第3話「一緒にお勉強をしませんか?」
不動産屋とは水曜定休の店や会社が多い。薮内不動産喫茶も例外ではなく、喫茶店部門も同日に合わせていた。加えて不動産部門は社長の義孝が週休二日を望み、火曜日も休みにしていた。だから火曜日のこの日、壁の向こうの事務所から人の気配はしない。
営業職は顧客や業者との連絡で、休みの日に着信が鳴るのはザラだし、役所や物件の現場は動いているので、そもそも休みが潰れることもザラだ。それでもこの日は営業職の出勤もないようだと亮介は感じていた。
そんな日に喫茶店のフロアで見た目麗しい女子高生とランチを共にする亮介。端的に言って戸惑っている。そのお相手ひかりは運ばれてきた料理を眺めたまま手をつけようとしない。彼女の目の前にはオムライスが、亮介の目の前には生姜焼き定食が置かれている。
「食べないの?」
「まずは香りを楽しんでいます」
よくわからない回答である。手は膝の上で若干前屈みになってジッとオムライスを眺めるひかり。亮介は匂いを楽しんでいたのかと初めて知った。垂れる髪を気にした様子もないが、しかし絶妙な角度で料理には触れさせていない。
例えばスマートフォンで写真を撮るならSNSへのアップなどであり得るとは思うのだが、最近の女子高生はこういう感じなのかと、世代間のギャップも亮介は疑い始めている。
「いただきます」
とりあえず亮介も空腹は感じているので、食事を始めることにした。強引に食事に連れ出されたものの、実は亮介自身、食事のために一度図書館を出ようとしていたのだ。お互いの目的は一致している。尤も奢らされることは予定外だったが。
「いただきます」
すると亮介の発声に反応するようにひかりも言葉を発した。そしてスプーンを握ってオムライスを掬う。亮介はゆっくり箸を動かしながらそんなひかりをぼうっと眺めていた。
「んん! 美味しいです!」
するとつぶらな瞳を更に丸くしてひかりは感動の声を上げた。不動産屋の併設とは言え喫茶店の程度はどこにでもある標準的なものだ。だからこれほど感動するひかりを不思議に思うし、しかし可愛らしくも見える。
「熱っ」
「猫舌?」
「たぶん」
オムライスの端の方はちょうどいい温度だったのだろう。オムライスの中央の方に進んでからひかりが熱さで顔を歪めた。それよりも亮介が思うのは、自分が猫舌なのかを問われて回答が「たぶん」なんだと内心で笑った。高校生ならもう自分の特徴は把握していそうなものなのに。
所々熱に苦戦は見せるものの、よほど美味しかったのかひかりはオムライスを順調に食べ進め、やがて完食した。亮介も食事を終えたタイミングは一緒だった。
その後食器を下げてもらい、食後のドリンクが置かれた。亮介の前にはアイスコーヒーで、ひかりの前にはオレンジジュースだ。
「これも美味しいです」
「ふっ」
オレンジジュースにまで満面の感想を言うので、可笑しくて亮介は吹いた。どこにでも売っている銘柄なのに。しかしひかりのそんな様子はやはり微笑ましく見える。
「明日も図書館でお勉強ですか?」
オレンジジュースがグラスから半分ほど減ったところで、亮介はひかりから質問を受けた。
「いや。図書館での勉強は火曜日だけ」
「水曜日もお仕事お休みなんですよね? お勉強もお休みにしてるんですか?」
「違うよ。水曜日は資格試験の予備校に通ってるから」
「大変ですね」
「そうだね。仕事しながらだとなかなかね」
「予備校は丸一日ですか?」
「ううん。午後一番から夕方遅くまで」
「へー。ずっとこのお仕事ですか?」
質問が多いなと思いつつも、悪い気はしない。そもそも女子高生を相手に自分からはどんな話題を振ったらいいのかもわからないから、この方がやりやすいと亮介は思う。
「ううん。この仕事はまだ一年くらい。転職したんだ。それまでは電子機器メーカーで回路の設計をしてた」
「ふーん。それって理系ですか?」
「そうだね」
「大卒ですか?」
