第41話 ドリーワン・レベル2 第10話

 紘子の言う通り、図書室には勉強している受験生たちはいても、本を探す者も借りていく者もいなかった。

 入ってくる人も出ていく人も、ぼくたちが座るカウンターの前をすどおりしていく。

 ぼくたちの存在も、蔵書と同じで飾り物なのだ。


「だからわたしは当番の日に一冊ずつ本に拳銃を隠す穴を作ることにしたの」


 閉館時間が近付く頃、彼女の拳銃を隠す穴は完成した。


「拳銃は?」


「持ってるわけないでしょ」


 ただ物語の延長のような行為をしたいだけだもの。紘子はそう言って、本を閉じた。


「本、片付けてくるね」


 閉館時間を告げるチャイムが鳴った。


「それ、何ていう本?」


 立ち上がった紘子にぼくは訊ねた。


「ソフィーの世界」


 ぼくは一度も拳銃を使わなかったし、たてこもり事件の佐野は使いすぎた。

 拳銃は彼女のような女の子にこそ贈られるべきだとぼくは思った。

 ぼくはその穴に、なくした銃をかくしたいと思った。


「加藤くん、帰ろう?」


 帰り支度をする紘子に


「富田さんは?」


 ぼくは問いかけた。


「富田さんは本を読むの?」


「読むけど、ここで借りたことはないわ」


「どうして?」


「ここにはわたしが一番好きな本がなかったから」


 ここの蔵書を選んだ人とわたしは趣味があわないと思うもの。


 ぼくたちはいっしょに校門を出ると、同じ方角に歩き出した。


「加藤くんは古戦場跡だったよね」


「どうして知ってるの?」


「たてこもり事件のとき、ニュースで見たもの。わたし隣町なの。地下鉄、ひとつ前の駅でおりる」


 高校から駅までは少し距離がある。一年前に駅前の駐輪場に置いた自転車は、放置自転車として処分されたらしく、名古屋市から通知が届いていたと妹から聞いていた。


 紘子は自転車を押しながら徒歩のぼくと並んで歩いた。


「加藤くんてさ、ときどき死んだ人を懐かしむような顔するよね」


 学校の近くに川が流れている。

 その橋を渡るとき、川上にある工場の煙突からあまったるいにおいが流れてきている。

 ぼくたちは息を止めて、早足で橋を渡った。


「要先生に、原田さん、あ、あの太ってる子ね」


 それから佐藤くんに鈴木さん、高橋さん、田中くん、渡辺さん、伊藤さん…


「ひょっとして嫌いな人を頭の中で殺しちゃってる?」


 ぼくは足を止めた。


「ねぇ、頭の中で人を殺すとどんな風に見えるの?」


 ぼくは早足のまま、駅へと急いだ。


 紘子は自転車でぼくを追い抜いて、駅の入り口でぼくを待ち構えていた。


「教えてよ」


 ぼくたちは名鉄線に乗り、名古屋で地下鉄に乗り換える。




 あしながおじさんから妹の通帳に振り込まれるお金から、妹は毎月、生活費とぼくたちの小遣いを降ろす。

 ぼくの小遣いは5000円だ。

 妹は3000円。

 足りるのかと聞くと、生活費っていうのは何割かは女のお小遣いになるのよと言った。

 少し納得した。

 ぼくはお金の使い方がとても下手だった。あればあるだけ使ってしまう。だから毎週千円ずつ妹からもらうことにした。

 月の終わりにどうしても足らなくなったときだけ残った千円をもらう。


 学校へ行くようになってから、ぼくは学校帰りに毎日のように自転車をこいで坂をのぼりブックオフに寄るようになった。

 アピタと同じグリーンロード沿いにあるブックオフ古戦場跡店は二階建てで、一階に漫画とゲームが並び、二階には小説が並ぶ。近くにはビレッジバンガードの本店がある。


 店に入るとすぐぼくは買い物かごを手にとって百円の漫画コーナーへ足を向ける。

 かごいっぱいの漫画を買って、ぼくは家へ帰った。

 ぼくは世界の終わりの物語がとても好きだった。


「人は信じるものがなければ生きていくことができないのだと何かで読んだり聞いたりしたことあるでしょ。宗教だったり、恋人だったり、家族だったり、人の数だけ信じるものがあるの。昔わたしたちの教室から飛び降り自殺した女の子は、その少し前に自殺したアイドルが信じるものだった。信じるものを失ってしまったから、後を追おうとしたのね」


 富田紘子は、電車の中でぼくにそんな話をした。

 勉強をして偏差値の高い大学に入れば、一流の企業に入社できる。一流の企業に入社できれば、一流のパートナーに出会うことができて、偏差値の高いこどもがうまれる。偏差値の高いこどもは偏差値の高い大学に入り、一流の企業に就職する。勉強だけしていればいい、他のことはするな。信じて迷わず突き進んだ者だけが幸せになれる。


「旧世紀、そんな神話を信じていた人たちがいて、わたしたちの通う学校は、その最後の生き残りみたいな大人が教壇に立ってる。わたしたちの親も、まだそんな神話を信じて、少年院みたいな学校に喜んでこどもを通わせてる。ねぇ、加藤くん、わたしたち、いつまで勉強しなきゃいけないの? 加藤くんはどうして帰ってきたの?」


 後悔していた。


「本は人生を変えてくれることだってあるのに、あの図書室にいる人たちは皆そんなことも知らないのよ」


 家に帰り、階段を上ると、妹の部屋の前でドリーが体操座りをしていた。


「麻衣は?」


「まだ部屋から出てこない」


 ぼくはドリーの隣に座り、ブックオフの黄色いビニール袋から漫画を何冊か取り出して、そのうちの一冊をドリーに渡した。


「ずっと麻衣のそばにいてくれたのか」


 ぼくは表紙をめくり、ドリーにそう聞いた。


「うん。だって、麻衣ちゃんはお兄ちゃんの一番大切なものなんでしょ」


 ドリーも、ぼくにならって表紙をめくる。


「ありがとう」


 と、ぼくは言った。


 ぼくたちはそのまま妹の部屋の前で夜をむかえて、そして眠った。

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