第126話 18-4.
それからは、地獄の日々だった。
部活のある日は、必ず伯父が車でバス停にやってきて、いつもの場所で。
部活のない日も、従姉が外出、伯母がパートの時には、家で。
誰かが家にいる時は、涼子の携帯電話に呼び出しがあった。
私服になると、高校生か女子大生にも見える大人っぽいプロポーションの涼子を、伯父はホテルやモーテルに連れ込んだ。
避妊具は使われなかった。
それがどういう意味を持つ行為か、涼子には充分すぎるほど理解できていたけれど、どうすることも出来なかった。
涼子は次第にコーラス部の練習をさぼる様になった。
何も知らずに元気に明るくクラブ活動に打ち込む友人たちを見て、もう、自分とは同じ世界の住人には思えなかった。
それにつれて、口数が減り、いつも翳のある表情をする様になった涼子を、伯母や従姉は、最初のうちはあれこれと気遣って世話を焼いて来たが、やがて暫くはそっとしておく方がよいとの結論に達したのだろう、次第に涼子を避ける様になった。
けれど。
それは地獄の入り口にしか過ぎなかったことを、涼子はその日、知った。
深読みすると、伯父は、学校でも家庭でも、涼子が孤立するのを待っていたのかも知れない。
そんなタイミングでの出来事だった。
もうすぐ2学期が始まろうか、という8月下旬のけだるい夕暮れ時、涼子は誰もいない家のソファでウトウトしていた。
ふと目覚めると、窓の外が赤い。
「あれ、夢? ……なんで、空が赤いんかなあ? こっちが夢? 」
目を擦っていると、携帯の着信音が部屋に響く。
着メロに設定した大好きな女性歌手のヒット曲が、夢ではないと涼子に囁きかけていた。
「全部、夢やったら……、ええのに」
ぼけっとイルミネーションが光る携帯電話をみつめ、やがてのろのろと取り上げると、伯父の声が響いた。
「涼子。いつものところで、30分後」
涼子は暫く携帯を耳にあてたまま、フリーズしていたが、やがて、両手で顔を覆って、声を殺して暫く泣いた。
伯父の言う『いつものところ』~家から歩いて10分程の、人通りの少ないマンションの前に設置された自動販売機のところで待っていると、伯父の車がスッとやってきて、助手席のドアが開く。
涼子は無言で助手席に座り、いつもの通り、目を固く瞑る。
と、突然、背後から聞いた事もない野太い濁声が聞こえてきた。
「ほうっ! なかなか、上玉やないか、オッサン。中学生や言うから、あんまり期待してへんかったけど、こらええわ! もう大人やんけ! 」
涼子は思わず振り向く。
リアシートにはサングラスに角刈りのプロレスラーの様な男と、見るからにヤクザ風の若い男が、ニヤニヤ笑いながら涼子を値踏みする様に見ていた。
声も出せず、涼子は運転席の伯父を見た。
伯父は、自分以外誰も乗っていない、とでも言いたげに、ただただ前だけを見てハンドルを握っていた。
思わずドアロックを外してドアを開けようとした。
「おっと! ねえちゃん、無駄な抵抗はやめんかい! 」
プロレスラー風の男が嘲笑う様に言って後から手を伸ばし、涼子の口に薬品のきつい匂いのする布切れを押し当ててきた。
急速に意識が薄れて何も判らなくなり、次に涼子が気付いたときは、どうやらどこかの倉庫の中で全裸で縛られて床に投げ出されていた。
足元にはさっきの見知らぬ男2人が立ち、伯父と話している。
「見れば見る程、ええ女や。ほんまに中学生かいな、こいつ? 」
「後がうるさいですから。くれぐれも顔や手足、見えるところには傷をつけないで下さいよ」
「わかっとるわい、うるさいんじゃ! ほれ、2人分、40万や。差額の10万は兄貴に入れとくさかい」
「これが証文な、50万円分」
伯父は現金と証文を受け取り、ポケットに入れて卑屈に笑う。
「じゃあ、3時間後に」
