第37話 消沈! 光亜麗先輩の悲しき過去!

 人気のない裏庭で俺と光亜麗先輩は手を伸ばせば届く位置に並んで座っている。


「去年の春ですわ。掃除が終わって教室に戻ると、体育で使った水着が無くなっていましたの」


 光亜麗先輩がぽつぽつと語るのを、時折「うん」と相づちを打ちながら聞く。


「更衣室に忘れたのかと思って探してみても、見つかりませんの。先生に相談したら、不祥事にしたくないから表沙汰にするなと仰って、私に水着の代金を渡そうとしたのよ。教師は頼りにならない。かといって、クラスメイトを手当たり次第に疑うわけにもいかない。私、困ってしまいましたの」


 吹っ切れたような苦笑だった。

 ストレスを少しでも発散できたのなら、先ほどの暴走は良かったのかもしれない。


「打つ手無しだった私に手を差し伸べてくれたのが、偶然、職員室に居合わせた卑弥呼先輩でしたの。妾に任せろと仰った卑弥呼先輩は、教師よりも頼もしく思えましたわ。先輩は、学園の裏口からこっそりと帰宅しようとする不審な男子生徒を捕まえ、水着を取り返してくれましたの」


「水着を盗られたのって、相当ショックだったんじゃないですか?」


 周囲の芝生には、未だ微かに黄金の雫が残っている。


 ゴールド・ドリルゴンを生みだすほどの激情は、無から生まれたわけではない。

 先輩の心の奥底に眠っていたのだ。そう簡単に消えはしないのだろう。


「ええ、今でも下品な男子を目にすると、嫌悪感が込み上げてくるほどですわ。怖くて、悔しくて、情けなくて、眠れない夜もありますわ。でも、そんなときは卑弥呼先輩が優しく……。何でもありません」


 先輩は顔を赤くしてそっぽを向くと、無理やり話題を閉じてしまった。続きを聞いても、知りませんと、つれない態度が帰ってくる。


「私の水着を盗んだ生徒は文化部でしたわ。犯人は写真部で、水泳部の盗撮もしていましたのよ。文化部を恨むのは見当違いなのかしら。帰宅などせずに運動で汗を流せば、異性の水着を盗みたいなんて邪な考えは、発散できるはずですわ」


「光亜麗先輩の考えは正しいと思います。水着を盗られたら、犯人や、怪しい人達全員を恨んでしまうのは、しょうがないと思います。でも、さっきの高山先輩みたいに、普段は真面目に部活していて、たまに、どうしても帰りたくなる人だっています」


 俺が反論しても先輩は嫌そうな顔をせず、微笑み返し、俺に手を重ねてきた。


「事情のある方が帰るのは何の問題もありませんわ。勘違いしているといけないので教えてあげます。我々が取り締まる相手は、学園生活や部活にストレスや不満を感じている相手に限定しているのですわよ」


「え?」


「美月さんも、学園生活を楽しんでいないでしょう? 紅様もどこか不満を抱えているような素振りです。いえ、不満とは違うのかしら。なんだか焦っているような、怯えているような感じです」


「あ、いや、俺は……」


 俺は明るく振る舞ってきたはずだけど、もしかして、過去の失敗を引きずっていることを、先輩には見抜かれていた?


「我々は、貴方達のような生徒に学園生活の楽しさを教えるために活動しているのです。コンピュータ研究部の彼は、スクール水着が付録に付いたいかがわしい雑誌を買うために帰ると仰っていましたわ。彼みたいな人は、体を動かしてすっきりした方が良いと思いません?」


「確かに……」


 先輩が能力を暴走させるまでに激昂した理由がやっと分かった。


 帰宅するだけなら、校舎を破壊しかねないほどの暴走はしなかったはずだ。


 スクール水着を盗まれた人の前で、スク水が付録の雑誌を買うために部活をサボるなんて言ったら、怒って当然だ。


 俺も、氷上にスク水を着せて悪戯するみたいなこと言っちゃったし……。

 というか俺の発言の後に暴走したっぽいから、俺が原因じゃねえか!


