第30話「もらってほしいものがあります」
ミズコの言葉は別れの言葉みたいで亮介もひかりも聞きたくない。
「二人と触れ合えたことが私の人生そのもの。大切な思い出」
「ミズコ……そんなこと聞きたくない」
震える声をひかりは絞り出す。ミズコはひかりに優しい眼差しを向けた。
「人の死は誰の記憶にも残らなくなったら確立される。だから二人に私から最後の我儘。私が存在したことを忘れないで。二人の心の中でずっと生かせて」
「嫌だ、ミズコ……お願い、行かないで」
ひかりが泣いて言う脇で亮介が立ち上がった。
「今から祠に行ってくる。五年物のお札も試そう」
亮介が踵を返した瞬間だった。ミズコが声を張った。
「ひかり! お父さんを止めて! 今祠に行くのは自殺行為だよ!」
「でも……」
ひかりは泣き声で言う。しかしミズコの勢いは止まらない。
「ひかりにとって私とお父さんのどっちが大事なの! ひかりだってもうわかってるでしょ! もし選べないなら今確実に助けられる方を選んで!」
「うわあああああ!」
ひかりは半ばヤケクソ気味の泣き声を上げると、正に本堂を出ようと扉を開けた亮介の背中にしがみついた。
「離して! ひかり!」
「嫌! 絶対嫌です!」
「まだ抗える! 離して!」
「嫌です! 絶対離しません! 亮介さんを危険には晒しません!」
すると騒ぎに気づいた住職が本堂に駆け寄って来た。
「なにをしてる!」
「亮介さんが今から祠に行こうと!」
「そんなことは自殺行為だ! 住職たる者、自殺志願者をみすみす見逃せない!」
ひかりに捕まっていた亮介は、住職からも取り押さえられてしまう。亮介は暴れようとするが住職の力は強く、そしてひかりも住職に加勢するので、亮介は呆気なく縛られてしまった。
「ミズコ……ミズコ……」
縛られた亮介は鏡の前に正座した状態で置かれ、情けなくもミズコに向かって泣き喚く。彼の隣でひかりも大泣きだ。ミズコこそ落ち着いてはいるが、それでも彼女もまた涙を見せていた。
「二人とも嬉しいよ。私のためにここまで尽くしてくれて」
ミズコは亮介とひかりに対する喜びと感謝ばかりを口にした。なにも言い残すことがないよう、なにも後悔がないよう。亮介とひかりはミズコを呼ぶばかりで、泣いてそれ以外はなにも言葉にならない。
そんな状態で二十三時五十九分を迎えた。住職がやって来て亮介の拘束を解く。途端に亮介は鏡に駆け寄り、鏡面に両手を当てた。ひかりも亮介に倣う。ミズコは泣きながら優しい笑みを二人に向けた。
「ミズコ……」
「嫌! 行かないで」
そして時刻は別れの時、零時を迎えた。
「二人ともバイバイ」
瞬間、鏡が眩しく光って亮介とひかりは目を閉じた。更には腕で目を保護する。直後、鏡から発射されたように突風が向かってくる。亮介とひかりはその風に突き飛ばされた。
ミズコがいなくなる。そんなこと耐えられない。
二人はすぐさま鏡に飛びつこうと床を蹴った。
「きゃっ!」
誰の悲鳴だ? なにかにぶつかった。何かを捕らえた。亮介もひかりも前傾のまま広間の床に倒れた。下に柔らかいなにかがある。隣同士にいた亮介とひかりだから、同じ前方に向かった互いじゃないことはわかる。そして聞こえた声。
「お父さん、ひかり」
「え……」
「嘘……」
亮介とひかりは腕を立てて距離を取ると、床に仰向けになった少女を見下ろす。
「ミズコ……」
亮介が呟く。間違いない。切れ長の目に丸みの無い綺麗な顔立ち。無表情の彼女はミズコだった。
「違う。私の名前は
どうなっているのだ? 亮介もひかりもわけがわからないままミズコを見下ろす。ミズコはそんな二人に構わず無表情のまま天井を見上げ、自己紹介を続けた。
「お母さんが土壇場で私を蘇らせた。誕生日は出産予定日だったはずの七月十八日。私がひかりから体を貸してもらって初めて現世に出た日。今、十五歳」
「ミズコじゃないのか?」
呆然とした亮介が言う。
「ミズコじゃない。私は今では名前がある。私は瑞希。お父さんもひかりも覚えて。私は瑞希。薮内亮介の娘で、久保ひかりの一つ年下になった親友。お母さんが自分の名前とミズコから合成させてつけてくれた。漢字はお母さんの感覚で選んだけど」
「瑞希……」
亮介が呟くと瑞希は「うん」と言って初めて笑顔を見せた。
「瑞希……」
ひかりがその名を口にすると瑞希は「うん」と言ってひかりにも笑顔を向けた。
「うわーん!」
「ちょ……重い!」
