第23話「嫌です!絶対聞かない!」
鈴山からの話は亮介に気持ち悪いしこりを残すような内容だった。アトリエの中央のテーブルで、三面鏡の大鏡を普通の鏡としか見れていない鈴山は言う。
「ちょっと僕の方でも鏡のことを色々調べているんですが、腑に落ちないことがあるんですよ」
「と言うと?」
「鏡の中の薮内さんの娘さんは、ひかりちゃんと入れ替わる時、四十九日は分割して使用できるって旨の説明をしたんですよね?」
亮介は鏡の中の誰と話しているのか、そしてこの鏡でどういう経験をしてきたのか、それらすべてを鈴山には話していた。
「はい。ひかりからそう聞いてます」
「でもどこにもそんな記述はないんです。ひかりちゃんの話によると六歳の時に初めて会った。それから頻繁に対話をしている。つまり少なくとも十年は間違いなく娘さんが鏡の中に存在した。とっくに四十九日を過ぎてます」
「そうですね。ただ娘は自分のことを異端児と言ってました」
「そうなんですよね、それしか説明ができませんよね。十年存在しているし、入れ替わりもできたのだから」
「気になりますか?」
「あ、いや。お気を悪くされたらすいません」
「そんなとんでもない。鈴山さんには娘と会える環境を整えていただいて、感謝ばかりですから」
鈴山は四十九日のイレギュラーを起こしたミズコのことが引っかかっているようだ。しかしそれ以上は本人もうまく説明できないのだろう。これ以降は歯切れが悪かった。だから亮介に鈴山とのこの会話は気持ち悪くくすぶった。
それから数日経っても亮介は時々思い出す。頻繁にではないが、ふとした時に思い出す。仕事で外回りをしている時、勉強の時、ひかりと家にいる時など。
そんな状態で一週間が過ぎ、更に週末を迎える。この日も仕事から帰って来て、ひかりと食事を取り、ミズコと会ってきた。帰宅して風呂を済ませるとリビングで寛ぐ。もうすぐ日付が変わろうかとしている時間帯だが、少し休憩をしたら勉強もする。
テレビはネット番組を流していた。この日行われたプロサッカーの試合のダイジェスト番組だ。ちょうどひかりも風呂を済ませ、髪を拭きながらソファーの亮介の隣に座ったところだった。
『アディショナルタイム逆転ゴール!』
実況が興奮の声を上げる。そんな中、ひかりが言う。
「亮介さん、どっちのチームを応援してるんですか?」
「どっちも贔屓のチームじゃないよ」
「ん? 贔屓じゃなくても観るって、よっぽど好きなんですね」
「まぁね。と言ってもダイジェストだから」
画面の左上には試合時間と得点が表示されている。九十四分、二対一。九十分時計だと試合の途中で時間経過が掴みにくい亮介は、よく計算して四十五分時計に変換する。この時も頭の中で計算をしていた。
後半四十九分。アディショナルタイムは四分。アディショナルタイム自体は別途表示されているし、終了間際の時間帯はいちいち計算しなくても感覚が掴める。それでも変換するのは癖だった。
「四分って書かれてるのがアディショナルタイムですか?」
「うん、そうだね」
「この試合は審判の人、時間を間違えなかったんですか?」
ドクン
なぜだか亮介の心臓が大きく脈打った。亮介は表情を無くしたままひかりの質問に「そうだね」と答える。
「アディショナルタイムは追加時間だから、四十五分の間で止まった時間を追加しないといけない」
以前ひかりと話した自分の言葉が蘇る。画面に表示された九十四分に釘付けになる。前後半に変換すれば後半四十九分。
四十九、四十九、四十九、四十九……。
ドクン
またも亮介の心臓が大きく鳴った。四十九。いつだったか、誰かと話した。四十九日のことではない。誰といつどこで? デジャブなんだろうか? いや、確実に話した記憶がある。なにかに到達しそうで指先がまだ引っかからないこの感じ。亮介は眉間を押さえて考え込んだ。
「亮介さん?」
亮介の様子に気づいたひかりが怪訝な表情を向ける。亮介は、今はひかりが話しかけてこないように手で制した。ひかりはわけがわからないなりにも口を噤んだ。
いつだったか? 誰と話したのか? しかしひかりを制したのに皮肉にも、ひかりの声で記憶が蘇ってくる。