 俺は先輩に頭を下げる。


「ごめんなさい。俺、馬鹿だから先輩を傷つけることを言っちゃいました。俺、心が弱いから、もし、光亜麗先輩の脱ぎたて水着があったら、いけないことだと分かっていたとしても、理性を保っていられるか分からない」


「くんかくんか?」


「します……」


「ペロペロ?」


「したい……」


「最低ですわ」


 怒るでもなく軽蔑するでもなく、拗ねたように唇を尖らせた。


 そよ風が吹いて、金色の髪をふわふわと揺らしている。


「初めて出会ったとき私を助けてくれたのは、下心からなんですの?」


 真横からじっと見つめられてしまい、照れた俺は視線を反対側に逃がそうとするが、先輩が頬を丸くして迫ってきたから、つい逃げそびれてしまった。


「正直に答えてください」


「心配して助けました。下心は三割……いや、二割くらい」


「冗談でも良いから下心は無かったと仰ってください」


 先輩が俺の鼻先を指ではじくと、立ち上がる。


 俺はすぐ隣にいるから、下着が見えてしまうかもしれない。


 見上げる誘惑にかられたけど、我慢して目を閉じ、立ち上がる。


「私は部活に行きますわ。紅様はどうなされます? 帰るのでしたら、取り締まりますわよ」


「アメフト部とか柔道部とかに連れて行かれて、汗まみれの靴下ですか?」


「あら。紅様は男性の汗まみれの靴下に興味がおありですの?」


 先輩は人差し指を頬に当てて首をかしげる。


「ない。断じて、ないです」


「そう。でしたら、私の取り締まりは……。紅様が部活終了時刻まで帰ってしまわないように、プールに閉じこめてしまいますわ。紅様、水着を持っていないでしょう? 気持ちよく泳ぐ私をプールサイドで眺めるだけの辛い罰ですわ」


「帰らせていただきます」


「えいっ。取り締まり」


 先輩が俺の手首を、ふわっと握る。

 柔らかくて暖かくて、とても小さな手だった。


 先輩の子供っぽい笑顔が近づいて、グレープフルーツのような爽やかな匂いがほんのりと漂ってくる。


 ぽかぽかと顔が熱くなってきた。

 俺の熱が伝わったのか、先輩は顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。

 

 でも、手首は握ったままだ。


「帰宅しようとした罪で、連行いたしますわ」


 先輩がはにかみ、ゆっくりと歩きだす。


 俺は手がほどけてしまわないように歩調を合わせた。


 何か変だ。


 嬉しいときの心臓の高鳴りと、何かが違う。


 風邪をひいたみたいに胸や顔が熱くて、先輩の方を見られない。


 なんだこれ。先輩と一緒に居ると、体の中心が燃えるように暑くなってくる。


 俺が火照った顔を逸らすために、視線を遠くに逃がすと、不意に校舎棟の角に人影が見えた。


「ん?」


「どうかいたしました?」


「いま、あっち、誰かいませんでした?」


「気のせいですわ。北館の裏側には部室棟はありませんし、来る生徒なんていませんわ」


「そっか。見間違いか」


 いくら何でも、氷上が嫉妬してこっそり覗いていたなんていう可愛いことをしてくれるはずはないから、やはり気のせいだろう。


「――いたしますわ」


「え?」


「ですから、先日の、お付き合いしてほしいという申し込み、うやむやになっていましたけど、正式にお受けいたしますわ」


「ま、まじですか!」


「まじ、ですわよ。紅様の学園生活を彩るヒロインの一人になって差し上げますわ。私と紅様とでは、彼女という言葉の認識がずれているようですから、お試し期間ですわ。ですが、いずれ私が本気になったら、彼女という言葉の重さを知ることになりますわよ」


「是非、お願いします」


「本当に分かっていますの? 私の独り相撲にならないかしら」


 俺達は手を繋いだまま、プールに向かう。


 光亜麗先輩の泳ぐ姿はとても綺麗だった。

 躍動する芸術作品を目の当たりにして、触りたくなるのを我慢するのが辛かった。


 冗談かと思っていたけど、結果的に眺めるだけの罰になってしまった。

 でも、プールから出た直後の光亜麗先輩の水着から水が滴り落ちる様子をじっくり、記憶に刻めたのだから、やっぱ、ご褒美だ。


 俺の青春ラブコメ生活、恐ろしいほどに順調だ。

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