18.真実
第123話 18-1.
欧米の病院というものは大抵、手術室は診療科単位に設置されているものなのだが、何故かUNDASNの医療本部や防衛医大の管轄する野戦病院や附属病院は、日本式に中央手術室と呼ばれる集中方式を採用している。
それが集中化による費用軽減なのか、敷地有効利用の為なのか、コリンズには判らなかったが。
医療本部付属中央病院、ロンドン野戦病院~別にロンドンが戦場だという訳ではない、戦争遂行中の軍隊が所管する病院は、最前線のテントであれ最後方地球本星の大都会の一等地であれ、それらは
コリンズは、フロアの外れにある喫煙コーナーで煙草を吹かしながら、案内図をほんやりと見上げていた。21世紀に入って急速に激しさを増した嫌煙権運動の高まりで、民間企業や官庁のオフィス、公共施設はもちろん飲食店等の一般店舗も含めて喫煙コーナーは全廃されて久しいが、何故かUNDASNでは基地、駐屯地、行政施設や艦船内でも必ず一ヶ所は喫煙スペースがある。病院等は敷地内禁煙が当たり前だが、UNDASNの管轄する医療施設は何故か喫煙スペースが残っている。主な利用者がUNDASNの軍人または軍属だからなのか、それともほかに理由があるのかは判らなかったが、コリンズにとっては有難い環境であることには間違いない。
このロンドン野戦病院の中央手術室区画、涼子の為のスペースを除く残り2つのパーティションでは、銃創を負った小野寺の手術が始まっていて、もうすぐ2時間が経過しようとしている。
手術室前の待合ロビーには、新谷やボールドウィン、コルシチョフ達ロンドン残留組の面々がバッキンガム宮殿から駆け付けており、けれどその人数からは信じられない静寂が、一層空気を重苦しいものにしていた。
しかしまあ、小野寺も思い切ったことを。
苦笑を浮かべる。
あのまま放っておけば、きっと涼子は勝手に気を失って倒れただろうし、あんな隙だらけだったのだから、皆で飛び掛り取り押さえる事だって容易く出来たろう。
けれど。
それをすれば、涼子はきっと、”あのまま”だったに違いない。
悪魔的なまま、その対極にある石動涼子という人格を捨てたまま、いや、それ以前に一人の人間としての
小野寺にはそんな最悪の予感が、そしてそれを回避する成算があったのだろう。
だから撃たれ、そしてその結果、涼子は最後の瞬間、『本来の涼子』を取り戻した。
つまりは、そういうことだ。
涼子を手に入れた小野寺と、病院の片隅で間抜けヅラで立ち尽くす自分との違いは。
「それにしても」
コリンズは、振り返り、手術室の方を見る。
涼子は未だ術前の臨床検査が全て終了していないらしく、姿は見えない。
廊下には新谷やボールドウィン、マズアやリザ、銀環、副官や秘書官、SP達がひっそりと佇んでいるだけだ。
誰もが無口で、重苦しい表情で視線を泳がせている。
コリンズが2本目を灰にする頃、マズアがゆっくりと喫煙コーナーに入ってきた。
「1課長、随分と遅いな」
マズアは呟きながらコリンズの隣へ座り、顔を手術室の方へ向けた。
コリンズは3本目に火をつけながら、マズアに声をかける。
「アーネスト。まあ、そんなに焦るな。……どうだ、吸うか? 生徒時代は吸ってたよな、確か」
マズアはコリンズの差し出した煙草を暫くみつめた後、顔を伏せた。
「心配なんだよ」
くぐもった声が響いた。
「さっきも博士が言ってただろう? 医療本部の各診療科のエース級を集めて」
「そんな事を言ってるんじゃない! 」
鋭く、しかし小さくマズアが叫び、コリンズの言葉を制する。
「……そんな事は判ってる。手術はそりゃ、上手くいくだろう。なんせ、ノーベル賞候補がゴロゴロと余るほどいるって医療チームだからな、命は助かるだろうさ。だが、俺が言ってるのは、その後の事だ」
コリンズは黙ってタバコを灰皿でもみ消す。
マズアは顔を上げ、声を顰めた。
「なあ、ジャック。1課長は、復帰……、いや、職場への復帰なんてどうでもいい。彼女は”こちら側”へ戻ってこれるだろうか? あの現場での1課長、……俺は日本語はそれ程堪能じゃないんだが、きっと彼女は、記憶が全部戻ったんだ。今までは、強制的な肉体改造で、全てなかったことにして生きてきた。だけど」
そこまでマズアが喋った時、中央手術室のドアブザーが静寂の廊下に鳴り響いた。
