12 がーるず・のーてぃすと!

「はあ……はあ……はあ……」


 ライトの落ちた真っ暗な部屋で、ペタリと床に座り込んでしまっている百花。周囲では、相変わらず混乱したゲストたちが絶叫しながら出口を探して右往左往しており、蒼が流している爆音のSEや、警報ベルも鳴り響いている。

 そんな喧騒の中で、身動きも取れずに小さくなって荒い呼吸を繰り返しているだけの百花のことは、誰も気づいていなかった。


 重なり合った様々な騒音は、もはや脳が理解するのをやめてしまって、意味を失っている。無音と同じだ。

 まるで……深海に沈んでしまったみたい……。

 百花はそう思った。

 真っ暗で何も見えず、何も聞こえない、ただ黒くて冷たい水があるだけの深海の底。そこに、ポツンと一人取り残されている。肌寒くて心細くて、息苦しい……。



 蒼の作戦によってアトラクション内のライトが落とされ、周囲がパニック状態になったとき。はじめのうちは、百花はそれほど慌てていなかった。

 もともと度胸があり、怖いもの知らずなところもある彼女は、本来ならばこんな非常事態でもそれほど取り乱したりはしない。きっと、空気を読まずにいつも通りの調子で高笑いでもして、その場を和ませてくれていたことだろう……いつもならば。

 しかし、今の彼女には、それは出来なかった。

 ふとした瞬間に、百花の耳にゲストの女性イケメンたちの泣き叫ぶ声が聞こえてくる。爆発や破壊音のSEは、さっきまで夢中で抱きついていたゾンビのハリボテなどのホラー要素ホラー系イケメンが、無残にも崩れ落ちていくイメージとして頭の中に想起される。

 自分の好きなイケメンたちが、苦しんでいる。自分の好きなものが、失われようとしている。そう考えたら体が硬直してしまって、その場から動けなくなってしまったのだ。


 怖い……。

 死ぬのが怖い……。

 このまま、「好きなもの」を持たずに死んでしまうのが……怖い。


 イケメンたちが、傷つけられる恐怖。

 やっと手に入れた自分の「好きなもの」を、失ってしまう恐怖。

 愛するものを失い、何者からも愛されることなく、一人ぼっちで寂しく死んでいく恐怖……。

 ソラと初めて会った日に、百花の心に染みついてしまったトラウマは、水への恐怖ではない。「好きなもの」を持っていない自分……孤独への恐怖心だった。


 どうして……こんなことに……。

 五感を閉ざし、心を閉ざし、完全に暗い闇の中に閉じこもってしまっている百花。


 ダメ、なの……? 見せかけの、「好きのまがいもの」じゃあ……ダメだったの……?

 孤独に震えながら、自分を責めるような言葉を繰り返している。


 最後に自分を支えてくれるのは、真実の気持ちだけ……。誰に何と言われても譲ることのできない、強い気持ちだけ……。ワタクシが今まで取り繕ってきた「まがいもの」の気持ちじゃあ、ダメだった……。そんなものは、アッサリと消えてしまう幻でしかなかった……。嘘ばかりのワタクシは、どうせ、最後も一人で……。



 そのとき。



「……」

 暗闇の中で、何かを叫んでいる人物がいることに気付いた。

「え?」


「……。……」

 一人の世界に閉じこもってしまっていたはずの百花の閉じた感覚を、強引にこじ開けるように。その声は、何故か百花の心の奥底まで届いてきた。

「こ、これって……」


「……! ……!」

 鳴りやまない悲鳴や警報ベルの中では、その声が何を言っているのかまでは、聞き取れない。その声の主の姿も、もちろん見えない。

 それでも、その人物には何か他の人間とは違うオーラのようなものがあるような気がした。

「あ、あなたは……」

 自分を……呼んでいる……?


