第25話「もう照れ屋さんなんだから」
九月最後の火水の連休を亮介は勉強休止とした。水曜日の予備校も欠席する。それでエスティマを走らせ日本海側の県に向かっている。後部座席は倒し、三面鏡の大鏡は寝かせて積まれていた。
「亮介さん、コーヒー飲みます? 開けますよ?」
「うん、ありがとう。お願い」
そしてひかりもいる。高速道路を走行中のこの時、彼女は助手席で亮介の缶コーヒーのプルトップを開けた。ひかりも学校を休んでついて来ている。家出中のひかりだから学校を休ませることに亮介は抵抗があったが、ひかりは言ったのだ。
「家出中じゃありません! 地域オカルト研究会の合宿中です! それに亮介さん一人で鏡を持って行ったら、私がミズコと会えなくなります!」
後半部分に関し、そう言われては亮介も納得するしかないわけで、渋々ひかりの同行を認めた。尤も前半部分はあくまで書面上のことだから強引な理屈だと思って、学校をサボりがちなひかりに呆れたわけだが。
亮介とひかりは前日のうちに鏡は預かっていて、この日は朝から移動である。それは数時間におよび、目的地となる街に到着したのは正午頃だった。
「ご飯にするよね?」
有料駐車場に車を停めた亮介はひかりに問う。ひかりは既に一度車を降りていて、外から後部座席に移動していた。そこでドアから体を潜り込ませるような前傾の体勢で鏡の扉を上に向かって開けた。
「ミズコ、車で待てる?」
「全然平気。どうせこっちの世界だから。むしろこの状態で鏡を開けられると、車の天井が見えるから平衡感覚がおかしくなる」
「あぁ、そうだね」
ミズコとひかりはクスクス笑った。あまり張りつめた空気はなく、穏やかだ。
しかしそれは無理をしているに過ぎない。もしかしたら明日ミズコは成仏するかもしれないのだから。ミズコははっきり認めないが、彼女の様子から亮介もひかりも望まない確信を得ている。
「じゃぁ、ちょっとご飯に行ってくるね」
「うん。いってらっしゃい」
ひかりはそっと鏡の扉を閉めた。それを確認して亮介も車を降りた。
二人は石畳で整備された街並みを歩く。瓦屋根が軒を連ねた古い印象のある街並みだが、特に観光地ということもなく、土産屋や飲食店は見当たらない。街工房などの看板は所々見かけるので、そういう都市計画なのだろうと思う。
「離れろよ」
「ん? どうしてですか?」
すると力んでいる様子の亮介が言う。ひかりはキョトンとした顔を見せるが、本気で亮介の言葉の趣旨がわかっていない。ひかりは亮介の小指を掴みながら歩いていた。
「指を握られるの、恥ずかしいだろ?」
「もう照れ屋さんなんだから」
「それにだな、学校をサボって来てるひかりは見た目も年相応だから、職質食らいそうで冷や冷やするよ」
「この辺まったくわからないんだから、くっついてないと不安なんですよ。はぐれたら困りますよね?」
「文明の産物スマホがあるからはぐれても問題ない」
「電話で道を説明されても私は理解できません」
「位置情報を送って。地図アプリで僕が迎えに行くから」
「嫌です。離れません」
「僕が警察に拘束されたら歩いて帰れよ?」
「やっぱり手は離します」
やっと離れたひかりである。彼女は後ろで手を組んで亮介と数センチだけ間隔を空けて歩いた。ミズコのことで暗い気持ちを抱いてきたが、今だけは遠出を楽しんでいた。
いつもの掛け合いをしているとやがて二人は通りに出る。そこはチェーン店もあるような近代的な場所だった。そんな中に風情ある個人店らしき店も混ざっており、二人は一軒の定食屋に入った。そこで昼食を取っている時にひかりが問う。
「ここからだと鈴山さんが教えてくれた工房ってどのくらいですか?」
「歩いてすぐだよ。さっき来た道を戻って、石畳の通りを一回路地に折れたらある」
「さすが、亮介さん。慣れない土地でも詳しいですね」
「さっき歩いてる時に曲がる場所を確認してたんだよ」
「それをさすがって言ってるんです。素敵です」
頬を赤く染めた亮介は表情を隠すように俯いてご飯をかきこんだ。
