死と隣の人

真白(ましろ)

死と隣の人

 夢見たいな夢を見た。

 夢なんだから当たり前だって言われるかもしれないけど、本当に夢見たいな夢だった。

 私が歩みたかった人生。

 私が叶えたかった人生。

 私が夢にまで見た人生。

 もう現実になることは無くなってしまった人生がそこにあった。

 そんな大層なものじゃない。大好きな人と結婚して、子供が二人いて、小さいけど庭付きのマイホームで暮らす。そんな夢だ。

 贅沢な夢なのかもしれない。それでも決して無理な夢ではないはずだ。

 私の人生が残り僅かでないのならば————

 

 余命一年。

 私は二十歳の誕生日を迎えることなくこの世を去ることになる。

 余命宣告を受けたときは理解ができなかった。私よりも父と母が取り乱し泣いていた。父が涙を流して泣くところを初めて見たように思う。

 暫くして、悲しさが押し寄せてきた。なんで私が死ななければならないのかと理不尽さに怒りも覚えた。

 やがて焦りを感じ、できることは何でもやった。怪しげな民間療法も神頼みもやり尽くした。

 日に日に憔悴していく父と母を見るのが辛かった。

 そして今、私は死を受け入れた。

 いや、生を諦めたというべきか。

 ただ悲しむことに疲れただけかもしれない。

 とにかく、私は泣くことをやめた。

 死ぬ前にやりたいことが沢山あった。しかし、そのために一年という時間はあまりにも短すぎた。それに、死ぬまで元気に動けるわけではない。私が動けなくなるまで僅かな時間しかないだろう。

 やりたかったことの殆どはどうでもよくなった。死を前にすると、こんなにも諦めがつくのかと自分でも驚いた。

 それでも、たった一つだけ心残りがあった。

 何度も諦めようとしたけど諦めきれない。

 今の私にはとても贅沢な願い。

 私は、恋人とデートというものをしてみたかった。

 

 私の初恋は中学生の時だ。

 陸上部の先輩に憧れて、片想いをした。

 告白する勇気なんてなく、先輩の卒業と共に私の初恋は終わりを迎えた。

 今の私なら告白しただろうか。

 きっとできない。

 勇気がないわけじゃない。ただ、余命幾許いくばくもない私の告白なんて迷惑だと思うからだ。

 残りの僅かな人生で、私は誰かを好きになることがあるのだろうか。好きになったとしても、告白なんてできるのだろうか。そもそもこんな私の告白を受けてくれる人がいるのだろうか。

 ここ暫く、そんなことばかり考えている。

 答えなんて出るはずもないのに。

 それとも答えを知りたくないのだろうか。

 見飽きた病室の天井は、まるで条件反射のように私を思考の迷路に閉じ込める。

 いつも通り、出口が見つからないまま彷徨さまよっていたときだった。

 文字通り、運命の扉が音を立てて開かれた。

 

