第三章

01 がーるず・ぶろーくんはーてっど…

 百花が飛び出していったあと。

 ソラも、ゆっくりと、力なくゴンドラから降りた。


 日はだいぶ沈み、これまで夕日に照らされて赤みを帯びていた周囲が、次第に明度を失っていく。しかし、それに伴って今度はライトやイルミネーションが点灯をはじめているので、パーク内はさっきまでよりもずっとまばゆく、やかましくなっていた。

 とぼとぼと一人歩く自分の隣を、七色に輝くLEDのおもちゃを持った子供が駆けていき、そのあとをすぐ、両親と思われる夫婦が追いかける。

 仲良さそうに腕を組んでいる若いカップルが、さっき自分が下りた観覧車に向かって行くのも見える。

 今の自分の心象とまるで異なるそんな光景が、まるで自分を皮肉っているかのように感じて……ソラは、歩きながら思わずクスリと笑みをこぼしてしまった。


「あーあ、フラれちゃった……かあ」

 今の、どうしようもない気持ちを誤魔化すかのように、あえて明るい口調で独り言をつぶやく。

「頑張ったん、だけどなぁー……。いっぱいいっぱい勇気出してデートに誘って……、告白するところまで、いけたんだけどなぁー……。でも、ダメかぁー……。やっぱ、ダメだよねぇー……」

 しかし、それは作られた明るさであることがあまりにも明白で、逆に痛々しかった。


『んー、そーなのかのー?』


 そのとき、奇妙なことが起きた。

 涙をためながらうつむいているソラのひたいのあたりが、螺旋状に渦を巻いて動き始めたのだ。それはソラの体に異変が起きているというより、額がある位置に別の世界へとつながるワープゲートが開いた、と言った方が適切かもしれない。

 やがてその渦から、黄色い爪、真っ青な手、二本の角が生えた赤黒い頭、コウモリの羽が生えた体が出てきて……。

「わしは、もう一押しすればイケたような気もしたんじゃがのー?」

 悪魔のアシュタが現れたのだった。


「ふふ」

 ソラはそんなアシュタに全く驚いた様子もなく、彼女と会話を始めた。

「……ううん。やっぱり、最初から無理だったんだよ。だって百花ちゃんは……カッコいい男の子が好きなんだもん」

「ま、ソラがそれでいいと言うなら、そういうことにしておこーかのー。悪魔のわしは、おぬしら人間の願いを叶えるまでが仕事じゃー。そのあとどーなろーが、知ったこっちゃないのじゃー」

「うん、分かってる。アシュタちゃんは、何も悪くないよ。だってあなたは、ちゃんと『私の願い事を叶えてくれた』んだもんね」


 今のアシュタの姿は、ソラ以外の人間には見えないらしい。背中の羽をパタパタと動かして上空一メートル程度を浮遊しているビキニ姿の青い肌の幼女のことを、誰も気にしている様子はない。そんな自由な彼女を少しうらやましそうに微笑みながら見ていたソラだったが……突然何かを思い出して「あっ!」と叫ぶと、浮いていた彼女の足首を掴んで、グイッと引っ張った。

「おおうっ⁉」

 バランスを崩して、地面に叩きつけられそうになるアシュタ。しかし、すぐに何か不思議な力を働かせて、ソラの手をすり抜けて、また上空へと浮き上がった。

「っていうか、アシュタちゃん! あなた、百花ちゃんにも憑りついてたでしょっ⁉ まさか、百花ちゃんとも何か契約してたのっ⁉ そんなの、聞いてないんだけどっ⁉」

「……やれやれ」

 また足を掴まれるのを警戒してか、少し距離をとった上空で静止してから、アシュタは言った。

「勘違いするでないぞー? あの、ソラの想い人の千本木百花とかいうやつとわしは、何も契約なんぞ結んでおらんぞー?」

「じゃあ、どうして百花ちゃんに憑りついてたのよぉっ!」

「それは……そうするのが手っ取り早いと思ったからじゃー!」

 アシュタは腰に手を当て、自慢げに、平らな胸を突き出すようなポーズを作る。そして、説明をはじめた。


「誤解されるのはシャクじゃから、改めて最初から話してやるぞー? まず……数日前に最初にソラと出会ったわしは、お前の『千本木百花に好かれる容姿になりたい』という願いを叶えてやることにしたのじゃったよな? でも、ただ叶えてやるんじゃ面白くないから、ちょーっと暇つぶしのイタズラをしてやることにしたのじゃー」