 次の瞬間。

「⁉」

 その人物が、まっすぐにこちらに向かってくるのが分かった。

「……! ……か……ん!」

 近づいてきても、言葉はまだ、よく分からない。姿も、まったく見えない。

 ただ、その声を聞いていると、深海の底の冷たさが消えていくような気がした。深く深く沈んでしまっていた心を、急速に引き上げていくような気分だ。

 やがてその人物は百花の目の前までやってくると、暗闇の中で小さくなっている百花の体を、優しく抱きしめた。

 百花は、無意識につぶやいていた。

「ソラ、なの……?」


「百花ちゃん、お待たせ。……遅れてゴメンね」

 その瞬間だけ、周囲の喧騒が途切れて、百花を抱きしめている人物のささやきがはっきりと届いた。

 それは、百花のクラスメイト。可愛い妹系美少女弟系イケメンの、鷹月ソラだった。


「今まで一人にして、ゴメンね? もう、大丈夫だから……」

 それまで喧騒にまぎれてしまっていた声が、それがソラだと特定された途端に、はっきりと聞きとれるようになっていた。その声に後押しされるように……百花の心を支配していた形のない不安感は徐々に消えていく。代わりに、安堵の感情が言葉となって、次々と口から吐き出されていった。

「ソラ……。ああ、ソラ……。こ、怖かったわ……。ワタクシの好きなものが、なくなってしまうような気がして……。誰もいなくなって、ワタクシが、一人ぼっちになっちゃうような気がして……。本当に怖くて……怖くて……」

「百花ちゃんはもう、一人じゃない。ぼくが、ここにいるでしょ?」

「ソラ……」

 可愛い弟系イケメンの腕に抱かれる百花。その瞳からは、自然と涙がこぼれてきてしまっていた。


 もちろんそれはアシュタの魔法にかかっている場合の話であり、そんなもの関係のない普通の者たちにとっては、可愛い妹系美少女の腕に、別の金髪少女が抱かれているという状況になる。

 それでも。

 そのときの二人の姿には、違和感など微塵もなかった。女友達同士の、ただのスキンシップにも見えない。もっと美しく、もっと神秘的な光景だ。あえて俗っぽい言い方をするなら、それは……、




 ………………




「これはこれは……なかなか、になりますなー」

 もとの部屋に戻ってきていたギャルチャラ男の蒼は、物陰に隠れながら、感心するようにそんなことを言った。

「な、な、な、何言ってるのよんだよっ⁉ 鷹月さんアイツと、千本木さんオレ様のペットが画になるとか……へ、へ、変なこと言わないでよいってんじゃねーよっ!」

 その隣には千尋もいて、抱き合う二人の様子を、負け犬感全開で見ている。

 いつの間にか蒼がライトもSEも警報ベルも元に戻していたらしく、百花たちの様子は暗視スコープなどを使わなくても分かるようになっていた。


「今の千本木さんオレ様のペットは、イケメンなら誰でも入れ食い状態なんだから、ああなるのは仕方ないでしょっねーだろーが! も、もしも鷹月さんアイツよりも早くオレ千本木さん千本木を見つけていたら、今頃ああやって抱き合っていたのは、オレのほうなんだから!」

「うわー、ヤキモチ焼いちゃってー」

「ち、違うわよちげーよっ!」

「まあまあー」

 焦って怒鳴り散らす千尋をあしらいながら、

「と、チヒロっちをからかうのはこのくらいにしてー。ところで、アマノっちさー……」

 蒼は今度は、ピアス越しの天乃に向かって話しかける。

「今さらだけどアタシオレっち、もうソラっちの邪魔するの、やめていーかなー? だってソラっちってさー……ホントにホントに、心の底からモモカっちのことが好きみたいじゃーん? 真っ暗な暗闇の中でも、うるさい騒音の中でも、モモカっちのかすかなつぶやきを聞き取って彼女を見つけられるくらいに……いつでもどんなときでも、ずーっとモモカっちのことばっかり考えてるみたいじゃーん? そんなに純粋で、誰よりも強くモモカっちを愛してるの邪魔なんて、アタシオレっちにはできないよー」

