06 がーるず・えきさいてっど!

「ああ……。ここは本当に、楽園ですわぁぁ……」


 放課後、夕日の射し込む教室。

 自席に座って、だらしなくニヤケ顔を浮かべている百花がいる。


 この学園では、全員が必ず何かの部活に所属しなければいけないと、校則で義務づけられている。そのため、ほとんどの生徒は今の時間は部活をしているはずだ。

 そもそもこの学園にいるような生徒は、一流の環境で育ってきた温室育ちのお嬢様たちで、根が真面目な者が多い。その上、学園の理事長である百花の母親は、自分の娘を男から隔離するためには手段を選ばないような、エキセントリックさがある人間だ。下手に校則を破って、彼女の機嫌を損なおうとするような者はなかなかいない。

 だから、このように部活にも出ずに教室でほうけていられるのは、その理事長の娘である百花ぐらいのものだった。


「ぐふふふ……」

 教室の窓から校庭に視線を向け、百花はそこにいる運動部の生徒たちを見て、口元からヨダレを垂らす。

「どこもかしこもイケメン、イケメン、イケメン……。一晩にして、ワタクシの世界はイケメンまみれのイケメン三昧ざんまい……イケメン道楽の時間無制限イケメン食べ放題になってしまいましたわ! いくら何でも、いきなりこんなにたくさんのイケメン成分を過剰摂取してしまって……ワタクシがイケメン中毒のイケメホリックになって、もうイケメン無しではまともな思考でいられなくなってしまったら、どうしましょう⁉」

 だいぶ前から、とっくにその症状でしたよ?

 と、彼女の従者の天乃ならば言うところだっただろう。だが、彼女は今はここにいない。

 いつもなら、終業のチャイムの後にすぐ帰宅しようとする百花を迎えるため、校門で待機している時間だ。実際、今から十数分ほど前に、彼女は百花を迎えにやってきていた。だが、そこで珍しく百花が「今日は、もう少しだけ生徒の皆さんと親交を深めてから帰りますわ、おほほほ……」と言ってきたので、天乃は今、学園の近くの喫茶店で優雅なアフタヌーンティータイムを過ごしていたのだった。


「はあ、それにしましても……」

 しみじみと目を細めて、独り言を続ける百花。

「たった一晩で、ワタクシの世界をこんなイケメンだらけにしてくれたお母様には、感謝をしてもしたりないくらいで…………」


 そのとき。

 百花の周囲に少し奇妙なことが起きた。

 その教室の、ちょうど真ん中あたり。床から一メートル程度の何もない空間が、突然歪み始めたのだ。

 まるで、気を失う直前に見る幻覚のような。あるいは、澄んだ池に石を投げて、水面に映る景色が波紋で揺れているような。

 そんな特殊映像効果が、実際の空間に現れ始めたのだ。


 やがて、その歪みは螺旋状に渦を巻き、その中心が黒く染まっていく。

 その変化にとっくに気づいている百花は、それを目の端にとらえながら少し微笑む。そして……。

「いえ……お母様じゃないわね。お屋敷内だけならまだしも、お屋敷の外や、学園まるごとイケメンだらけにするなんて、いくらお母様でも一晩では不可能よ。だから、この状況は……」

 空中の渦の黒い部分から、とがった黄色い爪が現れる。それに続いて真っ青な二つの手も出てきて、その渦の黒い部分を押し広げていく。そして手から腕、赤黒い髪と二本の角。青い肌に、コウモリのような翼の生えた背中が現れ……。とうとう「それ」が、バァッと百花の前に飛び出してきた。


 全身の肌が真っ青の、小学校低学年生程度の、小柄な体躯。そこに、申し訳程度に面積の小さな黒いビキニ水着のような服を身に着けている。クリクリとして大きな瞳は、白目であるはずの部分が黒、黒目の部分が黄色になっている。

 それらを、「ボディペイント」や「カラーコンタクト」だと説明して、今までの物語のフィクションラインとの整合性を守ろうと努力をすることも一応は可能だが……。

 先ほどのイリュージョン顔負けの登場シーン。それから、今現在もパタパタと背中の翼を動かして上空を浮遊していることを考えれば、もっと短絡的な記述の方が適切だろう。

 それは、人間ではなかったのだ。


「やっぱり、貴女なのね……」

 百花は、突然現れた異形いぎょうの者にも全く動じずに、にっこりと微笑んだ。その生き物も、百花に「にひ」と笑い返すと、幼い外見からはあまり似つかわしくないような古めいた言葉遣いで、喋り始めた。

「どうじゃー? 満足してもらえとるかのー?」

「満足……ですって?」

 百花は立ち上がって、まるで舞台女優のようなオーバーなアクションをつけて、続ける。

「もちろんっ! 大、大、大、大満足っ、ですわっ! これこそ、ワタクシの夢! ワタクシが求めていた世界なんだものっ! まるで……今までの『イケメンがいない灰色の世界』が突然、極彩色で総天然色の、ショッキングピンクとショッキングブルーとショッキングイエローの三原色で塗りつぶされたような気分だわっ!」

「それはそれは、なんとも目がチカチカしそうな感じじゃが……まあ、喜んでもらえてるようで良かったのじゃー」

「貴女のおかげよ! やっぱりこれって全部、貴女がしてくれたことなのねっ⁉」

「そじゃよー」

 百花はその生き物の方を向いて床に膝をつき、神に祈るようなポーズをとる。

「ああ! ああ! 昨夜、ワタクシの寝室に突然貴女が現れたときは、完全にただの変態のコスプレ露出狂幼女だと思って、通報してしまいそうになりましたけど……」

「ひどい言われようじゃのー」

「でも、そうじゃなかったのねっ⁉ 貴女は、ワタクシの純粋で清らかな願いを叶えるために現れた、変態コスプレ露出狂神様だったのねっ⁉」

「おーい、あんまり変わっとらんぞー?」

 その生き物はパタパタと翼を動かして更に上空へと浮かび上がると、腰に手を当て、エッヘンとでも言うようにフラットな胸を前に突き出す。

 そして、高らかに宣言した。

「じゃからのー? 昨日も言ったと思うが、わしは神なんかじゃないぞー? わしは、悪魔じゃー。人間の欲望を叶えるためにこの世に降臨した、キュートな小悪魔、アシュタちゃんじゃー!」

「ははーっ!」

 空中で仁王立ちのようなポーズをとったアシュタに、百花は合掌し、十字を切り、二礼二拍手して、土下座をして……神仏混交どころではないカオスな態度で敬意を表した。

「もうこの際、神でも悪魔でも何でもいいですわ! 大事なのは、貴女がワタクシの願いを叶えてくれた偉大な存在だということよっ! 貴女はワタクシにイケメンを与えてくれた救世主! 命の恩人! 心の友! 未来からやって来た、露出狂型ロボットですわっ!」

 勢いでだいぶ失礼なことを言ってしまっている百花だったが、それは、イケメンだらけの世界に興奮しすぎた百花の言葉のチョイスが、バカになっているわけではない。単に、元からバカなのだ。

 だが幸いなことに、アシュタは特にそれに気を悪くした様子はなかった。


「にひひひ」

 本人の言葉通り、笑うと現れるキバのようにとがった八重歯がキュートな彼女は、

「そんなに喜んでもらえると、悪魔冥利に尽きるのじゃー……」

 とつぶやいた。

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