02 がーるず・のんすとっぷと!

 悪魔のアシュタがやってきてからの百花の生活は、それ以前よりも一層キツイものとなってしまった。


 はたから見れば、「男性から隔離されていて、周囲にいるのは女性だけ」という彼女の状況は何も変わっていない。

 しかし実は百花自身だけには、その女性たちが全員「彼女好みのイケメン」に見えるようになってしまったのだ。それがあくまでも見た目だけの問題で、中身は何も変わっていない、ということは頭では理解しているはずなのに……百花はあまりにも無様なほどに、心を乱されてしまうのだった。


 例えば、

「はあ……はあ……イ、イケメンは、体臭さえもイケメンですのね? ワタクシ、貴方のこの、男臭くてセクシーな匂いを嗅いでるだけで、おかしな気分になってきて……ああん! もうこの匂いだけで、妊娠してしまいそうですわぁー…………って! あ、貴方……っていうか貴女は、ホントは女でしょっ⁉ なんでこのワタクシが、女の匂いをかいで興奮しなくちゃいけないのよっ⁉」

 とか、

「え? 美術部の絵のモデルになって欲しいですって? べ、別に構いませんけど……そ、それってもしかして……ら、裸婦画……ですの? い、いえ……貴方にでしたら別にワタクシは、裸を見られても構いませんのよ? で、でも……やっぱり少しは恥じらいの気持ちもありますわ……。だ、だから、出来れば貴方も、絵を描くときには服を脱いで生まれたままの姿になっていただけると…………なーんて、言うわけないでしょっ⁉ どうせ貴女だって、股間だけは元のままなんでしょっ⁉ それじゃあ、脱いでもらったって何の意味もないわよっ! ワタクシを脱がせたいなら、貴女の下半身に立派なタビデ像を彫刻してから、出直してらっしゃい!」

 なんていうふうに……。

 最初はだらしなく鼻の下を伸ばしていたかと思えば……すぐに正気を取り戻して、奇声をあげながら百花にだけ見えるイケメンの幻たちから離れる、というのを繰り返していたのだ。

 周囲からの「イケメン狂いの残念お嬢様」の噂を、もはや不動のものとする百花だった。



 だから今日の百花が、学園の同級生である鷹月ソラと二人きりで遊園地デートなんてしているのも、彼女自身の愚かな本能に負けたからに他ならないわけで……。

 それは、アシュタがやってきた日から二日後の放課後だった。



「あ、あの……百花ちゃん。よ、良かったら……今度の日曜日、ぼくと、遊園地に行かない……かな? じ、実はそこって、ぼくのお父様の会社が経営してるところなんだけど……。た、たまたま、ペアチケットをもらっちゃって……」

 なんて言われて。

 真実の素顔は「可愛い妹系美少女」である鷹月ソラに、「可愛い弟系イケメン」の幻を見ていた百花残念お嬢様が、

「そ、それってつまりつまり……貴方が、ワタクシのことを、デートに誘ってらっしゃっるってこと、ですの……? い、行きますわっ! 行くに決まってますわっ! 遊園地だろうが地獄だろうが、イケメンとデート出来るなら……この千本木百花、どこまででも行かせていただきますわーっ!」

 なんて、二つ返事で答えてしまったのだった。




 ――――――




 百花の頭の中のアシュタが、あざ笑うように言う。

『いくらうっかり約束してしまったとはいえ……後からキャンセルすることは、出来たのではないかのー? 傍若無人な残念お嬢様のおぬしなら、いつもそのくらいのことは平気でやっとるじゃろー? しかし、そうせずに馬鹿正直にソラとの約束を守って今日ここまでやってきたということは……もしかしておぬしも実は、今日のこのデートを楽しみにしていたということなのかのー?』

「ち、違いますわっ! ワタクシはただ、この子の連絡先なんて知らなかったから、断りの連絡を伝えることが出来なかっただけですわっ! だ、だから仕方なく今日、待ち合わせ場所のここまで来るしかなかっただけで……。そ、そういうことですから、今日はこんなショボい遊園地の中まで入ったりしませんわよっ⁉ ワタクシは彼女に断りの言葉を伝えたら、すぐにでもこの場を立ち去るつもりで……」

『んー、そうなのかのー? じゃが、だとしたらよく分からんことがあるのー?』

「な、何よっ⁉」

『本当に、ただ断りの言葉を言うだけなのじゃったら、おぬしは待ち合わせ時間よりも早くここに来る必要はなかったのではないかのー? さっきおぬしは「今来たところ」なんて言っておったが……実際には、今から一時間近くも早くにやってきていて、鏡を見ながら必死に化粧を直したり髪を整えたりして……』

「う、うるせーですわっ! そ、そんなわけありませんですのよっ! このワタクシを、誰だと思ってるの⁉ ワタクシは、イケメンが大好きで……もう好きで好きでたまらなくて……。屋敷のメイドたちからは、三度の高級フレンチよりもイケメンの妄想をオカズにして食べる白米が好き、とさえ言われている……あの、千本木百花ですわよっ⁉」

