第21話「返してもらえませんか?」
翌日の退勤後、亮介はひかりを乗せてマイカーのエスティマを運転していた。ひかりは助手席で緊張を多少見せながらも、大半はやる気に満ちていた。そんな一時間の道中。エスティマは目的地のアトリエに到着する。
隣の民家までは歩いても骨が折れるほどの距離。見渡す限り山を形成する雑木林。そんな山奥の田舎にアトリエはあった。
黒塗りの外壁の木造住宅。広さはあるようで、更に二階建てだ。その一階の端に外から見ても広いとわかる部屋があった。そこはガラス面に『アトリエ鈴山』と表示されていたのでわかりやすい。山間のこの辺りは既に真っ暗で、閉館後なのでブラインドは下ろしているが、室内は明るく、その灯りが漏れている。
亮介とひかりは入り口となる掃き出しの引違い窓の前に立った。そこだけはブラインドが下ろされておらず、室内奥のカウンターに一人の男が見えた。男は亮介とひかりに気づくと愛想のいい笑顔を浮かべて歩み寄って来た。
男の手で掃き出し窓が開けられる。
「こんばんは、薮内さんですか?」
「はい、薮内です。遅くに無理を聞いてもらってありがとうございます」
「いえいえ。私がこのアトリエの運営をしております鈴山です。どうぞ中へ」
鈴山は柔らかな表情で歓迎を示す。小太りで中年。豊富な量の頭髪は黒だ。
亮介はひかりのことをどう説明しようかと思考を巡らせながら室内に足を踏み入れ、ぐるっとアトリエを見回した。
「え……」
「あっ!」
亮介の声にひかりの声が重なった。ひかりは目にした途端、駆け寄る。滑らかな彫刻に朱色の漆。なんと三面鏡の大鏡はここにあった。亮介は鈴山にろくな挨拶もまだなことも忘れて、ひかりを追って鏡に駆け寄った。
鈴山は解せない様子で二人を見るが、特段気分を害した感じもない。一方ひかりはすかさず三面鏡の扉を開けた。
「ひかり!」
「うわーん! ミズコ!」
そして鏡面から姿を現す少女。切れ長の目に丸みのない綺麗な顔立ち。彼女はミズコだった。亮介も暴れる心臓を落ち着かせることもできないまま鏡面を見つめた。
「ミズコ……」
「お父さん……うぐっ……」
ミズコは感極まって涙ぐんだ。寂しかった。心細かった。たった一日会っていないだけなのに、毎日会ってもらえると約束をしたから運び出された時はショックだった。それが鏡を見つけ出した父と親友が、今目の前にいる。喜びのあまり涙した。
亮介とひかりは鏡が外に出された経緯や、探しに来てここにたどり着いた経緯をミズコと一緒に確認し合った。そんな様子を鈴山は呆然と眺めていた。ミズコとの再会の喜びの余り、亮介とひかりは鈴山の存在を忘れていた。
鈴山の目に映る鏡は背景が反転したアトリエ。そして映る人物は自分と亮介とひかりだ。しかし亮介とひかりが見ている鏡面は、反転されたアトリエとミズコのみ。
「あの……」
再会を喜ぶ三人に恐縮そうに割って入る鈴山。亮介とひかりはドキッとした。ひかりが不思議な鏡の存在を知ってからひた隠しにしてきた。おかしな子だと思われるのを極端に避けてきた。しかし自分たちは今、その姿を晒している。
亮介もひかりもなんと言い繕うか、そんなことを考えながら振り返った。
「もしかして死者と話してます……か?」
「え……」
亮介は目が点になった。ひかりは驚いて目を丸くする。鈴山は半信半疑と言った感じで問い掛けている様子だ。
「あ、いや、失礼しました」
「どういうことですか? なんでそのことを知ってるんですか?」
鈴山が質問を引っ込めようとするので、ひかりがそれを引き留めた。途端に鈴山が目を丸くする。
「そんな! マジか! 本当だったんだ! これは凄い! 凄いぞ!」
そして一気に興奮を爆発させる。亮介とひかりは呆然と彼の様子を眺めた。
「あ、いや。すいません。失礼しました。良かったらゆっくりお話しませんか? こちらへどうぞ」
すると鈴山はアトリエの中央にある六人掛けのテーブルを示した。ここでやっと亮介もひかりもゆっくりアトリエを眺める。二十畳ほどの広さで、壁際は古い工芸品の展示で埋め尽くされている。入り口近くにカウンターと、中央にテーブル。大鏡は視認性のいいアトリエの片隅に置かれていた。
「失礼します」
そう言って亮介がテーブルに着くとひかりもそれに倣った。鈴山は一度カウンターの奥に消えて、冷たい緑茶を出してくれた。
鈴山は亮介とひかりの正面に座ると一度頭をかいた。亮介とひかりの斜め後ろに位置する三面鏡の大鏡にチラチラと目をやる。
