第26話「切ないです……」
家具を運ぶための大きな台車を
水落は立てられた朱色の鏡をじっくりと観察する。当然扉も開けるので、中ではミズコが不安そうに亮介とひかりに視線を向けていた。もちろん水落にミズコは認識されていない。
「お宅らには今、鏡に何が見えてるんですか?」
「僕の娘です」
水落は亮介に対して目を細める。そして一度表情を戻すとひかりに目を向けた。
「お嬢さんもか?」
「はい」
「お嬢さんは、えっと、薮内さんの……ご兄妹?」
ここで焦ったのは亮介だ。自分とひかりの関係をどう答えようか悩む。しかしそんなことをお構いなしにひかりが答えた。
「いえ。鏡に映ってる亮介さんの娘の親友です」
「あぁ、なるほど」
納得をしたような声を出して水落は鏡に向き直った。亮介は安堵する。水落の目で鏡面には、反転された工房と本人と亮介とひかりしか映っていない。
「驚いたな。都市伝説だとばかりに思っていたが、俺の先祖は本当にこんな鏡を作ってたのか」
水落は独り言のように言う。鏡の枠となっている滑らかな彫刻の施された部分を撫でる。どうやら水落にもこの鏡の不思議さはわかっているようだと亮介もひかりも理解した。そこで亮介が問う。
「ご存知でしたか?」
「噂程度にですけど。今は他の地域に行ったとかで」
「はい。僕の地元です」
「そうでしたか。なんでも初代が連れ合いを早くに亡くして作ったとか」
鈴山の話と一致する。そんなことを思いながら亮介は続けて水落の言葉に耳を傾けた。
「けど、完成した時にはもう連れ合い……って言うか、その連れ合いも俺の先祖になるんですが、その遠い婆ちゃんは四十九日が終わってたとかで」
「そうだったんですか……」
その事実は知らなかったので亮介は寂しく思った。亮介の隣でひかりも、そして鏡の中で話を聞いているミズコも寂しそうにする。
「だから最初はこの鏡が完成品だって誰にも認識されなくてね」
「あぁ、なるほど……」
亮介が天を仰ぐので、ひかりは首を傾げた。
「どういうことですか?」
「つまりこの鏡作った初代さんは、完成した時既に奥さんの四十九日が終わってたわけだから、奥さんと対話ができなかったんだ」
「切ないです……」
「そうだね。それで他にはミズコの教えてくれた強い思いに条件の合う死者もいないから、本人にとっても普通の鏡としか認識できない」
「そういうことだったんですね……」
するとここで水落が口を挟む。
「やっぱり死者を見れる条件ってのは強い思いなんですか?」
「そうです。僕が娘を思うのと、親友が相手を思うのとで、今僕たちは鏡の中の別の世界を見れています」
「なるほどな。先祖代々の言い伝えを聞いてなかったら信じられねぇですわ」
「初代は若くして奥さんを亡くされたって聞きましたけど、お子さんはいたんですね」
「あぁ。俺の曾爺さんです。親が若くして死んでるから、当時では珍しい一人っ子だったそうで」
「そうなんですね。因みにこの鏡が死者と対話できることを認識されたのはいつ頃なんですか?」
「お宅の地元に行ってからだと聞いてます。家具としての評価は高かったから、技術伝承のために自慢の一品を一緒に送ったとか。そうしたらその里で不思議な力があることが判明して、こっちの街にもその声は返ってきたそうです。昭和の初期だから初代と二代目、俺の高祖父と曾爺さんの代ですわ」
「この鏡にいる四十九日中の死者をこっちの世に戻したなんて事例は聞きませんか?」
すると鏡を観察していた水落が腰を上げ、亮介を見据えた。亮介とひかりがこの鏡を持って調べている根拠を悟ったのだ。しかし水落は言う。
「残念ながらそういう話は聞いたことがないですな」
亮介とひかりは肩を落とした。心苦しさはある水落だが、彼はそんな表情も見せず鏡の観察に戻った。
鈴山と話した時よりは詳しいことがわかる。さすがは先祖が作った鏡だからだろう。しかし亮介とひかりが欲しい核心には届かない。二人はこれにもどかしさを感じた。
