第29話「時間は決まってるの?」
亮介は住職に向き直って恐る恐る問う。
「ど、どういうことですか?」
ひかりは呆然とミズコを見据え、ミズコは俯いている。住職は射るような視線をミズコに向けながら亮介に答えた。
「この鏡には代々案内人が存在します。その案内人は四十九日に縛られず鏡に存在し、鏡の前に立つ生者を目的の死者に繋げます。それが仕事です」
「ミズコ、そうなの?」
ひかりは弱々しい声でミズコに問い掛けた。ミズコは俯いたまま答える。
「うん。けど私が案内人になったのは赤ちゃんの時だからまだ自由に動けなかったし、そもそも鏡がずっとひかりの家の蔵にあったから、案内人の仕事をしたことはない。ひかりと入れ替わったり、第六感……例えば直観力があるのは案内人の能力」
そんな役職にミズコは就いていたのかと、亮介もひかりも天を仰いだ。だからと言って、自分たちのやろうとしていることにどのような影響があるのかは掴み切れない。ただ能力のことは腑に落ちた。するとミズコが続ける。
「鏡が蔵から出てからも死者に繋げる生者がいなかったから、私は自分を目的とした生者以外に……つまりお父さんとひかり以外に姿を見られてない。あと、案内人は自分を目的とした生者に、その職に就いていることを自分の口から言ってはいけない」
これには二人とも肩を落とした。しかし隠していたことを責める気持ちはない。尤も焦っているので、そもそもそんな気持ちは今更生まれないが。すると住職が言う。
「この案内人は姿が今にも消えそうですな。恐らく今夜あたりの成仏か」
やはりか、と亮介もひかりも絶望に支配された。ミズコは悲しそうな目をする。しかし敢えて亮介は問う。
「案内人も成仏するんですか?」
「いかにも。一度現世に出てから鏡に戻ると死者と同等となります。四十九日で成仏し、案内人は次に鏡に入ってきた死者の誰かが継ぎます。慣例として
亮介とひかりは消沈した。案内人が継承されることは初めて知ったが、ミズコの成仏は亮介の憶測が当たってしまった。もちろん役職に就いているミズコだから、それを知らなかったわけがない。精神の成長と共に理解を深めたのだろう。
「あの!」
すると気を強く持ち直してひかりが言う。
「本物のお札を使ったら、この案内人の子を現世に蘇らせることはできますか?」
「あり得ます。恐らく可能性としては高い。一般の死者なら難しいですが、案内人という要職に就いた者なので、不思議な力が賭け合わさると推測できます」
それを聞いてひかりは目に力を宿した。
「鏡に貼ってあるのが百八年前ですよね? と言うことは次のお札がもうできてますか?」
「いや。次のお札は五年前に取り出しが成功しております」
「え……」
「え……」
亮介もひかりもショックで言葉を失った。これにはミズコも絶望感を覚える。
「ですので、今祠に祀ってあるのは五年物のお札。本物になるにはまだまだ力が足りません」
「あの……」
すると今度は亮介が問う。
「本物になるにはってことは、やっぱりレプリカにも力はあるんですか?」
「本物と比べれば雀の涙ほどですが、あります」
「それならレプリカで試せませんか?」
「うーん……」
住職は唸った。難しい顔をする。
「試したことがないのでわかりませんが、恐らく力が足りずこのような大きな願いを叶えるのは難しいかと」
やはりか、と亮介は肩を落とした。書物でレプリカのご利益も知っていたから縋ったのだが、予想どおりの見解ではあった。しかしまだ足掻く。今度はひかりが言う。
「鏡に貼ってあるお札は使えませんか?」
「それは不可能です」
「どうしてですか?」
「鏡を完成させたお札です。鏡から離した途端、鏡は黄泉の鏡ではなくなる。ただの鏡になる。そうすると、鏡の中にいる四十九日を待つ死者と現世の人の窓口が途端に無くなります」
「あぁ……」
八方ふさがり。何度天を仰げばいいのか、ひかりは悲しくなった。しかし今度は亮介が足掻く。
「レプリカでも試したい。どうすればいいですか?」
