第27話「誘惑して楽しんでも?」

 市町村を幾つか超え、亮介の運転するエスティマが目的の寺に到着したのは夕方だった。


「ここだね」

「はい」


 亮介とひかりは言葉を交わして車を降りる。


 水落家具工芸所で鏡を解体して出てきたお札は、この対称寺たいしょうじで発行されていた。寺の名前が書かれていたのでインターネットで検索すると、場所もわかった。更にはお札の取り扱いをしていることも判明した。


 ひかりと亮介は後部座席のスライドドアを両側から開けると、寝かせてある鏡に向かって車内に頭を潜り込ませた。水落の手で既に元の形に組み直され、見慣れた形状に戻っている。

 ひかりが鏡の扉を開けるとミズコに声をかけた。


「ちょっと行ってくるね」

「うん。待ってる」


 ミズコの体が半透明になっている。時間と共に薄くなる彼女を見ると、亮介もひかりも焦りが濃くなる。しかしミズコを含めた三人とも、外面では無理をして暗い表情を見せない。ひかりも亮介も弱い笑みを浮かべてスライドドアを閉めた。

 砂利の駐車場の先にそびえる大きなシンメトリーの本堂。明かりは灯っていないように見える。日は傾いたとは言え、まだ空が明るさを残すからだろうか。それとも誰もいないのか。


「こっちだ」

「ん?」


 すると亮介が脇の建物に気づいて歩き出した。なんだろうと思いながらもひかりは亮介を追う。


「どこに行くんですか?」

「たぶんその建物が寺務所だよ」


 亮介が気づいた建物は本堂よりも小ぶりだが、屋外に向かって対応窓口がある。これが寺務所である。亮介は軒下の窓口に立つと、小さなカウンターも兼ねた額縁にインターフォンがあることに気づく。それを迷わず押した。

 するとややして窓の奥の室内から私服の女が顔を見せた。やせ形で髪の長い中年の女は、窓口のサッシ越しに亮介とひかりを見据える。


「いらっしゃいませ」

「こんにちは。お札についてお聞きしたくて伺ったのですが」

「そうですか。具体的にはどういった内容で?」


 亮介は自分のスマートフォンを操作して一枚の画像を女に示した。それは水落家具工芸所で鏡を解体した時に出てきたお札を撮ったものだ。女は亮介のスマートフォンを覗き込むようにして顔を出してくる。


「あら」


 すると女の目が少しばかり見開いた。それを確認して亮介は問い掛ける。


「このお札について聞きたいのですが、そもそもこれはどういうお札なんですか?」

「すいません。実は私も詳しいことはわからないんですが。ここで通常に取り扱っているものと似てます。けど少し書いてあることが違う気がします」

「そうですか。できれば詳しく知りたいのですが」

「すいません。今は住職が出ておりまして。今日は急なお通夜が入ったものですから」


 亮介は内心でため息を吐いた。お通夜だから普段から急に入るものだろうが、なんともタイミングが悪い。ミズコのことを考えると焦燥感が強くなる。隣で様子を窺っているひかりも亮介と大差ない心情だ。


「明日なら住職もおりますが」

「明日ですか……」


 もちろんそれなら明日でも喜んで来る。しかし亮介はそう思うのに対して、明日はもしかするとミズコが成仏してしまうかもしれない日だ。とにかく早く鏡の秘密を知りたい。

 亮介もひかりも件の大鏡にはなにか秘密があるのではないかと思っている。それを明かしていけば、ミズコをこの世に連れ戻せるのではないかと期待するのだ。


 不思議な鏡の摂理を無視してきた異端児のミズコ。それどころかひかりの体を使って一度は現世に出たミズコだ。しかも宿っただけではない。亮介と生活をした。だからなにかのきっかけで奇跡が起きないとも限らない。そんな一抹の期待を寄せている。


