第33話 浸水! 世界はプールに沈むのか!

 俺は我が目を疑った。


 北館の裏庭に、黄金に染まる海が現れたのだ。


 いや、海ではない。


 あたりに充満しているのは、潮の香りではなく、塩素の匂い。


 プールだ!


 あたり一面が、黄金のプールになった!


 水かさは浅く、俺の膝までが沈むくらいだ。


 でも、まるで幻のように、水の抵抗はない。


 輝くプールの中央では、光亜麗先輩のドリルが回転し、パイプオルガンのような重厚な音色を奏で、轟々と大気を振るわせている。


「帰宅部は、取り締まりですわ!」


 光亜麗先輩が高山先輩に向けて、優雅に腕を振り上げる。


「縞パン先輩、逃げ――」


「うわああっ!」


 警告したが手遅れだった。


 高山先輩の体が横へ吹っ飛び、飛び石のように黄金の水面を何度か跳ね、沈んでいった。


「水取、何してる。早く、逃げ。くっ!」


 トンファーを取りだした氷上の眼前で、何かが砕け、白い霧が生まれた。


 光亜麗先輩の得意技、クォリンの弾丸だ。


「私の、棒は、玉になど、負けない」


 氷上がトンファーを回転させると、円形の衝撃波が発生し、先輩を襲う。


 ちょっと待って、何その技!

 氷上さん、遠距離攻撃も出来るんだ。


「甘いですわ!」


 先輩を包むように水がせり上がって壁になり、命中する寸前の衝撃波を防いだ。


 どうやら黄金のプールは先輩の意思で実体化したり幻になったりするようだ。


「いくら美月さんの攻撃がタルトやマドレーヌのように甘くても、水泳で鍛えた私の完璧なプロポーションは崩せませんわよ」


 先輩は細い腰に手を当て、寸胴体型の氷上に向かって挑発的な笑みを浮かべる。


 何かバトルが激化しそうな気配。止めなければ!


「光亜麗先輩、落ち着いてください。帰宅しようとしていた縞パン先輩は、もう気絶しています。氷上と戦う必要なんてないんです」


「美月さんは帰宅部ですわ。取り締まり対象です」


 焦る俺を尻目に、氷上が黄金の水面を切り裂くように先輩の周囲を高速で駆けだす。

 輝く波しぶきの中で、氷上は左右のトンファーを構える。


「右の『だらしない剛直ティーディーエヌ』、左の『歪み無き聖剣ヘリントン』」


 右のトンファーからは高速のかまいたち、左のトンファーからは低速の竜巻という二つの技が先輩目がけて空を裂いた。


「無駄ですわ。その程度の風では、水面に波を起こすことは出来ても、割ることは不可能ですわ」


 先輩の言うとおり、かまいたちや竜巻は、水壁の表面をかすかに削るだけだ。水壁の裂け目はすぐに元に戻ってしまう。


 しかし、氷上は攻撃を防がれたのに、気にした様子がない。


「私の剛直と聖剣を、あまり、舐めない方が良い……。いや、むしろ、舐めろ」


 氷上は先輩の死角を探すかのように、周囲を円軌道で動き続け、次々と中距離攻撃を放つ。


 だが、ことごとく水のバリアがトンファー波を防ぐ。


「水でも被って反省なさい!」


 先輩が水の弾丸を繰りだし、氷上を大きく弾き飛ばした。

 バケツをぶちまけたような水量をトンファーで防ぐことは出来ない。


 氷上は水面を転がる勢いを殺さずに後転し、立ち上がり、トンファーを体の前で十字に組む。


「くくくっ。流れる水とは、厄介な。たとえ、陽の光を克服しようとも、これだけは、慣れん。よくぞ、我の弱点を、見破った」


 氷上まで好戦的になり、意味不明なことを口走っている。


 ああ、もうやけだ。二人が怪我をしないためには、互角の戦いをしてもらうしかない。


 バトルの解説役あらため、天秤の護り手になり、戦闘のバランスを調整してやる。


「氷上! 先輩の隙を突こうとするな。それは罠だ! お前がどれだけ速く動いても、先輩は黄金のプールに広がる波紋で、お前の動きを読んでいる。このプール、ほとんど抵抗はないけど、表面だけは実体だ。複雑な動きで波紋を乱せ! 直角に近い進路変更でも速度がほとんど落ちないのが、お前の強みだ!」


「水取の、くせに!」


 俺からアドバイスを受けるのは不服なようだが、氷上は指示通りにしてくれた。

 先程までの竜巻のような突進からうってかわり、氷上はイナズマのように鋭角な動きで疾走する。


 対する光亜麗先輩のこめかみに汗が一滴浮かび上がる。


「さすがは紅様。的確なアドバイスですわ。ですが、メガネザルさんの味方をするなんて酷いですわ!」


「ご、ごめんなさい」


 実際のところ、俺は氷上に協力して帰宅すればいいのか、光亜麗先輩に従って部活見学に行けばいいのか、どちらが正しいのか分からない。


 つまり、どちらの味方になるのか決めかねている状態だ。

 情けないけど、どっちが負けてもかわいそうだし、出来れば互角の戦いをした後に、引き分けてほしい。


 だから俺は、不利な方の味方だ。

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