「うーむ……。期待どおりのことが起きると約束はできません。むしろ可能性は限りなくゼロです」
「今絶望するか、もう少し後に絶望するか、ですよね? それならもう少し後の方を選択して、僅かな可能性に賭けたい」
「ふむ、覚悟はわかりました。では協力しましょう」
「本当ですか!」
「はい。本物のお札は入手に成功したらここに持って来て私がお経を上げます。それで確かな御利益のあるお札が完成です。その儀式をレプリカで試しましょう」
「お願いします!」
「準備に多大な時間がかかります。すべて私が設営するものです。よって二十二時に儀式を始めます。それまで鏡の案内人と……対話を楽しんでおいてください」
亮介もひかりも住職が濁した言葉を理解していた。本当は「最後の対話を楽しんで」と言いたかったのだ。それほど住職は自信がない。しかしもう他に頼れるものはない。二人は揃って勢いよく「はい!」と返事をした。
住職は寺務所の一室を亮介とひかりにあてがってくれた。十畳ほどの畳の間で、葬儀などで親族控室となる部屋だ。そこに鏡を運び込み、二人はミズコと対話をする。まずはひかりがミズコに問い掛けた。
「成仏の時間は決まってるの?」
ひかりも、もちろん亮介も、今更ミズコが嘘を吐いたことや要職を隠していたことを責める気持ちはない。ただ今はミズコとの残りの時間を大事にし、状況を整理することに努めたい。
ミズコは元気なく答えた。
「深夜零時」
「そっか」
すると昨日窓口で対応してくれた女が入室して来て、亮介とひかりにお茶を出した。亮介は女に問う。
「対称山の祠のことは聞いてわかりますか?」
「場所だけは話に聞いたことがあります」
「教えてください」
「ここから獣道を歩いて片道一時間ほど。沢や崖が多くあるので、日の出ている時間しか行けません」
「夜は?」
「大げさではなく自殺行為です。ほぼ間違いなく生きて帰って来れません。それくらい険しい山です」
亮介はそれを聞いて「ふぅ……」と息を吐いた。
その後、ミズコと話しながら時間が過ぎるのはあっと言う間だった。二十二時。亮介とひかりは住職から呼ばれて鏡を本堂に入れる。夕方とは鏡の向きを反対にした。鏡は本堂と広間の境目、広間を向いている。亮介とひかりは本堂と鏡に正対して正座した。
住職は本堂で既に構えている。手元にレプリカのお札が据えられていた。
ゴーン!
すると住職が大きく鐘を鳴らした。途端に読経が始まる。住職の周囲では小さな松明が焚かれ、それは物々しい雰囲気を作る。隙間風が入り込む夜。地元よりは気温の低い地域。それなのに汗が染み出てくる。住職なんかは大粒の汗を浮かべていた。
亮介もひかりも儀式の成功を祈って手を組む。ミズコは不安げな表情を浮かべる。ミズコの体はもう背景の方が濃いほど薄れていた。
やがて十数分。お経が鳴り止むと、住職がレプリカのお札を持って鏡の前方、鏡からは少し距離を取った床に置いた。
「終わりました。お札に願いなされ」
すかさず亮介とひかりはお札に擦り寄る。住職は本堂を出て当事者だけにした。そして亮介が言った。
「今の鏡の案内人を現世に蘇らせてください!」
するとお札が揺れた。反応している。高鳴る鼓動を抑えて亮介とひかりは祈った。
程なく、お札は突然赤い炎を上げる。亮介もひかりも驚いて上半身を引いた。しかし熱を感じない。周囲も燃えない。お札だけに炎が上がり、それは視覚だけで認識された。
やがてお札は煤も残らず消え去った。
「どうなった……?」
亮介は恐る恐る鏡に顔を上げた。ひかりも亮介の動作に倣う。すると鏡の中には涙を流し微笑むミズコがいた。
「お父さん、ひかり。ここまで足掻いてくれてありがとう。本当にありがとう」
何を言っているのだ、ミズコは。亮介もひかりも涙が止まらなかった。
鏡の中のミズコの涙は、レプリカでの儀式が失敗に終わったのだと知らせていた。
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