『それは多分、胸を張って言うことではないと思うぞー?』

「そ、そんなワタクシが、見た目だけで中身が伴わない偽物のイケメンとのデートなんかを、楽しみにしていたはずがありませんわっ! え、ええ、そうですわ! そうに決まっているでしょうが! ワタクシが好きなのは、身も心も下半身も、百パーセント過不足なしの、産地直送で成分無調整な……完全完璧なイケメンだけですわっ!」


「も、百花……ちゃん?」

 百花が頭の中のアシュタと会話している様子は、他人から見れば、一人で訳の分からないことを繰り返しているようにしか見えない。そんな彼女を、可愛い系イケメン――実際には、普通に可愛いらしい少女――の鷹月ソラは、不思議そうな表情で覗き込んでくる。

「い、いえ、なんでもありませんわよっ⁉ た、ただ、貴方のお顔があまりにも凛々しいものですから……ワタクシったら、ついつい興奮してしまって。おほほほ……」

 そんな彼――あるいは彼女――を見た瞬間に、デレッとだらしない表情になる百花。

「……って! 違うわよっ!」

 しかし、今度はすぐに正気に戻った。そして、頭の中で叫ぶ。



 ダ、ダメよ! 目を覚ましなさい、千本木百花!

 いくら、このイケメンがワタクシの好みどストライクだったとしても……。この可愛いお顔の好青年に首輪を付けて、愛玩動物のように「お手」や、「おかわり」や、「チンチ……」などの芸を覚えさせたい衝動に駆られているとしても……。

 この子は、所詮しょせんは女なのよ⁉ 不幸にも、貧乳悪魔に幻覚を見せられている悲劇のヒロインのワタクシには、彼女がイケメンのように見えてしまっているだけなのよっ⁉

『気付いてないとしたら申し訳ないのじゃがー……実はこの物語は、悲劇じゃなくて喜劇なのじゃー』

 頭の中のアシュタのメタなツッコミも、今は無視する。


 だ、だから、どれだけこのイケメンがワタクシのどストライクだったとしても意味なんてないのっ! 彼の服を脱がせて「チンチ……」をさせたとしても、ワタクシは本物のチンチ……を拝むことはできない…………じゃなくって!

 つ、つまり、偽物のイケメンに惑わされてる場合なんかじゃないのよっ!

 ワタクシは、イケメンを愛すことにかけては右に出るものがいない、イケメン愛の化身……千本木百花なのよ⁉ いつの日か、本物のイケメンたちをかこって退廃的なイケメンハーレムを作るその日まで……こんなところで、立ち止まっている場合ではないのですわっ!


「鷹……鷹…………え、えーっと……あ、貴女!」

「は、はいっ⁉」

 突然大声で呼ばれて、ソラは驚いて飛び上がりそうになる。

「ワタクシは、貴女に言わなければいけないことがありますわ! 今日は、そのためにここに参りましたのっ!」

「え? な、何……かな?」

 何か自分が失敗したのかと思って、ビクビクしているソラ。

 百花以外の人間には、今にも泣きだしそうな顔をした、白とブルーのギンガムチェックのワンピース姿の、可愛らしい少女に見えていることだろう。しかし、この世界で唯一百花にだけは、爽やかな青色のニットにベージュのチェックパンツをはいた、母性本能をくすぐる可愛らしい顔のイケメン青年に見えている。

 そんな「彼」に百花は、

「ワ、ワタクシが今日ここに来たのは……」

「え?」

 冷酷に断りの言葉を言おうとする。しかし、それは途中で止まってしまう。

「…………」


 ど、どうしたの⁉ 千本木百花!

 ただ、「遊園地になんて入るつもりはない」、「女とデートなんてしない」と言えばいいだけ! 簡単なことでしょう⁉ な、なのに、なんで……なんで……。



 何度も繰り返すようだが……百花の目に見えているのは、紛れもなく彼女の「どストライク」の容姿のイケメンなのだ。

 彼女自身が恥ずかしげもなく自負しているように、千本木百花は自他ともに認めるイケメン狂いである。だからこそ、それが「本当は少女である」とか、「ただの幻に過ぎない」とか、そういったことを頭では理解できていても……彼女の本能はまだそれを諦めきれていなかったのだった。


「あ、もしかして……」

 ソラは、百花に顔を寄せてニッコリと笑いかける。

「言っておきたいことって……『行列に並ぶのは嫌いだから、あんまり混んでるアトラクションには行きたくない』……とか? ふふ、それなら大丈夫だよ。ぼく、百花ちゃんの好みをよーく考えて、今日の予定を計画してきてるからね」

「え……」

 そのかわいらしい笑顔に、ぽっ、と百花の頬がピンクに染まる。

「きっと百花ちゃんならそう言うと思って……実は今日って、このパークの臨時休館日ってことにしてもらってるんだ。まあ、それを知らずに来ちゃったお客さんを追い返すのはかわいそうだから、そういう人は普通に入ってもらってるけど……。それでも、入場者は普段の十分の一もないはずだよ? だから、どのアトラクションも並ばなくて済むと思うんだ。だからさ、」

 百花に手を伸ばすソラ。

「そろそろ、中に入ろっか?」

「…………はい」


 結局、――誰もが予想していた通り――あっさりと自らの欲望に負けた百花は、ソラに連れられるまま、その「鷹月イーグルパーク」の中へと入って行ってしまうのだった。

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