19.恋歌

第128話 19-1.


「電極、端子、センサー、全て接続完了。信号受信状況、問題ありません」

「チェックプログラム実行中。レベルレッドで38%……、19%……、11%……、レベルイエローで7%・・・・・・、アロファンス±0.5%でほぼ安定、許容範囲内です」

「ダメよ、0.4%まで落として。でないと、このケースじゃ役に立たないわよ」

 サマンサの鋭い指示が手術室内に響く。

「それと、全血輸血3単位、追加」

 検査術執刀医の指示を、サマンサは即座に訂正した。

「4単位。今後予想される状態急変を考えたら、出血量はハンパないと思うから」

 サマンサは手術室内に響く自分の声を、まるで他人事のように聞きながら、手術台の上の患者を見下ろす。

 涼子は、既に脳頭蓋のうち頭頂骨上部を開かれ、脳を露出していた。

 その周囲に、サマンサが医療本部臨床医学研究センターの各研究室を中心に掻き集めた、各専門分野のトップ達~即ち、現在の地球文明圏での医学分野におけるトップクラス~がサマンサを中心に20名、実際にオペを担当するロンドン野戦病院の脳外科医、麻酔医や看護師など15名と各種検査装置の臨床検査技師やエンジニア、医療用AIのSE、プログラマー等11名が固唾を飲んでサマンサの挙動を見守っている。

 さすがに、広大な中央手術室の殆どを専有しているとは言え、50名近い人間が集まると狭く感じるわね、と考えながら、サマンサは一度、大きく深呼吸をした。

「レベルグリーンで3.5%、±0.2%で安定」

「それじゃあ、始めましょう。撮影開始」

 手術の様子が5台のビデオカメラで撮影される。

「2月18日午前1時、……12分。ミッション・コード『デザート・ローズ・レスキュー』、第1回開頭検査。検査責任者、サマンサ・ワイズマン。検査チームは別途資料添付、クランケカルテ及び術前各種検査結果は別途添付」

 そして短い吐息をつくと、傍らを振り返った。

「それじゃ、パラメータA、現在値読み上げて」

 臨床検査技師チームのリーダーが数値を読み上げていく。

「体温45度……、脈拍112/分、呼吸38/分、血圧217-108、現在レム睡眠中、α波は全体の0.2%程度です」

 基礎医学研究センター生理/分子生理学研究室長で、大脳生理学の世界的権威と言われる、ハワード・カーネギー三等艦将が首を捻る。

「どう思う、サム? α波が全体の0.2%と言うと、殆ど覚醒している状態だ。体温や脈拍、血圧……。どれを取っても、今彼女の身体は細胞分裂にも近いと言って良い程の、劇的な変化スタンピードの真っ最中としか思えないのだが」

 カーネギーは言葉を区切り、露出された涼子の脳とMRI画像をまじまじと見比べながら、溜息交じりに言葉を継ぐ。

「外見的には、まったくキレイなものだ。もう少し腫れや出血、若しくは出血痕の様なものが見られるかとも思っていたんだが」

 カーネギーの言葉に頷きながら、ロンドン病院の脳外科執刀医がまじまじと涼子の脳を観察しながら応える。

「そうですね……。急性脳腫瘍の場合、一般的には見ただけですぐにそれと判る出血や腫れが観察できる筈ですが、これは健康そのものだ」

「確かに、スタンビートが起きているとは到底思えない。しかし……、それにしてはアドレナリン濃度や各種内臓機能が落ち着きすぎているな」

「プロラクチン(乳汁分泌ホルモン)の過剰生産も見られますが、乳汁漏出していないんですよね」

「しかもレム睡眠ときたもんだ。そんな細胞レベルでの劇的変動の真っ最中である人間が、殆ど覚醒状態なんて、とても……」

 基礎医学研究センター病理病態学研究室のアンドレ・カルダン三等艦将と臨床医学研究センター外科研究室脳外科主任ビヨンド・パパデュ一等艦佐が相次いで発言する。

 サマンサは脳断層撮影やMRIの検査結果に眼を落とす。

「造影剤使用CT、MRIのGd造影T1強調画像でも、石灰化が見られない。悪性度の低い星状細胞腫って訳でもないわよね。リングエンハウスメントも見られない、ってことは転移性でもない」

 サマンサはディスプレイから顔を上げて、医師団をゆっくり眺め渡しながら言った。

「って事で、皆が不思議に思うのはよく判る。でも、これは私の個人的な考えなんだけど、これらの検査結果……、つまり事実が、それらを解くキーなんじゃないかな? 」

 カーネギー博士がじっとサマンサをみつめて呟くように訊ねる。

「私もその意見に賛成だ。クランケの過去のカルテ、病歴と、今夜の検査結果の誤差、の事を言ってるんだろう? 」

 サマンサはゆっくり頷く。

「そうです。過去、クランケは記憶から抹消したい、という強い願望の結果、海馬の物理的変形……。所謂、シナプス経路の強制的物理的な『回路設計変更』によって、記憶の改変を行ってきた。それは、過去の検査結果からも明白だわ。だけど、今回の事件はまさに、クランケのそう言った特異体質発現の直接的なトリガーとなり得る、20年前の事件の再現とも言って良い様な事件だったのにも関わらず、海馬の変形が認められない」

 バイオメディカル研究センター腫瘍医学研究室長のチェカニコフ・ダスカフスキー三等艦将がカルテDBを見ながら頷いた。

「確かに、20年前、事件発生直後のカルテや、五十鈴乗り組み時代のワイズマン博士のカルテと比べると、今回の病状は驚くほど酷い症状だな」

「仰る通り、これ程の症状ですと、脳腫瘍や急性白血病等の発症が見られて当然、ですね」

 臨床医学研究センター脳神経外科研究室のジョゼッフォ・マルセーイ一等艦佐が同意を示す。

「じゃあ、今回は特発性頭蓋内圧亢進症、所謂”偽性脳腫瘍”? 」

 カルダンの呟きをサマンサが即座に否定した。

「いくら脳浮腫の兆候が見られないからって、それはないわ。逆に脳浮腫の症状が見られないなら、浸潤性の方を疑うべきよ」

 広い手術室内に沈黙の帳が不意に訪れる。

 それを待っていたかのように、か細い声が上がった。

「えっと……、あの、これは、推論なんですが」

 バイオメディカル研究センター遺伝医学研究室から参加している、今回の医師団の中では一番若い女医、明日香・ヘミングウェイ二等艦佐が手を上げていた。

「この劇的な症状を素直に見ると、変形に対する抗体が出来つつある、って事なのでは? つまり、えと、これは私の専門外で、ワイズマン博士の方がお詳しいと思うのですが、クランケの心理的な葛藤の現れがこの症状なんじゃないか、と」

「それは、つまりクランケが今回の事件を”忘れたい”、”忘れたくない”と葛藤しているというのかね? 」

 パパデュ博士が驚いた様に訊ねる。

 明日香はこっくりと頷いて答える。

「ええ。何故か、は勿論、判りませんけど。”忘れたい”という強い意思により、海馬は過去の通例に従って変形しようと活動が活発化する。それに対して、”忘れたくない”という思いも一方には強くあり、それが海馬の変形を阻止しようと、所謂”抗体”の役割を果たす。そのため、過去の海馬変形症状の時よりも、激しい変動が現れているのではないでしょうか? 」

「しかし、それはまるで病理学モデルの様な……。脳神経分野にそんな抗体モデルを持ち込んで良いものかね? 」

 カルダンが首を捻る。

「私は別に構わないと思うけど? カルダン博士」

 サマンサは明日香のフランス人形のように整った顔を~半分以上マスクで覆われてはいたが~みつめながら言った。

「と言うか、生命ってのは、よりスムーズで素直な方向へ動くのが、自然じゃないかしら? ”忘れたくない”って想いだけじゃなくて、”これ以上変形すると死に至る”という生物の本能的な危険信号も加わっているのかもしれないし。……まあ、いずれにせよ、ジャッジを下すには、彼女の夢を覗かないと判らないし、この際それは、学問としては重要だけど、救命上の処置優先度プライオリティとしては高くない」

