第12話「会いたいですか?」
翌火曜日の朝。ひかりは同意書を持って家を出た。出かけ前に蔵に寄ってミズコから亮介の家のことは大方聞いた。前日に上がってはいるし、特段問題はなさそうだ。
やがて亮介の自宅に到着すると、亮介は部屋着のままひかりを迎え入れた。ひかりはヒラヒラのミニスカートに上は薄手のブラウスだ。髪は下ろしていた。
「おはよう」
「おはようございます」
煌びやかな笑顔に心弾む亮介である。ひかりとの生活が戻ってきた。それにどうしても喜ぶ自分がいる。
一方ひかりは表面こそ愛想良くできているが、内心では緊張を抱く。ある程度の勢いもあって家出を受け入れてもらったものの、先週まで亮介と生活をしていたのはミズコ。ひかり自身は初めてだ。ミズコの大事な人だからうまくやらねばという思いもある。
「来てくれたってことは、同意書も……」
ひかりは通されたリビングですかさずリュックを漁る。亮介の言い方にひっかかりを覚え、同意書に到達するまでの間その意味を考えた。
――来てくれた。
やはり亮介はひかりを求めていた。どういう意味での感情なのかはわからないが、ミズコの成果に嬉しく思う。思わずニンマリしたので、その表情をそのまま笑顔に変えて亮介に同意書を差し出した。
「はい。同意書です」
「あはは。やっぱりこうもスムーズに同意書を書いてもらえることにまだ戸惑うな」
亮介は頭をかいた。ひかりとの共同生活の再開に喜びはあるものの、今言った困惑もやはり本物だ。
荷物をすべて置くとひかりはエプロンを取り出し、キッチンに立とうとした。しかしそれを亮介が止める。
「朝ごはんならいいよ」
「え? いつも食べないんですか?」
「いや、食べるけど。今日は一日下の喫茶店の日だからモーニングしよう?」
「あぁ、なるほど。わかりました」
ひかりはリュックにエプロンを戻す。ミズコが来た時同様荷物が少ない。ミズコの時より学校の制服がない分、身軽だ。
「これから毎朝一回帰るの?」
「はい、そうします。やっぱりミズコのことが気になるので。いつもは夜に会ってたんです。けど夏休み中で亮介さんの家でお世話になってる間は、朝の方が都合がいいなって思うのでそうします」
その後亮介は着替え、ひかりを連れて一階に下りた。喫茶店で対応したのはアルバイトの店員だが、カウンターの中に美代子の姿も見えた。亮介と目も合ったが、特段不思議がることはない。このツーショットも幾分慣れてもらっている。
二人は勉強の前に朝食を取りながら話す。
「普段から料理はよくやるの?」
「そうですね。おばあちゃんの手伝いで。あ、そうだ。今日からはちゃんと味見しますからね」
「あはは。そっか」
「けど味見もしないで記憶だけで料理するって、ミズコ器用ですね」
「僕もそう思う。けど内緒ね。実は二~三回、味が極端に濃かったり薄かったりした日があった」
「そうなんですか?」
よほど可笑しかったのか、ひかりは笑って食いついた。
「その時亮介さんはどうしました?」
「美味しいって言って食べたよ?」
「言ってあげればいいのに。味に慣れてないんだから、その薄味や濃い味が本来だと思っちゃいますよ? ミズコ」
「あぁ、そうか。でもその時は中身がミズコだって知らなかったから」
「確かにそうですね」
亮介も笑顔を浮かべて朝食を進める。ここまでくると互いに緊張は解けていて、温かい空気になっていた。そこでふと疑問に思っていたことを亮介が口にする。
「僕も鏡の前でミズコに会えるのかな?」
「たぶん会えると思いますけど、他の人は試したことがないです。試したことがないって言うのは、私が誰かと一緒にその鏡の前に立ったことがないっていう意味です。だから他の人が鏡の前に立つと何が映るのかわかりません。ただの鏡かもしれないし」
幼少期に初めてミズコの存在を知り、すぐに対話をするようになった。しかしその頃はまだ祖父も健在なら母も姉もいた。子供ながら周囲が訝しむので、不思議な鏡のことは誰にも言わなかったし、誰かと一緒にいる時は鏡に近づかなかった。
「会いたいですか?」
「そりゃ、三週間半一緒に暮らした相手だからね。でもひかりの家にあるんだよね?」
「はい」
「じゃぁ、無理だね」
「別に来てくれていいですよ? 亮介さんなら」
「いやいや、三十代の男が女子高生の家に上がるなんて怪しすぎるよ」
