第129話 19-2.


 きっかり10分後、SEが医療用AIサーバのマスターステーション前から、サマンサに声をかけた。

「ワイズマン博士、テスト完了問題なし、本番行けます。どうやらモールス・コードで間違いなさそうです」

「もちろん平文よね? まさか暗号ではないでしょ? 平文とすれば、言語は特定できた? 」

「組み合わせパターンからの推定では、日本語平文です。日系の明日香・ヘミングウェイ博士にも確認してもらいましたが、多分、日本語と思われるが、特定地方の訛りがあって判り辛いと言う事で」

 サマンサは明日香を顧みて微笑みかけた。

「ありがとう、明日香。……たぶん、クランケの日常的な思考が、そのまま表現されているんだわ。ええと……、なんて言ったか……。アイツが言ってた」

 暫く首を捻っていたサマンサは、あっと叫んでポンと手を叩く。

「思い出した! アイツと出身が一緒なのよ! そう、カンサイ地方だ、ニッポンのカンサイ、つまり西部地方ウエスト・ジャパンの方言よ! 」

 カーネギーが興味津々と言った様子で訊ねる。

「サム……。”アイツ”って誰だ? 」

 思わず言ってしまって、サマンサは慌てて誤魔化す。

「あ……、ううん、いえ、その……。個人的な知り合い」

 そしてSEに慌てて付け加える。

「日本国カンサイ地方の方言って、そのAIで変換可能かしら? 」

 SEは周囲と少し相談して、すぐに振り返って指でオーケーサインを作って見せた。

「そうですね、5分程度お時間を頂ければ、統幕軍務局情報部の言語詳細DBにアクセスして変換しましょう」

「よし、やって! 終わったら、英語に同時通訳してスピーカーへ流して」

 きっかり5分後、用意が整った旨SEから告げられて、サマンサは全員を無言で見渡す。

 全員がマスクから出た目許に緊張の色を見せ、やはり無言で頷き返す。

「じゃ、スタートして」

 サマンサが掠れる声で静かに言うと、スピーカーからノイズが洩れ出た。

 数秒後、突然はっきりした音声が流れ始めた。


「ごめん……。ごめんなあ、艦長。

私……、思い出してしもてん。……ぜーんぶ。全部。

せっかく、いやな事、ぜんぶ消してもうて、艦長と幸せになろて思たのに。

なんでやろ? ……なんでかなあ、艦長? ……なんで、こんな事、なってもうたんやろ、なあ?

私、なんか悪い事したんかなあ?

なんかのバチ、あたったんやろか?

わからへんねん。

私、アホやから、わからへんねん。

そやけど、もう1回……、もう1回だけ、チャンスが欲しかってん。

……艦長やったら、て、思てん。

あはは、あは。えへ。恥ずかし、私、何言うてんのやろ。恥ずかし。

もう、艦長、純情な女の子に、何言わすねんな、もう。

あ?

……ほんま、アホや、私。

純情、やて。

こないに……、こないに、汚れてんのに。

あないに、恥ずかしい事、されて、動画まで撮られたのに。

……ああ、なんで、思い出してもうたんやろう!

もう、堪忍してもらえれへんのやろか?

やっぱり、なんかのバチあたったんやろか?

お父さんもお母さんも、答えてくれへんねん。

なあ、艦長?

もう、忘れても、ええかなあ?

……考えてみたら、私、幸せになれる訳ないやん、なあ?

ようけ、人、殺したもん。

ようけ、みんなの幸せ、奪ってもうたもん。

そやのに、私だけ、幸せになりたいやて……。ほんま、厚かましいなあ、私。

軍人になる前かて、あのヤクザも、おじさんも、おばさんかて、おねえちゃんかて。

それに……。誰がお父さんか判らへんけど、私のお腹の中の、あ……、赤ちゃん……、かて。

私が、殺したようなもんやからなあ。

艦長?

私、もう、幸せになる資格なんて、ないんかなあ?