 マルセーイ博士が発言する。

「となると、臨床的見地に立って現時点での施療方針を判断すると、抗体の働きを強化すると同時に海馬変形の働きを弱める、と言う事になりますね? 」

 サマンサは無言で大きく頷き、傍らのカーネギー博士を顧みる。

「どう思われます? カーネギー博士」

「私は異存ない。但し、リスクもあるな」

 カーネギーはサマンサのブルー・アイを真っ直ぐにみつめて言った。

「ええ……。海馬変形を物理的に抑えた時、クランケの精神状態がそれに耐え得るのか」

「そう。今日までの彼女にとって、この激しい葛藤は辛く苦しく、耐え難いものだったろう。だと言うのに、ここへ来て一気に、今日までの20年間の全てと直面しなければならなくなった彼女の精神状態を考えると、残念ながら、今回こそこの競合状態は耐えられるものではないだろう。最悪の場合、激しい精神の荒廃で、廃人同様の状態になるかも知れない」

 中央手術室に集まる50人以上の人間が、一斉に息を飲んだ、ようにサマンサには思われた。

 各種検査装置や生命維持装置の動作音だけが違和感と存在感たっぷりで、広く清潔な室内に響き渡っていた。

 サマンサが苦渋の表情を眉根に表しながら、ゆっくりと口を開く。

「私はまず、医師としてクランケの生命維持を最優先で考えるべきだと、思う」

 全員が無言で、しかしはっきりと頷き返し、賛意を示した。

「それじゃ、方針決定、ね。……まず、変動を促す症状を物理的に抑制させましょう。並行して、脳波や電気信号、シナプス形成のモニタリングを。ドーパミン放出系の値」

 サマンサがそこまで言った時、脳波測定をモニタしていた技師と医師から鋭い声が飛ぶ。

「α波、消失。完全に覚醒状態です」

「! 」

 全員が声の方向を振り向く。

「バイタル!」

 脳外科執刀医の声にナースや検査技師、麻酔医が反応する。

「血圧、脈拍、呼吸速度、体温、変化なし」

「パルスオキシメーター、SpO2(動脈血酸素飽和度)も変わりなし」

 最後に、瞳孔反射を確かめていた執刀医が、掠れた声を上げた。

「ECS(Emergency Coma Scale)レベルⅠ、覚醒している……」

「……どうなってるのよ」

 サマンサが言葉を零したと同時に、電波計測チームが声を上げた。

「脳が発している電磁波が特徴的なパターンを示し始めました」

「え? なんですって? 特徴的なパターン? 」

サマンサ達は一斉に、天井から吊り下げられたディスプレイに映る電波計測装置のモニタ画像を見上げた。

「本当だ……。確かに特徴的ではあるが……。なんだ、これ? 」

 ダスカフスキー博士が呟く。

「この電磁波は、確か大脳言語野の活性化に伴って発生するんじゃなかったですか? カーネギー博士」

 カーネギーもディスプレイを覗き込みながら、答える。

「そうだな。一般的には、特に大脳の特定機能が活性化すると、それに応じて周波数の違う電磁波が発生する、と言われている。現在は大脳言語野、大脳運動野等大脳関係だけで4種類の電磁波が確認されている。現在現れている周波数は確かに言語野だと思うが……。こんな一定パターンを示すとは思えない」

