第三幕

第24話「一緒に足掻くから」

 ミズコがひかりに吐いた嘘に気づいた翌日。夜、いつものように亮介は車を一時間走らせ、ひかりを連れてアトリエ鈴山にやってきた。アトリエのガレージでひかりはすかさず鏡を開ける。


「ひかり、今日もありがとう」

「ミズコ……」


 ミズコがいつもの朗らかな笑顔で迎える一方、ひかりは眉尻を垂らしてミズコを見据える。


「お父さん。今日も来てくれてありがとう」


 程なく、亮介も鏡の前にやって来て、愛する我が娘を見つめた。しかし違和感がある。


「ミズコ、なんだか薄くなってないか?」

「なってない。気のせいだよ」


 質問の趣旨を疑問で返すのではなく、即答で否定を示したことで亮介は確信する。夜ではあるが照明の点いたガレージで視認性はいい。しかしそれでも目を凝らさなければわからない程度。ミズコの体が透けており、背後の雑木林が薄っすら見える。

 亮介の言葉でひかりもその事実に気づいて悲痛な表情を見せる。


「ミズコ、私に嘘を吐いた?」

「私はひかりに曖昧なことは言っても嘘は吐かない」

「亮介さんに一目惚れしたって言ったの、あれって嘘でしょ?」

「嘘じゃないよ? 女の子の初恋の相手は父親だってよく聞くでしょ?」

「私には該当しない」

「確かにひかりには該当しないね。私も初恋までは該当しなかった。お父さんと会えたのはまだ最近だから」


 亮介は淡々と語るミズコを不安げな視線で黙って見ていた。ひかりとの間でミズコの話は続く。


「けど私はね、一度はお父さんに恋をした。自分の父親だってわかってこの人を知りたいって凄く興味を持った。これって恋じゃない?」

「否定はしない」

「ひかりの父親のことを知ってるから不安があったのも事実。それでもお父さんと一緒に生活を送ることを選択した。そうしたらお父さんは家族の愛情を教えてくれた」


 その頃の亮介にはミズコのことをひかりだと思っていたから我が娘の認識はなかった。しかしそれでも家族として接したかどうかを問われると、どうしても肯定する気持ちがある。


「それから私はお父さん大好きのファザコンになった。恋から家族愛に変化した。これってどこにでもいる女の子が経験するありふれた感情の変化じゃない?」

「それも否定しない。けどミズコは亮介さんと暮らす前、私との入れ替わりの時に他にも嘘を吐いた」

「私はひかりに嘘を吐かない」

「四十九日を過ぎる前で、四十九日をまっとうして体を返せば、ミズコの精神は再び私に宿るって言った」

「うん、言った」

「じゃぁ、また入れ替わろう? 四十九日を過ぎる前に四十九日をまっとうしよう?」

「それはできない。私はファザコンだからお父さんと一緒にいたらひかりに体を返したくなくなる。それだと四十九日を過ぎてひかりが成仏する」

「それなら四十九日をまっとうするまで亮介さんと離れて生活すればいいでしょ? どこかに拘束して監禁されて。そして四十九日を過ぎるまでに監禁を解いて鏡に戻ればまた私に宿れるでしょ? そうすればこれからも鏡を介して私とも亮介さんともお話できるよね?」

「私は無理やりにでも拘束を解いて監禁から逃げてお父さんに会いに行く。そしたらひかりに体を返せなくなる。それくらい重度のファザコンだから」


 亮介もひかりも強引な意見を言うミズコに絶望を覚える。それは亮介の憶測が正しいのだとより確信を与えるから。

 もちろんそんなことはミズコもわかっている。しかし自分の言葉で認めたくない。愛する父ができたのに自分が成仏するなんて。生がこれほど尊いものだったなんて。


「じゃぁ、なんでミズコは泣いてるのよ?」

「泣いてないよ」


 ひかりの目からも、ミズコの目からも一筋の涙が零れていた。正に鏡写しとなったように左右対称の目から悲しい涙は落ちていた。


 ミズコは今までひかりには支えられてきた。それは間違いない。親友だと思っているのも嘘ではない。だからひかりのことも大事だ。しかし自分は本来死者だから、いつ成仏してもいいと思ってきた。だからひかりに入れ替わりを打診した。

