第11話後編一

アパートの鉄製階段を降りると、深夜の住宅地は漆黒の闇に包まれていた。足元は心許ないが、マンホールの蓋でも開いてでもしない限りは、日頃歩きなれた道路であるから。よもや、また人間でも落ちているなんてことでもない限りは、危険などあるまい。


 そんなきわめて軽い気持ちで、お気楽に深夜の街路に歩み進んだ俺は、暫く歩くと少々妙な雰囲気に、違和感を感じはじめた。何しろ見渡す限り、どの家にも電気が点いていないのである。いくら草木も熟睡するうし三つ時とはいえ、普通は一軒や二軒の、家の灯かりは点いているものだし、マンションや道路の外灯は点いていて当たり前の筈である。





 なんだ? 停電か? いまどき珍しいな。なんてことを考えもしたが、少し肌寒さを感じさせるようになった秋晴れの大空には雲ひとつなく、澄んだ空気を通して降りそそぐ、満月の穏やかな光が地上を照らしているから、まぁいいかと思った。あまり難しく考えない方が、人生は楽なのだ。


 大きく伸びをしながら、深夜の散歩を愉しむ。暗闇に潜む感覚って奴は妙にワクワクさせる。月の明かりさえ届かない、二十階建てマンションの影に入る。アスファルトの道路に薄っすらと、斜めに延びる不思議な影がさしている。そびえたつ見慣れたマンションを見上げると、二十階建ての四角い筈の形は大きく形を変え角は欠けていた。


「へぇ。解体して立て直すのかな? 景気のいい話だよな」

 などと呟いてみる。何か違うような気もするのだが、そんなことは社会の下層民である俺が考えても仕方のないことである。





 全く光を発するもののない街を抜けると、目的地であるコンビニエンスストアー八十二はちじゅうにが姿を現した。暗闇の中にあっても、その店だけは煌々と眩い光を放っている。俺は目を細めながら店内を観察する。と、いつもの店員が暇そうに労働に従事している姿が見えた。


 俺のバイト先は隣町にあるドーソンである。近所に女子高があるものだから、朝昼晩と忙しい店舗であった。俺は敵情視察にかこつけ、雑誌を立ち読みして時間を潰すのを日課にしている。


 何気なく店内を散策する。ほうほう、この店はこんな時間に弁当類が完売か、パンと菓子類も全滅ではないか。かなり儲かっているようだ。さて、店内視察の最終目的地、書籍棚に到着だ。





 俺の店にはエロ、ではなく、セクシー系の雑誌は健全な青少年育成のために置いていないのである。それにしても、返す返すも先ほどは勿体無いことをした。もう少しで、この白く細い、しなやかな肢体と接近遭遇できたものを。ええぃ口惜しや、おまわりさんめ!

 

 しかし、冷静に考えてみると、まわりを包囲されているとはいえ、ちょっとくらい、イチャイチャとかキャッキャウフフくらいはできたのかもしれない。衆人環視の中であれば尚更、二人の真心というものが、ほんのちょっとしたふれあいから愛に消化――ではなく昇華されるのが真の恋愛というものではあるまいか。とも思えてくる。

 

 すると、こんな健康的な光子降りそそぐ光のシャワーの下で、エロ――ではなくセクシーグラビアなんぞに、うつつを抜かしている場合などではないのではなかろうか? 健康的な男女の愛情を、真っ暗闇の中で、思いっきり発散してこそが人間らしい生き方というものではなかったか。そうだ、恋愛経験などないが、たぶんそうであるに違いない!


 先ほどから、セクスィーグラビアを眺めながら、気持ちを高ぶらせている俺に対する、顔見知りの店員氏の視線もそろそろ痛くなってきたところだし、さっさと缶コーヒーでも買って帰ることにする。





「最近景気いいみたいですね~。売り上げも相当なもんなんでしよう~」

 何気ない俺の世間話に対し、店員氏は訝しげな顔をした。俺のおべっかとヨイショはなぜか空振りに終わっている。もしや、深夜に金の話題などを振ったために、警戒させてしまったのであろうか?


「近くのマンションも建て替えるみたいだし、また忙しくなるでしょうね~」

 ならばと、話題を逸らした俺の問い掛けにも、店員氏はなおも、俺に向け不思議そうな顔を見せ、言った。

「お客さん。何言ってるんですか、地球は今日の午前三時に滅亡するんですよ。どうせどこに逃げたって助りゃしないんだ。俺は、日常を過ごしながら終末を迎えようと思って今も、仕事してるんですよ。ほら、御覧なさい。道路にクルマ一台だって走ってやしないでしょ。みんな逃げたんだ。電気なんてとっくの昔に止まって、店は今、自家発電機を動かしてるんですよ。あははははは――」





 はぁ? コイツ気でも違ったのか? だって、地球は依然としてここにあるし、俺達は普通に生活しているではないか……。


 一度動きを止め、はっとした俺は、気味悪く笑い続ける店員を無視しして、レジ正面、俺の六時後方にある飲料用冷蔵庫上、地上高約二・五メートルに位置する壁掛け時計へ向け振り返った。丸く安っぽい文字盤上をゆっくりと移動する針を凝視する。時計の針は今、地球滅亡の五分前、午前二時五十五分を指していた。

 

 ことの経緯を全て理解した途端に、俺の脳味噌は生まれてこの方、今まで、一度たりとて見せたことのない全速力でポンコツ脳をフル回転させていた。俺は慌てて走り出し、笑い続ける店員をひとり残して、大海に姿を現した旭日あさひのごとくに、燦然さんぜんと光り輝くコンビニから飛び出した。俺は、漆黒の舗装路を女の待つ俺の部屋へと向け、全速力で駆け出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る