07 がーるず・でもんすとれいてっど!

「本当に、悪魔様様よっ!」

「にひひひ」

「貴女はワタクシを救ってくれた偉大な悪魔で、ワタクシは悪魔の貴女に、感謝をしてもしきれないわ! 本当に、悪魔の……貴女に……」

 そこで、今までずっと浮かれ気味だった百花の顔に、突然陰が落ちた。

「そう、悪魔……なのよね……」

「んんー?」

 膝をついていた百花は立ち上がると、制服のスカートに付いたホコリを払う。

 そして、一変して深刻な表情になって続けた。


「それで……見返りは何なの?」

「のじゃー?」

「貴女は、ワタクシの願いを叶えてくれた。ワタクシの夢を実現させて、世界をイケメンまみれにしてくれた。だから……ワタクシはその引き換えとして、貴女に何か代償を支払わなければいけないんでしょう? 例えば寿命とか……。そういう、重大な代償を……」

「見返りー? 代償ー?」

 百花の様子とは対象的に、アシュタはのんきなものだ。

「いったいおぬしは、何の話をしておるのじゃー?」

 と、首をかしげている。要領を得ないアシュタに、声を荒げる百花。

「誤魔化さないでっ! 悪魔との取引に関わった人間は、何か重大な代償を支払うのが世の常でしょう⁉ それくらいは、世間知らずと言われているワタクシだって知ってますのよっ⁉ もしもそれがお金で解決できるのでしたら、いくらでも払います! でも、悪魔がそんなことで満足するはずがありませんわっ! きっと欲しいのは、もっと別のものなんでしょうっ⁉」


「やれやれ……」呆れた表情で、アシュタは首を振る。「おぬしら人間は、悪魔とみればいっつもそういうことを言うのー? やれ、寿命を奪われるだの……。やれ、心を失うだの……。そんな代償なんぞ、わしは要らんのじゃー」

「そ、そんなこと言って……ワタクシに気を使ってるのでしたら、不要ですわよっ⁉ だってワタクシは、もう覚悟が出来てるのですから!

昨日までの、イケメンと無縁の地獄のような世界から抜け出せるのなら……例え寿命が短くなって、あと数日で死んでしまうとしてもっ! 心を失くして、毎日ただイケメンをむさぼるだけの廃人になってしまってもっ! それでもワタクシ、構いませんのですからっ! この千本木百花! イケメン無しで無為に生き続けるくらいならば、いっそ、イケメンの腕の中で死ぬことを選びますわっ!」

 エキサイトしはじめた百花に対して、アシュタはどこまでも落ち着いている。

「じゃからー……代償なぞ要らんと、言っておるじゃろー? 金はもちろん、おぬしの寿命や心だって、悪魔のわしがもらっても使い道ないのじゃー」

「……ほ、本当に?」

「本当じゃー。悪魔に誓って、本当じゃー」

 そんなアシュタの言葉を、百花は中々信じることが出来ない。

「だ、だってそんなの、意味が分からないわっ! 『イケメンだらけの世界が欲しい』というワタクシの願いだけ叶えて、それで、ワタクシから何も取らないなんて……。そんなうまい話、聞いたことありませんわ! 絶対、何か裏があるに決まってますわっ!」

「疑り深いやつじゃのー」

「はっ⁉ ま、まさか……欲しいのは寿命や心ではなく……ワタクシの体、なんて言うつもりじゃないんですの⁉ 自分が貧相な幼児体形で胸がまっ平らだからって、完璧なプロポーションを持つ、このワタクシの体を……!」

「そんなもん、もっと要らんのじゃー」

「あ、そう……」


「ま、確かにのー」

 そこでアシュタはまたフワっと空中に浮かびあがって、百花の視線を翻弄しながら、言った。

「おぬしらの思ってるのとは違うが、わしら悪魔の契約には、いろいろと条件があったりするぞー? 時には、願いを叶えてやる代わりに、こちらからも何かを要求したりすることも、ないとは言い切れん。それは認めるのじゃー」

 ほらやっぱり! という顔になる百花。しかしアシュタの方は、そんなの気にせずにフラフラと教室内を飛び回っている。

「じゃが、今回はそういうのはナシじゃー。約束しよう。おぬしからは一切何も取らん、とな。いわゆる、特別無料体験キャンペーン実施中! とでも思ってもらえればいいのじゃー」

