第12話後編二

 俺は光の無い漆黒の闇の中を走り抜ける。何も無い空間を肉体で切り裂きながら、ただ、からだにまとわりつく空気のうねりを感じ続けている。酸素濃度の低下した血流が、空気の渦を感じる全身で脈動を続ける。


 あぁ、頭が痛い。まだアルコールが抜けきらない俺の脳は、まるで起きぬけのように思考がまとまらない。いつもこうだ、ずっとそうだ――。


 今は何年何月の何日何曜日だ? もう幾つ寝るとお正月で、何日二度寝すると夏休みで、いつまで休めばクリスマスだ? わからない。なんでわかないのか、このポンコツめ! そんなことくらいわからなくてどうする。世の中の一般ピープルはそんなこと考えなくても先刻ご承知だ! 一般ピープルは――一般ピープルは――すげぇなぁ。





 俺は知らない路地を抜け、知らない電柱を曲がり、知らないブロック塀にタッチしてからだを弾き、知らないうちに俺の住まいであるところの、築三十五年のボロアパートの鉄製階段を駆け上がってゆく。

 

 音をたてないよう、抜き足差し足忍者足に足が勝手に調整して、深夜のご近所の皆さまの安眠に忖度し、劣等感を騙し騙し、自分の寝床に、なつかしく心地よい俺のせんべい布団の中へ向け、不穏な空気の中をただひたすらに漂い進んでゆく。




 

 俺は、常夜灯さえ点いていない、電化製品の時計さえも点いていない、まっくら闇なニーデーケーの俺の部屋を見回す。幾人かの人達が思い思いに雑魚寝している。ちゃぶ台の上には、何処で手に入れたのか、さつま波波二十五度の容器を、無数のコップと酒のさかなが囲んでいる。

 

 俺はそんなことに驚きなどしない。そうだ、飲んだのだ。酒は少し控えようと、自分を戒めたにもかかわらず、すぐさま撤回し、しこたま飲んだ。お祝いだからとすすめられ、精神薄弱な俺は自分の意思をすぐに曲げた。弱弱しくポンコツな人間らしい行動ではないか。世の中の皆さんは、こんな情けない生活などしていないであろう。蟻のように働き蟻のように立派な最期を遂げるのだろう。なんという素晴らしき人生ではないか。それに引き換え俺は……。




 

 時計はもう午前三時を指している。狂った店員の言葉が正しいならば、――いや正しくない筈はない。こんな深夜に真面目に働き、地球滅亡と言うときにでさえ、自らの職務に忠実な彼のような立派な人物が、間違っていることなどあろう筈はないではないか。聡明な世の中の人々が、地球が滅亡するというそのとき、社会を混乱に陥れることなどもありはしないのだ。みんなで賢く何処か安全な場所に退避なり、避難なり、非難して行ってしまっているから街には誰も居ないのは必然なのであって。二十一世紀を迎えた、この素晴らしい地球人類が信仰する、人類が生みだし脈々と育てた万能の神、科学のお導きによって、我々だけを残して何処か遠くへと行ってしまったに違いないのだ。

 

 そうだ。我々のような人間など、見捨てられて当然だ。その証拠におまわりさんが見当らないではないか。公僕である、おまわりさんは、本署から連絡が来て職務に復帰し、一般市民の皆さんと一緒に避難したのであろう。民生委員さんも、我々を見捨てて避難した筈である。真面目な公務員が酒盛りに参加などする筈がないのだから。

 

 俺は俺を見ている。

 闇に包まれた部屋に佇み、俺を見下ろしている俺は、呑気に寝ている俺を地球最期の瞬間に目覚めさせるべきかを思案している。皆を起こし真実を伝えたいと欲している。心地よい夢の中に幸せを感じている人々を叩き起こし、現実の恐怖を見せつけ、振るえ泣き叫び、取り乱す姿を眺めたいと思っている。それは残酷なことだろうか? サディズムだろうか? だって、事実ではないか。どんなに幸を感じられているとしても、現実は容赦なく最期の時を告げる。時計の秒針は微塵の躊躇もせず、柔らかな人のからだを貫く。

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