私、もう、死んだ方がええんかなあ? 」


 沈黙が広い中央手術室を支配する。

 モニタを覗いていた麻酔医が、おずおずと報告する。

「脈拍、上昇」

「脳波が乱れ始めました。断続的にα波が0.1%程度発生し始めました、ヒプノグラムでは増加傾向を示しています。BISやエントロピーモニタでは麻酔深度は安定しているんですが……」

「心拍数、乱れつつ、ゆっくりと上昇中」

「GABA作動精神系が活性化しているようです。ノルアドレナリン、セロトニン、ヒスタミン、アセチルコリン等神経伝達物質の伝達抑制が始まっています」

「スタンビードが収まり始めて、レム睡眠に移行し始めている? 」

 サマンサは自分の呟きで我に返って、傍らのカーネギー博士を振り向いた。

「海馬変形に対する抗体が弱りだしたのでは? 」

カーネギーも焦りを目に浮かばせて答えた。

「彼女の言う『艦長』に対して申し訳ないという想い。つまり、生への執着も薄れだしたから、か。血液成分のモニタ、注意しろ! 白血球の増加を重点的にチェック! 」

 サマンサは、涙を必死に堪えながら、涼子をみつめる。

 既に手術室内の殆ど全員が、目に涙をためていた。

 キングストン博士が、涙をボロボロ零しながら、ボソリと呟いた。

「脳が、泣いてる。……これは、脳の歌う、哀しい歌だ」

 それを聞いて、明日香などは両手で顔を覆って、肩を震わせ声を殺し、泣き出してしまった。

 カルダンがサマンサに耳打ちしてきた。

「サム! このままじゃ、どんどん抗体が弱まり、本当に二進も三進も行かなくなるぞ! 」

「血圧降下剤か、解熱剤か……。ドーパミン作用系の……、SSRIとかSNRI、なんでもいいから薬物投与で抑えるか? それとも、副作用のリスクは高いけど手っ取り早く麻酔を二重投与してみるか? 」

サマンサは掠れる声で自問自答する。

「でも……、いつまでそれを続けるの? ……ノンレムのステージⅠからⅣとサイクルしてδ波が50%を超すまで? それでまた、覚醒のサイクルが帰ってきたらどうするの? 」

そして再び涼子の方に視線を向けて、訊ねるような口調で、呟いた。

「どうしたらいいの? ……なんとかできないの? ……なんとか」

 スピーカーからは、涼子の”脳の歌う歌”が静かに続いている。

 AIの女性の声に似せた合成音故の淡々とした平板な話し方だが、それだけに、それを聞く全員の胸に、余計に切実に響いてくる、そんな話し方だった。

「ごめんな、艦長。

あかんなあ、私。

せっかく、艦長と一緒に決めたのに。

せっかく、2人で生きて行こ、て決めたのに。

こんなんやから、バチがあたったんかなあ?

……もう、堪忍してもろて、ええかなあ?

……恋なんか、せえへん方が、良かったんかなあ? 」

 ああ、もう、誰だ!

 こんな優しい娘に、恋することを怖がらせたのは!

 サマンサは思わずスピーカの声をリフレインする。

「『恋なんてしない方が、よかった』だなんて……、バカ、涼子。バカ……? ……あ? ……あ、あれ? 」

 大事なことを忘れてる、私?

 サマンサの様子に気付いたキングストンが声をかけた。

「おい、サム! ……どうしたんだ? 」

「思い出したっ! 」

 ああ、もう、私の馬鹿っ!

 サマンサはガバッと振り向いて、キングストンの肩を掴んで大声で喚く。

「そうよ、説得すればいいんだ、説得させればいいのよ! あの”バカ”に説得させればいいんだわ! 」

 なんで忘れていたんだろう、私の方が馬鹿だわ、これじゃあっ!

 アイツは、あの馬鹿は。

 きっと、この為に、局部麻酔での手術を頼んできたのに違いないってのに!