「うーん……鏡は離れの蔵にあるんですけどね」
「離れでもちょっと抵抗あるかな」
やがて朝食を終えると食器が下げられ、手元には互いの飲み物だけとなった。二人とも教材を広げ始める。
「ミズコは元気にしてる?」
「よっぽど気になるんですね?」
「……」
ひかりが手を動かしながら目を細めるので、亮介は恥ずかしくなった。亮介が何も答えないのでひかりが続ける。
「元気ですよ」
「そっか……」
「あはは。茶化しちゃってごめんなさい。何でも遠慮なく聞いてください」
「じゃ、じゃぁ、僕のことなんて言ってた?」
「うふふ。大事な人って」
「そ、そっか……」
ひかりは悪戯に笑ってミズコが言った一目惚れを隠した。もう少し亮介の反応を楽しんでから打ち明けようと画策したのだ。亮介と共同生活を送る夏休みが終わるまでまだ二週間あるのだし。その亮介は頬を赤く染めていた。
「亮介さんはミズコのことをどう思ってるんですか?」
「難しい質問だな……」
「難しいですか? あ! 目の前に亮介さんにとってミズコと同じ顔と体の私がいるからですか? その私に答えるからですか?」
「まぁ、それも否定しない」
「他にもあるんですか?」
ひかりは教材と筆記用具を出し終え、ジッと亮介を見据える。亮介も既に勉強道具は出していて、表情はどこか浮かない様子だ。
「うーん……引かない?」
「はい。それは大丈夫です。こんなオカルトちっくな話を信じてくれた亮介さんだから信頼してます」
「信頼か……余計に話しにくい気もするな」
「もうっ。グダグダ言ってないで早く話してください」
十五歳も年下の少女を焦らせて責められる亮介である。彼は渋々口を開いた。
「少なくとも僕の方は恋愛感情じゃない」
「そうなんですか!」
これには驚いたようでひかりは目を丸くする。
「そうだと思ってたの?」
「はい。信じて疑ってなかったです」
「それもそれで複雑だけど。まぁ、いいや。僕にとって先週までのひかり、つまりミズコはなんと言うか、妹みたいな感じだった」
「そうなんですね」
これはミズコには言えないなとひかりは思った。ミズコは亮介のことを話す時、色んな表情を見せてくれた。驚きや期待。切なさや喜び。ひかりはミズコの恋愛感情を信じて疑っていない。
「一緒に寝てもさ――」
「え?」
「……え?」
二人は見合ったまま言葉が止まる。数秒の沈黙の後、ひかりが恐る恐る口を開いた。
「一緒に寝たんですか?」
「今のはナシで」
「ちょ! 今更それはナシです!」
ひかりはテーブル越しに前のめりになる。ひかりはミズコから一緒に寝たことも聞かされているという先入観を持っていた亮介の目は泳いだ。そしてジワジワ襲ってくる。体の本来の持ち主はひかりなわけで、その本人は今目の前で自分と話しているのだから恐怖だ。
亮介は慌てて言った。
「疚しいことはなにもないから!」
「ジー」
椅子に腰を戻したひかりはそんなことを口にしながら目を細める。亮介はひかりが怒っていると思っているが、ひかり自身そんなことはない。ただキスをしたことは知っているので、それを隠しているから苛めたくなる。
「ミズコからキスはしたって聞きました」
「げ……」
「私は怖くて聞けなかったんですけど、それ以上は?」
したたかに抜け目なく聞くひかりである。もちろん怖くて聞けなかったなんて嘘だ。しかし一度はキスを隠したミズコだから、その先を隠しているのではという疑念もほんの少しだけ抱いている。それならば嘘が苦手そうな亮介こそ攻略が容易だ。
「それ以上はない!」
「本当ですか?」
「本当にない! 最終日の夜で、それっきりだったから」
「信じますよ?」
「うん。信じてほしい」
内心では楽しんでいるひかりは、表面上は怪しむ視線を亮介に向ける。しかしここで閃いた。
「あ! もしかしてちょうど翌日からいなくなって、キスに負い目を感じて、私のバイト先に様子を見に来たんですか?」
「さ! 勉強やろう!」
「ちょっと! 話はまだ終わってません!」
亮介は一方的に打ち切って問題集に向かった。ひかりはミズコにバカにされた洞察力を珍しく発揮できて自己満足に浸った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます