第22話「やった。凄く嬉しいです」

 鈴山はアトリエの脇にあるガレージの奥に鏡を設置した。鏡の前には四人掛けのアウトドアテーブルも置いた。最初に見た時の亮介は至れり尽くせりの対応に恐縮しきりであった。ここなら風には晒されるが、雨は凌げる。

 亮介は仕事ないし予備校から帰って来ると、ひかりが用意していた夕食を取り、それからひかりを連れてアトリエ鈴山まで出かける生活を始めた。片道一時間の運転は骨が折れるが、運転をするため酒が減ったことで、思いの外勉強は短時間集中で順調だった。


 そんな生活を始めて早二週間。八月最後の日となった。この日は火曜日で、亮介とひかりは一階の喫茶店で勉強をした。途中昼食を挟み、その食後だった。テーブルの上は互いのドリンクと教材があるのみである。


「ひかり」

「なんですか?」

「なんですか? ……ときたか」

「ふふふ。亮介さんの言いたいことはわかりますよ」

「じゃぁ、どう考えてるか早速聞かせてもらおうか?」

「亮介さんも私の考えは既にわかってるんじゃないですか? それともまさか帰すって選択肢があるんですか?」

「はぁ……」


 亮介は深くため息を吐いた。なにを話題にするのか、その意思疎通は二人の間でできているらしい。それはひかりの家出を明日からどうするかだ。名目上は合宿。更に期日はこの日。つまりこの日に家に帰すことに書面上はなっている。

 しかし亮介は一度ひかりの家族を見ているから、無暗にひかりを帰すことに抵抗があって悩むのだ。この日までにひかりは少しずつ、家から大事なものは運んでいた。

 するとここでひかりが問う。


「亮介さんは私がいることを本音ではどう思ってるんですか?」

「うーん……」

「茶化さないし、怒らないし、泣かないし、もし法に触れることを言っても私は誰にも言わないから安心して言ってください」


 そう言われては言葉を濁す理由もなくなる。亮介は真っ直ぐひかりを見据えて言った。


「正直、僕は一緒にいたい」

「えへへ。私もです」

「家事も助かるし、ひかりとの生活を気に入ってもいる。それに鏡のことを調べるひかりとは一緒にいる時間が長い方が、絶対効率がいいから」


 この日までにひかりは勉強の傍ら、鏡の調査を進めていた。しかし進展はほとんどない。鈴山に聞いたことがすべてと言っても過言ではないくらいだ。鈴山が言っていた書籍も読んでみたが、むしろミズコから既に聞いていた情報の方が詳しかったくらいである。

 尤も書籍は多くの工芸品に触れているので、あの鏡の抜粋は少なかった。また、書籍は亮介も一読したが、やはりひかりが知り得た以上の情報は引っ張り出せなかった。

 するとひかりが満足気な表情を浮かべて言った。


「良かった。私もまったく同じ気持ちです。だからそろそろベッドインしてもいいんですよ?」


 茶化さないと言ったのに、結局茶化したひかりである。


「それは無理。寝室は別。その効果で僕の理性は保たれてるから」

「ふふふ。まぁ、それは亮介さんに合わせます」


 しかし悩ましい、明日から学校の始まるひかりの処遇が。これまでも小出しには話してきたが、結論は先延ばしになっていた。


 例えばひかりは亮介の子供、ミズコと同い年――もしミズコが本来の出産をされていれば一つ年上――だから養子に引き取ることも考えた。しかし家庭裁判所の審査は厳しい。むしろ死別とは言えバツイチで独身の男一人だ。審判は絶望的と言ってもいい。

 ではひかりの父親のネグレクトを告発するか? その場合、まず祖母がいることでネグレクトを認定してもらえるのか微妙だ。もし認定してもらったとしても亮介から離され、施設生活が有力になってしまう。そうなると、ひかりはミズコと会うことにも制限が出る。


 では、亮介の家を寮にするか? いや、これを学校が認めるとは考えにくい。それどころか、成人男性との共同生活になにを言われるかわかったものではない。下宿も同様だ。

 残るは結局のところ合宿。これもひかりの保護者の同意を得た上でのことだ。ただ同意を得ることは容易だし、住民票も移さなくていいから学校に報告する義務もない。だから亮介が傍にいてひかりを守るには一番現実的である。