これから自分の身に降り掛かる出来事を想像して、涼子はやっと声を出す。
しかし、それはあまりにも弱々しい声だった。
「おじさん、お願い! た、助けて」
伯父はふと足を止め、やがてゆっくりと戻って、涼子の傍らにしゃがみ込み、覗き込む様に話す。
「涼子ちゃん。おじさんを恨むのは筋違いだよ。おじさん、涼子ちゃんを引き取ってから、生活が苦しいって言ったろ? それで、会社で扱っている薬品を、暴力団に横流しして金を稼いでたんだ。だけど、その代金を誤魔化していることが、この暴力団のお兄さん達にばれちゃって、さ。つまり涼子ちゃんは、借金のカタ、さ」
伯父は虚ろな笑みを浮かべて、溜息を零し、残りの台詞を早口で捲くし立てた。
「涼子ちゃん、恨むんなら、君を残して死んでしまったお父さんとお母さんを恨むんだな。おじさんだって、君より女房や実の娘の方が、大事だからね。仕方ないんだ」
プロレスラーが後から伯父を蹴り上げた。
「おっさん! いつまでグタグタゆうとるんじゃい! 早よ、出て行け! 」
伯父は蹴られたところをさすりながら、男達にペコペコ頭を下げながら部屋を出て行った。
「ま、待って! お願い、おじさん、助けて! ま、待って、お願い! 私、ちゃんと、アルバイトでもなんでもするから! ちゃんと、お金入れるから! おじさん、待ってえ! いやあっ! 行かんといてえっ! 」
涼子の絶叫が虚しく倉庫内にこだまする。
「へへへへ! オイ、カメラ回したか? 」
若いチンピラが返事する。
「へい! バッチリですわ」
涼子の瞳に映る全てが、絶望の涙で滲んで流れた。
「いやあ! 撮らんとって! なあ、お願い! 」
プロレスラーが手に持った鞭をならして、涎を垂らしながら嬉しそうに言った。
「おねえちゃん、SMて知ってるか? 楽しいでえ。お前のおじさんはな、ワシラに2000万円程借りがあるねん。全額返済まで、これから毎日頼むでえ? 」
伯父に初めてを奪われた日に受けたのが、死刑宣告だとすれば、今日のヤクザの言葉は、死刑執行の宣告だった。
そしてその後、涼子の身に降りかかった出来事は。
頼むから死刑にしてと願いたくなるほどの、地獄の責め苦。
地獄の羅卒、二匹の鬼の拷問は絶望を感じる暇もないほどに激しく、永遠に続くかと思うほど長時間に感じられ。
挙句、全てをビデオカメラに撮影されたのだった。
涼子は、ヤクザ達と自身の体液、身体中についた傷から流れる血にまみれ、埃ッぽい床に横たわり、蜘蛛の巣が張った天井の電球を見上げていた。
とうとう、気絶できなかったな、とぼんやり思う。
何度も何度も気が遠くなったけれど、その都度痛みで覚醒してしまうのだ。
少し寒いな、もう服を着ても良いのかな?
でも、身体はネトネトして汚れちゃって気持ち悪いし、このまま服を着たらおばさんにバレちゃうかも知れないし。
何より、勝手なことをしたらまたヤクザに殴られるかも知れない。
意味の判らないスラングだらけのヤクザ達の会話をぼんやり聞きながら寝転んでいると、鉄製ドアの軋む様な開閉音が聞こえてきた。
「……終わりました、か? 」
伯父の声だった。
ああ、彼が来たということは、今日はもう、終わりなんだ。
帰れるんだ。
なんとなくホッとした。
あれほど忌み嫌っていた伯父の声でこんなに安心するなんて、不思議だと思った。
「おう、よかったで、オッサン」
「ホンマや、やっぱり若い娘はたいがい無茶してもええから、こっちも楽しいわ」
ガハハハと下品な笑い声を上げているのがヤクザ二人ではなく、三人であることに気付いた時。
涼子の胸に、昏い火が灯った。
なんで、アンタが一緒になって笑うの?
なんで、私はアンタが入ってきたときに安心なんかしたんだろう?
なんで、私はこんな酷い仕打ちを受けなければならないんだろう?