「しかしこの定食美味いな」
「ですね。お魚が凄く新鮮です」
「ミズコにも食べさせてあげたかったな」
「こっちに出て来たらまた一緒に来ましょう? 今度は三人で」
そんな前向きなことを言うひかりに亮介の胸は熱くなった。自分もひかりのように前を向かなくては。そのためにこの地に来たのだから。亮介はひかりを見習おうと気持ちを強く持った。
やがて食事を終えると二人は来た道を引き返す。そして事前に亮介が当たりをつけていた路地へと曲がる。途端にひかりは亮介の手を握った。しかも今度は指まで絡めてしっかりと。
「だから――」
「さすがにここは目立ちません」
「ったく」
亮介がすぐに折れたのはひかりの言い分に納得したからではない。ひかりの手に熱と汗を感じてのことだ。自分も目的の場所が近づくに連れて緊張している。それはひかりも同じなんだと理解したのだ。
路地を折れてから目的の家具工房はすぐに到着した。
『
気をつけて見ていなければ見落としそうな看板。いや、表札と言っても過言ではないほどの小ささ。木札に筆文字で書かれたそれは、引き戸の脇に掲げられていた。
亮介は一度深呼吸をするとひかりの手を離した。そしてガラガラと音を立てて引き戸を開ける。
「こんにちはー」
広い土間に足を踏み入れて声を張る。直後にひかりが入室しガラガラと引き戸を閉めた。土間が広いのは今の足元から既に工房になっているからである。
鈴山のアトリエよりも広いだろうか。しかし家具の資材と思しき雑多なものがそこら中に置かれていて、それは低いところで腰高から、高いところだと成人男性の背丈ほど積み上げられているので、全容が把握できない。
「はいよー」
すると男の声が返って来た。すぐにその男は資材の陰から姿を現す。所々白髪交じりで無精ひげを蓄えた中年。気難しそうな雰囲気を醸し出す職人気質だと一目で印象づいた。
亮介は男を目に捉えて挨拶をする。
「事前にお電話しました薮内です」
「あぁ、電話の。こっちへどうぞ」
雑な仕草で迎え入れるものの、邪険にされている感じはしない。それに安心したのか、ひかりから肩の力が抜けた。
二人は奥にある四人掛けのテーブルに通された。通路はあるのかないのかわからない工房。資材の間を縫うように歩いた。
そしてテーブルに着いても周囲の資材の圧迫感で落ち着かない。しかしテーブルは綺麗に仕上げられた無垢材で形成されているので、場違いな高級感を表す。切り株のような椅子も綺麗に削られていて、丸みを帯びている。上には座布団が乗せられていた。
やがて男は熱いお茶を持ってテーブルに来た。湯呑から上がる湯気を見て、亮介は熱い飲み物を久しぶりに見たなと思った。男は亮介とひかりの正面に座った。脇の一席にお盆を置く。
「俺がこの工房の
男は名乗った。ぶっきら棒だがしっかり話はできそうだ。
「今日はお時間をいただきありがとうございます」
「構いません。最近は仕事も減って暇だし、一人でやってる工房だから。それでここで作られた鏡を持ってきたと?」
「はい。一応ルーツはこの工房だと聞いてます」
「まぁ、この工房は俺の爺さんの爺さんだから……えっと……」
「高祖父さんですかね?」
「そう、高祖父。それからだから俺が五代目で明治からの直系です。ルーツがうちなら間違いなくうちで作った鏡ですわ」
「そうでしたか」
「で、その鏡のなにを知りたいんですか?」
「死者の留まる秘密について、なんでも」
ぴくっと水落の眉が動いた。亮介もひかりも彼の表情を見逃さなかった。水落は一度湯呑を口に運ぶとズズッと音を立ててお茶を飲んだ。その湯呑をテーブルに戻すと言う。
「その鏡は今どこに?」
「近くの有料駐車場に停めた僕の車に乗ってます」
「そうですか。まずはその鏡をここに運びましょう」
そう言うとお茶も残ったままの状態で水落は腰を上げた。亮介もひかりも水落について動いた。
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