 キングストンが呆れた顔で呟く。

「せ、説得だって? ……クランケを、か? どうやって? 勘違いするな、今聞こえているのは”脳波”だ。コミュニケーションなど取れる訳な……。あ? ……待てよ? 」

 パパデュがサマンサの意図に気付いて、叫んだ。

「そうか……。聴覚野は生きてるんだ。聞こえてたんだな」

「そうよ! 聞こえてるのよ! こっちから、語りかけるだけでいいのよ! 」

 サマンサは今度はパパデュの方を向いて、肩を掴んでぶんぶん首を振る。

「しかし、どうやって説得する? どう言えば患者は説得されてくれるんだ? ……サム、確かに君ならカウンセリング可能だろうが、今は時間との勝負なんだぞ」

 カーネギーが尋ねる。

 サマンサは、カーネギーを向いて、力強く答えた。

「さっきからクランケが語り掛けている相手、”艦長”ですよ! 艦長ヤツに説得させればいいんだわっ! 」

 明日香が呟くように問い掛ける。

「艦長って……。あ! クランケと一緒に運び込まれてきた、銃創の……、統幕軍務局軍務部長? 」

 看護師が手術室内の電話を使ってナースステーションを呼び出していたが、暫くして大声で返答してきた。

「軍務部長、病室にいらっしゃいません! 」

 サマンサは予想外の報告に思わず怒鳴り返す。

「いないって……! ICUでぜ、絶対安静じゃなかったの? 」

「は、はい。で、でもICUも病室も、モヌケの空だって」

 サマンサは看護師に詰め寄ろうとして、しかし突然立ち止まって手術室の出口ドアを振り返り、大声をあげる。

「アイツッ! あのバカ、まさかっ! 」

 そう言うなり、サマンサは中央手術室を脱兎のごとく駆け出した。

「サム! 待て、どこへ行くんだ? おい、サム! 」

 カーネギーの大声が背中を追い掛けてきたが、サマンサは振り向きもせずに叫びながらクリーンエリアから飛び出した。

「ちょっとだけ待ってて下さいっ! 最強のネゴシエーターを連れてきますからっ! 」


「涼……、子様……。マヤ、です……、うん……、う……。……うん? 」

 マヤは、自分がいつの間にか眠ってしまっていたのに気がついた。

「……涼子様! 」

 思わず叫ぶと、耳元で、もはや聞き慣れた声が響く。

「殿下、お目覚めですか? 」

「あ! あ、あの! 」

 どうやら、小野寺の肩を借りて泣きじゃくるうち、そのまま頭を彼に預けて眠ってしまったらしい。

「も、申し訳ございません! 怪我人の方にもたれちゃうなんて、私ったら」

 そう言って慌てて身体を離す。顔がなんだか火照っている様にも思える。

”や、やだ、私ったら! 殿方に、こ、こんなはしたない”

 しかし彼は別に動じる風でもなく、淡々と話しかける。

「あれから、もう2時間近く経ちました。護衛の方は大丈夫ですか? 」

「あ、え? ……そ、そうです、わね。でも、涼子様がまだ」

 彼は少しだけ笑う。

「寝ていらっしゃる時も、涼子の名前を何度も呼んでらっしゃいましたよ。……あぁ、そうそう、殿下が寝ていらっしゃる間に、何本か吸わせてもらいましたが、髪の毛に匂いがついてしまったでしょう? 」

 マヤはそう言われて思わず、自分の髪をひと束つかみ、鼻に近づける。

「あ……。ほんとう。すこし、煙草臭い」

「申し訳ありません。涼子も俺の執務室へ来る度、よくタバコ臭い、髪の毛まで臭くなっちゃうってね、よく怒ってたもんです。あいつは俺の顔を見れば禁煙禁煙と煩かったが、その点殿下はご理解があるので助かります」

 マヤはクスリと笑って言い返す。

「あら、閣下? そんな事仰ると、マヤが涼子様に喋ってしまいますわよ? 涼子様、怒ると恐いから」

「それはご勘弁を、殿下。……いや、涼子は別に恐くはないんだが、私は涼子の怒った顔より、笑顔の方が好きなもので、ね」

「まあ! お惚気でしたのね? ごちそうさま! 」

 2人で遠慮勝ちに笑いあった後、彼は呟くように言った。

「……殿下も、笑顔の方がよくお似合いですよ。……涼子が殿下を大好きな理由が、よく判りましたよ」

 マヤは少し頬を染めて、視線を膝の上に重ねて置いた自分の手に落とす。

”涼子様、ごめんなさい。少しだけ、世の中の殿方も、イヤな方ばっかりじゃないって、勉強になりましたわ”