耳元で、バサッ、と何かかが床に落ちる音がした。
首を捻ると、自分の服がそこにはあった。
「何をいつまでも寝転んでいるんだ。早く起きて、服を着ろ」
伯父の声に、涼子は反射的に身体を動かす。
ゆっくりと上半身を起こし、次に床に手をついて立ち上がる。
立ち上がった拍子にふらついた涼子は、思わず、伯父の身体に寄りかかってしまった。
その瞬間、伯父は汚物を見る様な目で涼子を睨みつけ、そして吐き捨てるような口調で、叱った。
「馬鹿っ! 気をつけろ、服が汚れるじゃないかっ! 」
その瞬間、心の底で、なにかがポキン、と折れる音が響いた。
何もかも、もう、どうでもいい、と思えた。
野垂れ死に、大いに結構。
アンタが言う恩とやらに、仇でもなんでも好きなだけ返してあげる。
それでこの先どうなろうと、構うものか。
だって、毎日がこんなに苦しかったんだもの。
そして明日から、もっともっと苦しい日々が続くんだろうから。
きっとこの先、私は遂に明るい太陽の下、昔のように笑うことなんて、未来永劫できないんだから。
「ウフフフ……。アハハハ」
ぎょっとした伯父の顔が、どことなくひょうきんで、涼子は得をした気分になった。
さあ、気分が良くなったところで、このままの調子と勢いを利用して、殺して上げましょう。
涼子を苛める人は、涼子が殺しちゃう。
「な……、な……、なん……、なんだ……? 」
伯父は全身からどっと汗を噴き出させ、漸くそれだけ言った。
涼子は一歩近付き、ゆっくりと両手を伯父の首に回して、唇を耳に近付ける。
「おじさん。……少しくらい汚れたって、ええやん? どうせ、おじさん、死ぬんやし」
伯父は恐怖を覚えたようだ。
涼子の耳に、はっきりと伯父の上下の歯が震えてガチガチと当る音が届いた。
ざまあみろ。
「おじさん、恐いん? あははっ。かっこわる」
「なっ! 」
最後まで喋らせるものか。涼子は、ゆっくりと伯父の耳に噛み付いた。
「痛っ! 」
涼子の拘束から逃れよう、涼子を引き剥がそうと伯父の両手が無茶苦茶に振り回される。
痛いけれど、負けない、大丈夫、さっきまでの痛みに比べれば蚊に刺されたようなものだ。離れない。離すものか。息の根を止めるまで。
伯父は気違いじみた悲鳴を上げていた。
「ぎゃあっ! は、離せ! 離せ、ち、千切れるぅっ! 」
涼子はしかし、離さない。顔にかかる伯父の血が、生暖かくて少し鬱陶しかった。
ヤクザ達が駆け寄ってきて、力任せに涼子を引き離そうとした。
「こ、こいつ! 離せ、離さんかい! 」
「こら! このアホンダラッ! や、やめんかい! 」
ヤクザ二人がかりの腕力に負けて、涼子は引き摺り倒された。
けれど、喰らいついた口だけは、最後まで開かなかった。
床に打ちつけたお尻が痛い、思わず撫で擦った瞬間、ガラスが割れるかと思う程の断末魔の絶叫が響き渡る。
「ぎゃあっ! 痛い! 痛いよおっ! びょ、病院、病院、病院っ! 」
伯父が両手で耳のあった位置を押さえて、床をのたうち回っていた。
暴れる都度、床に血溜りが出来、それが徐々に広がっていく。
若いチンピラの掠れた声で、涼子は口に残る異物感の正体に気付いた。
「く……、食い千切り……、よった」
2人のヤクザは、呆然とのたうち回る伯父を見下ろし、そして次に床に座り込み尻を擦っている涼子に視線を向けて、顔色を白くした。
二人とも、ええリアクションやないの。
じゃあ、次はアンタたち。
ゆっくりと立ち上がりながら、彼等に笑いかけた。
ペッ、と口に咥えた伯父の耳をプロレスラー風のヤクザの足元に吐き出すと、プロレスラーは「ひいっ! 」と叫んでその場に尻餅をついた。
隣りで呆然と立ち尽くす若いチンピラの足元には、湯気をたてる液体が丸い染みを作っていく。
涼子の手には、床に落ちていたガラスの大きな破片が、何時の間にか握られていた。
手から血が滴っているのは判ったが、痛みは感じなかった。
涼子はゆっくりと若いチンピラに近寄ると、顔を覗き込むようにして気になっていた事を訊ねた。
「そや、カメラ、どこにあるん? 」
彼は涼子に言われるままに、震える手でスポーツバッグを指差す。
涼子はチラ、とバッグに視線を投げた後、笑顔でチンピラを見た。
「なんや、素直やんか? ……そやのに、なんで、さっき撮らんとって、て言うた時、やめてくれへんかったん? 」
涼子は小首を傾げて訊ねる。
「あ……。い、あ……」
震えながら、訳のわからない言葉を呟くチンピラが、ポケットに手を滑り込ませた、その瞬間。
涼子は手に持ったガラス板を、横へ薙いだ。
チンピラの両目から血飛沫が上がる。
「ぐおっ! 目、目が! 目があっ! 」
両目を両手で押さえてがら空きになった腹部に、涼子はゆっくりと5回、ガラスを突き立てる。
正確に5度、チンピラが叫び声を上げた。
チンピラは目を押さえたまま、その場にうつ伏せに倒れ、自分の漏らした小便に顔を沈めた。
楽しかった。
涼子を苛めたひとは、みんな死んじゃうんだよ?