「そ、そんな、英会話教室じゃないんだから……」

「入会金、年会費無料(ただし、事務手数料は除く)じゃー」

「それじゃあ結局、料金かかるってことじゃないのよっ⁉」

「いやいや、事務手数料分はポイント還元で、実質無料じゃー」

「要らないわよっ! っていうか、何のポイントで還元されるのよっ⁉」

「しかも今なら一個契約すると、お値段据え置きでさらにもう一個……」

「こっちはまず、最初の一個が無料かどうかを聞いてるのっ!」

「さらに、契約後に友達を紹介してくれれば、その友達とおぬしに限定アシュタちゃん人形をプレゼントで……」

「だから、要らないってば! そういうのはどうせ、最初ちょっとだけ部屋に飾ったあとに、結局捨てることになるんだから!」

「じゃが、その友達がまた別の友達を契約させると、親会員のおぬしにはキャッシュバックが……」

「もはや詐欺の手口ですわっ⁉」

「にひひ」

 そんなふうにひとしきり漫才を楽しんだ後、アシュタは「冗談じゃよー」と言って、また笑った。からかわれたことに気付いた百花は、やはりまだ納得がいっていない表情だ。


「じゃあ……こう考えてはどうじゃー?」

 アシュタは、笑顔を崩さずに言う。

「わしら悪魔はのー……こことは違う自分たちの世界で、何十年も何百年も、代わり映えしない毎日を送っておる。そして、みんなそんな生活に退屈してるんじゃー。退屈で退屈で、いつも死にそうなんじゃー。

じゃからのー。たまーに休みの日に暇つぶしで人間の世界にやって来ては、誰かの欲望を叶えてやって、それを見て楽しむのが趣味なんじゃー」

「……」

「もしかしたら……おぬしがさっき言ったように、願いを叶える代わりに命を取ったりする悪魔も、過去にはいたのかもしれん。それだって恐らくは、暇つぶしの延長なんじゃと思うぞー? 願いを叶えてやって喜んでるところで、すぐに命を取ってしまって……『だっさー! 意味ないのじゃー!』とか言って、楽しんでいるだけなのじゃー」

「しゅ、趣味悪いですわ! ……っていうか! じゃあやっぱり、ワタクシのことも……!」

「じゃから、わしにはそういう趣味はないと言っておろーがー……」

 そこでアシュタは、チラッと教室の扉の方を見る。それから、教室の中を飛び回るのをやめて、ゆっくりと百花の前に着陸した。

「?」

 そして、あっけにとられている百花の額を、人差し指のとがった黄色い爪で、ツンとつついた。すると……。

 次の瞬間、アシュタの姿は、百花の頭の中に吸い込まれるように消えてしまった。


「あ、あれ?」

 姿は見えないが、頭の中に、直接アシュタの声が聞こえてくる。

『わしはただ、退屈なわしを楽しませてくれるような物が見れれば、それでよいのじゃー。じゃから、おぬしからは何も取らん。何も取らなくても、おぬしは充分に、わしを楽しませてくれそうじゃからのー』

「……? ……?」

 原理はよくわからなかったが、アシュタが、百花の頭の中に入ってしまったらしい。テレパシーのように直接頭に届いてくる言葉には必要ないような気もしたが、一応、声に出して彼女に尋ねた。

「つ、つまり……貴女もイケメンが好きっていうことかしら? だから、ワタクシに言い寄ってくるイケメンたちを見て、楽しみたいという……?」

『にひひ……』

 頭の中で、彼女の八重歯を出した笑い顔が浮かぶ。

『そんなわけないじゃろー? わしは、人間の男なんかにはちぃーっとも興味はないのじゃー。そうじゃなくて、わしの興味はあくまでも契約者の……おぬしじゃ。おぬしが、これからいろいろと困る姿を見るのが、楽しみなのじゃー』

「は?」

 百花は、アシュタの言う意味が全く分からない。

「でもワタクシは、目の前にイケメンがいる限り、幸福そのものなのよ? 申し訳ないけれど、今後は何も困ったりすることなんか、ないと思うわ。むしろ、これからはワタクシにとって笑顔の絶えないバラ色の人生で……」

『にひっ。おぬしの周囲のイケメンが本当に本物のイケメンなら、そうじゃろーなー……』

「え? ちょ、ちょっと……それって、どういう……」


 そこで突然、ガラッ! という勢いのよい音をさせて、教室の扉が開いた。


あなたオマエ! こんなところにいたのいたのかよっ⁉」

 入ってきたのは、今朝学園で百花に話しかけてきた、俺様風イケメンだった。

みんなオレを待たせないでよねんじゃねーよっ! あなたは水泳部の一員オマエはもうオレの物なんだから、授業が終わったらすぐに部室オレのところ来てよこいよっ!」

 彼は、百花の手を引いて、どこかに連れて行こうとする。

「え、えと……あの……」突然のことに驚きながらも、百花はなんとか彼に抵抗の言葉を言った。「で、でも、今ワタクシ、ちょっと大事な話をしていて……」

「はあ? 話って……誰もいないじゃないじゃねーかよ? もうふん……どうせ、水着を土壇場で持ってなくておじけづいて困ってるんでしょビビってるんだろ? そんなのそんなこと心配しなくてもいっても大丈夫よ逃がさねえからな

「い、いえ……あの、そういうわけでは……」

 俺様イケメンに責められて、朝のドキドキがぶり返してくる百花。本能では、その彼の言葉に従いたい気持ちでいっぱいなのだが……さっきアシュタが言いかけた話の続きも気になる。

