第47話 ドリーワン・レベル2 第16話
ダイニングのテーブルの花瓶に花が生けられていた。
「今朝起きたら枕もとに咲いてたんだって」
ドリーが教えてくれた。
「麻衣は?」
知らない、とドリーは言った。
「どこかに出かけたんじゃない?」
ぼくは戸棚からカップヤキソバを取り出して、お湯を入れた。
「いいの?そんなの食べて。先生に止められてるんでしょ。また下痢するよ」
「たまには好きなもの食べたっていいだろ」
「わたしも食べる」
ぼくはドリーが取り出した塩焼きそばに湯を注いだ。
3分を待つ間、ぼくは花瓶に生けられた花で遊んだ。
花は生きているようでもあり、死んでいるようでもある。造られたもののようでもある。
見るだけでなく、匂いをかぎ、手で触れ、最後に花弁を一枚口にふくんだ。
「こんなにまじまじと見たのははじめてかもしれないな」
花弁は苦い味がした。
「何が?」
ドリーは待ちきれないのか、カップヤキソバの蓋をはずして、お湯の中のまだ固い麺を箸でほぐして、かきまぜたりしていた。
「生花でも造花でもないこの花はいったいどこから持ち帰ったものなんだろう?」
夢、でしょ? つまらなそうにドリーは答えた。
「ぼくもそう思っていた。だけど夢の中のものは現実には存在しないものだろう?だけどこれは存在する」
ふと思いついた疑問は、言葉にしてみるとますますわからなくなった。
「よく意味がわからないよ」
ぼくは何が疑問なのか、頭の中でゆっくり整理するように、
「夢は知覚することしかできないものなんだ。においがあったり重さがあったり、温かかったり冷たかったり、夢の中では感じることができるけれど、それはただ脳の電気信号によるもので、存在しないものをみてりきいたりしてるだけなんだ。対象のものはどこにも存在しないんだ」
言葉を咀嚼しながら吟味して口にした。
「この花を麻衣が夢から持ち帰ったのだとしたら、この花はいったいどこに咲いていたものなんだろう」
だから、夢、でしょ? もう一度、つまらなそうにドリーは言った。
席を立つのも面倒なのか、カップヤキソバの湯を花瓶の中に捨てた。
「まだ3分たってないよ」
「いいの。麺は少し固めのほうがおいしいから」
ドリーは塩焼きそばの粉末を麺にからめる。
「ドリー、この世界はね、世の中のどんな事柄も科学的に証明することができるんだ。原因があるから、結果があるんだ。今は証明できないこともいつか証明できるようになるんだ」
だけど、存在しないものを存在させるなんてことはできない。
ドリーワンは夢を見ることではただ持ち帰るものを選択しているだけなんじゃないかな。
夢の先に存在する世界があって、ぼくたちはそこから何かを持ち帰ってるんじゃないかな。
本やCDを買うとき、売り切れてたらお店で取り寄せてもらうだろう?
ドリーワンはそういうものなんじゃないかな。
「3分たったよ」
ドリーが言った。
「君もその世界にはじめから存在したんじゃないのか?」
疑問は、思いもよらない場所に着地した。
「知らない。でもそんなことを知ってどうするの? 何かの役に立つの?」
「役に立たないかもしれないし、役に立つかもしれない。今は役に立たないこともいつ役に立つかわからないから、知らなくてもいいこともできるだけ知っていたほうがいい」
いつかドリーが言った言葉だ。
「お兄ちゃん変わったね」
「麻衣を守るためだから。必死にもなるよ」
ぼくはカップヤキソバの蓋を開けた。
ぼくは麺はやわらかい方が好きだ。
「今度は守れるといいね」
ドリーはさびそうに言った。
ただいまー、と妹が楽しそうな声をして帰ってきた。
「お兄ちゃーん、起きてるー?」
妹の足音とビニール袋のこすれる音がした。両手に大きなスーパーの袋を提げた妹がダイニングに入ってきた。
「おなかすいてるだろうけど、ちょっと待っててね。今日は麻衣が腕によりをかけてお兄ちゃんの好きなものいっぱい作っ」
妹はぼくたちの前にあるカップヤキソバを見て、大きな瞳に涙をためた。
こどものころは、誕生日を迎えるたびに、人は別人になるのだと思っていた。
父は毎年女を変え、ぼくには毎年新しい母ができた。
「学くん、あのね、お母さん、明日ひとつ年をとるの」
新しい母は、誕生日を迎えた朝いなくなった。
父は新しい母を連れてきた。
鏡にうつるぼくは、今日もぼくだった。
鏡は、人はそう簡単に変わることができないということを、ぼくに教えた。
昨日、多治見の方で、気温は40度にまで上がり、過去最高気温を記録した。
クーラー代を浮かすために、ぼくは妹とドリーを連れて、図書館へ向かった。
まったく手をつけていなかった宿題をふたりが手伝ってくれると言った。
中学生に宿題を手伝ってもらうなんて、とぼくは気乗りせず頭をずっとかいていたけれど、
「麻衣はね、国語とか英語が得意なんだ。ドリーちゃんは?」
「数学、かな。理科も得意」
ふたりはやる気だった。
社会はぼくの得意科目だ。
図書館につくとぼくは以前のように、新聞の縮刷版や過去の犯罪者たちについて書かれた本を読み始めた。
「宿題、するんじゃなかったの?」
妹は、あきれたようにそう言って、英語の辞書を片手に、すらすらとテキストの和訳をしていく。
幼い頃、妹を虐待した最初の父親は外国の大学の文学教授だったらしい。
妹は帰国子女というやつで、中学1年で英検1級をとった才女だ。ぼくとは遺伝子の出来が違う。
ドリーは角川スニーカー文庫を探しに行ったきり帰ってこない。
「何読んでるの?」
「三億円事件」
「あー、明智警視のお父さんが捜査してた事件?」
「なんでたとえが金田一なんだよ」
「知らないもん、それしか。あ、ビートたけしが白バイ警官の役やってるドラマも見たっけ」
「そっか。ぼくは織田裕二が自殺した少年の役をしてた映画も観たよ」
「ふーん、その本、おもしろいの?」
「おもしろいよ。白バイ警官に扮装した犯人が犯行現場に残した数々の遺留品が捜査のかく乱に一役かったわけなんだけど、遺留品はすべてドリーワンによって持ち帰られたものみたいなんだ。捨てることはできないはずだから契約者のもとに帰るはずなのに、だけど遺留品は警察に保管されたまま。時効を迎えた日の朝までね」
「どういうこと?」
「犯行が行われた時点で契約者はすでに死んでいたか、脱落していたということだよ」
「契約者でない者が契約者を利用した犯罪。あるいは契約者が別の契約者を利用したのかもしれない。どちらにせよ、ドリーワンにはこういう使い方もできるってことを、何十年も前に思いつき実行した人がいるんだ。すごいよな」
「ふぅん、で、ドリーワンって何?」
顔を上げると、富田紘子が「口裂け女、人面犬を飼う」を胸に抱えて立っていた。
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