第1話 日常が壊れる時

機械的な甲高い音が不快だ…音の発生源までは距離があるから…起きなきゃ…


「…もう少し音の小さい物を買えばよかったかな」


目覚ましを止め時間を確認すると午前六時半、いつもの時間だ。

大きくため息をついて目を擦りながらカーテンを開けるとどんよりとした曇り空が広がっていた。

再度ため息をついて充電が完了したランプを点灯させているスマホの画面を注視ちゅうしすれば今日の天気は曇りのち雨、降水確率は70%らしい。


学校へ行く時と帰るときに降らなければ何でもいいか。

大きく伸びをして部屋を出る。廊下の突き当たりにある洗面所の戸を開けると、先客がいた。


「うぉにー。うぉあよー、タオル取って」


「顔を洗いながら喋しゃべるな。ほれ」

タオルを頭の上に乗せる。世間では兄妹きょうだいの仲が悪く口も聞かないと言うのがあるようだが、幸い我が家にはそう言ったものはない。


「ありがと、使うでしょ?」

差し出されたタオルを取って洗面台に向かう。気にした事なんか無いし普段通りなのだが…

「おい、パンツ丸出しだ。せめてズボンは履はいとけ」

「あ…いや〜昨日少し寝苦しくなかった?だから脱いだんだけど、そのままだった…朝から良いのも見れたね〜」


軽口を叩きながらもそそくさと洗面所を出て行く妹を確認してタオルを新しいものに変えた。

こういうルーティンを崩くずすと嫌な事が起きることが多い…ほら、やっぱり。


視界の端に黒い影が映る。その影は徐々に大きく視界を支配していく…



パン!



両手で音を立てれば黒い影はもう無い。小さい頃からずっとだ。所謂いわゆる心霊体験もないがこの影を見ると1日が憂鬱ゆううつな気分になる。朝から何度目かのため息を吐きつつ顔を洗い洗面所を出ると制服姿の妹が不思議そうな顔でこちらを見ている。


「なんだよ?僕の顔に何かついてるのか?」

「おにい…また?最近多いよね?大丈夫?」


影が見える事は家族が皆知っていて疑う事もなく心配してくれる。いや本当は…


「ああ、別に実害があるわけじゃ無いからな、少し気分がすぐれないくらいだ。…悪いな心配かけて」

妹は太陽の様な笑顔を浮かべ

「いいよ。兄妹きょうだいじゃん!先行くからお兄も支度して降りて来てね」

足取りも軽く階段を降りていった。


本当は気味悪がっているんじゃないか?本当は僕の事を嫌っているんじゃないか?本当はこの家の子供じゃないのか?


………

……


ダメだ…悪い様に考えだすとキリが無い。部屋に戻り制服に着替え階段を降りていく。リビングの戸を開けると父と妹はすでに朝食を食べ始めており、母は僕に気づくと席を立ち朝食を準備してくれた。


「おはよう。かえでから聞いたが今日もか?最近多いな」

「おはよう。大丈夫?無理しなくていいのよ?辛かったら学校休む?」


気分が優れないだけで体調が悪い分けじゃ無い。父と母の心配もありがたいが…

「おはよう…大丈夫だよ。今日から新学期だしクラス分けもあるから休むと友達作りに失敗するから」


我ながら言い訳みたいだ。僕に親しい友人がいないのはきっと家族全員が知っていることなのに…


「なら一緒に行こうよ!どうせ同じなんだから」

「妹と一緒にか?冗談はやめてくれ。恥ずかしいじゃないか」

「そうかな?別に普通じゃない?あ!もしかして照れてるの?」

「妹相手に照れるかよ…」


「なら私も駅までは一緒に行こうか」


父の発言に皆の時間が止まる。普段は冗談を言わないがたまに物凄ものすごいものを落として行く父…


「やめてくれ」「絶対嫌」「いい歳して恥ずかしい事しないで」


三者三様に責められた父は肩を落とし「先に出る」とボソッと言い残し家を出ていった。


「慣れない事言うから…でも、少しだけ顔色が良くなったわね。帰ってきたらお父さんにお礼、言いなさいよ?」

母は苦笑いで後片付けを始める。そういえば少しだけ気分が良くなった気がする。朝食はシリアルにヨーグルトと軽いものが我が家の主流だった。体重を気にしだした妹からダイエットには家族全員の協力が必須と数年前からの光景。父も僕も小食なので文句は言わないが…少し物足りないのも事実だ。


僕らが通う東栄とうえい高校は二つ隣の市にあり電車で三十分程かかるが乗り換えもないし、ラッシュもあまり無いので通いやすい。更に進学校としても有名なので勉強は大変だが、それなりに充実はしている。僕は外部生として高校入試で入ったが、妹は内部生なので余程よほどの事がなければ普通に進級できる、所謂いわゆるエスカレーター式。

小学校で受験を経験するなんて僕には出来ない芸当だったが妹は難なくこなして来た。元々時頭じあたまが良いのだろう、スケジュールの立て方が完璧で周りがあたふたしていた時期にも、のほほんと遊びにも行く余裕があった。


