第8話中編三
「遅かったね! あたしたちを待たせて何処ほっつき歩いてたんだい!」
逆さまの俺の耳に聞き慣れたこのだみ声は、家賃を滞納している俺にとって閻魔様よりも怖い大家さんである!
上半身を起こし、女越しに部屋の中を見回すと、奥の座敷には大家さんをはじめ見慣れない人たちが数人、勝手に上り込み俺が大切に隠しておいた100g五百円のお茶を煎れて勝手にくつろいでいるではないか。
「すいませ~ん、ちょっと逮捕されちゃったものですからぁ~」
何時もの癖でとりあえず謝った俺は、上半身を起こしたはいいが、いまだ大また開きで俺にマウントポジション状態の女の顔と急接近していた! これはイカン! 息が掛かるほどの危険な領域である、三密ダメ! 絶対! である。
そして俺の背後約一.二メートル後方には9mm.38スペシャル弾の実包五発を装填した、黒光りするM360Jを腰にひっ下げたハートブレイクおまわりさんが真っ赤っかな鼻血をタラリタラリ滴りと流すホラーな状況がヒシヒシと感じられていた。
俺の脳裏に一瞬、天才バ〇ボンの目ん玉繋がりおまわりさんの姿が駆け抜けていった。
あのおまわりさんであったなら、今頃俺たちは蜂の巣であろう。愛し合っている二人ならロミオとジュリエットの如き悲劇であろうが、俺はこの女の顔さえ、今見たばかりなのだ。
こんなの詐欺だ! 俺は何も知らなかった! あのおかしな女がこんなに可愛かったなんて!
然るに俺には恐ろしくて後ろを振り返ることもできず、かといって正面には天敵大家さんである。今俺は衆人環視の中、若い女にマウントポジションをきめられ、がら空きの背中は手負いの狼が鮮血を噴出している。絶体絶命の状態ではないか。
普段、全体の十分の一も活動していないであろう俺の脳味噌は、この危機的状況下において、ようやく全開で回りはじめていた。
急接近している女をよけ、部屋の様子を伺う。後門の狼はもう気にしないことにした。撃てるものなら撃ってみやがれってんだ、べらぼうめ! 唯一の慰めはイカレタ女が可愛かったことだけだ!
しかし、風呂上りの石鹸の香りというものは、何故こうも爽やかなのであろう。石鹸の香りと女の醸しだす匂い……。なんとも芳しい未知の芳香が俺の鼻をコチョコチョとくすぐっている。
胸の辺りは二つの突起もコチョコチョしていた。
不味い! このままでは不味い! 俺は一世一代の処世術、奥義知らん振りを発動させていた。
「皆さんお集まりで、何かの寄り合いですか? 台所の収納の端っこのブリキ缶にお茶菓子(俺の非常食)ありますからどうぞ~」
大家さんが即答する。
「そりゃあすまないね。もう頂いてるよ!」
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