ドアを注目すると、一佐の階級章をつけた
コリンズもマズアを促し、足早に彼を囲む人垣に歩み寄った。
「軍務部長の手術は、無事終わりました」
新谷達の表情が、ほんの少し緩んだ。
「ご苦労だった」
ボールドウィンが溜息交じりに答える。
「ご本人の希望とワイズマン博士の指示により局部麻酔で行いましたが、結果的には肩甲骨と第2、第4肋骨が至近距離からの拳銃弾により、損傷。これらを人工骨格に置き換えました。殆ど零距離からの命中弾と言う事で、どちらかと言うと、骨よりも筋肉や神経のダメージの方が大きく、そちらの処置で手間取りましたが、術後経過は現状、良好です。入院3週間、リハビリ2週間で軽い勤務は許可できるでしょう。但し、左腕の運動能力等にあとあと障害が残る可能性は否めません。そちらは、気長にリハビリと並行してバイオ療法と理学療法、という事になるでしょう」
「いや、ドクター、ありがとう。本当によくやってくれた」
新谷の言葉に医師は頷き、少しだけ笑顔を見せた。
「光栄です。あぁ、軍務部長はもうすぐ出てこられますよ。意識は明瞭ですから、お話も短時間なら可能です」
医師が言いながら背後を振り向くと、まるで話が終わるのを待っていたように、ストレッチャーに乗った小野寺が出てきた。
予想外だったのだろう、人の多さに驚いた看護師達が一瞬立ち止まり、皆はそれをいいように理解してストレッチャーを取り囲んだ。
「小野寺君。災難……、だったな」
ボールドウィンは少し迷ったように言葉を詰まらせる。
「いや、申し訳ないです、局長。思わぬ休暇になりそうで」
「まあ、君も考えた末だったんじゃろうし、取り敢えず、ゆっくりすりゃええ」
新谷も、自分と同じ考えだったようだと、コリンズが内心頷いていると、感極まったような声が上がった。
「軍務部長! ……私! ……も、申し訳ありませんでした! 」
リザだった。
目に一杯涙を溜めながら、制止する銀環を振り切るようにして小野寺の傍らに進み、頭を下げた。
「もういい、三佐」
小野寺は、蒼白の顔に微笑を浮かべて静かに言った。
「貴様が謝るようなことは、何もない」
「だけど」
「貴様が、後任副官と一緒にやるべきことは、これからが本番だろう、違うか? 」
リザの言葉を遮って、小野寺が少しだけ声を大きくした。
リザも、そして隣で彼女の腕を掴んでいた銀環も、驚いたような表情を浮かべる。
「涼子は、貴様等がお気に入りのようだから、な。……子守は大変だろうが、まあ、よろしく頼む」
リザが堪え切れず嗚咽を洩らす。
よろめく彼女を、やはり涙をぼろぼろ零す銀環が抱き締めた。まるで、銀環の方が年上に見えたのがコリンズには印象的だった。
「俺の後任、いるか? 」
「アイサー、ここにいます」
小野寺が呼ぶと、人垣の中から、顔を真っ赤にした彼の後任副官がおずおずと近付いてきた。
よく見ると、眼も充血して真っ赤だった。
「部長。なにか」
小野寺は、さっきよりも優しい口調で、語りかける。
「すまなかったな。心配かけた」
「……っ」
彼女はきつく眼を閉じ、唇を噛み締める。
ある意味、一番辛い立場は、彼女かもしれないと、コリンズは思う。
彼は同じ軍務局勤務ということもあり、何度か後任副官とも言葉を交わしたことがあるが、この常に明るく笑顔を振りまいている彼女が、初めて見せた本音の表情に、何故か切ないシンパシを感じてしまった。
そんなコリンズを余所にして、彼女はハァッ、と短い溜息を吐くと、吐き捨てるように言った。
「心配なんかしてませんっ! とにかく、部長。仕事は全部、病室に持ち込みます。自分が見張ってます、か……、から、さぼ、サボリなん、て……、許さ、許、うっ」
徐々に湿りを帯びる彼女の声は、途切れがちに、そしてとうとう嗚咽しか聞こえなくなる。
「泣くな、イボーヌ」
小野寺の言葉が背中をおしたようだ。
「部長っ、ズルいですっ! 」
後任副官は堪え切れず涙を流し、小野寺に抱きついた。
「ぐっ! 」
彼女が顔をおしつけたのが傷口だったらしい。
けれど小野寺は、何も言わず、子供のように泣きじゃくる副官の背を擦ってやっていた。
「貴様、自分でも言ってたじゃないか、ライトスタッフだって。いいから、普段通り馬鹿みたいに笑ってろ」
小野寺の言葉を受けて、後任副官は笑おうとしたのだろう、口角を震わせながら上げたが、折角の笑顔は頬を滂沱と流れる涙の河で台無しだった。
