第5話「我慢しません。帰りません」

 ひとまず家出を受け入れるかの返事は曖昧にし、カップ麺を二人で食べて、再び勉強に集中した。と言っても、勉強に集中したのはひかりのみで、亮介の方はと言うとひかりの処遇を考えていた。


 そして亮介の考えがまとまったのは二十一時を少し回った頃だった。亮介はその場でノートパソコンを立ち上げ、ワードで文書を書き始めた。


「なにしてるんですか?」


 気になったひかりは一度手を止め、亮介に顔を上げる。


「うん……」


 煮え切らない声が返って来る。集中しているようだが、ひかりはその反応にこれまでの調子をぶつける。


「エロサイトを見てるんですか?」

「ちょっと黙っててもらえるかな」

「幼気なJKを目の前に置いて、エロサイトとのコラボをおかずにしようとしてるんですか?」

「黙りなさい」


 集中を切らされるので亮介としては堪ったものではない。それでもやがて、なんとか目的の文書を完成させる。それをUSBに保存して立ち上がった。


「どこ行くんですか?」

「ちょっと事務所」


 亮介は素っ気なくそれだけ返すと、そそくさと玄関を出て行った。ひかりは首を傾げたが、急ぎの仕事でも思い出したのかと思った。


 亮介はものの十分ほどで戻って来た。事務所、つまり亮介の職場である会社は同じ建物の一階だ。だからその早さに特段ひかりは意外性を感じない。

 亮介の手にはUSBと一枚のA4用紙が握られていた。部屋にプリンターがないので、事務所で印刷をしてきたようだ。戻って来るなり亮介はそれをひかりに向ける。


「なんですか? これ」

「同意書」

「同意書?」


 ひかりは首を傾げて鸚鵡返しに疑問を示す。その用紙の表題は言葉のとおり同意書となっており、目的が学習合宿になっているのでひかりは解せない。


「今日はとりあえず我慢して帰れよ」

「我慢しません。帰りません」

「着替えだって必要だろ? それでこの同意書をひかりのお父さんに書いてもらって持って来て」

「あぁ、つまりこういうことですか?」


 漸く解せたようでひかりは亮介がしようとしていた説明を自分でする。


「この家出を亮介さんが私に勉強を教える学習合宿の形態にする。私は未成年だから保護者の同意が必要。私の父はニートだから口約束で同意をもらっても、いつ通報されるかわからない。そんなことになったらニートは間違いなく慰謝料をせびる。だから事前に直筆の同意書をもらうんですね?」

「まぁ、後半部分はそこまで懸念してたわけじゃないけど、大枠で言うと間違いないよ。その間のひかりの生活の面倒は僕が見る。それは君のお父さんにとってメリットになるから、同意してもらえるんじゃないかと思って」

「間違いないですね」

「とりあえず期間は追試まで。お盆以降は現時点でまったくノープラン」

「わかりました。しかし亮介さんってとんだお人よしですね。生活の面倒まで見るなんて」

「そう思うなら家出の考えをやめて大人を困らせるな」

「それは無理です」

「ただ生活の面倒は見ると言っても家事はやってもらう。そこに僕もメリット見出す」

「ウィンウィンということですね。とにかく同意書はわかりました。亮介さんの優しさに免じて今日は帰ります」


 我儘放題な言い分にとりあえず亮介は呆れておく。


「同意書をもらって明日来ます」

「明日僕が予備校から帰って来るのは十九時くらいだから」

「わかりました。十九時以降に来ます」

「同意書と引き換えに合鍵を渡す」

「楽しみです」

「ちゃんと同意書はもらって来いよ? 代筆はダメだからな。認め印でいいからハンコもな」

「代筆ダメなんですか? 百円ショップの印鑑を自分で押すのもダメですか?」

「当たり前だろ! さっさと行け!」

「はーい」


 ここまで話してやっと、ひかりは教材をスクールバッグに詰め始め、そして亮介の家を出た。ほっと肩の力が抜けた亮介である。とは言え、名目が学習合宿。本当に明日からひかりが住み着いたら、理性を保たないといけないので通鬱になる。


 そして翌日、ひかりは本当に同意書をもらってやってきた。小さなリュックとスクールバッグと一緒に。ノースリーブのシャツにデニムのショートパンツというラフな服装で、更にエコバッグとハンガーにかけられた制服のスカートも持っている。