『……』

「……んん? あれ?」

 天乃はなぜか、蒼の言葉には応えない。

『これは、一体……? まさか……? しかし、あるいは……』

 そればかりか、よく分からない独り言をつぶやいている。

「もっしもーし? アマノっち、聞こえてるー?」

『え?』

 そこでやっと、蒼に気づいたかのように、

『……え、ええ。そうですね。分かりました。福地蒼様たちは、今日はもう帰っていただいて問題ありません』

 と応えた。

「えー……なんかアッサリし過ぎてなーい? そんなにアタシオレっちたち、頼りなかったー? 釈然としないなー。……まあ? もしも、アマノっちがどーしてもっていうなら、もうちょっとだけなら続けてあげてもいいけどー……」

『いえ、というかですね……私の方でも、ちょっと考慮が足りていないところがあったのかもしれないのです。もしかしたら私たちは、お嬢様の状況について、まだ何か気づいていないことがあるのかも、と……』

「えー? それって一体……」

『はい。それでは今日のところは、これで解散ということで』

 天乃はそう言ったきり、さっさと通信を切ってしまった。

「……ふーん」

 そんな天乃に少し首をかしげる蒼。しかし、すぐにいつもの調子に戻る。

「へいへーい。そんじゃアタシオレっちたちはー、閉園時間までパークの残りのアトラクションを満喫してー……」

 しかし、いまだに抱き合っている百花たちにチラリと視線を送ってから、

「なーんて野暮なマネは、出来ないっしょー。ここから先は、二人だけの特別な時間だよねー。おジャ魔虫たちはさっさと退場しましょー」

 と言って、アトラクションの出口に向かって歩き出してしまった。

ちょちょっとおいっ⁉ 帰るのかえんのかよ⁉ 嘘でしょうそだろっ⁉ こ、ここで帰るなんて、ありえないわよねーだろっ⁉ まだ、このパーク最大の見せ場最強の男、『イグレ子リカル・イーグレットパークパレード番長見てないんきまってねーんだから……」

「はいはいー。それは今度、アタシオレっちと二人っきりでパークに来たときにねー? ……そのとき、さっきの続きもしちゃおっか?」

ちょちょっとおい福地さんテメーっ⁉ な、な、な、何言って……」

「それじゃ、行くよー!」

 そんなやり取りのあと、蒼が無理やり千尋を引っ張って、二人はその場を立ち去っていった。




 ………………




 蒼たちの存在には全く気付かず、ずっと抱き合っていた百花とソラ。だが、アトラクションのライトが既に元に戻ったことにようやく気付くと、正気に戻って慌てて体を離した。

「ご、ごめんなさいねっ⁉ ワ、ワタクシったら、公衆の面前でこんなに情熱的に、と、殿方と抱きあってしまうなんて……い、一流のレディとして、恥ずかしいですわ! おほほほ……」

ぼくの方こそ、突然抱きついちゃったりして、ゴメンね⁉ な、なんか、気持ち悪かったよね……」

 気まずそうにうつむいて、そんなことを言うソラ。その寂しそうな顔を見るなり、百花が叫ぶ。

「そ、そんなことはありませんわっ!」

「え……?」

「あ、いや……あの……」

 彼女は、自分でもどうしていきなりそんなに声を荒げてしまったのかよく分からなかった。次第に顔が赤く染まっていく。

「だ、だってワタクシは、イケメンが大好きなのですから……。だ、だから、イ、イケメンのあなたに抱きしめられても……それは、別に……」

 かろうじてそれだけ言うと、今度は、百花の方が顔をうつむかせてしまう。

「……ふふ」

 そんな百花のことを、ソラはとてもかわいらしいと思った。


 それから百花は、何かを誤魔化すかのように慌てた様子で、いつも通りの調子で言った。

「さ、さあっ! こんなところにいつまでもいても、仕様がありませんわっ! つ、次のアトラクションは何ですのっ⁉ ワタクシはもう、どんなものでも怖くなんてありませんわっ! あ、貴方の好きなアトラクションで構いませんので、このワタクシを完璧にエスコートしていただけるかしら⁉ おーっほっほっほー!」

「うん。それじゃあ、次は……」

 それに対して、ソラは少しだけ言葉を詰まらせてから、勇気を振り絞るようにこう言った。


「観覧車に、乗らない?」

「え……」


 高笑いの途中で、硬直しまう百花。

 そこでやっと彼女は……今の自分がどんな状況に置かれているのかを、思い出した。

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