そもそも当てもなくこの鏡のルーツを辿ろうとこの街まで来ようとした。そんな時に鈴山からこの工房を教えてもらった。それに期待して来たものの、しかしいきなり一軒目で行き詰まりだ。鏡の調査について、次の当てはない。
すると鏡の背面を見ていた水落が、鏡の足元に屈みこんで言う。
「あぁ、これは細工品だな」
「細工品?」
亮介が鸚鵡返しに疑問を口にした。
「もともとうちの工房は細工品を得意とした家具工房なんですよ」
「細工品ってタンスとか小物入れに仕掛けがあって、隠し部屋みたいな箱が出てきたりする、あの細工品ですか?」
「そうそう」
「この鏡が細工品なんですか?」
水落は「そうです」と答えながらその場を離れた。そして窓際にある工具箱を漁った。なにかを探している様子で、亮介とひかりは特段言葉を発せずに見守った。
程なくして水落は鏡に戻ってくると、一度鏡の扉を閉めた。ミズコが気になった亮介とひかりだが、水落がなにかをしようとしている様子がわかるので、黙って見ていた。
「薮内さん、ちょっと表を支えてください」
亮介が「はい」と答えると、水落は亮介に対して、両開きの鏡の扉に手を添えるよう指南した。それから水落は鏡の足元を覗き込むように屈む。
「お嬢さん、ここに穴があるだろ?」
いきなり話を振られてひかりも慌てて鏡の足元に屈んだ。すると端に確かに直系一センチほどの穴があった。ひかりは「はい」と答える。鏡の扉に手を添えている亮介は視線を下に向けて様子を窺っており、水落に問うた。
「最近ワイヤーで固定してたんですけど、その時に開けた穴じゃないんですか?」
亮介はアトリエ鈴山のガレージから自分のエスティマに鏡を運ぶ前、鈴山がワイヤーを撤去するのを見ていた。その穴はワイヤーを通していたので、鈴山が開けたものだと思っていたのだ。
「いや、違います。この切り口は明らかに最近開けられたものじゃない。確かにワイヤーの痕跡はあるみたいですけど、穴自体はかなり古いです」
「私も気づかなかった……」
すると屈んでいるひかりが呟いた。十年この鏡と対話をしてきたが、ひかりは足元の目立たない箇所にある穴を認識していなかったのだ。
そんなひかりの呟きを耳にしながら水落は、穴に金属の細い棒を挿し込む。それは鍵とも見えなくないのだが、湾曲したりして歪な形状をしたもので、どちらかと言うと知恵の輪のようにも見えた。水落は工具箱からこれを取り出していた。
水落は工具を押したり引いたり回したりしながら、やがて挿し込んだまま放置した。
するともう一本同じ工具を取り出して、今度は反対の端にある穴に向いた。左右対称となる位置で、穴は両端に一つずつあった。亮介はワイヤー除去の時に認識しており、ひかりはここで目にして二つあることを初めて知った。
程なくして水落は一つ目の穴と同じように器具を挿したままでひかりに向いた。
「お嬢さん、せーのでこの棒を引っ張るぞ」
「は、はい。わかりました」
「じゃぁいくぞ。せーの」
水落とひかりはシンクロして器具を引っ張った。何かに引っ掛けた感触を手に覚える。しかしそれにつっかえることもなく、二人は同時に器具を引き切った。すると足元の板が一枚抜けた。更には水落が解体するように何枚か板を引き抜いた。
「うおっ」
すると亮介が驚く。鉛直方向の安定を失った鏡は前面に向かって傾いていた。亮介は慌てて踏ん張り、鏡が倒れないように支えた。それを急いで水落がフォローに回る。水落は傾いたことで鏡の扉が土間床にぶつからないよう慎重に扱う。そして水落の指示で亮介は、水落と一緒にそっと鏡をうつ伏せにした。
背面を上にした鏡は水落の手で操作されていく。下方は既に木材を抜かれており、それを皮切りにパズルのように材をスライドさせる。何度かそれを繰り返し、最後に水落は背板を外した。そこから出てきた鏡面の裏側に貼り付くものを見て、ひかりは小さく声を出した。
「お札?」
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