 しかし亮介との生活はミズコの期待を裏切るほど幸せなものだった。家族がいて、その上で親友がいる。人の温かみを痛感して、現世に未練を持ってしまった。今ミズコには生への執着心が芽生えている。


「ミズコ」


 ここで亮介が口を開いた。ミズコは悲しげな視線を亮介に向ける。


「なに? お父さん」

「ミズコは絶対助けるから」

「私はそもそも助かるとか助からないとかの存在じゃない」

「それでも助けるから。最後まで足掻くから。十六年前と同じことは繰り返さない。次はもう離さないから」

「生死の摂理を無視しないで。……じゃなくて、私は四十九日をまっとうすればひかりの体に戻れるけど……えっと……何だっけ? あぁ……だから私が成仏することはないわけで……」


 どんどんミズコの表情は強張り、言葉は支離滅裂となる。死の恐怖を感じている人の目。いつも不敵に笑うミズコが、素はきつい顔立ちなのに朗らかな笑顔を浮かべると柔らかい印象を与えるミズコが、怯えている。そんな彼女が痛々しく、亮介もひかりも涙が止まらない。


「二人とも嫌い。揃って私を嘘つき呼ばわりして」


 ミズコは両手で顔を覆うと、駄々をこねるように首を振った。しかし見放さない。だからひかりは言う。


「ミズコ、私もミズコを離さないから。亮介さんと一緒に足掻くから」

「うぐっ……、うぐっ……」


 とうとうミズコはなにも言えなくなり、嗚咽を届けるだけとなった。


「ひかり、ミズコをちょっと頼めるかな? 僕は鈴山さんのところに行ってくるから」

「わかりました」


 亮介とひかりの間でそう話すと、亮介は一度場を離れた。

 アトリエの照明は消えている。亮介とひかりが来る時の大半はこの状態だ。それなので亮介はアトリエと同一棟になっている母屋へ赴いた。インターフォンを押すと夫人が対応し、やがてアトリエの照明が点き、中から鈴山本人が出迎えてくれた。


「すいません。遅くにお声がけして」

「いえ、大丈夫ですよ」

「すぐに終わりますのでお構いなく」


 鈴山が一度奥に引っ込もうとするので、お茶を出されると理解した亮介が制した。鈴山は亮介の表情を見てテーブルに着く。亮介が覚悟を決めたような、なにかを決意したような、そんな表情に鈴山には見えた。


「お願いがあります」

「なんでしょう?」

「次の火曜日と水曜日、鏡を貸していただけませんでしょうか?」

「どういった理由で?」

「鏡のことを徹底的に調べたいんです。それであの鏡ができた地まで行ってみようと思います」

「そうですか……」


 鈴山は逡巡するような仕草で俯いた。亮介は鈴山からの返事を緊張して待つ。


 やがて顔を上げた鈴山は問う。


「当てはあるんですか?」

「いえ。お恥ずかしながら今のところなにも……」


 亮介がそれだけ答えると、鈴山は一度席を立ちカウンターの中に身を入れた。小太りの鈴山はカウンターの中で屈むので窮屈そうだ。カウンターの下でなにかを取り出している様子で、亮介はそんな彼をぼうっと眺めていた。


 程なくして鈴山はテーブルに戻って来る。その手には一枚のポストカードが握られていた。


「この家具工房にあの鏡を作った職人のルーツがあります」

「え!」

「一度赴いたことがありまして。と言っても私の場合は死者を映す鏡のことではなくて、この地に技術をもたらしたルーツを辿るためですけど。それから年賀状のやり取りが続いています」


 そのポストカードは確かに表に「年賀」と書かれていた。


「と言うことは……」

「はい。鏡を二日間お貸しします。但し、一つお願いがあります」

「なんですか? なんでも言ってください」

「鏡が遠征してる間のことをレポートに起こして私に提出してください」


 ニカッと笑った鈴山は少年のようにワクワクしている様子だ。それに亮介は頼もしい笑顔を向ける。


「わかりました。レポートはお約束します」

「ウィンウィンですな。私みたいなマニアは知識欲に飢えておりますから」

「ありがとうございます」


 亮介はその場で深く頭を下げると、ひかりとミズコのもとに戻った。

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