 その途端、中央手術室のドアがすっと開き、手術衣の人物が血相を変えて飛び出して来た。


 マスクとゴーグルをしてはいたが、すぐにそれが誰か、小野寺は理解した。

「サム! 」

 隣でマヤの身体がビクッと震えたが、今は構っている余裕はなかった。

 サマンサは喫煙コーナーの方を振り返り、暗がりの中、彼の姿を見つけると大きく目を見開き、マスクをずらして口を数度パクパクさせてから、大声で怒鳴った。

「バカ! あんた、こんなトコで何やってんのよ! 」

 怒鳴った途端、ブルーアイから涙がポロッと一筋、頬へ零れ落ちて、顎に引っ掛けていたマスクに染みを作った。

 視界の隅、マヤがサマンサと彼の顔を交互に見比べながら、驚いた表情を浮かべているのが見えた。

 ああ、面倒臭い事になったかも知れんと密かに溜息を落としたが、サマンサはそんな彼の様子に頓着する事無く、続けて怒鳴り声をあげた。

「絶対安静って意味、判ってんのっ? 」

 小野寺はサマンサの罵声を聞いて、どうやら、緊急、最悪の事態でもないらしい、とひと安心する。

 ならば。

 緊急、最悪でないのなら、何故、サムは手術中だと言うのに、外へ?

 疑問を覚えながらも、取り敢えず彼は立ち上がり、無事な方の右手で頭をポリポリ掻いて見せた。

「意味は判ってるつもりだ、サム。……だから、ここにいるんだ」

 サムはペタペタとサンダルの音を廊下に響かせて彼に駆け寄り、いきなりパシッと彼の頬を平手で殴った。

「! 」

 マヤが驚いてソファから立ち上がる。

 サマンサはしかし、マヤに気付いた様子もなく、彼だけを真っ直ぐにみつめて涙声の怒声を放った。

「こンのォ、大馬鹿野郎っ! いい歳して格好つけてっから、そんな目に合うのよ! 」

 しかしその言葉には、最初の一喝ほどの迫力はなく、サマンサはボロボロ涙を流しながら、彼の胸に頭を押しつけた。

「私が……、どんな想いでヒューストンから飛んできたと思ってんの? あんまり、心配させるんじゃねぇよぉ……」

 ああ、相変わらずこの女性おんなは、真っ直ぐで、可愛らしい。

 サマンサの髪から香るのだろう、場違いに優しい香りを懐かしく思いながら、小野寺はサマンサの背中を撫でてやる。

「ははっ、相変わらず厳しいな、サム。でもまぁ、今回は本当に恩にきるよ」

 サマンサは暫く声を殺して泣いていたが、やがて顔を上げて手袋をはめた甲で涙を拭うと、口調をビジネスライクに切り替えた。

「そうだわ、こんなことしてる場合じゃなかった! アンタを探してたのよ! ちょっと来て! 」

「来てって……。おいっ、まさか涼子が」

「今すぐどうこう、って事じゃないから心配すんな。だけど、今の涼子の症状解明に関しては、アンタがどうやら鍵を握っていそうなのよ」

 サマンサの言葉の意味など、これっぽっちも理解出来なかったが、それでも小野寺は頷いて歩き始めた。

 脇から、サマンサがそっと肩の下に身体を入れてくれた。

 と、その時背後でマヤが叫んだ。

「あ、あのっ! 」

 声に驚いたのか、サマンサは一瞬ビクリと身体を震わせ、それからゆっくりと背後を振り返った。

「アンタ、誰? 」

 本当に今まで、マヤの存在に気付いていなかったらしい。

「待って! 私も……、連れて行って下さい! 」

 眼に一杯涙を溜めて叫ぶマヤを、しかしサマンサは冷たく突き放した。

「や、ホントにアンタ誰なの? クランケとどんな関係? 患者の秘密に関わることだから、第三者は遠慮して」

「あ、あの……、でも! 」

 食い下がろうとしたマヤに、サマンサはたちまちブチ切れたようだった。

「くどいっ、この馬鹿! 急いでるのよ、すっこんでなさい! 」

 ああもう、まったく涼子の周辺の女性陣と来た日にゃあ。

 小野寺は苦笑を浮かべながら、サマンサに言った。

「サム、マヤ……、あ、いや、彼女は良いんだ。差し支えなければ入れてやってくれ」

 サマンサは彼をじっとみつめ、やがて大きな吐息を零した後、徐に歩き出しながら振り向きもせずブッキラボウに言った。

「今、クランケは頭開いて、脳味噌全開状態よ! ぶっ倒れても、介抱してやるヒマなんかないけど、それでも良かったらついてきな! 」

 マヤは首が取れるかと言うほどブンブン頷いた。

「は、はい! 」

 姫様の人生で、これほど他人から怒鳴られた日は、たぶん空前絶後だろう。

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