「でもお兄が東栄ウチを受けるって聞いた時はビックリしたよ。てっきり別の高校行くと思ってたもん。まあ私は嬉しいけど」

特段妹と一緒に行かない理由もなく、こうして一緒に行っているのだが今日はやたらと話しかけてくるな。

黒いあのけんで気を使ってくれているのはわかる。


「何でお前が嬉しいんだ?東栄には珍しくスクールカウンセラーがいるからな。僕の体質改善が出来るんじゃないかと思ったからだ。まあ当てが外れたんだけど…お前は逆に迷惑じゃないのか?」


僕が入学してまもなくスクールカウンセラーに相談をしに行った事がある。だがまともに相手にされず精神病院を紹介された。その際の話を他の生徒にしたらしく僕が重度の厨二病ちゅうにびょう患者という噂が流れ、あっという間に広まった。当然、れ物扱いで、まともな友人もおらず彼女なんてできる訳もなかった。妹は中等部で噂も聞いているだろうし、色々聞かれているだろうから嫌がると思っていたが。



「色々聞かれたけど、別に気にしてないよ?お兄がつらいのは良くわかっているから…良い妹を持ってお兄は幸せだね」

「誰が…いや…でも…ありがとう」

「ちょ、いきなりマジにならないでよ。こっちが恥ずかしいじゃん」


何となく次に続く言葉が見つからず駅へと歩いていると曲がり角から女子生徒が声をかけてきた。


「おーい楓!一緒に行こうよ」


どうやら同級生の様だ。妹は不安そうにこちらを見上げる。


「行ってこいよ。一人でも大丈夫だ」

「お兄…ありがと!」


「おーい!みっちゃん!おっはよー」

そう言って駆け出す妹を見ながら少しゆっくり歩いていく。近くを歩いても迷惑だろうしなるべく距離を取る。また少し憂鬱ゆううつになってきた…エスカレーター式とはいえ妹にとっては高校生活のスタートだ。変な噂がある兄と一緒だと妹まで奇怪きかいな目で見られてしまう。ただでさえ迷惑をかけているのだ、成績優秀な妹の評判を落とすこと、それだけは避けたい…そんな事を考えていたら「また」視界の端に黒い影が現れた。目をきつくつぶっても開ければそこにある。頭を振っても同様だ。少し道をはずれ誰もいない事を確認する。


パン!


両手を合わせ、影を消そうとするが……


「??消えない…」


パン!

パン!


ダメだ…何度やっても消えるどころか益々ますます影が大きくなってくる…

「何だよ!消えろ!消えろ!何で僕なんだ!僕が何をした!クソッ!消えろって言ってるんだ!」

何度手を叩いても消えない。もう…視界の半分以上が黒く染まってしまった。今まではこんな事もなかったのに…


「クソッ!消えろ!」


パン!

祈る様な気持ちで手を叩いてもやはり消えそうにない…何だよこれ

僕はどうなるんだろう、死ぬのかな?死ぬってこんなものか?何が何だかわからないまま死ぬのかな?

何だか泣けてくる…


すると後ろから透き通る様な、それでいてハッキリとした声が聞こえた。


「落ち着きなさい、大丈夫。落ち着いて呼吸を整えて…そう…そのまま…少し痛いけど我慢しなさいね?」

「え…痛い?」


「********」


聞き取れない…というか聞いたこともない言葉の後に背中に物凄ものすごい衝撃を受けた様な感じがしたが、多少の痛みだけで特に何事もない様子だ。

「もう大丈夫、さあ目を開けられる?」


恐る恐る目を開けると視界は元に戻っており黒い影は見えない。いつも見ている風景だ。


「あ…あの…ありが…と…う…」

振り返りお礼を言おうとすると、そこには見た目は同じ高校の制服だが顔や手足が黒く変色している人間が立っていた。


「…う…うわああああ!」

脱兎だっとの如ごとく逃げ出した。何だあれ!幽霊?いや、それよりも…化け物?こんな昼間に?


「はあっはあっはあっ…何だよあれ?なんなんだよ」

ようやく駅に着き呼吸を整えながら電車を待っていると、また後ろから声をかけられた。


「ねえ?どうしたの?」

「うわっ!」

そこにはとても驚いた様子の妹が眉を潜めていた。

「…何だよ…驚かさないでくれ…」

「ちょ、ちょっと、驚かさないでは私のセリフ。どうしたの?急に居なくなったと思ったら全速力で走ってきて、本当に大丈夫?」


妹も周りの人達も普通に見えるが妹の友人の視線が刺さる様に痛い。大きく息を吸って吐く。


「大丈夫だ。悪いな、友達との時間を邪魔したみたいだ、僕は向こうへ行くから…」


そう言って少し離れたところで電車を待っていると直ぐに到着し扉が開く。運良く空いていたドア横に寄りかかり流れる景色を見ていると、スマホからポンッと機械音が流れた。


誰かからのメッセージが来たようだ。開いてみれば妹からだった。

『ホンットに大丈夫?辛いなら早退しなよ?  気の利く楓ちゃんより』

『大丈夫だよ。悪いな心配かけて 情けない兄より』


ふと外をみれば道路脇を走っているようだった。道路に誰かが立っている…まさか…さっきの速度の差で一瞬しか見えなかったが、まさかね…



駅に到着するころには呼吸も元に戻りなるべく目立たないようにゆっくりと電車を降りる。

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