「荷物それだけ?」


 思いの外、ひかりの身の回りの荷物が少ないので亮介は疑問に思った。


「はい。毎朝学校に行く前に家に寄ります。その時間なら家のニートと居候は寝てますから。そこで必要なものは取って来て、不要なものは置いて来ます」

「家まで近いの?」

「ここから歩いて十五分くらいです」


 とは言え、持ちにくそうにしていたハンガーにエコバッグ。それを目にして亮介は思った。


「荷物あるから車で迎えに行けば良かったな」

「今更です。亮介さんの連絡先も知らないですから」

「そうだった。はい」


 そう言って亮介は自身のスマートフォンをひかりに向ける。ひかりは意味を理解して亮介とメッセージアプリの交換をした。


「そのエコバッグは?」

「家事は私ですよね? この晩御飯から作ろうと思ってスーパーに行ってきました。まさかもう食べたなんて言わないですよね?」

「ご飯はまだだよ」

「もし私を待たずに食べてたら、永遠に美味しいって言わせながら私の作った料理を亮介さんの口に押し込むとこでした」

「……。とにかく自分で食費出したんだな? はいこれ」


 亮介は財布から札を抜き取るとひかりに渡した。


「こんなに使ってません。多いです」

「これからの分も。生活費は僕の負担。無くなったらまた渡すから言って」

「わかりました。因みにお風呂は入りましたか?」

「風呂もまだ。さっき帰って来たばかりだから」

「そうですか。ご飯とお風呂どっちを先にしますか? それとも私を襲いますか?」

「大人を揶揄うな」

「家出ってこういうものだと思ってました」

「他の人たちがどうなのかは知らんが、一応、名目上は学習合宿な」

「あぁ、つまり亮介さんは禁欲生活に入るわけですね」


「……」


「私は本当に覚悟できてるから、そういうことでもいいのに」


「……」


「で、どっちを先にしますか?」

「とりあえず風呂に入る」

「わかりました。お風呂掃除したら炊事を始めます。ゆっくりしててください」

「ありがとう」


 亮介が答えるとひかりは後頭部で髪を束ねリビングを出た。その様が妙に艶っぽく見えたのは、露にしたうなじのせいだろうか。


「はぁ……、本当に始まったな、美少女JKとの同居が。ここで童貞っぽく狼狽えたらたらラブコメになるのかな」


 亮介にとってそれは唐突で、自分の身に降りかかるものだとは思ってもいなかった。そもそもだが、昨日までは実際に狼狽していたのだが。


 その後、風呂掃除の終わったひかりが炊事を始め、その途中に湯が溜まったので亮介は風呂に入る。


 やがて風呂を出るとキッチンに香ばしい匂いが漂っていた。これには不覚にも心躍ったものだ。ここ数年手料理なんて、自分の雑なレシピくらいから食べた記憶がないから。

 短髪の亮介なので髪を乾かす手間はなく、乾き始めている髪にタオルを当てながら炊事をするひかりの背後に立った。ひかりの作る料理に興味を惹かれる。


「エプロン姿の幼気なJKを後ろからぎゅうってして襲いますか?」

「……」


 またもこの調子かと亮介からは言葉も出ない。とは言え、ノースリーブのシャツにデニムのショートパンツのひかりは、エプロンもしっかり持参していて可愛らしかった。花屋のエプロンとは見え方が違うと思った。


「亮介さん」

「なに?」

「亮介さんは今とても勿体ないことをしたと思いませんか?」

「どういうこと?」

「後ろからより、先に前から見てれば裸エプロンに見えたのに。ほら」


 と言ってお玉を持ったひかりが亮介に対して正面を向く。途端に亮介は赤面した。心臓もバクバク暴れた。


「ふふ。今からでも効果あったみたいですね」


 ひかりは不敵に笑った。

 華奢なひかりの二の腕に細い脚。そして主張を取り下げない豊かな胸。エプロンとスリッパ以外は素肌だ。服を着ていることを知っているのに、その格好がとても卑猥に見えるから亮介は狼狽する。そう、結局亮介はひかりの描いたストーリーに躍らされている。

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