「うん。工学系の学部を出てる」
「じゃぁ、高校の理系の科目はバッチリですか?」
「……」
思わず亮介は口を噤んだ。そもそもこの店で一緒にランチをしている経緯を思い起こせば、彼女は遠慮がなくズカズカと踏み込んできた。まさかと思う疑念が浮かぶ。
「高校の理系はもう記憶から抜け落ちてるなぁ」
「大学出て、そういう会社にもいた経験があって、高校ごときの勉強はまだわかりますよね?」
「わからない」
「わかりますよね?」
「もう忘れた」
「午後は一緒にお勉強をしませんか?」
「……」
まさかの疑念が的中し、思わず絶句する。そしてひかりから続く言葉も予測ができる。出会いもまだ二回目なのに、なぜこうも懐っこいのか。
「基本的に亮介さんのお勉強は邪魔しません。私がわからない時だけ声をかけるので、私に勉強を教えてください」
「他に頼れる友達は?」
「私はぼっちです」
「それは追試と出席日数の補習のため夏休みに学校に行ってることを言ってる?」
「いえ。普段からぼっちです。出席日数足りてないんだから、高校入学して三カ月ちょっとなんでぼっちは当然です」
「当然ではないでしょ。それほど社交的で友達がいないわけない」
「バレましたか」
「バレバレです」
亮介は呆れてしまって一度ひかりから視線を外す。グラスを持ってアイスコーヒーを啜ると苦味とともに喉が潤った。しかしひかりはめげない。
「友達は部活やバイトや遊びに忙しくて、午前が補習で潰れる私のスケジュールには合わせられません」
「僕だって火曜日しか空いてないよ」
「一緒に誰かといることはないんですか? 趣味とか」
「バツイチで子供もいなくて、平日休みだからそもそも休日は忙しくないよ。それに試験が終わるまでは試験勉強に集中するって決めてるし」
「じゃぁ、私と一緒にお勉強するのは問題ないですね?」
「問題アリアリです」
女子高生にとってはバツイチ発言に反応するかとも思った亮介だが、思いの外これには触れなかった。尤もひかりの両親も離婚をしているのでひかり自身、それには然程興味を示さない。
それより勉強を教えてくれる相手がほしい。夏休み中だと教科担当の教諭も出校している保証がないから、学校で質問をできるかも怪しいのだ。だから食らいつく。
「どうしてですか?」
「場所はどうする? 図書館じゃ声を出せない」
「ここはどうですか?」
「あぁ、あった……」
ぐうの音も出ない提案である。そもそも女子高生とお勉強会なんて未だに現実味はないし、本気にしていないし、何より実現させる気もない。しかしこの喫茶店なら確かに条件はクリアしていると納得してしまった亮介である。
「高校の勉強は忘れたと言っても、問題集の解説を見ながらだったら思い出して私に教えることできますよね?」
「……」
それを聞いて、確かにできるかもしれないと思った亮介だが、やはり女子高生と親しくすることに抵抗がある。だから肯定の言葉が出ない。
同じ空間でそれぞれの勉強をして、ひかりがわからない問題に差し掛かった時だけ自分の手を止める。それならば然程自分の勉強にも影響は及ぼさない。しかしまだ出会って二回目だ。周囲の視線を思えば、倫理的な抵抗の方がやはり勝る。
「決定でいいですか?」
「はぁ……」
亮介はため息を吐いた。ここでズバッと断れる性格ならどれだけいいだろう。本人は認識していないが、これが亮介の優しさであり押しに弱い性格である。
「本当に僕の勉強もちゃんと進められる?」
「はい。できるだけ自分で考えて問題を解くようにします。どうしてもっていう時だけ声をかけます」
「はぁ……」
二度目のため息は根負けの意味だった。
この後二人は一度図書館に戻り、座席の確保のために置いてあった荷物を回収して、再度薮内不動産喫茶の喫茶スペースに戻ってきた。
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