涼子はその光景を暫く眺めた後、ゆっくりと視線を、床にへたり込んで呆然とこちらをみつめていたプロレスラー風の男に向ける。
「次は、おっさんの番やで? 」
「ま、待て! 待たんかい! いや、頼む、この通りや、待って! わ、ワシが悪かった、な? か、金か? 金やったら、なんぼでもやる、な? それで堪忍して! 」
男はポケットから財布を出し、涼子の足元に投げる。
涼子はチラリと足元の財布を見、そしてすぐに視線を男に戻す。
「た、足らんか? な? そ、そや、まだ、あるで、金、まだあるで? ちょ、ちょっと待ってや、な? 」
男は歪んだ笑みを浮かべてそう言いながら、ポケットをまさぐり、そしていきなりナイフを突き出した。
「死ねやああっ! 」
次の瞬間、男が妙な声を上げる。
「ぐえぇっ? 」
続いてナイフが床に落ちる音を聞いて、涼子は堪らなくなって笑い声を上げた。
「あははははっ! 」
男の突き出した手の甲に、ガラスが突き刺さり、掌まで貫通していた。
涼子はゆっくりと床に落ちたナイフを拾い上げ、男に近付いた。
「ひーとつっ」
「ぎゃああっ! 」
「ふったつぅ」
「あああああっ! 」
涼子は数え歌でも歌うように、数を数えながら、ナイフで男の目を突き刺した。
男はドサリと、スローモーションの様に、ゆっくりと床へ仰向けに倒れる。
コンクリートの床に後頭部が当たり、ガツンと鈍い音を立てる。
「オッサンも、そっちのニイチャンも死んだんか? まあ、ええわ。涼子のハダカ見たからこないなるねん。判ったか? 」
涼子は、ゆっくりと男の足元にしゃがみ込み、ズボンから湯気が上がっていることに気が付いた。
「なんや、オッサンまでちびっとるんかあ? 大人のクセに、みっともないなあ、あははは」
そして、涼子は血糊のついたナイフをペロリと舌で舐めとった。
妙に熱くて、けれどほんのり甘いな、と感じた。
「そや、オッサンには、涼子ちゃんの特別サービスや。おっさん、ようさん痛い目ぇ見させてくれたさかい、ご褒美や」
そう言うと、涼子はナイフを無造作に男の大きく迫り出した腹部に突き立てた。
血が止め処なく流れ出す。ナイフを抜くと、凄い勢いで血飛沫が噴き出した。
涼子は血の噴水を全身に浴びながら、けたたましく笑い出した。
楽しくて、楽しくて、たまらなかった。
こんなに笑ったのは、いつ以来だろう?
「あははははははは! あはははははっははははははっははははははは! 」
きっと、ついさっきまでの自分と同じように血に塗れて埃臭いコンクリの床に転がっている男3人も、自分を甚振っている間は、こんな風に楽しかったのだろう。
「そら、ヤメテ言うても、やめられへんわ、なぁ? 」
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