まずは亮介がひかりを紹介したところで口火を切る。
「この鏡のことをご存じで?」
「はい。噂程度ですが。いや、都市伝説と言えますな。半信半疑だったんですが、先日リサイクルショップで見つけてすぐに購入しました」
「良かったら知っていることを教えてください」
「はい。まずこの鏡は死者が四十九日を過ごす間、留まる場所」
小さく心臓が脈打つ。ミズコが言った事実と相違ない。亮介とひかりは緊張を胸に耳を傾けた。
「できたのは大正初期。日本海側の県で細工品を得意とする家具職人が作りました。きっかけは若くして奥さんを亡くされたこと。不慮の事故だったそうで、言い残したことがないかを奥さんに聞きたくて作られました。もちろん亡くなった奥さんともっと話したいという思いもあってのことです」
「それがなぜこの地域に?」
「図書館にあったチラシと一緒に置いてあった書籍は読んでおりませんか?」
そう言えば書籍もあったことを思い出す。しかし読まずしてアポイントまで取って来た亮介だから、予習不足を露呈させて途端にばつが悪くなる。
「すいません」
「いえいえ、結構です。説明します。この鏡はもともと日本海側の県の工芸品で、その地域の特徴と手法が含まれています。その技術がこの地域に持ち込まれたのは昭和初期。その時にこの鏡もやって来て、当時は死者と会える鏡だと里では有名でした」
「そんな鏡だったんですね」
鈴山は一度首肯するとお茶を一口含んだ。そして話を続けるので、亮介もひかりもお茶に手を伸ばしながら目を向ける。
「しかし第二次世界大戦の混乱期に、物資不足で転売が繰り返されることになります。そんな中でこの鏡は行方知れずとなりました。それ以降はもう何十年と経っておりますから、マニアの間だけで知られる都市伝説です。だからこの鏡が本物だと知って私は興奮しております。先ほどはお見苦しい姿を失礼しました」
「いえ」
恥ずかしそうにする鈴山を見ながら亮介はグラスを置いた。
「あの……」
するとここまで黙っていたひかりが口を開く。鈴山は朗らかな表情でひかりを向いた。
「なんでしょう?」
「この鏡は先日までうちの蔵にあったんです。所有者はお婆ちゃんだと思います。けど父が勝手に売り払ってしまったんです」
「そうだったんですか!」
鈴山は目を丸くした。
「それで返してもらえませんか?」
「ひかり!」
臆面もなく図々しいことを言うひかりを亮介が制した。しかしひかりは亮介を気にすることなく眉尻を垂らして鈴山を見据える。
「困りましたな。私もお金を払って正当に買ったものですし」
「お金ならなんとかします」
「いや、それ以前に私は収集家です。お金以上の価値をこの不思議な鏡に見出しております。手放すのは惜しい」
「はぁ……」
鈴山も心苦しい思いは持っているのだろう。言葉は尻下がりだった。更にはひかりが明白な落胆を示すので、鈴山は妥協案を探った。
「ここに来て鏡と触れ合っていただくのは結構ですよ?」
すると途端にひかりは顔を上げた。鈴山に向けた視線をそのまま亮介に向け、目で訴える。亮介はひかりの視線を確認してから鈴山に向き直った。
「いいんですか?」
「はい。このくらいでは特にお金も請求しませんし」
「ありがとうございます! あぁ、でもアトリエの開館時間ですよね?」
「いえ。むしろそれは避けていただきたいと思っております」
「と言うと?」
「妻にこの鏡のことを話したら気味悪がってしまいまして。アトリエに飾る分にはなんとか店番をしてもらえるんですが、実際に死者と話す方が見えると妻は逃げ出してしまいます」
「ではどのように?」
「閉館時間ならいつでも結構です」
すると鈴山は大鏡の脇にある窓を手で示した。
「アトリエの脇にガレージがありますので、そこに置いておきます。自由に出入りしてください」
「いいんですか?」
「はい。盗難防止のためにワイヤーで固定はさせてもらいますが、それでも良ければどうぞ」
「ありがとうございます」
時間帯は利害の一致であった。これにはひかりも安心したようだ。とは言え時間外に出入りするわけだから亮介は身分を明かすため、自分の名刺を渡した。
この後ミズコとひとしきり話すと、亮介とひかりは「また来るね」と言ってアトリエを後にした。ミズコも最後は安堵の表情を浮かべていた。
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