も覚えていないだろうとは思うが、一応聞いてみる。



「すみません。私1-Aの長部と言います。一週間以上前ですがもし覚えていたら教えてほしいのですが…」


「ああ、学校からも聞かれたんだけど、昼時ともなればそれなりに混むからねぇ悪いけど覚えていないんだよ」


「そう…ですよね、わざわざありがとうございました」



兄のクラスに行って話を聞いてみようか…私に言っていないだけでひょっとしたら誰かに相談していたのかもしれない。ただ少し上級生のクラスに行くのは気が重い。二年の教室がある廊下までは来れたがその先を踏み出せないでいると




「長部さん?どうした此処は二年の教室…あぁ、お兄さんの件か」


振り返ると生徒会長の水越みなこしさんだ。


「先輩、兄の事何か知っていますか?どんな事でもいいので知っていたら教えてください」


そういえば兄の噂の発端ほったんとなったのは…たしか水越さんだったような…聞く相手を間違えたか。




「残念だけど僕は何も知らないな…何故か君のお兄さんからはあまり好かれていないようだったからね…」

この人は自分の発言で一人の生徒が苦しんでいるってことを知らないのか?それとも知っていてとぼけているのだろうか…






「もし僕に出来る事があれば何でも言ってくれよ?君の力になりたいんだ」


そう言って手を握られると背筋にゾワッと悪寒おかんが走った。私…この人苦手だな…


「お気持ちだけで…それでは失礼します」




早退して総合公園にでも行ってみようかと思っていた時スマホが着信を知らせる。画面を見ると母からだ。まさか…




『お母さん?何かわかったの?』

不思議と受話口からは何も聞こえない。


『もしもし?お母さん?聞こえないよ?』


画面を見直すと確かに母の番号が表示されており、通話中の表記だし電波も悪くない。再度耳に当てると雑音が入る。こんな時に故障?仕方ない、職員室で電話を掛けようと通話口に電話を切るむねを伝えようとするとかすかだが何かが聞こえた。



『…だか…僕…ここだと…』




今の声?…僕って言ってたよね…まさか!?


『もしもし?お兄ちゃん?ねえ!お兄ちゃん?』

『もしもし楓?聞こえる?楓?』

『え…お母さん?今…お兄ちゃんの声が…』

『え?そんな筈ないでしょ?それより今警察から連絡があって通話履歴が判ったって…お父さんが迎えに行ったから早退してきなさい』


『そうだよね…ごめん、やっぱりちょっと学校来るの無理みたい…』






父と合流し、警察署へ向かう。母も既に到着しており再度会議室の部屋へ通される。

そこには警察の人や携帯会社の偉い人なんかも来ており、今回の件が特例であることや非常に難しい判断をしなければならない事等、いろいろ言われたが履歴が気になって話半分しか聞いていなかった。




兄の通話履歴の最終日はあの日曜日の午後7時4分、通話時間は3分程度、掛けた相手は…



判らない…という結果だった



通常であれば考えられない事で必ず相手の番号も判別が出来るらしいが、何故かエラーが出てしまい番号が表記される場所に電話帳と同じ記号の羅列られつが表示されるとのことだった。私からの着信や両親からの着信はそれぞれの番号が表示されているので、機械の故障ではないらしい…




警察の人も不思議そうに考え込んでおり、希望が見えたと思っていた母は泣き崩れてしまった。

そんな中私は何故か冷静に兄の声が聞こえたことを考えていた。兄は携帯を持っていない、ではなんで声が聞こえたんだろう…幻聴げんちょう?スマホに故障らしきものは見受けられない。父にも母にもあの後は問題なく繋がったし着信も出来ていた。






…ある考えが頭から離れない。そんな事現実に起こるはずがない、でも…あの真面目な兄が突然姿を消すなんて考えられない。自ら失踪するのなら日曜日に出かけたりしない!私へのプレゼントだって買うはずがない。…いよいよ私の頭もおかしくなったようだ、自分の趣味と混同するなんて…



心のどこかであれは現実だと思ってる。

何が原因なんだろう?どういう方法なんだろう?

きっと兄は



異世界に…?

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