第38話 ドリーワン・レベル2 第7話
結局ぼくは何も変わってはいない。
自分のためにすることさえ、誰かのためにとか、大義名分をつくらなければ何ひとつ行動にうつすこともできないのだ。
何十分か喧嘩をすると、ぼくは父の部屋にひきこもった。
父が生前収集しつづけた妹の映像を何時間もかけて見た。
ドアには鍵をかけた。
「何よ、今の麻衣がこわいからって麻衣の昔のビデオ見ることないじゃない」
妹はドアを何度もノックして、数年前の自分の映像に嫉妬する。
6000本の妹のビデオテープは、父の目に映っていた妹の姿だ。
ざまあみろとぼくは思う。
ささやかなしかえしだった。
映像の中の妹は、とてもかわいかった。
父が、母の連れ子であった、血のつながらない妹を、どれだけ愛していたか、同じ血のつながらない妹を愛するぼくには痛いほどによくわかった。
肉親へ向ける愛情とも、異性に向ける愛情ともどこか異なる、その中間に位置するような、複雑な、どうにも形容のできない愛情だった。
妹は母同様父の収集癖をあまりよく思ってはいないから、この部屋に入ったことはないだろうけれど、いつかふたりでこのビデオを観よう、とぼくは決めて、そう決めた途端、映像の中の妹ではなく現実の妹が恋しくなって、ぼくはドアを開けた。
真夜中だった。
妹は廊下で眠っていた。
泣き疲れて眠ったらしく、ばかばかと寝言でぼくを罵っていた。
ぼくは深い自己嫌悪に陥った。
妹を部屋に運び、ベッドに寝かせ、ぼくもその隣に寝転がってはみたけれど、眠れなかった。
しかたなくぼくは公園まで散歩に出かけることにした。
いつものように廃バスを訪れると、宮沢渉が前から二番目の座席に座ってぼくを待っていた。
通路をはさんで、右の座席に上半身が、左の座席に下半身が。
胴体が切断された彼の体は座っているのではなく、ただ力なくそこに置かれており、ぼくは目の前の光景が信じられず、ただ瞬きを繰り返した。
暗闇と、凄惨な光景が交互にぼくの視界を支配する。
自信に満ち溢れていた瞳には何も映ってはいなかった。
その死体は、教室で補習授業を受ける腐った肉の塊とは違い、動くことはない。
ぼくはその死体が本物であるかどうか確かめようと思った。
ひんやりと冷たいその体に触れて、彼の左手が義手であること、右脚が義足であることを知った。縁取りとモザイクのある義手と義足だ。仕込み杖のように、そこには武器が仕込まれていた。
だからいつも重たそうに体をひきずるようにして歩いていたのだ。
「なんで……」
下半身の、剥き出しになった傷を見て、ぼくは吐き気をもよおした。
まるで漫画やゲームに出てくるような巨大なモンスターに噛み千切られたような傷だった。
「本当に、異世界に……?」
現実と虚構の区別がつかないのだと思っていた。
あるいは虚言癖でもあるのだろうと。
ぼくは彼の語る物語に耳を傾けながらも、彼の話を信じようとはしなかった。
彼は本当に世界を救う冒険をしていたのだというのだろうか。
彼の、引き裂かれた上半身の、その襟元を掴む。
「おい、なんで死んでんだよ。あんたに死なれたら困るんだよ。
あんた理佳を消したんだろ? あんたが契機を満了しなきゃ理佳は帰ってこれないんだよ。
理佳はあんたのこと嫌ってた。でもあんたは理佳のこと大切に思ってたんだろ?
あんたが死んだら理佳に謝れないどころか、理佳が帰ってこれないんだよ。
返事しろよ。なんで死んでんだよ。勇者なんだろ? 生き返ってみせろよ」
激しく揺さぶっても、彼はもう返事をしない。
手に握られた何かが、どさりと床に落ちた。
それはぼくが彼に渡すつもりで、渡さずに置いて帰ったノートだった。
そのノートを拾って、ぼくはぱらぱらとめくってみた。血のついた指でページをめくったあとがある。
血は、まだかわいてはいなかった。
ノートは彼に届かなかったのだ。
彼はその死の間際に、このノートを手にしたのだ。
ぼくが彼を殺したのだ。
ぼくは首にかけた彼にもらった首飾りをぎゅっと握った。
「その首飾りは、カムイ族の村でわたしが作ってあげたの」
妹の声がした。
「麻衣?」
後部座席に、妹が座っていた。
「いや、ドリーか」
はじめからそこにいたのだろう。
「お友達ができたから、その子にあげたって言ってたけど、それがお兄ちゃんだったなんてびっくりしちゃった。ひさしぶりだね、お兄ちゃん」
ドリーは笑って手をひらひらさせた。
ぼくには手をふりかえすことはできなかった。
再会を喜びあうには、この場所は凄惨すぎた。
「おまえがやったのか?」
「まさか。見ての通り、まるで漫画やゲームに出てくるような巨大なモンスターに噛み千切られたんだよ」
ぼくの心を読んでいたかのようにそう言って、ドリーは、ぴょんと勢いよく立ち上がって、楽しそうにこちらに歩いてきた。
「ドリーワンは、大きく8つカテゴリーに分類されるの」
妹と同じ顔と声。ぼくはこの二人目の妹が妹と同じくらい好きだった。
だけど今のぼくにあるのは恐怖だ。
「ワタルくんは世界創造症候群乙型というカテゴリーだった」
ぼくのドリーワンはもっとも標準的なものだったという。少し暴走ぎみだったけどね、とドリーは付け加えた。
「昼間に夢を見る、その夢見た世界が彼にとって現実になる。
彼はその世界で勇者になった。
彼はこの世界にいながら、お兄ちゃんたちとは違うものを見ていた」
ぼくは思い当たる節があるということに気づいた。
はじめてここで出会った日、ぼくはドリーとしなかった花火を探しに来た。
彼はいっしょに花火を探してくれたけれど、すぐそばにある花火に気づかなかった。
「せっかくロリコが手を貸してあげたのに、こんな簡単に脱落しちゃうなんてちょっと興ざめだぞ」
ドリーはかわいくそう言って、宮沢渉の死体を押しのけて座席に座った。
棗のときはチドリ、ぼくのときはドリー、そして宮沢渉はロリコと彼女を呼んでいたらしい。
「あーあ、お兄ちゃんの代わりを見つけられたと思ったのになぁ。
やっぱつまんない。ドリーはね、お兄ちゃんといっしょじゃなきゃだめみたい」
ドリーが抱きついてきた。
「お兄ちゃんといっしょにいたいの。麻衣ちゃんがいてもいい。負けない自信あるし」
血のにおいと、妹と同じミルクのにおいが、ぼくの鼻腔で混ざり合う。
再会した二人目の妹には、合成映像のような縁取りがなかった。
たぶん、ぼくのものではなくなってしまったからなのだろう。
ぼくはあのとき、ドリーワンで持ち帰ったすべてを放棄したはずだった。
「どうして…」
「どうしてドリーがここにいるのかって?」
ぼくの耳たぶにドリーはその理由を告げた。
「始まるよ。ドリーワン、レベル2」
本当に、何も終わってはいなかった。
続いていた。
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