 額に汗を滲ませて、黙ってディスプレイを覗き込んでいたサマンサは、閃きを覚えて、叫んだ。

「ねぇ、この言語野の電磁波パターン。……これって、クランケが何か訴えようとしているんじゃないの? 」

 全員が驚愕の表情でサマンサを注視する。

「α波消失してるんでしょ? 起きてるのよ、目が醒めてるのよ、クランケは! 」

 サマンサは臨床検査技師を振り返って叫んだ。

「聴覚野の電磁波は? 」

「聴覚野も一定パターンではありませんが、なにかのキッカケで時折発生しています」

 返ってきた答えに、サマンサは自分の考えが正しいことを確信する。

 それを証明する為に、サマンサは手術台に寝かされた涼子の傍へゆっくりと歩み寄った。

 大きく1回深呼吸をして、マスクの口元を涼子の耳元へ寄せる。

「涼子……。涼子? 」

 ディスプレイを覗いていたカーネギーが上擦った声を上げる。

「パターンが……、変わった」

 チラリとカーネギーを振り向き、サマンサは再び涼子に語りかける。

「涼子……。聞こえる? 」

 誰かが生唾を飲み込む音が聞こえる。

「さっきと同じパターンが再現した」

「聞こえてるんだ。……ワイズマン博士の呼びかけが自分を呼んでいるということを、彼女は認識しているんだ」

 パパデュが掠れた声で呟く。

 その隣で、ダスカフスキーが腕組みをして唸るように、独り言のような調子で誰もが抱いている疑問を口にした。

「しかし、何を言いたいのか……。それが判らんなあ。ひょっとしたら、ただ脊髄反射でパターンが出現しているだけともとれる」

「いや、それはないだろう」

 パパデュがダスカフスキーの呟きを即座に否定した。

「言語野の活性化は明確なんだ。聴覚野が反応し、それに対して何かを訴えようとしているに違いない」

「ふむ……、あ、ブロードマインの脳地図……」

 ダスカフスキーが虚空を見据えて呟いた。

「ブローカ野、ね。No.44弁蓋部、No.45三角部」

 サマンサは涼子から顔を離して叫んだ。

「ポジトロン断層法……、あぁあ、駄目、駄目ね、時間が掛かり過ぎるし放射性同位体トレーサーの注射はクランケの身体への負担が心配だわ」

 腕組みして首を捻っていた臨床検査技師チームのリーダーが、ポン、と手を打った。

「博士、fMRIなら、2ヶ月前に医本と科本が共同開発した新型の小型可動式fMRIがありますよ。それならこのままの状態で検査出来ます」

「それだわ! ナイスよ、使いましょう! 準備して、大至急! 」

 臨床検査技師チームリーダーにサマンサは叫び返して、医師団を振り向いた。

「脳機能マッピングを現状で行う事によって、彼女のリアクションの意図が、そしてその意図の解明法が調べられるかも知れない」

「なるほど、な。特徴的な電磁波パターンについても意味がある、君はそう言いたいんだな? 」

 カーネギーの言葉にサマンサはゆっくりと頷き返した。

「ええ。覚醒状態にある涼子に、忘れたいのか? 忘れたくないのか? それを確認する必要があります。上手くいけば、涼子を説得し、そして外科的内科的治療をせずとも、この危機を脱することが出来る……、いや、非常に楽観的ではありますが、精神的疾病その他諸々、完治にまで持ち込める可能性すらある、と思っています」

 15分後、可動式の新型fMRIが手術室に持ち込まれて、脳機能マッピング検査が開始された。

「サム、君の推測通りだな。大脳言語野、ブローカ野の弁蓋部、三角部のこの活性状況は、クランケが聴覚野の拾った情報を整理、分析してそれに反応して何かを話そうとしているように見える」

「問題は、彼女が何を言おうとしているか、だわね……」

 5台のマルチディスプレイに表示された検査結果を見ながらサマンサが考えを巡らせていると、場違いにも聞こえる素っ頓狂な声が上がった。

 バイオメディカル研究センター高次神経医学研究室のヘンリー・キングストン三等艦将だった。

「これ……。一次運動野に定型パターンが現れている」

「一次運動野? 」

 一次運動野は、脳で処理した情報を脊椎を下降する神経で全身の肉体機関に伝達し、運動を促すための働きをしている。

「そうだわ、ホムンクルスを調べてみて」

 これで身体のどの部位へ命令が送られているかが判明するだろう。

「左手、親指、人差し指ですね」

 臨床検査技師の一人が、3分後、報告を上げた。

「親指と人差し指の開閉、パターンは開く、閉じるでそれぞれ時間的に長短の4パターン」

「つまり、親指と人差し指を、長く閉じてるか、短く閉じているか、って事? 」

 サマンサは首を捻る。

 これは、外したか?

 患者の、ただの個人的な無意識で現れる癖、仕草が、この場に現れているだけ?

