第20話 絶望! 最強の男を前にして俺達は手も足も出ない!

 かつてない緊迫感が漂ってきて、喉が渇いてくる。


 水が欲しくなった俺が、ごくりと喉を鳴らしたとき、背後の学校側から「お待ちになって」という声がした。


 第三者の声が戦いの火ぶたを切る。


 腰を落とした氷上のお尻をちらちら見ていた俺は、出遅れる。


 氷上が地を這うように低く駆けだした。


 時折フェイントのように進行方向を変えている。

 さながら黒い稲妻だ。


 水戸先輩は軽く腰を落とすと、両腕を斜め前方に広げて、どっしりと待ち構えている。


「うっ!」


 二人の距離は未だ三メートルは離れているというのに、突然、氷上が呻いて、体を硬直させた。


 さらに、あろうことか走っている勢いのまま、受け身すら取らずに転倒してしまった。先輩に近づくことすら出来なかったのだ。


「氷上!」


 硬直する寸前、氷上は目を限界まで見開いて、鼻血を噴きだしていた。


 まずい。

 何がまずいかって、氷上が鼻血を噴くところが見えたのに、水戸先輩の攻撃が見えなかったことだ。


 さっき俺は氷上を護るために『誰かの願いを叶える』自分の異能力をこっそりと使っていた。

 そして「敵の意思と見ているもの」を知りたいという俺の願いは叶った。


 万が一、氷上が怪我をしそうになったら、即座に助けるためだ。


 俺はミドガル先輩の行動を見極めようと、視界と思考を覗いた。

 だから、俺は背後に居ながら、氷上が鼻血を噴くところを目撃した。


 だけど、水戸先輩に攻撃の意志は無かった。


 考え得る理由はただ一つ。


 水戸先輩は、攻撃の意志を相手に悟らせることなく戦える達人だ。

 俺が組織の任務で死闘を演じた危険な能力者達の中にさえ、ごく僅かに見かけたくらいだ。


 ヤバい。ミドガル先輩は、もしかしたら、俺が今まで出会った異能力者の中で最強かもしれない。


「氷上! 待ってろ、すぐに助ける」


「お待ちになって、紅様!」


「氷上を放っておくわけにはいきませんよ!」


 戦いの幕を開ける切っ掛けになった声は、光亜麗先輩だった。


 すぐ側までやってきた先輩の制止を振り切って、俺はまっすぐ氷上に駆け寄る。


 戦場の中心地に近づくにつれて、俺は全身を包む空気に違和感を抱いた。肌を突き刺すような空気。何だこれは。


「うっ……。こ、これが、氷上が喰らった正体不明の攻撃か……!」


 鼻の奥にヤスリで擦ったような熱が生まれた。


 目までヒリヒリと痛みだして、勝手に涙が溢れてくる。


 毒ガスの類かもしれない。一刻も早く助けなければ、氷上の命が危険だ。


 最悪だ。

 攻防一体で全周囲を対象にした不可視の技なんて、完全に俺の天敵だ。


 俺は濡れた視界で氷上を探り当てると、小さな体を持ち上げ、脇に頭を通す。

 氷上と密着できるのを嬉しがる余裕はない。


 謎の攻撃でダメージを負った俺には、氷上の体はあまりにも重かった。


 こんな時に殺戮のミ……ガル先輩に襲われたひとたまりもないぞ。


「何とかして氷上だけでも、助けないと……ん? 急に体が軽くなった」


 俺の足下で何かが爆ぜ、鼻や目の痛みが和らいだ。


「紅様、急いで!」


「あ、ああ」


 光亜麗先輩が何かしてくれたらしい。


 俺は氷上の体を支えたまま、震える足で光亜麗先輩のもとに向かう。


 僅か数メートルで俺は疲労困憊してしまった。


 光亜麗先輩の姿を視界いっぱいにして匂いを嗅いで、せめて、謎のガス攻撃で磨耗してしまった精神くらいは癒したい。


「あ、下、穿いたんですか……。綺麗な脚を隠すなんて勿体ない……」


「命知らずにも程があります。水戸先輩に挑むなんて、無謀ですわ」


「ありがとうございます。先輩が何かして助けてくれたんですよね。おい氷上。無事か?」


「がはっ、ごほっ……。し、死ぬかと思った」


 氷上は息を吹き返すと俺の支えから離れたが、生まれたての子鹿みたいにぷるぷるしてる。


「くそっ、いったい奴はどうやって氷上や俺に攻撃したんだ……!」


「え? あんな、分かりやすいのに、水取、気付いていない?」


「攻撃ではないから、却って気付きにくいのかしら?」


 髪の毛ぼさぼさ少女と金髪ドリルの美少女が、同じ仕草で首をかしげている。


 どういうことだ?

 分かりやすい? 攻撃ではない?


 ミドガル先輩はいったい何をしたんだ。

 俺は先輩の様子を窺う。しかし、先輩は戦闘態勢を解除したものの、ただ立っているだけだ。何かしらの武器を使った様子もない。


「天堂院よ、貴様、そこで何をしておる。取り締まりの邪魔をするつもりか!」


「水戸先輩、お待ちください。彼らが校門を突破したのは私の失態。私が責任を持って取り締まりいたしますわ!」


「無用。我が取り締まる」


「くっ……」


 二人のやりとりを聞く限り、四天王の中にも上下関係はあるようだ。


「紅様、私……私」


 先輩は辛そうに目を伏せてしまう。


 立場上、俺達に力を貸すわけにはいかないのにも拘わらず、先輩は葛藤してくれている。


 優しい光亜麗先輩だからこそ、迷惑はかけたくない。


「ありがとうございます先輩。氷上、次は俺も行く。一度くらい、俺に頼れ」


「最初から、そのつもり。もともと、何かに、使えるかと、思って、入学式の後、声かけた。盾くらいには、なれ……」


「何で出会いを懐かしむような遠い目をしているんだよ。死亡フラグよりも、勝利フラグを立てろよ!」


「分かった……。肛門、突破したら、私、花屋で、菊や薔薇を売る……」


「それも死亡フラグ! あと、商品が偏ってる!」


 氷上が走りだしたから、俺も続く。

 ミドガル先輩の踵付近に置かれた木の枝のラインを越えさえすれば俺達の勝利だ。

 肉弾戦では不利でも、二人同時に仕掛ければ勝機は有るはず。

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