 しかし確認しておきたいことはある。


「ひかりってさ、まぁ、今年の夏休みはミズコのこともあってちょっとイレギュラーだとしても、普段は学校のある日、ない日に限らず、友達を家に呼んだりする?」

「それはないです。あんな家の中を友達に見られたくないですから」

「友達が家の場所を知ってたりは?」

「それはまぁ、何人かいます。一緒に下校したりすると、家の前で別れたりするので」

「うーむ……」


 亮介が唸るのでひかりは怪訝な顔を向ける。


「どうしたんですか?」

「明日からのことだけどな、今後も家出を続けるとして、学校や友達に知られずうちで生活できるのかなって」

「まぁ、それは私がバレないように努力するしか仕方ないですよね」

「できる?」

「はい。友達と一緒に帰る時はできるだけ途中で別れますし、家の前までってことになったらその時は一回実家に入ります。食材の買い物も実家に入ることをカモフラージュにしてから出かけますし」

「そっか、わかった」

「と言うことは?」

「これからもうちにいて?」


 するとひかりは満面の笑みで目をギュッと瞑った。そして噛み締めるように小さく言うのだ。


「やった。凄く嬉しいです」


 調子が狂う亮介である。茶化したり挑発したり、いつもの掛け合いの方が今ではしっくりくるのだ。


 結局翌日からもひかりは亮介の家に住み着いた。ひとまず保護者の同意書も用意して整えた。文面は前回同様、地域オカルト研究会の合宿だ。期間はとりあえず一カ月。九月末までで、随時更新していく。


 そんな中、九月も中旬になって、この日も山間にあるアトリエ鈴山に二人はやってきた。亮介とひかりは夜、ミズコとの時間を楽しむ。


「そっちはどう? まだ温かい?」


 ミズコの問いに亮介が答える。


「街はまだまだ暑いよ。けどここはちょっと肌寒い気もするな」


 亮介の住む街中とは随分気温差のあるこの場所は、明け方は肌を晒すと寒いほどだ。尤も明け方に来たことはないが、それでも日も沈むと暑さは感じない。これだと冬場は凍えそうだなと憂う。加えて、路面の凍結もあるだろうと滅入った。


「鏡の中は気温とかないのか?」

「うん。私がひかりに宿ってた時は視聴覚だけだけど、一応こっちでは五感がある。けどそもそもこっちの世界には気温とかの概念がないから。それに食べなくても寝なくても平気だし。ね? ひかり」

「うん、確かにそうだった」


 するとひかりがガレージの正面、向かいの道路の先を指で示して言う。


「秋になるとここは紅葉が綺麗らしいよ。鈴山さんが言ってた。この位置ならミズコも一緒に見れるね」

「そっか、それは楽しみだな」


 ミズコは瞳の奥に寂しさを秘めて言った。しかしひかりの指の方向に亮介もひかりも向いていたので、二人が振り返る時には表情を戻した。


「あ、そう言えば紅葉。そのシーズンはここに来るのに道が混むなぁ」


 亮介がそんなことを言うので、ひかりが悪戯に笑って言う。


「運転頑張ってくださいね」

「ったく。他人事みたいに」

「そんなことないですよ? 帰ったら美少女の私の笑顔でたくさん癒しますから」


 それはいつもしてもらっていることで否定できないので亮介は頬をポリポリかく。そんな二人をミズコはクスクス笑って見ていた。


「まぁ、でも、娘に会える環境があるんだから、どれだけきつくても来るけどな」


 亮介がそんなことを言うので、ミズコはギュッと胸が締め付けられた。


「薮内さん」


 するとそんな時だった。アトリエから鈴山が出てきて亮介を呼ぶのだ。普段、この場所でミズコとの対話を楽しんでいる時は声をかけないので、珍しいことでもある。


「はい」

「お話したいことがあるんですが、今少しだけ大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です」

「では、こちらへ」


 亮介はひかりとミズコに「ちょっと行ってくる」と言うと、鈴山の案内でアトリエの中央のテーブルに着いた。

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