 しかし次の瞬間、パパデュの上げた大声で、サマンサの疑念は一掃された。

「指の動きと、弁蓋部、三角部のパターンが同調しているぞ! 」

「どういうことだ? 」

 カーネギーが咳き込んだように訊ねた。

「手話です、博士! 手話と同じパターンなんですよ! 」

 大発見だと言わんばかりに、パパデュの声は上擦っていた。

「以前、ウチの研究チームで調べたことがあるんです。後天的な唖者は、聴覚野で拾った母語で思考を成し、それを手話で伝える。その際、脳内で言語化が一旦成されるんですが、その時のブローカ野と一次運動野の連携パターンとそっくりなんです」

「え、だけど、涼子、手話なんて」

 サマンサの呟きに、パパデュは声量を少しだけ落とした。

「不思議なのは、手話にしては圧倒的にパターンが少ないって事ですね。たった4パターンで全ての会話が可能な手話ってのは、どの国の手話でもないだろうと」

 パパデュの話に、今度はキングストンが大声で割り込んだ。

「なぁ、この波形を見てて気付いたんだが。これは、国際モールス信号じゃないのか? 」

 サマンサだけでなく、全員が一斉にキングストンを注目した。

「いや、ウチの研究室の若い奴が研究テーマとして取り組んでいるんだが……。脊椎動物なら、下等生物でも意思表示の方法としてモールスの様な、二進法の符号を体内信号として持っているんじゃないかって仮説で……。それに、俺も軍医になるときにUNDASNの幹部導入教育で習ったけど、モールス・コードってのは長短の2種類の符号の組み合わせだろう? クランケは正真正銘の兵科幹部なんだ、ってことは基礎知識としてモールス・コードは知っていて当然なんじゃないのか? 」

 サマンサがAIの傍らにいるSEに向かって叫ぶ。

「この指の開閉パターンをモールス・コードに置き換えられる? 」

 SEは暫く首を捻っていたが、やがて大きく頷いた。

「アイマム。統幕一般教育データベースの国際モールス信号テーブルに接続して突合してみましょう。指の開閉時間が長短2パターンなら、そのままモールスコードに置換できるでしょうから。10分お待ちください」

 結線が急いで組み替えられ、その間もAIエンジニア達が猛烈なスピードで指をキーボード上に走らせている。

 サマンサは手術台に横たわる全裸の涼子をじっと見下ろした。

 全裸の美しい肢体から数百本の検査装置の端末のコードを放射線状に伸ばして横たわる涼子の姿は、まるで天界から眩い後光を煌かせながら降臨した女神の様に見えた。

 サマンサは、一瞬自分の考えを”私ったら何を夢みたいな事を!”と否定しかけるが、よくよく考え直すと、涼子は今、世界トップレベルの医学者達のこれまでの常識を覆すような”奇跡”を連続して現出させているのだ。

 その意味では神に例えても決してオーバーではない、とも思えてくる。

 唐突に、五十鈴の艦内で小野寺と過ごした過去が脳裏に蘇ってきた。

 そう言えばあの頃は、下らない、子供っぽい嫉妬心に苛まれ、涼子の艦長室詣での件で、ネチネチと厭味を投げつけていたのだった。

 あの娘、今日はヤケに上機嫌で帰っていったわねぇ、アンタ、何て言って女心を擽ったのよ?

 こちらの気も知らずに、あの男は普段通りの無愛想な口振りで、サラリと答えたものだった。

「奴、モールス発光信号を読取機より早く理解して次のアクションをとるんだ。それを褒めてやっただけだ」

 そうか、そうだったのか。

「ああっ、ファック! 」

 くそったれ。

 マスクの下で、サマンサは唇を噛み締めた。

 アンタ達は、私の判らない、二人だけの言葉を持ってる、って訳だ。

 どんだけ私を馬鹿にしたら済むのよ、えぇ?

 泣きそうになった。

 涙声を押し隠し、低い声でSEに伝える。

アタリビンゴだったら、モールス信号、言語変換して音声でスピーカーに流して」

 仕返しって訳じゃないけれど、せめてこの場で、アンタの泣き言、みんなに聞かせてやるんだから。

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