 ギリギリで理性が本能を押さえつけることが出来たようで、彼に「一旦どこかで待っていて欲しい」と言うことにした……と、思ったのだが、

もう、行くわよおら、さっさと来いよ! 私の予備の水着をオレのペットとして貸してあげるからしつけてやるよっ

「え⁉ そ、そんな……」

何よ、もおうふん、何だよ……今度はあなたやっぱりオマエ今まで一人で水着をいまさらオレのペットになるのが着たことがないこわくなったとか言うつもりじゃないわよねじゃねーだろーな? あーあ、これだから温室育ちのお嬢様は……。いいわいいぜ私もこれからオレにそんな着替えるところ口ごたえしたらだからどうなるか、直接見ながらその体に覚えるといいわ覚えさせてやるよでもきっと……簡単だから気持ちよすぎて、次からはあなた一人でオマエのほうからしっかりしつけて着替えられるくれって言うようになってよなるぜ?」

「そ、それって、それって……つまり……」

 イケメンのそんな言葉に、体を震わせる百花。アッという間に、本能が理性のマウントポジションをとってしまった。

「も、もしかして……。もしか、しまして……。こ、これからワタクシと貴方が服を脱いで、生まれたままの姿で……ふ、二人きりで、『そういうこと』をしちゃうとか……そういう意味、ですの?」

「はあ?」

 彼は、バカにするように百花を見下ろす。

「当たり前でしょだろ? あなたと私オマエとオレは、同じ水泳部そういう関係なんだから。あなたオレ専用の更衣室ペットなんてしつけるのにもちろん服なんて無いわよいらねーだろ私のご主人様の裸を体を見たくないんならみたくなくても目を目につむって着替えなさいやきつけてやるぜっ!」


 ごくり……。

 信じられないくらいの大きな唾液を、ゆっくりと飲み込む百花。

 それから、自分の頭の中にいるであろう、異形の者に対して語りかける。


 悪魔さん……聞こえる?

『おお、なんじゃー?』


 やはり、声に出さなくても頭の中で会話は出来るようだ。さっきまでとは別人のようにおしとやかな口調で、百花は心の言葉を続ける。


 ワタクシたちのさっきのお話、ちょっとだけ、後にしてもらってもいいかしら?

『うん? いや、それは別に構わんが……。じゃが、さっきの話の続きは、実は結構今の状況とも関わってくるような気がしとるのじゃが……』

 後にして、下さいますわね?

『……お、おう』


 確固たる強い意志で、頭の中のアシュタを押さえつける百花。いくら悪魔と言えども、その勢いには逆らうことは出来なかった。

 それ以降は、百花はアシュタに話しかけるのではなく、単純に、自分の脳内で叫び続けていた。つまり、ようやく彼女の本能が、理性の息の根を完全に止めたのだ。


 つ、ついに、ついに、ついにっ! この時が、きましたわあああああぁぁぁぁぁっ! ワタクシの前で、イケメンが一糸まとわぬ姿になる、この時がぁぁぁぁっ!

 ……はるか昔にイケメンに不自由しなかったころには、お母様に隠れて毎日イケメンを脱がしていました。お人形遊びの代わりに、イケメンで着せ替えごっこをしたりしてました。

 けれど……! そのときは、そんな自分がいかに恵まれているかということに、気付いていなかったっ! 男には、女の自分にはない「モノ」があるということも、一応は気付いていましたけれど……でも、その価値を分かっていなかったんですわっ!

 でも……でも……でも……!

 今ならば、はっきりと分かるっ! その「モノ」の尊さがっ! 抗いきれないほどの、魅力がっ!


 百花は、自分の手を引くイケメンの手を、逆に握り返す。

「行きましょうっ!」

?」

「貴方の行きたいところに、行きましょう! 今、すぐにっ!

早くそこに行って、貴方の『それ』を……つねったり、引っ張ったり、シワを伸ばしてみたり、しましょうねっ⁉」

「ふふ……何だよ。急に元気になったわねんだな? でも、オレ予備の水着ペットへの調教は、そんなにシワくちゃたのしいもんじゃないわよ? ちょっとせいぜい胸囲はきついかもだ泣き出さないといいけど……」

「もちろんですわっ!」

さあて……、なによもうどうかな……」


 そんなことを話しながら、百花はそのイケメンと手をつないで、教室を後にした。


 そのとき、百花の頭の中のアシュタは、

『うーん……ホントに大丈夫かのー? わしは人間の男になんぞ興味ないから、見えないところのディティールは結構適当だと、言っておきたかったのじゃがー……』

 と、一瞬心配する振りをする。だが、

『ま、自分で「話は後にして」とか言っとったくらいじゃし……別によいか! にひひひー』

 根本的に楽観主義でもあったので、あっさりと諦めてしまった。


 そして、その数分後。


 千本木学園水泳部の「女子更衣室」から、百花の絶叫が響くことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る