「それがいい船乗りの条件だから……、ですか? 」
小野寺の苦笑に、彼女は唇を噛み締め、瞼を固く瞑り、「馬鹿は余計です、部長」と呟いて、今度こそハッキリとした笑顔を浮かべて見せた。
真っ赤になった頬に涙の跡を残しながらも、凛々しく美しい笑顔だった。
「それでは皆さん、そろそろ」
看護師が遠慮がちそう言って、ストレッチャーを押し始めると、小野寺は副官の背中を擦り続けながら、コリンズに顔を向けた。
「二佐。アイツはどうした? 」
涼子のことだろう。
「まだ、術前検査中のようで、こちらに運ばれて来ていません」
「そうか」
呟くように言って、小野寺は、ゆっくり眼を閉じた。
「ま、サムに任せるしかないか」
小野寺と副官がエレベータに消えると、再び廊下には重苦しい空気を纏った静寂が戻る。
コリンズが踵を返し、喫煙コーナーに戻り始めると、マズアも無言のままついてきた。
煙草を咥え、無言で一本差し出すと、今度はマズアはそれを抜き取った。
吐き出した煙が、不自然な動きで吸煙機に漂っていくのをみつめながら、コリンズは、言った。
「なあ、アーネスト」
マズアに火を差し出す。
「さっきの話だけど、な。……まあ、室長代行は、大丈夫だろう」
マズアが、ゆっくりと顔を向ける。
「俺も日本語はあまり判らん。あの時彼女が、何を言ってたかは理解できなかった。でも、最後の……、彼女が意識を失う最後の瞬間の表情が、俺は忘れられんのだ」
眼を閉じると、涼子の顔が浮かぶ。
今まで見たこともない、安らかな表情。
あれを引き出せるのは、そして正面から見ることが赦されるのは。
「『至福の表情』って言うのは、あの瞬間の、彼女の顔じゃないか、ってね」
マズアが、頷いたように思えた。
多分、コイツだって、同じだ。
俺と。
だから、言いたくない事だって、コイツになら言っても良かろう。
「小野寺さんがいるんだ。きっと、そのうち、復活できるさ」
一口吸っただけのタバコを灰皿で揉み消しながら、肝心の一言を付け加えた。
「男としちゃあ、……無念ではあるが、ね」
マズアは苦笑を浮かべ、やはり一口吸っただけの煙草を灰皿に投げ込み、呟くように答えた。
「同感だ」
それから30分もぼんやりしていただろうか、最後の一本を灰にして、仕方なくコリンズはマズアを促し喫煙コーナーを出た途端、エレベータの扉が開いて、ストレッチャーに乗せられた涼子が現れた。
全員が動こうとした瞬間、看護師が今度はそれを予想していたかのように大きな声を上げ、歩速を上げる。
「はーい、患者さん、術前、もう眠ってらっしゃいまーす。皆さんお静かにー。はーい、通して下さーい」
歌うように言いながら歩く曹長の階級章をつけた看護師に皆が気を取られている内に、涼子はあっと言う間に手術室へ入ってしまった。
あまりの見事な手際に全員が呆気に取られていると、今度は違うケージから白衣の一団が登場した。
30人はいるだろう。
その先頭にいるのは、サマンサだった。
「ワイズマン博士」
ボールドウィンが声を掛けると、サマンサは歩みを止めて、後続の医師達に目で合図して先に手術室へ入らせ、自分は皆に向き直った。
新谷がまず、口を開いた。
「どうなんじゃ、博士。えらく検査に時間がかかっとった様じゃが」
サマンサは白衣の下の第二乙のポケットからシガーケースを取り出して、目で全員の許可を得た後、喫煙コーナーへ行き、煙草に火を吸いつけた。
全員が彼女の後をぞろぞろとついて歩く様子が、コリンズには妙に可笑しく感じられて、こんな時だと言うのに思わず頬が緩んだ。
「で? 」
新谷が先を促すと、サマンサはふぅっ! と煙を吐き出した。
それは溜息じゃないんですかと、コリンズは訊いてみたくなった。
「それが、よく判らないんですよ」
予想外のサマンサの答えに、全員が呆気にとられた。
皆の反応に満足したわけではないだろうが、サマンサは、少しだけ表情を緩めて、言葉を継いだ。
「最初、私は過去の様々の事例、そしてクランケの過去の病歴等から判断して、急性白血病又は急性脳腫瘍、あるいはそれらに関連する合併症状を予想していました」
相変わらず、医者のする症状説明って奴は、素人を置いてけぼりにするな、とコリンズは密かに思う。
そう感じるのは、俺の僻みだろうか?