「よっ。頼まれてた本、持ってきてやったぞ」

 病室の扉を開けて、ハル君が入ってきた。

「ありがと」

 身体を起こそうとしたら慌ててハル君が駆け寄ってきた。

「無理すんなって」

 ハル君は私の幼馴染だ。

 家が隣で、昔から家族ぐるみで付き合いがある。中学生になった頃から遊ぶ回数は減り、高校生になってからは時々話すぐらいになった。

 それでも、私が入院することになったときに真っ先に会いにきてくれたのはハル君だった。

「ごめんね」

「謝んなって」

「うん……」

 ハル君はテーブルに本を置くと、ベッド横の椅子に座った。

 無言の時間が流れる。

 ハル君はいつもバツが悪そうに目線を逸らして黙っている。

 私はいつも申し訳なく思う。

 来てくれるのは嬉しい。友達と遊ぶことすら困難になった私にとって、お見舞いに来てくれる人は貴重な存在だ。しかし、私はハル君の貴重な時間を奪っている気がする。

「…………ハル君。受験勉強どう?」

 何度目かも覚えていない、いつもの話題。

「ん。まあ、なんとかなってるよ」

 何度聞いたか分からない、いつもの返事。

 このまま会話もなく、ハル君が「そろそろ帰るわ」となるのがいつもの展開。

 だけど、今日は違った。

「…………なあ、アキ」

 突然、名前を呼ばれて驚いた。

 ハル君の声が、いつもと違う。

「……何?」

 つとめて平静を装った。

 何か大事な話なんだと雰囲気が伝えてくる。

「いつまで…………いつまで会えるんだ?」

 ハル君の声が少し震えてる。

 嫌だな、幼馴染って。

 余計なことまで気づいてしまう。

「わかんないよ。でもそんなに長くないと思う」

 私の声は震えてなかっただろうか。

 嫌だな、幼馴染って。

 余計なことまで気づかれそうで。

「アキは、死ぬまでにやりたいこととか無いのか?」

 いつもの私なら「無いよ」と答えただろう。

 今日の私は違った。

 あんな夢を見たからだろうか。

 ハル君の声が聞いたことがないほど真剣だったせいかもしれない。

「……あるよ」

 答えてから後悔する。

 次にそれが何なのかを問われると分かっているのに。

「何がしたい?」

 ハル君の声がほんの少し速くなった。

 私の鼓動もほんの少し速くなった。

「…………デート」

 言ってしまった。

 誰にも言わないと決めていたのに。

 目の前が滲んでハル君の顔が見えない。

「今日ね、夢を見たんだ。大好きな人と結婚して、子供が二人いて、小さいけど庭付きのマイホームで暮らすの。夢みたいな夢だった」

 決壊してしまった堰堤えんていは戻らない。

 溜め込んだ全てを吐き出すように溢れた。

「そんなの無理だって分かってる。でもデートぐらいしてみたい。一回だけでいい。だけど、私もうすぐ死んじゃうんだよ! 誰が好きになってくれるっていうの!? 私だって本当は————」

「アキ!」

 ハル君の声が私を堰き止めた。

 早鐘を打つ鼓動すら止まったような気がした。

 それでも止まらない涙が、私はまだ生きてるんだと教えてくれた。

「アキ……もういい。ごめん」

 ハル君の顔が見えない。

 ハル君の声は泣いてた。

 いつもとは違う沈黙。

 いつもとは違う空気。

 静止したような病室の中、私の押し殺した泣き声だけが時を刻む。

「なあ、アキ————」

 ダメだよハル君。

 その先はダメだよ。

 だから幼馴染は嫌だ。

 なんでこんなに伝わってくるんだろう。

「————俺じゃダメなのか」

 ダメだよって言わなきゃいけないのに。

 涙はこんなに溢れてくるのに。

 言葉にならない嗚咽だけが漏れてくる。

 ようやく絞り出した言葉は心の底から湧いてきた。

「なんで……なんで言っちゃうの! ハル君は分かってないよ! 私、死んじゃうんだよ! 死んじゃうんだよ…………ハル君が辛い思いするだけなんだよ……私のワガママでハル君が辛い思いするのは嫌だよ。ハル君には幸せになって欲しいんだよ……」

「分かってないのはアキだよ。アキが死んだら辛いよ。でもな、言えずに死なれる方がもっと辛い。アキのワガママじゃない。俺のワガママだ。俺はアキが好きだ」

「……本当にいいの?」

「当たり前だろ」

 まるで小さな子供みたいに大声で泣いた。

 小さな頃、近所の飼い犬に吠えられて泣いていたのを助けてくれたのはハル君だった。

 あの時から、ハル君は私のヒーローだった。

 困ってる時は助けてくれた。

 苦しい時は支えてくれた。

 昔からそうだった。

 今だって————

 

 初めてのデートは水族館だった。

 遊園地に行きたかったけど、身体が許してくれそうになかったから。

 それでも私は幸せだった。

 恥ずかしがるハル君を無視して腕を組んだ。

 馬鹿みたいにはしゃいで回った。

 デートの最後にはキスをした。

 思い残すことは沢山ある。

 だけど大丈夫。

 もう起き上がることも難しくなったけど、毎日ハル君が会いに来てくれる。

 だから充分だ。

 私に残された時間は少ないけれど、ハル君が抱えきれないほど多くのものをくれたから。

 私のヒーローは、最期まで私を守ってくれるから。

 私が歩みたかった人生とは違うかもしれない。

 私が叶えたかった人生とは違うかもしれない。

 私が夢にまで見た人生とは違うかもしれない。

 けれども現実になった夢みたいな人生がここにあるから。

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死と隣の人 真白(ましろ) @BlancheGrande

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