ひかりが喚き、亮介と一緒に下にいる小柄な自分を抱きしめるので、瑞希は苦しんだ。奇跡の瞬間に立ち会った住職は三人から完全に取り残され、まさかの蘇りに呆然と立ち尽くした。
亮介はひかりと瑞希をエスティマに乗せて地元に帰って行った。真夜中の運転は辛いし、鏡を積んだ後部座席で窮屈そうにしている瑞希を思いやるも、その瑞希と助手席のひかりの寝顔に癒された。
明け方にはアトリエ鈴山に到着して鏡を返した。後日、提出したレポートに鈴山はたいそう喜んだ。鏡が細工品であることやお札のこと、案内人の存在は目から鱗だった。瑞希の蘇りについては、聞く人によっては気味悪がるのでレポートには起こさず、口頭で伝えた。
その数カ月後、鈴山はガレージを解体し、小屋を作った。そこには黄泉の鏡が据えられ、死者と対話ができる部屋として一般解放された。数年後には知る人ぞ知るマイナースポットとなる。その鏡には瑞希の次の案内人がいることだろう。
不思議なことに瑞希は戸籍もしっかりあった。修正力が働いたのだろうと亮介は思う。瑞希もひかりと一緒に自分の部屋に連れ帰って共に生活している。瑞希は中学校にも通い始めた。
そして瑞希の蘇りから一カ月近くが経った頃だ。夜中にひかりは亮介と話した。場所は寝室。瑞希はリビングでテレビを観ていた。自分が考え付いてけしかけたひかりの話に耳を半分傾ける。
「亮介さん、私もうすぐ誕生日なんです」
「そっか。何がほしい?」
「いらないです」
「ん? なにも?」
「はい。それよりもらってほしいものがあります」
「もらってほしいもの? なに?」
「私をお嫁にもらってください」
「は!」
テレビを観ながら瑞希はクスクス笑う。自分の父親が予想どおり狼狽えている。
「このまま合宿名目の家出をいつまでも続けさせるつもりですか?」
「いや、それは……。正直、なにかいい方法はないかとずっと悩んでる」
「そのいい方法ですが、私をお嫁にもらってください」
「本気で言ってるの?」
「もちろんです。十六歳の誕生日当日に」
「えっと、えっと……」
「親の同意は取れます。間違いなく」
「そうかもしれないけど……」
「亮介さんは私のこと嫌いですか?」
「いや、嫌いじゃない。けどそういうのは好き合ってる者同士がするもので。ひかりは歳の離れた僕にそんな感情は現実的じゃないでしょ?」
「鈍いなぁ、亮介さんは」
「へ?」
「好きに決まってるじゃないですか。もちろん男性としてです。とっても大好きです」
「……」
「私じゃダメですか?」
「ダメじゃない。光栄です。けど、戸惑ってる」
「お嫁にもらってくれたら合法的に手を出せますよ? やっとですよ?」
「……」
「嫌ですか?」
「嫌じゃないです。楽しみです」
「良かった。初夜はどういうプレイがいいですか? やっぱりせっかくのJK妻だから制服がいいですか?」
「裸エプロンがいいです」
「ふふふ。承ります」
「本当?」
「はい」
「て言うか、婚約が成立したらその時点で合法だよね?」
「ふふふ。気が早いですね。よっぽど我慢してましたね」
「ま、まぁ」
「でも私たちの間で婚約は成立しません」
「なんで?」
「婚約が成立するための親の同意は私の誕生日に初めてもらいます。その方法は私と亮介さんの記名済み婚姻届けに署名です。そして同意をもらった足で役所に届けに行きます」
「確かに婚約すっ飛ばしだ」
「でしょ? だから私は結婚処女です。こんな美少女で結婚処女なんて亮介さん贅沢ですね」
「ぐへへ。……あ! 僕にはもう娘がいるんだから、再婚は娘にも納得してもらわなきゃ」
「本当に鈍いですね、亮介さんは。瑞希がそうしてほしいって言ったんですよ?」
「え! そうなの?」
「はい。三人で家族になりたいって。明日にでも聞いてみてください」
「わかった。聞いてみる。因みに高校在学中に苗字が変わるのはいいの?」
「もちろんです。親の離婚再婚とかでそういう生徒はこのご時世ザラです。なんなら私は自分の結婚もオープンにするつもりです」
「そっか、そっか、わかったよ」
「じゃぁ、私の逆プロポーズを受けてもらえるってことでいいですか?」
「はい。よろしくお願いします」
瑞希はリビングでテレビに目を向けながらうまくいったと聞き耳を立てていた。しかし部屋が狭い。瑞希とひかりがリビングで勉強をするので、三人とも今や寝るのは寝室だ。瑞希が増えて亮介とひかりの寝室同室も健全だが、もう数日もすると状況は変わるのだ。
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