「そして実際、薬物反応検査やバイオ腫瘍マーカー等では、急性脳腫瘍と診断しても良いと思われる結果が出たんです、が」
サマンサの表情が、困惑に変わった。
「続いて放射線科で画像診断に入った途端、症状が現れなくなったんです」
ボールドウィンが、おずおずと訊ねた。
「つまり? ……発症していない? 」
「脳腫瘍じゃないってことですか? 」
リザの質問に、サマンサは、今度は苦しげな表情を浮かべる。
案外この先生、個人として付き合うと、いい女なんじゃないか?
「そうじゃなくて。例えばfMRIやMRIでは現象が出ないけど、
サマンサは、再び表情を消して、煙草を灰皿に投げ込み、続けてもう一本口に咥えてから、言った。
「つまり劇的な症状が現れているのに、固形癌である腫瘍自体がどこにも存在しない、とでも言うのかしら」
暫く首を捻っていた新谷が、ゆっくりと口を開く。
「ドクター。それは、こう、素人の例えで申し訳ないんじゃけど、な? ……例えば、肝臓が悪くなれば、血液中のγGTPとかの値が悪くなる、じゃのに、腹開いて肝臓を取り出して見ると、ピンク色でビクビクと活きの良い健康そのもののレバーじゃった、と……、そんなもんか? 」
コリンズの後ろにいたリザが「ウッ! 」と小さく呻いて手で口を押さえる。
確かにグロい例えだ、とコリンズでさえ思い、彼女に同情を覚える。
が、聴いていたサマンサは少し顔を綻ばせた。
「あ、そうそうそれそれ! 内幕部長、面白い例えですわ。細かい点は違うけど、大筋では合ってます」
満足そうに頷く新谷を横目で見ながら、ボールドウィンが少し苛立ったように訊ねた。
「で? 医師団としての今後の方針は? 」
サマンサは表情を引き締め、煙草を灰皿に押し付けた。
「議論百出、このままでは時間ばかりが過ぎてしまう。患者のバイタルが危険値なのには変わりないので。で、取り敢えず、一旦頭を開きます。検査手術。状態を見た上で、もう一度施療方針や処置を検討します。まぁ、方針をどうするこうする以前に、まずは生命保全、救命措置が最優先ではあるんですが」
そしてサッと白衣を翻し、手術準備室のドアに向いながら、言った。
「多分、最短で8時間、長くて15時間程かかるオペになりますから、今日のところは一度、お引き取りください。何かあったら連絡します。えーと」
サマンサが取り囲んでいる人々を見回すのに、マズアが手を上げた。
「それでは、駐英武官事務所、私マズア駐英武官へ連絡願えますか? 」
「
そう言うと、サマンサは白衣の裾と美しいブロンドを翻してドアの中に消えた。
確かに彼女の言う通りだ。
コリンズは、少し大きな声を上げた。
「それでは、博士もああ仰っていますし、皆さん、一旦宿舎へお引き取り下さい。マズア駐英武官と私は武官事務所へ戻りますので、何かあればそちらに。副官、秘書官は車を裏玄関に。警務部、それぞれ護衛任務に就け。警務部先任幹部は軍務部長警護と室長代行の病室警護のSPを選任し、配置につかせろ」
「あ、それとコルシチョフ部長、英国国防省対応の件で少しご相談があります。事務所へご同行頂けませんか? 」
マズアが思い出したように言っている姿を見ながら、コリンズは人知れず吐息を零す。
長い夜になりそうだ。
「しかしそれでも、明けぬ夜はない、か」
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