 すると無念の表情を見せた亮介を哀れんで、女は一冊の書物を差し出した。それは室内側のカウンター下に置かれていた。


「こちら、お札のことが色々書かれているそうです。すいません、私は読んだことがないので内容を知りませんが」


 女はあまりこの寺の仕事に携わっていないのだろう。知識の乏しさから亮介はそう思った。


「これはいただけるものですか?」

「はい。三千円お納めください」


 金を取るのか、と一瞬思った亮介だが、それも当たり前かと思い直して財布から札を出した。


「ありがとうございます」


 女から言われて亮介は書物を受け取った。表題は『対称寺御利益』となっている。それなりのボリュームでハードカバーだからずしりと重い。

 亮介はひかりを向いた。


「今日はもう宿に帰ろうか?」

「え? まだ私は動けますよ? もっと調べましょうよ?」


 ひかりが食い下がる姿勢を見せるので、亮介は書物を掲げた。


「宿でこれを一読してみる。なにかわかるかもしれないから」

「そうですか。わかりました」


 ひかりが納得を示すので安堵する。ひかりのやる気に合わせて足を動かそうにも、既に行き詰っている。それならば書物を読んで頭を使う方にシフトチェンジしようと思ったのだ。

 対称寺を出た亮介とひかりは途中レストランで夕食を取り、宿となっているペンションにやってきた。外はもう日が暮れている。


「素敵なペンションですね。ネットで見つけたんですか?」


 一階のリビングで荷物を下すとひかりは室内を見回して言った。広くてIランド式のキッチンが据えられたペンションだ。真っ先にミズコがいる鏡は亮介とひかりの手で下されていたので、その和風家具は場違いな印象を与える。鏡の扉は開かれているのでミズコの姿もしっかり確認できる。

 同じく荷物を下した亮介がひかりに答える。


「違うよ。前に全国展開してる不動産会社と共同の取引をしたことがあって、その時の相手の担当営業マンに相談したんだ。そうしたらその会社が管理してるペンションがあるって言うから、予約を入れてもらった」

「へー、さすがは亮介さん。でも高いんじゃないですか? 私雑魚寝できるところでも良かったですよ?」

「いや、だって。ひかりは血縁関係もない未成年だから、ホテルとか旅館には入れないし。フロントで家出や援助交際疑われて通報されるよ。ここは鍵も管理事務所を通さず直接郵送してくれたから都合良くて」

「あはは。そういうことなんですね。まぁ、家出は本物ですけど」


 この二日間学校を休むのは地域オカルト研究会の合宿だと言い張ったのに、現金だと亮介は苦笑いだ。


「まぁ、どうせ素泊まりだからそれほど高くないよ?」

「それは良かったです」


 するとここで鏡の中のミズコが口を挟んだ。


「ひかり、喜んで」

「ん? なにを?」

「ここは個室が一室しかない。つまり寝室は一緒だよ」

「そうなの!」

「ちょ! 寝室は別!」


 ミズコは何を言い出すのかと思えば、ひかりは乗っているし、亮介は慌てて二人を制した。


「僕はリビングのソファーで寝るから。て言うか、なんでミズコが間取りを知ってるんだよ?」

「正解だったんだ、ふふふ。直感……って言うか、当てずっぽうで鎌をかけただけ」

「はぁ……。て言うか、直観力は僕たちの調査に加勢できないのか?」

「最近力が弱くなってる気がする」


 それはミズコの姿が薄くなっている事実と連想されるので気持ちが沈む。しかし三人とも暗い雰囲気は表に出さない。


 因みにこのペンションは部屋こそ広くしてあるが、平屋で全体的には小ぶりな建物だ。間取りで言うと1LDK。加えて寝室に急な勾配屋根を利用したロフトがある程度である。敷地は広いのでバーベキューなどを楽しむ団体が少人数で利用する。


「それじゃぁ、僕はこの本を読むからひかりは好きに過ごして」


 亮介が言った本とは『対称寺御利益』だ。


「好きに過ごしていいんですか? じゃぁ、亮介さんを誘惑して楽しんでも?」

「バ、バカ! それはいいわけないだろ!」

「私は気にしないよ」


 すると亮介への挑発にミズコも加わる。


「もし二人が気になるならその時だけ鏡の扉は閉めてもいいよ? 普段家だとお父さんが我慢するのが当たり前なんでしょ? 旅先で羽目を外しても――」

「外さんわ!」

「ミズコもいいって言ってるんだから、こんな日くらいいいんじゃないですか? まずは一緒にお風呂入りませんか?」

「ダメ! ここで犯罪なんてしたら、ペンションを手配してくれた同業者にも顔向けできない!」


 いつもどおりの掛け合いは随分と賑やかだ。しかしこれは三人が三人とも雰囲気が暗くならないよう、意識して無理に作っているものであった。

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