「総計で四十九日間を上限に私と入れ替わることができるって言いました」「一度出てからは、次は四十九日間鏡の外で過ごしたら戻って来るそうです」「なんで代表校が四十九なんですかね」「多ければ多い方がいいですよ。少なくとも四十九よりは断然いいです」「アディショナルタイム中に止まった時間は追加するんじゃなくて、アディショナルタイムをただ単純に止める」「一つだけ我儘」「毎日来て欲しい」「どこにもそんな記述はないんです」
亮介は眉間から手を離すと顔を上げた。
「あぁ、ミズコはひかりに嘘を吐いた……」
「え?」
亮介は気づいてしまった。その悲しい事実に。目から一筋涙が流れる。
「どうしたんですか? 亮介さん」
ひかりは彼の涙を見て狼狽えた。亮介は揺動なく言葉を続けた。
「四十九日の間で止まった時間は追加されない」
「え? どういうことですか?」
「そもそも四十九日は死者にとって現世と黄泉の狭間で存在できる期間。四十九日こそアディショナルタイムだ。ミズコのアディショナルタイムは今まさに動いてる」
「は? 亮介さん、わかるように教えてください」
亮介はショックのあまり表情を失った。それでもスマートフォンを取り出し、カレンダーのアプリを開く。
「ミズコがひかりに体を返した日はいつ?」
「お盆前の祝日の次の日だったから……」
「八月十二日だ。四十九日は数えだからその日を一日目とすると九月二十九日、次の水曜日が四十九日。この日にミズコは成仏する」
「は? なんですか! それ!」
ひかりは眉を吊り上げた。亮介に動きがないので、彼の肩を引いて自分を向かせる。亮介の目はどこか虚ろで、頬には涙の痕があった。亮介はひかりに説明を始める。
「ミズコは四十九という数字を嫌ってた。いや、恐れてた? これも違うな。とにかく悪い意味で敏感だった。それよりも多く欲しいって言ってた」
「それは亮介さんと一緒に暮らしてた時のミズコですか?」
「そう」
「それは私が成仏するのを防ぐためじゃなくてですか? もっと多ければ私が鏡の中にいながら、自分が長く亮介さんと一緒にいられるから」
「それもある。けど、ミズコの方にも同じことが言える」
「なんで同じことが言えるんですか!」
亮介の言葉を受け入れられないひかりは拒絶反応を示した。まだ亮介の言いたいことをはっきり理解しているわけではない。けど本能が拒絶する。
「ひかりと入れ替わったことで今まで一度も現世に出たことのないミズコは――」
「うぐっ……」
ここでひかりが嗚咽を漏らした。それに気づきながらも亮介は続ける。
「ミズコは人生が始まった。『一度出てからは、次は四十九日間鏡の外で過ごしたら戻って来る』これが嘘。本当は四十九日を過ぎるとひかりが成仏して、四十九日以内でひかりに体を返したら自分の四十九日が始まる。ひかりに嘘を吐いたのは本当のことを言うと、ひかりが入れ替わりを拒否するから」
「うぐっ……。やめてください」
「僕との数日の生活を経て、ミズコは死者が四十九日留まる場所、鏡の中に戻った」
「やめて……」
「それは人の死を意味する。それからミズコの四十九日のカウントがスタートした」
「やめてって言ってるでしょ!」
ひかりが怒鳴った。虚ろだった亮介は目に力を宿しひかりを見据える。ひかりは両耳を手で塞いで目をギュッと閉じていた。頬は涙で濡れている。
「ひかり、ちゃんと聞いて?」
「聞きません!」
「聞いて」
「嫌です! 絶対聞かない!」
亮介はひかりの反応も理解できる。しかし思うのだ。
「ミズコを現世に連れ出すために鏡のことを調べてるんだろ?」
「うぐっ……」
「それならしっかり現実を見なくちゃいけない」
「嫌……ですよ……」
「時間がないんだ。僕ももっと鏡の調査に付き合う。仕事だって予備校だって調整する」
「嫌。だってそれは亮介さんの憶測じゃないですか」
「確かに憶測だ。けどもしこの憶測が正解だったら?」
「正解じゃありません。うぐっ……。不正解に決まってます」
「不正解であることを僕だって望んでる。けどとにかく今は時間がない。ミズコを助けなきゃ」
「うえーん!」
とうとうひかりは声を上げて泣き出すと、亮介の胸に飛び込んだ。
「亮介さん、亮介さん! ミズコを、ミズコを助けて! お願いです! 私、なんでもしますから! お願いです! うあーん!」
亮介はしっかりひかりを抱きしめ、決意を新たにした。
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