第3話前編三
三
俺は珍しく早起きした。女は見当たらない。それはそうだ、俺の部屋の明るい蛍光灯の下で見た女は眩しそうに顔を伏せていた。ボサボサの髪で顔などわからない。何処の誰とも知れない女だ。服装は割りと普通に見えたが、かつては鮮やかであったであろう黄色いワンピースの色彩はくすみ、細い手足の所々には
もしや女は蛙の化身で、蛙の恩返しにかえる。なんてことはないよな。なんて寝ぼけ眼で布団を引っぺがしても、トイレをそっと覗きこんでも、古くて狭いユニットバスをそ~っと覗いても女は居なかった。泊めてやったお礼に添い寝のひとつくらいはしてくれるかもと、淡い期待がなかったといえば嘘になる。が、あんな小汚い女に添い寝などされたものならば、変な虫でもうつされるに違いない。そうも思い、毛布だけ渡して俺はとっとと先に寝たのだった。
冷蔵庫の中を覗いても
やられた。
念の為俺は、脱ぎ捨てたオリーブドラブのカーゴパンツをまさぐり、昨日バイト代が入ったばかりの財布を確かめてみる。
「やられた……」
財布は見事にすっからかんだ。ご丁寧に小銭まで無くなっていた。
俺は甘かった。人は善意に対し、善意で応えるものだと骨の髄まで思い込んでいた。それで何度騙され、馬鹿にされてきたことか。そんな俺だが、他人の所為などとは思っていない。他人が悪いなんてことはわかってる。都合の良い人間を作る教育が悪いなんて正論は聞き飽きた。
そんなこと皆わかってる。わかっていても、変えられないのが俺なのだ。
さて、こんな予定調和の
俺はこんなときの為にへそくっていた秘密の貯金箱から、なけなしの金三千円余りを引っ張り出した。
別にちゃっかりしている訳でも、しっかりしている訳でもないのだ、『小銭を貯めるのが好き』という貧乏人特有の妙な~習性なのである。こんな窮地に陥ったときの非常手段であるとか、緊急避難であるとか、いわゆる生命力の強さというものであろう。
例え人類文明が崩壊したとしても、ゴキブリと貧乏人だけは
早速、近所のコンビニで予算の関係上、菓子パンと白い牛乳で腹を満たそうと思い、出掛けた。
俺は牛乳が好きだ、あの白い液体が俺の喉をゴックゴックと通り過ぎ、胃袋にドップドップと下り落ちるバリュウムの如き
そんな意気揚々と、ワッシワッシとサンダルを滑らせる俺の目の前に、俺が今朝不幸な目覚めを迎えるに至った元凶であるあの女が、またしても現れ出たではないか。
場所は俺の進行方向、前方約五十メートル、今回はなんと男に路上に押さえつけられ、まるで子供のようにジタバタと手足を振り回している。
やはり、変な女だ。道路に寝っころがるのが趣味なのだろうか?
俺は女を見なかったことにして、横道に逸れ足を進めた。ところがあの小娘め、俺を目敏く発見するなり、さり
「助けて!」
なんで、俺がお前を助けなければならないのか、訳がわからない。俺の方が助けてもらいたいくらいだ。
いや、いやまて、これは良い機会ではないのか。あの泥棒女を捕まえて警察に突き出せば、金が幾らかでも戻ってくるかもしれない。
俺が女へ向き直ると、女を押さえつけている男と目が合ってしまった。いつか何処かで見たことのある顔だ。奴が着ている派手な服には見覚えがある。えーっと――たしか、俺が今向かっているコンビニの制服ではなかったか……。
俺はさり気なく、ごくさり気な~く通りすがりの他人を装いながら、(実際赤の他人だし)あくまでもさり気なく二人に近づくと、コンビニ店員に向け快活に声を掛けた。
「おつかれさまです~。この女、何かしでかしたんですか~」
顔見知りの店員は
「万引きですよ! こいつ、このあたりでは有名な万引き常習者なんだ! お客さんの知り合い?」
見ると、女はしっかり二人分のコンビニ弁当と五百ミリリットルペットのお茶を手にしていた。店員は俺の顔を、しっかり覚えているらしい……。
*
「金持ってるのに何で万引きなんかしたんだよ?」
「お金減ると困るでしょ……」
逃げ場のない俺が仕方なく女の弁当代を立て替えると、女はとりあえずは開放された。開放されはしたが、今までに万引きした全金額三万一千四百十五円也は女が持っていた金から支払われた。てか、多分それ俺の金だ……。ガーン! である。
追い掛けられ、転倒しても尚、手を放さなかった女によって、辛うじて地面に落下せずに済んだコンビニ弁当を、二人アパートで食う。道路に叩きつけられなかったとはいえ逃走の果てである、
元来貧乏性な俺は、女が万引きして俺が代金を支払わされた弁当を、勿体無いのでとりあえず全部平らげた。
「美味しい?」という女に向け「これはたぶんチキン南蛮弁当だな」と皮肉で返してやったのであるが。
なのに、そんな意地悪な俺の顔に向け、女はにっこりと笑顔(多分そうだ)を向け「よかった」などと言った。
俺は一瞬何かに胸を射抜かれたように息苦しくなったような気もしたが、それは多分気のせいだ。俺は喉に詰まったものをお茶で強引に胃酸の海へと飲み下した。美味いもなにも、美味くなくてどうする。俺が弁当代を払っているのだ。それも、俺の金を盗んだ女の分まで!
結局俺に残されたのは、盗まれた金の残りと、へそくりの残り合わせて二万二千六百円と、このおかしな女だけだった。
弁当を食い終わり、腹を満たした俺は、女に「警察には突き出さないから家へ帰れよ」と言ったのだが、女は動こうとしない。仕方がないので「名前と住所は?」といっても、ただ黙っているだけだ。やはり警察に届けるしかないのだろうか。
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