「はいはい……。それって、『私だけを百花ちゃん好みの容姿に変える』んじゃつまらないから、『百花ちゃんの目に映るすべての女性を、百花ちゃん好みのイケメンに変える』ってこと……だったよね?」

 呆れるような視線を向けるソラ。その表情に、満足そうにうなづくアシュタ。

「そうじゃー! そのわしのイタズラのせいで、願いが叶って『千本木百花好みの容姿』になったはずのお前も、なかなかうまくいかなくて悪戦苦闘することになったじゃろー? 今日一日だけ見ても、恋敵ライバルたちや千本木百花の暴走に振り回されて、ワチャワチャしっぱなしだったものなー? そんな様子を見せてもらって、わしはだいぶ楽しませてもらったのじゃー!」

「はあ……おかげで、こっちはいい迷惑だよぉ」

「にひひひ」

 無邪気な子供のように微笑むアシュタ。

「じゃが、そんな大がかりな変化を勝手に起こしてしまえば……さすがの千本木百花といえども、何か思うことがあるはずじゃー。突然何の前触れもなく自分の目に映る女どもが男に変わったとなれば、自分の目か、頭がおかしくなったと思うのが普通じゃー。ソラや男どもに夢中になるどころではなく、病院に入院して、その原因不明の病を治そうとするかもしれん。何も信じられなくなって、家に引きこもってしまうかもしれん。

それでは、わしがソラの願いを叶えてやったということにはならんし……なにより、他の男どもに先を越されないように四苦八苦するソラを見て、わしが楽しむことが出来ん。じゃからわしは、ソラの願いを叶えるために、あえて、千本木百花の前にも姿を現したのじゃー。『お前の願いを叶えてやるぞー』と言ってなー!」

「つまりアシュタちゃんは……本当は、私の願いを叶えるために『百花ちゃんの目に映るすべての女性をイケメンに変える』っていう魔法を使ってただけなのに……それを、百花ちゃんの『イケメンだらけの生活を送りたい』っていう願いを叶えたせいだってことにしちゃったわけね……? そうすることで、百花ちゃんが今の状況に疑問を持たないように……」

「そういうことじゃー! ……まあ、イケメン狂いのあやつなら、わしが何も言わなくても意外と一人で勝手に納得して、今の状況を楽しんでしまったかもしれんがのー」

「それは、言えてるけど……」

 アシュタの話を聞いて、一応納得したらしいソラ。念のため、さらに確認する。

「それじゃあ本当にアシュタちゃんは、百花ちゃんとは何の契約も結んでないんだね? アシュタちゃんが、百花ちゃんから願い事の代償として魂をとる、とかはないんだよね?」

「のじゃー……」

 アシュタは呆れたように首を振る。

「はあ……。千本木百花といい、ソラといい……。いい加減、悪魔イコール魂をとる、という安直な発想はやめるのじゃー! わしは、魂なぞ取らん! そんなものなくても、今回はお前たちが騒いでいるサマを見せてもらって、十分楽しめたのじゃー!」

「それなら、いいけど……」

 それを聞いて、ソラはようやく安心することが出来た。


「それにしても、本当におかしな種族じゃのー。人間というのはー」

 フワフワと浮遊しながら、首をかしげるアシュタ。

「え?」

「じゃって千本木百花は、ついさっきお前を拒絶したんじゃぞー? そんなヤツが魂をとられようがどーなろーが、ソラにはなーんにも関係ないじゃろー? なのに、どうして今さらアイツのことなんぞ心配しとるのじゃー? わしには、さーっぱり意味が分からんのじゃー」

「そう、だね。……そうかもね」

 ソラはまた、「ふふ」っと微笑む。

「悪魔のアシュタちゃんは、きっと誰かを好きになったことなんて、ないんだよね? じゃあ、今の私の気持ちは、分かんないかもね……」

「のじゃー?」

 自分の知らないことでソラが笑っているのが面白くないのか、頬を膨らませて不機嫌そうな顔になるアシュタ。「ふーん、じゃ! 別にそんなもん、分からなくてもいーのじゃー!」と強がりを言って、そっぽを向いてしまう。

「ふふふ…………」



 そこで会話が途切れ、アシュタの視線もソラから外れた。そのことで、今までかろうじて保っていた緊張が途切れて、我慢が出来なくなってしまったのか……。

「……っ」

 ソラは、アシュタにも周囲の誰にも気付かれないように、静かに一滴の涙を流していた。

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