第32話 和解! 俺は氷上に利用された!

「入学式だから、先週の木曜日かな。眼鏡をかけた生徒が帰宅部取締委員会に捕まったのを知っているかな。彼もコンピュータ研究部なんだよ」


「見ました。アメフト部員の汗が染みついた靴下を顔に押し当てられて……。思いだしただけでも体が震えてきます。光亜麗先輩のソックスだったらご褒美なのに」


「いや、ソックスが、ご褒美だなんて、考えが、浅はか。ケアしていると、意外と、匂わない。多分、水泳部、スキンケア、完璧。ご褒美、言うなら、休日に、ロングブーツを履かせて、一日中、歩き回らせるべき」


「ひ、氷上、なんて恐ろしい子!」


 足。足の匂いか……。

 あり……かもしれない。

 想像するだけで嗅ぎたくなって、変態な趣味に目覚めてしまいそうだ。


 光亜麗先輩は未だ過去に経験したラブレターにまつわるトラウマから立ち直れていないらしく、少し離れた位置で、ぶつぶつと芝生を抜いて、風に流して遊んでいる。


 男のパンチラに興奮してしまった俺よりも、とばっちりを喰らった先輩の方がダメージが大きいようだ。


 靴を盗られたことがある先輩にブーツの匂いを嗅がせてくれとは、さすがの俺にも言えない。


「いや、待てよ……。縞パンの魅力を理解できない氷上が、何で、ブーツの匂いなんてマニアックな魅力に気付けるんだ?」


「共感と、理解は、別。私は、縞パンの魅力に、共感、してない。だけど、理解は、してる」


 氷上がニヤリと笑い、「話、逸れてる」と軌道修正を促した。


 高山先輩は軽く咳払いをしてから、話を再開する。


「君達が帰宅するとき、ボクも校門の近くにいたんだよ。木曜日はマジカル・リリルンの発売日なんだ。ボクも早く帰って遊びたかったんだよ」


「先輩、部活は?」


「その質問はナンセンスだよ。もちろん、ボクは部活が大好きだよ。九重学園の部活支援制度は優秀だからね。文化部の、しかもコンピュータ研究部にまで毎月ギャルゲーを買えるだけの部費をくれるんだ。でもね、好きなメーカーの新作発売日なんだぜ。自分のお小遣いで買って、早く帰って遊びたいと思うのが、ファンだろう。もちろん、送り先を学校にしてAmezonuに注文したさ。けど、お急ぎ便で頼んでも届くのは発売日の翌日なんだ。待てるかい。待てないだろ。だったらメーカーの限定版を通販で予約して、ショップ限定版を実店舗で買うのは当然だろ?」


「先輩、顔が近いです。女の子の顔でアップは止めてください! 何かバニラみたいな甘い匂いするし、悔しいけどドキドキしちゃうんですよ!」


「ちゅっちゅ! ちゅっちゅ!」


「おい光ったぞ。氷上、なぜスマホをこっちに向けてる!」


「性別偽装の、倒錯した、愛の形……!」


 俺は肩を押して先輩から距離を取る。

 肩幅が狭いせいで、女の子を押しのけているような気がして、ますます変な気分になってしまう。


「ゲームしたければ、学校、休め」


「奨学金を貰っているから、あまり休めないんだよ。コンピュータ技術特待生ってやつね」


「ほう。特待生……。パソコン、詳しい?」


「うん。ギャルゲーばかりやっているとはいえ、コンピュータ部だからね。パソコンでトラブったら気軽に相談してよ」


「壊れた、ノートから、復旧、したい、データ、ある」


「OK。いつでも持ってきなよ。その代わりと言ってはなんだけど、君達に夢を託させてくれ」


「水取を、好きなだけ、使って」


 何故か高山先輩と氷上との間に、俺を交渉材料にした契約が成立している。


「いや、まあ、彼女の頼みなら断れないな。俺は氷上にべた惚れだから」


「えへ。水取、大好き」


「媚びてまで復旧したいデータって何だよ!」


 俺の追及から逃げるように、氷上はぷいっと顔を背けた。


 高山先輩が俺達を見てくすくすと笑っている。


 素の仕草なんだろうけど、あまり男っぽくない。

 本当に男なの? 未だに女の子にしか見えないんだけど……。


「九重学園の生徒全員が毎日部活に励みたいわけじゃないんだ。たまには、個人的な理由で帰りたくなるときがある。だから、ボクは君達みたいな帰宅部を嬉しく思う。是非、頑張ってくれ。そして、何時の日か――」


 高山先輩が俺の目をじっと覗き込んでくる。


 真剣さが分かるから、女性の顔が迫ってきても俺はドキドキしなかった。


 先輩が伝えようとする一言を、心して聞く。


「発売日にエロゲを買ってきてくれ」


「エ、エ、エロ、エロゲ! 無理です!」


「君なら出来る!」


「水取なら、やれる!」


「何で氷上まで自信たっぷりなんだよ!」


「ありがとう帰宅部。君達の活躍に期待するよ。早速だけど、今日、君達が校門を突破したら一緒に帰らせてもらうよ。元気モエモエ五月号に、リリルンのスク水が付くからね。これは、鑑賞、保存、布教、着用の四冊買いマストだよ」


 高山先輩がむふーっと鼻の下を伸ばしている。


 氷上も「HDD、明日、持ってくる」むはーっと鼻息を荒くしている。


 二人の相性は予想だなあと、俺が呆れていると、背後に妙な気配を感じた。


「帰……る……?」


 一瞬、誰の声か分からなかった。


 三人で会話していたから、裏庭にもう一人いたことを失念していた。


 いや、仮に彼女を意識していたとしても、底冷えするような声音からは、別人のような印象を受けてしまい、誰か気づけなかったかもしれない。


「帰ると、仰いましたわね? うふっ、うふふっ。カエル、ぴょこぴょこ、カテリーナ」


 光亜麗先輩が、洞穴の奥から漂う冷気のように、ゆるりゆっくり、ゆらりと立ち上がる。


 すっかり忘れていたけど、光亜麗先輩の前で「帰る」は禁句だった!


「九重学園帰宅部取締委員会四天王、水の天堂院光亜麗! 取り締まりいたしますわ!」


 裂帛の名乗りは冷気をかき消し、地に太陽が生まれたかのような光が溢れる。


 光亜麗先輩のドリルが高速回転。

 黄金の粒子を放ち始めた。

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