第12話 交際! 水取と光亜麗先輩、カップル成立!

「そうですわね。私が芸術作品のように見る者の心を奪うというのは事実ですわ。で、ですが、あの、近すぎませんか、さっきから吐息がずっと当たっていて、くすぐったいですわ」


「ええーっ。今の会話中、ずっと太もも見てるって……」


「触っても良いですか?」


「えっ?」


 先輩がびくっとして、内ももがぷるんっと震えると、水滴がつつーっと内腿を流れていった。

 俺の喉が鳴ってしまったのは、けしてエロいことを考えたわけではない。


「女神の祝福水を飲めば、さっきの怪我も治るはず。ああ、無性に、喉が、渇いた……」


 顔が勝手に先輩の太ももへと近づいていく!


「死ね」


「痛ッ!」


 後頭部に固い痛みが走った。

 連続して何度も、ガッガッと、殴ってくる。


「痛いッ、痛いって、缶ペンケースかよ! 凶器反対!」


 振り返ると、立ち上がった氷上が缶ペンケースを振り下ろしていた。


「私、未だ、コンパス、出していない。優しい」


「嘘だ! 優しい人は殴ったりしないはずだ! しかも、たんこぶになっているところを狙うって、どういうことだよ!」


 俺は片手で頭を庇いつつ、這うようにして逃げる。


「お止めになって!」


 光亜麗先輩が仲裁に入ってくれた。


 先輩は地に膝を突き、俺の頭を抱えるようにしてくれている。


 胸が目の前にある。

 良かったな氷上。胸の大きさは、女神といい勝負だぞ。


「ええーっ。何故、その変態を庇う……」


「紅様は先ほど、私を助けてくれた恩人です」


「紅様て……」


「恩人が酷い目に遭っているのを放っておけません」


「そうだそうだー!」


「水取、調子、乗んな」


「ひっ」


 前髪で覆われた闇の中から邪悪な瞳が睨み付けてきた。


 怖ええ。階段を踏み外した瞬間みたいに、お尻がきゅんきゅん疼く。


「貴方、氷上美月さんでしたわよね」


 何やら背筋がひやりとしたのは、先輩の声音が低い温度になっていたからだろうか。


 先輩は氷上の真っ正面に立つと、手の甲側で肩口の髪を払いあげた。


 ふたりが立って並んでみると、お尻の位置がだん違いだ。

 氷上のおへそのあたりで、先輩のきゅっとしたお尻が陽を浴びて艶めいている。


「随分と紅様に暴力的なようですが、貴方、いったい紅様の何なんですか」


「べ、別に、何でも……」


 美人に睨まれて声が出ないのか、氷上は俯いて黙り込んでしまった。

 しょうがない。助け船を出してやるか。


「氷上は俺の彼女です」


「えっ、彼女?」


「ち、違う。単なる、クラスメイト」


 氷上は雨後の子犬みたいに、ぶるぶると顔を振ると、先輩を避けて俺の前にやってきた。


「水取、何故、立ちかけたフラグを、自ら折るような、真似を……」


「えっ、フラグ?」


 どんよりと肩を落とす先輩を横目に、氷上が囁く。


「客観的に見て、天堂院先輩は、水取に、好意を、抱いていた」


「えっ、マジで?」


 先輩の背中はとても寂しそうで、ドリルがしんなりと垂れている。


「怖かったとき、助けた。いわゆる、吊り橋効果。怖いのドキドキを、恋のドキドキと、勘違い。一目惚れした」


「おいおい。いくら何でも一目惚れなんて、漫画だけの話だろ?」


「……お前が言うな。先輩、美人すぎて、告白されたことない。付き合った経験、ない可能性、大」


 そんな都合のいいことが、あんな超絶美女神にあるのだろうか。


「私の危機を救ってくれた水取紅様のお名前とお顔は、忘れませんわ。素敵な彼女との楽しい学園生活を送られるよう、お祈りしておきます」


 先輩は、背を向けると自分の影とにらめっこするように俯いて、とぼとぼと去っていく。


 落胆している?

 え? 氷上の言うように、本当に俺に一目惚れしていた?


 そんなラブコメみたいな奇跡が起きていた?


 なら、俺の取るべき行動は一つ!


「光亜麗先輩、待ってください」


「……何ですの?」


「俺と付き合ってください」


「えっ」


 先輩が勢いよく振り返った。

 その瞳から流れ星のように光が散る。

 しかし、満天の星空のような輝きには、一瞬で雲が差し込む。


「あ、ふふ……。紅様、そのような仰りようでは、誤解してしまいますわ。保健室の場所が分からないから、連れて行ってほしいということですわよね。ええ、お付き合いいたします」


「いえ、保健室じゃなくて、恋人という意味でお付き合いしてください」


「はい。怪我をさせてしまった責任は取りますわ。お付き合いいた……え?」


 美の女神が時を奪われたかのように動きを止める。

 俺の隣でも、隈の濃い少女が硬直している。


 俺、何か驚かせるようなことを言っただろうか。

 ちゃんと言い直そう。


「光亜麗先輩みたいな綺麗な人、初めて見ました。是非、俺の彼女になってください」


「え?」


 俺の告白を反芻しているのか、先輩は暫く呆然としてから、碧い瞳を大きく見開く。


 ゆっくりと瞳が濡れだし、ぽろりと大粒の涙がこぼれる。


「は……はい!」


 先輩は顔を真っ赤にして両手で口を押さえた。

 よっしゃあ! 合意の返事! カップル成立!


「ええーっ。ええーっ。ええーっ?」


「どうしたんだよ、氷上」


 氷上は逃走寸前のザコ戦闘兵みたいに腰が引けた姿勢で、俺と先輩を何度も見比べている。


「いや、だって、カップル、成立? え? 何で? 水取、昨日、私に、一目惚れしたって、言ってなかった?」


「言ったよ。俺はお前に一目惚れしたよ」


「翌日に、天堂院先輩に、告白?」


「うん」


「ええーっ。わ、私、別に、水取の、彼女じゃないけど、ふ、ふられたの?」


「ふ、ふふ、美月さん! 捨てられた女は哀れね」


 先輩が涙をぬぐいながら、口元に笑みを浮かべる。


「紅様は私の美しさに骨抜きになってしまったようですわね。ええ、ええ。寛大な私は紅様が過去にメガネザルみたいな後輩と付き合っていたとしても、気にいたしませんわ」


「ええーっ。初対面の後輩に、メガネザルって……」


 先輩が元気になり、俺の前にやってくると、氷上が俺の後ろにこそこそと隠れた。


「つ、つきあって、ないのに、ふ、ふられた……」


「えっ、氷上をふるわけないじゃん。氷上は俺の彼女だよ」


「えっ?」


「えっ?」


 あれ、女性陣二名を包む空気が一瞬で、冷たくなったぞ。


 何処からともなくピシリという、凍った水面にひびが入ったような音が聞こえる。

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